第13話 大傭兵隊長、エールを振る舞う(職人の戦いと真夏の夜の夢)
『ローデン歴 200年 6月30日~8月8日 伯都アールヘン 醸造所~中央広場』
【醸造職人ブロイアー・ガルツ視点】
俺はブロイアー・ガルツ。このアールヘンで親子三代、ビールを造り続けている醸造職人だ。
だが、こんな無茶な注文は初めてだった。
『6月30日』
俺の醸造所の前に、山のような麦袋がドサドサと積み上げられた。
運んできたのは、あの強面の『黒狼隊』の連中だ。
「おい、親父! 領主様からの差し入れだ! これで最高の『エール』を造ってくれ!」
「はぁ!? 今から仕込んで、夏祭りに間に合わせろってのか!?」
「そうだ! 領主様は『領民たちに美味い酒を飲ませてやりたい』と仰せだ! 金は弾むぞ!」
俺は頭を抱えた。
通常、麦芽作りから熟成まで、じっくりやれば一ヶ月以上はかかる。だが、祭りは8月8日だ。
……やるしかねぇ。職人の意地ってやつだ。
『7月5日 麦芽づくり(モルティング)』
工房の中はサウナのように暑い。
俺は、水に浸して発芽させた麦を、床に広げて乾燥させていた。
発芽のタイミングを見極めるのが肝だ。早すぎても遅すぎても、いい麦芽にはならねぇ。
「親父さん、水温はどうする?」
「少し低めだ! 腐らせんじゃねぇぞ!」
俺は汗だくになりながら、麦の粒一つ一つと会話するように混ぜ返した。
領主様が獲ってきた麦だ。一粒たりとも無駄にはできねぇ。
『7月15日 仕込み』
今日は仕込み(マッシング)だ。
粉砕した麦芽を巨大な釜に放り込み、湯と混ぜて煮込む。先祖からしてきた、一番重要な工程だ。
工房中に、甘く香ばしい匂いが充満する。
そこへ、苦味の素であるホップを投入する。
「うおりゃぁぁぁぁっ!」
俺は巨大な木べらで、釜の中をかき回し続けた。
外は大雨が降っているらしいが、知ったことか。俺たちの戦場は、この釜の前だ。
『7月20日 発酵』
麦汁を樽に移し、先代も使ってた家宝の白い泥を加える。
ここからは、酒の精たちの仕事だ。
今年は暑い。気温が高いと出来るのは早いが、気を抜くと酸っぱくなっちまう。俺は昼夜問わず、樽の温度を見張った。
ポコッ、ポコッ、と樽の中で泡が弾ける音が聞こえる。
あのエールの泡が出来ている音だ。
俺には、それが赤ん坊の寝息のように聞こえた。
「いい子だ……美味しくなれよ……」
『8月8日 エール祭り当日』
そして、ついにその日はやってきた。
アールヘンの中央広場は、夕暮れ前からものすごい人だかりだった。
それもそのはず。
『豊作感謝! アールヘンまで来れば、エール一杯無料!』
そんな太っ腹な看板が掲げられているのだ。近隣の村どころか、街道を行く旅人まで押し寄せている。
広場の中央に組まれた櫓の上に、領主ヴァレンシュタイン様が立った。
相変わらず黒い鎧を着ているが、今日は武器を持っていない。
「……えー、ゴホン」
領主様の野太い声が響き、広場が静まり返る。
「今年は豊作だった。麦が余るほど獲れた。……だから、酒にした」
単純明快な挨拶に、クスクスと笑いが漏れる。
「俺たちが汗水たらして獲った麦を、この街の職人ブロイアーが最高の酒にしてくれた。今日は無礼講だ。存分に飲んでくれ!」
「「「ウォォォォォォォォッ!!」」」
歓声と共に、祭りが始まった。
俺たちが必死こいて造ったエールが、次々と樽から注がれていく。
「うめぇぇぇぇッ!」
「なんだこのコクは! 生き返るぞ!」
「最高だ! ヴァレンシュタイン様、万歳!」
街の人々が、赤ら顔で笑い合っている。
あの強面で有名な『黒狼隊』の兵士たちも、今日は鎧を脱ぎ、街の若者と肩を組んで踊っている。
リタちゃんていう可愛いメイドさんが、酔っ払ってあちこちでへたり込んでいるのもご愛嬌だ。
俺は、櫓の陰でこっそりと自分用の一杯を煽った。
……美味い。
若くて荒削りだが、力強い味だ。まるで、あの領主様そのものみてぇな味だ。
夜が更け、月が高く昇る頃。
祭りの熱気が心地よい疲れに変わっていく中で、ヴァレンシュタイン様が席を立った。
彼は満足げに、広場の喧騒を見渡した。
そして、誰に言うともなく、低く呟いた。
「……また来年、だな」
そう言い残し、彼は数人の部下――参謀の美女と、いつも眠そうな副官――を連れ、静かに居城へと歩いていった。
その背中は、戦場の鬼神には見えなかった。
ただの、仕事帰りの不器用な男の背中だった。
「ありがとな、領主様」
俺は空になったジョッキを、その背中に向かって掲げた。
アールヘンの夏祭りは、夜明けまで続いた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




