プロローグ 『クビ それと再開』
無駄に広い玉座の間に俺は立たされていた。
磨かれた大理石の床に金縁の縦長の赤いカーペットが敷かれており、そのカーペットは王族であり貴族でもあるこの宮殿の主、セブルガムが座る椅子まで伸びていた。
「貴様の所とはもう取引はせぬ」
でっぷりと太った腹を擦り、ケツで豪奢な椅子を拭きながらヒゲ面の男は契約破棄の紙を突きつけ、短く告げる。
シミのある白い服は、その心の汚らしさを表している。
「そ、そんな…困ります!」
専属の八百屋として働いていたカエデ・マツナガは、唯一の職を失わない為に必死で訴えた。
「私は二十年お仕えしてきました!今契約を切られては生きていけません!」
八歳の頃から親の手伝いとはいえ、ずっと仕えてきたのだ。
俺が住む街、カルメンでは移民を受け入れすぎて絶望的な就職難になっている。今更契約先を失えば路頭に迷うこととなるのは明白だ。
慈悲を乞うが、街の領主でもあるセブルガムは鼻で俺を笑った。
「生きていけぬだと?わざわざお前の野菜を買う為にいくらゴールドを払ってきたと思う?こちらの方が生きていけなくなるわ!ぶわはははははははは!」
セブルガムは笑う。この場にいる兵士や付き人にも笑うよう促し、契約破棄の紙を丸めて投げてきた。
「ほれ、さっさと出ていけ庶民よ。お前のような土臭い男にこの宮殿は似合わぬ」
セブルガムは椅子から立ち上がり、腹を揺らしながら出ていく。
俺は拳を握りセブルガムを睨む。
殴りかかろうと足を前に出した瞬間、首元にナイフを突きつけられた。
「止まれ」
冷たい。静かな命令に、俺は指一つ動かせなくなった。
ナイフを構える左腕は黒い獣の毛が生えている。少し獣臭い、それでも清潔感がある香りが漂ってくる。
「それ以上前に出れば、このナイフで首を斬らねばならぬ」
背中にひやりとしたものを感じた。
汗が滴り、薄緑の作業着に落ちる。
俺に抵抗の様子が無いことを分かってくれたのか、ナイフが離れる。
「すぐに振り向きこの場を去れ、殴りかかったところで兵士達に殺されるのがオチだ」
凛とした声。
振り向き姿を見ようとしたが、既に誰もおらず、目の前には出て行けと命令する様に扉が開いていた。
宮殿の外へと来てしまった。
毎日休む事なく見てきた草花に彩られた庭も、今日で見納めと思うと敷地内から出るのが惜しくなってくる。
しかし、ココの住人でもない俺が居座ればどんな難癖をつけられるか分かったものではないの。
俺は真っ直ぐ歩き門をくぐり、停めてあった手押し車まで来る。
山積みになった色とりどりの野菜達。
赤く熟れたトマト、真っ直ぐ育った肉厚なダイコン、ツヤのあるパプリカとピーマンは生でも食べられる旨味を内包している。
こいつらがもう食べられる事も無くなると思うと、胸が張り裂けそうだった。
就職難であるこの街は貧困の差が激しく。食べ物は高級品になっていた。
しかも俺が作る野菜は、あの美食家気取りのデブを満足させる為に、山の奥地や砂漠のオアシス、果ては森の賢者であるエルフが育てている野菜の種を分けてもらったりと、親の代からずっと品種を厳選し続けていた。
それ故に他の野菜よりも希少で値段も高くしている。
「品質が高級でも、口にされなきゃ食べ物とは呼べないな」
積み上がった野菜達、丹精込め手作ったもので愛おしささえ感じる。
「おい」
背後から声をかけられた。
そこには、獣人が門を背に腕組みをして立っていた。
つり上がった鋭い眼差し、青黒い瞳、不機嫌なのかと感じさせる目と対象的に、小さな鼻と口は可愛らしさを感じさせる。
髪と同じ色の体毛が首元と腕に確認できるが、顔は人肌だ。クリーム色の縦縞のセーターに、紺のショートパンツ。
腰の横には小さなナイフを収納する長方形のポーチを付けている。
俺よりは身長は高くなさそうだ。
華奢な身体だがほっそりとした腰以外は健康的な肉つきだといえる。
だが、それらよりも何より特徴的なのは、頭の上に生えた三角の獣耳と、腰と尻の間くらいから生えている長くしなやかな尻尾。
獣人のクロム族の特徴だ。
そういえば生前、親はクロム族を見る度に「ネコだ!ネコミミだ!」とよく言っていたけど、結局ネコとはなんだったんだろか?
「さっきは済まなかったな、カエデ」
腕組みを解いてこちらへ来る獣人。
初対面で呼び捨てとは、馴れ馴れしいやつだ。
「はあ……どうも」
「なんだその他人行儀な反応は、アタシが誰か忘れたか?」
「え?ん〜………」
向こうは俺を知ってるのか?
しかし…獣人に知り合いなんて…………いた!一人いたぞ!
「もしかして…エレナ……エレナか!」
「なんだ。覚えてるじゃないか」
エレナはくすりと笑い。先程までの凛とした雰囲気が砕ける。
その可愛らしい表情は記憶にある。俺が初めて宮殿に親と野菜を届けに来た時、親を待っている間、クロム族の子供とずっと庭で遊んだことがあった。
それ以来、親と野菜を届けに来た時はよく遊んでたっけなぁ。気づけば居なくなってたし、もう何年は会っていなかったはずだ。
「なんだよお前!どうしてココに!」
嬉しさと懐かしさを胸に質問すると、今度は顔をしかめられた。
「…カエデ。まさか気づいてないのか?」
「へ?」
「はあ……さっき玉座の間でカエデを止めたのは、アタシ!」
前屈みになりながらビシッと人差し指を立てた体勢で怒られた。
「あ、ああ!はいはい」
「そんで!ココはアタシの家!」
次にエレナは宮殿の方を指差した。
「へ〜そうだったんだ………ぇ゙!?」
驚きのあまり声が裏返った。
「お前…王族の産まれだったの……?」
思わぬ発言に震える指で相手を差してしまった。
「そうだよ…お母さんがクロム族で第一王女さま、ずっと遊んでたのに子供の時に不思議に思わなかったの?なんでココにいるんだろって」
「え、いやぁ……近所の子が遊びに来てたのかなぁって………うわぁ言われてみれば変な話だわ……へ〜お前が王族…………」
相手の地位に気づき、先程までの自分の振る舞いを思い出して胃袋に鉛が落ちた。
「大変失礼しました!お前、いやエレナ様に無礼な物言いをしてしまいまして!」
両手を揃えて太ももに沿わせ、90度上半身を前に曲げた。
「ちょっと!なんで思い出したのに他人行儀に戻るのよ!」
「いえ、そんなそんな!俺、ああいや、私めはしがない庶民ですので!」
「敬語で話すのやめてよーーー!」
畏まる俺とは対象的に、エレナは子供のように涙を滲ませ地団駄を踏みながら砕けた口調になっていく。
「うぅ……カエデがイジメる……ひくっ…」
「な、泣くことはないだろ…!」
「だって…カエデが…うぇぇぇぇん!!」
「おいおい……」
幼児退行したように泣く喚くエレナ。
こんな現場を見られては打ち首になりかねない!
「ほ、ほら!エレナ!こっちおいで!」
咄嗟に、子供の頃エレナが泣いた時にあやしていた方法で呼びかけ、腕を広げて構えてしまった。
(何やってんだ俺!お互い子供じゃないんだから!)
焦ってすぐに腕を引こうとしたら、エレナが飛び込んできた。
体当たりに近いハグを受けて、俺はよろめきながらもエレナの頭を撫でる。
「よ、よしよし」
「うぅ……グスッ………カエデ……」
「ごめんなぁ。ちょっとビックリしただけで友達なのは変わらないからなぁ」
「うぅ…………………すぅぅ…はぁぁ……落ち着くわぁ……これこれ……」
ん?
「数分ぶりだわぁ……カエデフェロモン最高……すぅぅぅ…」
「おい!一旦離れろ!」
俺はエレナの肩を掴み引き離す。
「なんだよカエデ〜もっと嗅がせろよ〜」
さっきまで泣いていたエレナは、へにゃりとトロけてた表情になり、恍惚としている。
「人の匂いを嗅ぐ癖、直せてないのかよ」
「なおしたぞ?今はお前しか嗅いでない」
「う、うわぁ…マジかおまえ、堂々とそういうこと言うか…」
「うっせ、泣かせたカエデが悪いんだ…もっと嗅がせろ」
エレナは俺の胸に顔を埋め、吸い始めた。
「んンッ!すまないカエデ。少し取り乱してしまった」
冷静になったエレナは、咳払いをして赤く染まった頬を指でかきながら謝罪してきた。
「別にいいよ。お前の種族の習性は知ってるつもりだし」
「そ、そうか…助かる」
そう、エレナの種族クロム族は、ちょっとばかし変わった習性、又は特性を持つ。
それは、先程の様に口調や感情がコロコロと変化することだ。
クールだったり、泣き虫だったり、明るかったり、馴れ馴れしかったり、感情によって別人のようになるのだ。
そして、クロム族の中でもエレナはその習性が強く現れるので、何人もの相手と話している気分になる。
とどのつまり、エレナもといクロム族は、かなり情緒不安定なのである。
「ていうかお前、数分に俺の匂いを嗅いだって言ってたけど」
「ん?ああ。カエデがクソ親父に殴りかかろうとした時に、止める振りして至近距離で嗅がせてもらった」
正直ゾッとした。
「止める振りって……あくまで匂いを嗅ぐのがメインなのね…」
「当たり前だ。ああでもしないと止まりそうになかったし、カエデを傷つける気は一切なかった。それに、アタシは毎日カエデを吸わないと気が狂いそうになるからな」
手持ち無沙汰で暇なのか、自分の掌を舐めながらエレナは淡々と語る。
「はは、そうかよ……え?」
「どうした?」
「気が狂いそうってお前、もしかして毎日嗅いでたのか?」
「………………ァ゙!」
「なんだその反応!嗅いでたのか!嗅いでたんだな!」
目線と顔をそらすエレナの肩を掴んで揺らしながら問い詰めると、逆ギレしてきた。
「カエデがいけないんだぞ!他の人間や同族を嗅いでも満足できなくて!アタシを満たすフェロモンを発しているくせに宮殿に来た時はアタシに気づかないし!」
肩を抱きながら睨みつけるようにこちらを見つめてくるエレナ。
「気づかないって……居たか?」
「居たよ!毎日ずっとカエデの後ろで立ってたよ!」
今度は鳥肌が立った。
「後ろって……気づくかよ!」
「そんな…!アタシは玉座の間に居ても自室に居てもカエデが門まで来たらすぐに匂いで気づくというのに!カエデもアタシの存在を感じ取ってよ!」
「鼻の出来が違うし!後ろに目が無いからわかりません!ていうか、マジで毎日後ろから匂いを嗅いでたのか?」
「当たり前だ!言っただろう!毎日カエデを体内に取り込まないと気が狂いそうになるって!どうしてくれる!」
「いやいや、知らないって!」
十数年ぶりに再開した友人は、誰彼構わず匂いを嗅ぐ癖を直していたが、その分変な方向にダメになっていた。
あれやこれやと言い合いの果てに、エレナはまた泣き出してしまう。
「違うもん…変態じゃないもん……カエデの匂いが忘れられないだけだもん……一番落ち着くのがカエデなんだもん……」
「うわぁぁ泣くな泣くな、くそ……ほら、おいで」
「うぅ………」
腕を広げて、タックルハグを食らい、またエレナの頭を撫でてやる。
どうしたものか……さっきから俺は一歩も動けていない。
困り果てる俺とは対象的に、エレナの耳はピコピコと前後に動き、尻尾はダンスしている。
頭を撫でながら天を仰げば、水色の空を白い雲が泳いでいた。
落ち着きを取り戻し、俺を吸い続けているエレナ。
(こいつ、もう俺が宮殿へ来れなくなるのに、これから大丈夫なのだろうか…クロム族の、特にエレナは感情の起伏は激しいからなぁ…………ふむ…)
エレナの頭を撫でながら、質問を投げかける。
「なあエレナ」
「ん〜?なにぃ?」
「俺はもう宮殿に来れなくなるしさ、いっそお前が俺の所に来いよ」
エレナの耳と尻尾が止まった。
「………………」
「俺の匂い嗅がなきゃ狂うんだろ?お前から来てくれる分には大歓迎だからさ!」
友人として、こいつを野放しにするのは厄介だと考え、向こうから来てくれるなら会えるという妥協案を出す。
冗談半分に出した提案だったが、俺はこの提案が人生を激変させたのだと後に思い返す事になるのだった。
エレナは俺から離れた。
ゆっくりと赤くなった顔を上げて、据わった目をこちらに向けている。
「フー…フー……フー…フー…」
息も荒く、歯軋りをしながら、ただこちらを向いている。
「エ…エレナさん?」
「知らないから……」
「え?」
「そっちが誘ったんだからな……フー……どうなっても…責任はそっちだからな……フー……フー…」
不穏な言葉を残して、エレナは宮殿の方へと消えていった。
「なにをする気なんだ?」
不安を覚えながらも、エレナのお陰で沈んでいた気分も多少軽くなり、俺は長年お世話になった宮殿に頭を下げて、手押し車を引きながら街の中心へと向かった。
レンガ造りの道を手押し車カタカタ鳴らして街を進みゆく。
俺はお世話になった人達に野菜を配って周り、契約を切られたと世間話に花を咲かせた後に自分の家に帰ろうとしたのだが、まだまだ野菜は残っていたので、残りを配る為に貧困層が生活しているガストン区まで足を進めた。
移民や失業者の集まり、ガストン区。
縦長の集合住宅が乱立するこの区は、人々から見捨てられた陰鬱な印象を与えてくる。
まだ昼時だというのに、まるで太陽がここら一帯を照らすことを拒んでいるような暗い石造りの道。
ゴミこそ落ちていないが、舗装された道は割れており所々草が生えてきている。
家々に目をやると、もう何年も掃除されていないのだと理解できる煤だらけの壁が目立ち、割れた窓は新聞や半透明なビニールでカバーされていて風が入らないようにしてある。
周囲から視線を感じるが、人の姿は見えない。
静かな道をガタガタ鳴らし進んでいくと、噂に聞いたボロい一軒家を発見する。
屋根は傾き、瓦は所々剥がれている。
壁はくすみ本来の色を失い、窓はガラスが割れたままで窓の役目を果たせていない。
辺りの集合住宅より悲惨な格好の一軒家だが、この家にはガストン区を束ねている人が居るそうな。
一軒家の玄関まで着くと、ペンキの剥がれかけた空き缶が玄関マットの上で口を開けて立っていた。
『用があるやつはココにゴールド』
そう書かれた紙が玄関の扉に貼られていて、空き缶を矢印で指していた。
俺は小さな麻袋からゴールドを数枚取り出して、空き缶へ落とした。
ノックしようと拳を構えると、ノックを躱すように扉が開く。
闇に満ちた室内から、ヌッと顔が現れた。
「なんじゃいね」
子供だった。
俺の腰程までしかない身長、ツギハギに縫われたシャツはサイズが合っていないのか肩が露出している。
黒のショートヘア、気怠そうな目はこちらを品定めし、機嫌が悪そうに唇は三角形に尖っている。
「あ、はじめてまして、俺は」
「なんじゃいねと聞いた。お主が誰かなどどうでもよい」
おばあちゃんと子供を合わせたような、しわがれた可愛い声という矛盾の塊な声。
しかし、見た目は人間の子供だが結構年寄りなのか?
目の前の人間がどういった人か観察しながら考察していると、舌打ちされた。
「用がないなら帰れな。わしゃあ見せ物じゃないでの、そいじゃいね」
「ああ!すいません!ただ野菜を配りに来ただけなんです!あなたにお預けすれば皆さんに配っていただけるかと思いまして!頼めませんか?」
俺がそう言うと、後ろに止めてある手押し車を一瞥して、子供さんは面倒くさそうなため息をして「そんな贅沢品。誰も受け取らんだろうな」と吐き捨てて扉を閉めた。
「手伝ってもらえないかぁ…」
知らぬ土地だし、一番偉い人に頼めば確実だと思ったけど、どうやら配るのは自分でしなければならないようだ。