焚き火 それと血の匂い
カエデをテントに運び終えたエレナは、静かに外へ戻った。
焚き火の火はまだ赤々と残り、夜の闇を小さく押し返している。
そこには装備を着たウルスラが既に腰掛けており、イスの背もたれに体重を預けながら夜空を見上げていた。
「まだ眠らないのか?」
エレナがイスに座りながら問いかけると、ウルスラは目を細めて微笑んだ。
「ええ。天界では夜という概念が薄かったので……こうして星を見ていると、時間の流れというものを実感できて良いですね」
深い青の瞳は、ただ夜空を見ていた。
「お姉様はシャワーを浴びないのですか?」
顔を見ずにウルスラは聞く。
「ああ。カエデと一緒に入ろうと思っているからな、朝まで我慢だ」
「清潔じゃない女は嫌われるかもしれませんよ?」
「もしそうなら、同じテントで寝てやしないさ」
「あ〜、確かにそうですね」
中身のない、当たり障りのない話をする。
どう仲良くなったものかとエレナが思案していると、小さく、しかし確実に小枝が踏まれた音がした。
「ウルスラ」
警戒を促すより先に、立ち上がったウルスラは剣を構えていた。
「盗賊でしょうか」
「いや、獣臭い。林の方から獲物であるアタシ達を観察しているんだ」
「林…そちらでしたか、音は聞こえたのですが細かな位置まではわかりませんでした」
「五感は自慢の武器だからな…いけるか?」
エレナの質問に、ウルスラは八重歯を見せながら笑った。
「もちろんです!」
ウルスラが前を歩き、その少し離れた後ろをエレナが目となり耳となりついていく。
「いくついますか?」
薄暗い林、四方に気配を探りながらエレナに情報を求める。
エレナの耳は左右に傾き、目は忙しなく泳いでいた。
「5……6はいるな、地面に4 木に2だ」
「奇襲をかけるつもりでしょうか」
「恐らくな…ん?」
「どうかしました?」
「いや、数は5だ、木の一つはカルカラさんだな」
「ああ、アイツですか紛らわしい」
ウルスラがそう吐き捨てた。
次の瞬間、闇から牙が飛び出した。
ガチンッ——空気を噛み切る音。
その牙の主の顎を、エレナの蹴りが跳ね上げていた。
ドサリーーと牙の主が月明かりに照らされ正体を現す。
月明かりを呑み込む黒い毛並み。紅い瞳。長い体躯に爪を備えた四肢。
「グレイウルフか」
「『魔物』ですね」
残る影が、低く唸って二人を囲む。
獣臭が、静かな林を戦場へと変える。
「仲間が一撃で沈められたのに、元気な奴らだ」
「一人二匹……でいいですか?」
「全部やっても構わんぞ」
「ふふ、考えておきます」
一匹が吠え、四つの影が揺れた。
敵の動きを察知したエレナの短剣が一匹の動きをずらし、ウルスラは飛びかかってきた正面の喉を切り落とした。
爪が地面を蹴る音を聞き、エレナは余裕を持って右の一匹を殴り飛ばし、舌をダラリと出して地面に崩れる。
左の一匹はエレナの隙を狙い首元を狙ったが、ウルスラのスキルで宙で動きを止められそのまま斬り捨てられ、血を撒き散らす。
跳び遅れた最後の影だけが残った。
血飛沫が二人を赤く染める。
唸り、身を低くする。
血を拭いながらエレナは吐き捨てる。
「まだやるか?やはり魔物は理性がないな」
その言葉に怒ったかのように、グレイウルフは飛びかかった——
その時である
ガサッガサガサーーと木が揺れる。
「まだいたか!?」
不意の襲撃にエレナがそちらを向く、すると
「あわわわわわー!」
木の上からカルカラが落ちてきた。
「カルカラさん!?」
エレナが驚く間に頭から一直線。
グレイウルフと激突し、ペキッと骨の折れる音が響く。
獣はそのまま崩れた。
グレイウルフのクッションから立ち上がり、フードの上から頭を撫でるカルカラ。
「大丈夫かカルカラさん」
思わぬ決着に、エレナは目を丸くしながらもまずは心配をする。
声をかけられたカルカラは、恥ずかしそうに微笑んだ。
「いやぁ、大丈夫だよ…ふへへ…なんか慌ただしいなと思って下を覗いたら、おっこっちまっただ…いたたた…」
「運が良かったなカルカラさん。アタシ達が来ていなければ今頃コイツラの餌になっていたかもしれんぞ」
「いや、はは、面目ない」
「ウルスラ、傷薬はあるか?」
エレナが振り向き聞くと、ウルスラは視線をそらしながら、小さくため息をついた。
「ありますよ。ほら、使え」
ディメンションゲートから小さな容器を取り出すと、それをカルカラに投げた。
「あ、ありがとだ」
「ふん、そんな事より、お姉様は怪我をしていませんか?」
エレナを見れば、今度は一転して笑顔で質問をするウルスラ。
「む?いや、アタシは平気だが…」
「まあそうですよね!では我々はこの魔物共の死体を回収しましょう!」
「む、そうだな…コイツラの毛皮や肉は高く売れるぞ」
「ですよね!天界で父から地上の事は教わっているので知っていますよ!」
ウルスラは元気に襲撃者だったモノの元へと歩いていった。
「そ…そうか……カルカラさん。こういう事もあるんだ、拓けた場所以外ではキャンプ地で一緒に寝ないか?テントは複数立てればいいだろう?」
エレナは提案するが、カルカラ首を振る。
「ありがたい提案だけども、オラはやっぱり木の上じゃないと落ち着かないだよ」
「むぅそうか、まあ無理強いはしない、夜は気をつけてな」
「もちろんだ」
エレナは小さく手を上げて、カルカラと別れた。
(カルカラさんとウルスラの絶妙な距離感はなんなんだろうか?)
エレナは違和感を感じながらも、血なまぐさいグレイウルフの死体を担いでキャンプ地まで戻った。
グレイウルフの死体を積み上げ、ウルスラに血を洗い流すようシャワーを促し、自分はイスに座る。
夜気に溶ける焚き火の匂いを吸い込んだ。
星は静かに瞬いている。
「早くシャワーを浴びたい…」
血の臭いに嫌気をさしながら、誰にでもなく呟いた。