007 【歓迎】
午後の陽射しが強くなってきた頃、二人は街の中心部を歩いていた。
石段に腰を下ろし、街の様子を眺めていると、年配の男性が近づいてきた。
手には美しい木彫りの置物を持っている。
「旅のお方ですね。これは我が街の伝統工芸品です。旅の記念にいかがですか」
男性の声は穏やかで、押し付けがましさは微塵もない。
置物を手に取ったカワセは、その精巧さに驚いた。
螺旋状の模様が美しく刻まれ、まるで生きているかのような躍動感がある。
触れた瞬間、指先に微かな温もりを感じた。
「美しいですね。この螺旋の模様は何を表しているんですか?」
「ああ、これは我々の街の象徴です」
男性は誇らしげに答える。
「あの中央の塔をご覧ください。同じ螺旋が施されているでしょう?あれは我々の歴史と伝統を表しているんです」
カワセが塔を見上げると、確かに同じ螺旋の装飾が施されている。
陽の光を受けて、金色に輝く美しい建造物。
まるで芸術作品のようだった。
「あの塔には、どのような意味があるんですか?」
男性の表情が一瞬、微かに変わった。
まるで内側から別の何かが覗いているかのように、喜びとも期待ともつかない光が瞳の奥で蠢く。
そしてすぐに、元の穏やかな表情に戻った。
「ああ、塔では我々の最も神聖な儀式を行います。罪を清める、とても美しい儀式なんですよ」
ハルツキの体が僅かに強張る。
記録で読んだ内容と、男性の嬉しそうな表情との落差に違和感を覚える。
「罪を清める?」
「はい。罪を犯した者が浄化され、街全体が清められる」
男性の声には、深い敬虔さが込められていた。
カワセは置物を見つめながら尋ねた。
「その儀式は…どのくらいの頻度で行われるんですか?」
「ええ、必要に応じて」
男性は当然のことのように答える。
「罪は日々生まれますからね。それを放置しておくわけにはいきません。最近は特に頻繁に行われています」
ハルツキは記録の内容を思い出した。
本来なら住民は処刑を恐れ、怯えているはずなのに──この男性の口ぶりでは、まるで祭事でも語るかのようだった。
その時、広場の向こうから鐘の音が響いた。
住民たちが一斉に手を止め、同じ方向を見る。
その動きは、まるで一つの意思で動いているかのように同調していた。
「あ、もうそんな時間ですね」
男性は穏やかに微笑む。
「準備を始めなければ」
「準備?」
カワセが問い返すと、男性の目が期待に輝いた。
「今日は特別な日なのですよ。久しぶりに、とても意味のある儀式が行われます」
男性の声には、子供のような純粋な喜びが混じっている。
「あなたたちも、きっと素晴らしい体験ができるでしょう」
男性は置物をカワセに手渡すと、軽やかな足取りで去っていった。
残された二人は、しばらく無言でその後ろ姿を見送っていた。
「ハルツキさん……」
カワセが小さく呟く。
「何か、おかしくないですか?」
ハルツキは眉をひそめた。
「何がおかしいと思う?」
「皆さん、とても親切で……でも、なんていうか……」
カワセは言葉を探すように空を見上げる。
「完璧すぎるような気がするんです。まるで、演技をしているような──」
「演技……」
ハルツキはその言葉を反芻する。
そして、より深刻な表情で続けた。
「君の直感は正しいかもしれない。記録によれば、この街は恐怖政治で統治されているはずなんだ。住民は処刑を恐れ、女王の支配に怯えているはずなのに……」
ハルツキは処刑塔を見上げる。
「ここの住民は、まるで祭りか何かのように楽しみにしている」
◇
陽が翳り、石畳に影を落とし始めていた。
商人たちは店じまいの準備を始め、子供たちも家路につく。
全てが規則正しく、計画されたかのように進んでいく。
その時、また別の住民が近づいてきた。
今度は若い女性で、手には色とりどりの花を持っている。
「お疲れ様でした」
女性は丁寧にお辞儀をする。
「午後の儀式のために、お花を準備していたんです。よろしければ、お部屋に飾らせていただけませんか?」
「お部屋?」
カワセは困惑した。
「はい。もちろん、旅のお客様をお饗しするため、お部屋をご用意しております。我々の伝統ですから」
女性の笑顔は眩しいほど美しい。
しかし、その瞳の奥に、何か計算するような光が宿っているのをカワセは見逃さなかった。
「とても親切にしていただいて……でも、私たちは」
カワセが断ろうとした時、ハルツキが彼女の腕を軽く掴んだ。
「ありがとうございます。お世話になります」
ハルツキの声は表面的には感謝に満ちているが、その目は鋭く女性を観察していた。
◇
女性は満足そうに頷くと、二人を街の一角にある小さな宿へと案内した。
建物は他と同じように美しく、窓には花が飾られている。
全てが絵に描いたような完璧さだった。
部屋に案内され、一人になった時、カワセはハルツキに向き直った。
「どうして饗しを受けることにしたんですか?」
ハルツキは窓から外を覗きながら答えた。
「逃げようとしたら、かえって怪しまれる。それに……」
彼は振り返る。
その表情には、深い思考の跡があった。
「この街の『親切さ』がどこまで続くのか、確かめたい」
彼の声は静かだったが、その手は無意識に腰のあたりを探っていた。
シフターのない現実を思い出し、小さく舌打ちする。
記述士としての本能が、危険を察知し始めていた。
窓の外では、住民たちが何かの準備をしている様子が見える。
螺旋塔の周りに、色とりどりの装飾が施されていた。
美しい装飾の一つ一つが、まるで祭りの準備のように。
しかし、その準備をする住民たちの表情には、祭りとは違う何かがあった。
期待?興奮?それとも……
カワセは置物を見つめた。
螺旋の模様が、夕陽の光を受けて不気味に輝いている。
よく見ると、その螺旋は単なる装飾ではなく、何かが流れ落ちる軌跡を表しているように見えた。
美しいはずの彫刻が、今は血の流れる道筋のように思える。
窓の外からは、準備をする人々の声が聞こえる。
時折、金属を叩くような音が響く。
その音は規則正しく、まるで何かを数えているかのようだった。
そして、その音に混じって、かすかに聞こえてくるのは──
笑い声だった。
それは複数の声が重なり合い、時に女性の高い声、時に男性の低い声となって、夕闇に溶けていく。
しかし、それは喜びの笑いではない。
獲物を前にした捕食者の、満足げな息遣いのような──
何か別の、もっと深い欲望から生まれる笑い。
空気に微かに血の臭いが混じっているような気がした。