第1話 大傭兵隊長、戦場を駆ける
『ローデン歴 200年 5月18日 ハルツェン平原 朝霧』
【傭兵隊長ヴァレンシュタイン視点】
じっとりと湿った朝霧が立ちこめる。平原には、慣れ親しんだ鉄の匂いが満ちていた。
俺は、ヴァレンシュタイン。大傭兵団『黒狼隊』を率いる隊長だ。今はローデンフェルト王国に雇われている。俺の黒い鎧は刃傷だらけで、長槍には乾いて黒ずんだ返り血がこびりついている。
「前へ進め! 横隊を崩すな!」
俺がどすの利いた声で叫ぶと、後ろで待機していた『黒狼隊』が一斉に地を蹴った。
敵軍は、目の前に広がる緩やかな丘の上に陣を敷いている。弓兵と長槍兵を交互に並べてやがる。指揮は悪くない。だが、決定的に押し切る力がなかった。
俺の長槍が、風を切るように唸った。
突き出すたびに、兵が二人、三人とまとめて吹き飛んでいく。敵の盾は紙切れのように砕け、槍は簡単にへし折れる。列はたちまち乱れた。
俺の槍は柄が木製ではない。すべて鉄だ。
「黒狼だ! 黒狼が来たぞ!」
敵兵の叫びが波のように伝わっていく。
恐怖は兵の動きを鈍らせる。鈍った前線なんざ、俺の前ではただの藁束だ。
俺は混乱の中を、ただ無言で進んだ。横から振り下ろされる斧を槍の柄で払い、背を向けて逃げる兵の背を突き、盾ごと押し倒して踏み越えていく。
そして、敵本陣の中央で慌てて馬に乗ろうとしている将らしき男を見つけた。兜に赤いツノが一本ついている。俺は槍を低く構え直す。
「どけぇッ!」
一閃。
凄まじい勢いで放たれた槍は、将がまとっていた胸甲と兜の間……首を紙のように貫く。
ドシュッ!
敵の首と胴が離れ、体だけが馬から落ちる。
俺は器用に敵将の首を槍の穂先に刺すと、高く掲げた。
「ウォォォォォォォォォォォォォォォッ!」
『黒狼隊』が呼応し、勝利を告げる雄叫びが戦場を揺らした。
指揮官を失った敵軍は総崩れとなり、丘の向こう側へと雪崩れ込むように逃げ始める。
俺は即座に近くにいた馬へ飛び乗った。
「追撃だ! 夜までに終わらせる!」
部下たちが続き、俺たちは逃げ散る兵を次々と追い払っていった。
西の空に日が傾き、やがて冷たい夜が訪れる。あちこちで松明が揺れ、疲れ切った馬が荒い鼻息を吐いていた。
ようやく追撃停止の号令を出した時、兵たちは鎧の重さに耐えかねたように、焚き火の前へへたりこんだ。
俺も兜を外し、深くため息をついた。
「勝ったのはいいが……また明日、報酬の話をしないといけねぇのか」
焚き火に照らされた俺の顔は、さっき掲げた敵将の首よりひどい顔をしていたかもしれない。
(戦は分かりやすい。敵を倒し、陣を奪えば終わりだ。だが、あの城にいる領主どもとの話し合いはどうにも苦手だ)
そんな独り言を飲み込みながら、懐から取り出した煙草の葉を小さく丸める。火をつけ、ゆっくりと紫煙を吸い込んだ。
ずいぶんと付き合いの長い部下の一人、ニコラが、にやにやしながら声をかけてくる。
「隊長、明日の凱旋、町の嬢ちゃんたちが隊長の帰りを待ってるらしいですよ。今度こそ酒場に誘われるんじゃないですか?」
「やめろ……余計に気が重くなる」
兵たちの乾いた笑い声が、焚き火の爆ぜる音に混じる。
戦場であれほど獰猛な俺が、報酬交渉と町娘の視線にはとことん腰が引けるのを、こいつらは知っていた。
――翌朝。
昨日の戦闘が嘘のように晴れ渡る青空の下、俺たち『黒狼隊』は堂々と首都へ凱旋した。
道の両脇には黒山の人だかりができており、歓声が飛ぶ。荷車の上から身を乗り出した子ども達が、俺を見て目を丸くした。
「でっけぇ……!」
「ほんとに黒狼だ! あの槍、すげぇ!」
俺は無言で槍を担ぎ直し、向けられる視線に居心地が悪そうに、少しだけ頬をかいた。
しかし、城門へ入る直前のことだった。
一騎の伝令が、馬の腹を蹴って砂塵を上げながら駆け寄ってきた。
「ヴァレンシュタイン隊長! 陛下より緊急の勅命です! 隊長を貴族にしたい……とのこと」
俺は眉間に深いしわを寄せた。
「……嬉しいが、どうも、厄介事のような気がする。裏がありそうだな」
憂鬱そうに重いため息をつきながらも、俺は馬の歩みを止めなかった。
戦場では誰にも負けない傭兵隊長の、面倒ごとだらけの日々はまだ始まったばかりであった。
上機嫌な太陽は、俺の気を知ってか知らずか、暖かく王都を照らしていた。
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