第15話 大傭兵隊長、汚物をかけられる(汚物処理法令)
『ローデン歴 200年 12月15日 伯都アールヘン 夜 晴れ』
【傭兵隊長ヴァレンシュタイン視点】
冬の澄んだ星空の下、アールヘンの街は熱気に包まれていた。
アール川にかかる大橋の完成祝いだ。街中の酒場という酒場が開け放たれ、各家々でも窓を開けてパーティーが開かれている。
俺たち『黒狼隊』も、今日ばかりは無礼講で街に繰り出していた。
俺は上機嫌で、部下数名と大通りを歩いていた。橋の完成は、領主としての大きな実績だ。
「隊長! あそこの店、ワイン樽を開けたそうですぜ!」
「よし、行くか!」
そう言って、俺がある民家の軒下を通り抜けようとした、その時だった。
ジョロジョロジョロ……バシャッ。
頭上から、生温かい液体が降ってきた。
俺の自慢の黒髪に、そして上等な外套に、強烈なアンモニア臭を放つ液体が降り注ぐ。
時が止まった。
部下たちの笑顔が凍りついた。
「ウィ~……。寒い夜は、窓から放すに限るねぇ……ヒック!」
二階の窓から、酔っ払った男が気持ちよさそうにナニを出して震えていた。
道ゆく人に向かって、尿瓶の中身どころか、直で放出しやがったのだ。
俺は、ゆっくりと顔についた液体を拭った。
「……おい」
「あぁん? なんだぁ、下の……ヒッ!?」
男が下を覗き込み、俺と目が合った瞬間、その酔いが一瞬で覚めたのがわかった。
俺は、笑顔だった。
だが、部下たちは知っている。俺がこの顔をする時が、一番ヤバイということを。
「ちょっと、そこへ直れ」
俺は二階へ駆け上がり(というより壁を蹴って飛び上がり)、部屋に侵入した。
ガタガタと震える男の肩に、俺は手を置いた。
「お前、いい度胸だな。俺を誰だと思っている?」
「ひ、ひぃぃっ! りょ、領主様!? ごめんなさ……!」
「安心しろ。怒ってない。……ただ、少し『撫でて』やるだけだ」
俺は、いつものように「壊さないように」、慈愛を込めて、男の側頭部を優しく撫でた。
パァンッ!
乾いた音がして、男は白目を剥いて床に崩れ落ちた。
後に聞いた話では、男は三日間、幸せな夢を見ながら寝込んだという。
『12月16日 アールヘン居城 執務室』
翌朝。俺は執務室で、鬼のような形相で体を洗った後、イルゼを呼びつけていた。
「イルゼ。法令を作るぞ」
「あら、おはよう。昨日は『運』がついたんですって?」
イルゼがニヤニヤしながら入ってくる。情報が早い。
「うるせぇ。……『汚物処理法令』だ。今すぐ草案を作れ」
「本気?」
「大真面目だ。いいか、軍隊において最も恐ろしいのは敵兵じゃない。疫病だ」
俺は机を叩いた。
長年、戦場にいた経験則だ。数千の兵が密集する陣地で、糞尿の処理をおろそかにすれば、あっという間に病が蔓延し、戦う前に全滅する。
都市も同じだ。人が増えれば、汚物も増える。窓から垂れ流すような野蛮な風習を続けていれば、いつかこの街は病で死ぬ。
「道への汚物の投棄を一切禁ずる。各区画に共同の溜め込み場を作り、定期的に回収させろ。違反者は……俺が『撫で』に行く」
「ふふっ、最後のは冗談として……合理的ね。わかったわ」
イルゼはすぐにペンを走らせた。
それから、アールヘンは激変した。
王都ですら、道を歩けば汚物を踏まない日はないというのに、俺の領地は驚くほど清潔になった。
なぜなら、徹底したからだ。
俺は、街の貧民たちを雇い入れた。
彼らの仕事は、街路の清掃と、馬や牛のフン拾いだ。
拾ったフンは、近隣の農家へ肥料として売る。その売上の一部を彼らの給金とした。
「領主様! ここ、まだ落ちてます! 宝の山です!」
「へへっ、これで今日も飯が食えるぞ!」
貧民たちにとって、汚物は金になった。彼らは競うように街を磨き上げた。
街は臭くなくなり、病気も減り、貧民には仕事ができ、農家は肥料を得る。
俺は、ピカピカになった大通りを窓から見下ろし、満足げに頷いた。
これで二度と、頭から小便をかけられることもないだろう。
……たぶん。
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