第20話 大傭兵隊長、ついにリタに襲われる(メイドの逆襲)
『ローデン歴 201年 6月10日 伯都アールヘン 居城 深夜』
【傭兵隊長ヴァレンシュタイン視点】
蒸し暑い夜だった。
俺は一日の公務――教会のベルンハルト司祭とかいう堅物が、なぜか一日中俺の後ろをついて回るのを適当にあしらう仕事――を終え、寝室のベッドに倒れ込んでいた。
「……疲れた」
鎧を脱ぎ、薄着になって天井を仰ぐ。
戦場の疲れとは違う、精神的な摩耗だ。もう寝よう。そう思って目を閉じた時だった。
カチャリ。
扉の鍵がかけられる音がした。
俺は反射的に跳ね起きた。
「誰だ!?」
そこに立っていたのは、メイドのリタだった。
だが、様子がおかしい。いつものドジで愛想のいい雰囲気ではない。
彼女は頬を上気させ、潤んだ瞳で俺を睨み据えている。呼吸が荒い。そして、その手には「合鍵」が握られていた。
「……リタ? どうした、夜食でも持ってきたのか?」
「……もう、限界です」
「あ?」
リタがゆらりと近づいてくる。
俺は本能的に、ハルツェン平原で敵の大軍に囲まれた時と同じ寒気を感じ、ジリと後ずさった。
「限界ってなんだ。給金か? 休みならやるぞ」
「違いますぅ……! 体です! 体がもう、ヴァレンシュタイン様の手を覚えてしまって……! 毎晩、思い出して眠れないんですぅ!」
リタがベッドに乗り上げてきた。
俺は圧倒された。この俺が、たかだかメイド一人に押し倒されたのだ。
「ま、待てリタ。落ち着け。マッサージならまた明日にでも……」
「今じゃなきゃ、ダメなんです!」
リタが俺の胸に手を突き、覆いかぶさってくる。
薄い寝間着越しに、彼女の柔らかい感触と、高い体温が伝わってくる。甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
「あの日、雪の日に……ヴァレンシュタイン様に触れられてから……私の中の火が消えないんです。責任、取ってください……」
彼女の指が、俺の頬を這う。
俺は観念した。
敵は武装した兵士ではない。欲求に身を焦がす一人の女だ。俺の「手加減」など、ここでは何の意味もなさない。
「……後悔しないな?」
「命令しないでください……。今夜は、私がご主人様です」
リタが俺の唇を塞いだ。
そこから先は、戦いだった。
俺の剛腕が、壊れ物を扱うように彼女の白い肌を愛撫するたびに、リタは甘い悲鳴を上げ、さらに深く俺を求めてきた。
互いの汗が混じり合い、熱気が部屋に充満する。
俺は、彼女のすべてを受け止める覚悟を決め、その深淵へと堕ちていった。
――翌朝。
小鳥のさえずりが聞こえる爽やかな朝。
俺は気怠い体を起こした。隣では、リタがこれ以上ないほど満足げな顔で、幸せそうに眠っている。
(……やっちまった)
俺は天を仰いだ。
部下の手前、示しがつかん。いや、リタも俺の部下みたいなものか? だとしたら職権乱用か?
悶々としていると、バンッ! とドアが開いた。
「おはよう、ヴァレンシュタイン。朝食の時間よ……」
入ってきたのは、イルゼだった。
彼女は、乱れたベッドと、裸の俺と、その横で寝息を立てるリタを見た。
そして、部屋に充満する「事後」の匂いを嗅ぎ取った。
時が止まった。
イルゼの表情から、すぅっ、と感情が消えた。
「……あ、いや、イルゼ。これはだな」
「…………」
イルゼは何も言わなかった。
ただ、氷点下の瞳で俺を一瞥し、そしてリタを一瞥した。
そのまま、無言で踵を返し、ドアをバタン! と閉めた。
その日の朝食は地獄だった。
イルゼは、俺の皿にパンを置く時も、コーヒーを注ぐ時も、一言も発しなかった。
そして、起きてきたリタが「おはようございますぅ~♡」とふにゃふにゃした顔で挨拶しても、イルゼは完全に無視した。存在していないものとして扱った。
リタが「あ、あれぇ? イルゼ様?」と首を傾げても、イルゼは視線すら合わせない。
(……まずい)
俺は冷や汗を流しながら、味のしないパンをかじった。
最強の傭兵団の中に、最も恐ろしい「冷戦」が勃発してしまった。
参謀とメイド。この二人の仲違いは、俺の胃に穴を開けるには十分すぎる威力を持っていた。
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