最終話 君と一緒に恋をしたい
『寒さも和らぎ、うららかな春の香りを感じさせる今日。多数のご来賓の皆様のご臨席を賜りここに卒業証書授与式を盛大に挙行できますことは、大きな喜びであります。心から厚く御礼申し上げます。卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます――』
ああ、なんで校長先生の話ってこんなに長いんだろう。小学校、中学校、高校、いつだって同じ。学校生活最後の日までこんな話聞いてたら、そら『校長先生の話は長い』ってずっと語り継がれるに決まってる。
そんなどうでもいいことを考えながら卒業式を過ごす。高校の楽なところは卒業式の練習がないことだな。中学までは入退場の仕方だとか、お辞儀の角度だとか、卒業生の言葉だとか大変だった。
でも、高校はただ当日参加するだけ。そもそも二月に入って自宅学習になって登校すらしていない。
久しぶりの学校は、久しぶりと感じる間もなく、私たちは卒業していく。
一昨日、大学の合格発表があった。
家からほど遠くない大学だけど、わざわざ直接見に行かなくてもいいやと自分のスマホで確認した。
手応えはあったものの、やっぱり結果を見るのはすごく緊張する。少し指を震わせながらスクロールして番号を探す――。
『あっ、た……』嬉しくて、安堵しているのに、なぜか異様にドキドキするあの感覚は一生忘れないと思う。
合格したことを学校に連絡して、そのあと進藤くんに連絡しようとした。
でも止めた。自分が合格して浮かれているけど、もし進藤くんは不合格だったら? そう考えるとできなかった。進藤くん、どうだったのだろう。ずっと気になったまま卒業式を迎えた。
学校に行っても、やはり合格した子と不合格だった子の温度差はあって、不用意に話せる雰囲気ではなかった。それでもみんな、思い出に浸りながら卒業アルバムを眺めたり、たくさん写真を撮ったり、それぞれ今日という門出の日をかみしめているようだった。
卒業式が終わり、教室で嗚咽を漏らす担任の先生の話を聞いて、高校生活が終わった。
裕子と少し話をしてから学校を出る。大学に合格したことは連絡していたけど、改めておめでとうと言われた。お互い地元にいるし、また遊びに行く約束をして。
通い慣れた道をゆっくりと歩く。
三年間、長いようだけれど、過ぎてしまえばあっという間だったと感じる。
いろいろなことがあった。どれも良い思い出だ。
真っ直ぐ家までの道のりを行く。
大きな横断歩道を渡り、交差点の角。ブロック塀の前で立ち止まる。
やっぱりまだ、思い出にできないことがある。過去のことになんてできないこと。
『佐倉さんて鈍そうだもんね』『佐倉さんうるさいよ』『わかってないな佐倉さんは』『佐倉さんはずるいよね』『佐倉さんは臆病だなぁ』『わがままだな佐倉さんは』『佐倉さんだからだよ』『佐倉さんがいてくれてよかった』
何度も、何度も諦めようと思った。でも、諦めようとするたびに好きなんだと実感させられた。忘れようとすればするほど頭に浮かぶ。進藤くんの『佐倉さん』という顔が、声が。
『僕の代わりに普通の恋をしてよ』
進藤くんに伝えないといけないことがある。普通の恋がなんなのかはまだわからないけど、これだけは胸を張って言える。
私は今、恋をしている。
交差点を過ぎ、家とは反対方向へ曲がる。
卒業証書を抱え、ひたすらに走った。もう、何度も通った道。
久しぶりの進藤くんの家。緊張しながらインターホンを鳴らす。
応答は、いつもない。
しばらく待ったけど、玄関のドアも開かない。
まだ、帰っていないのだろうか。もしかして、卒業式のあと遊びに行ったりしてるのかな。
私は来た道を戻った。
もう、会えないってことなのかな。
トボトボと歩き、交差点まで戻ったとき、急に腕を掴まれた。
「佐倉さん危ないよ!」
「え……」
少し焦った様子の進藤くんだった。
「なにボーっと歩いてるの。信号赤だよ」
「あ、ごめん……」
「それに、なんであっちから来てるの? 佐倉さんの家反対でしょ」
なんだか少し怒っている感じもする。でも、私は進藤くんに会えたことが嬉しくて、顔を見ただけで涙が滲みそうになる。
「し、進藤くん……私、私……うぅ」
「え? いや、ちょっと待って。佐倉さん?」
結局、涙は溢れてしまった。進藤くんはあたふたし始める。そして私の腕を掴んだまま歩きだした。
近くの公園に入り、ベンチに座る。進藤くんは私と向き合うと、親指でそっと涙を拭った。
その優しい手に、涙はどんどん溢れ出す。
「佐倉さんどうしたの。卒業がそんなに悲しいの? もしかして大学落ちたの」
「違うよ……合格したよ。進藤くんに会いたかったんだよ。寂しかったんだよ」
「そうなんだ。おめでとう。てか、そんなに泣くほど僕に会いたかったの?」
「うん……うぅ、ひっく……」
泣き止まない私に進藤くんは困ったように笑うと、私をゆっくり抱きしめた。
そして手のひらで頭を包み込むように優しく触れ、私の顔を肩に寄せた。
「僕も、佐倉さんに会いたかったよ」
「そう、なの?」
「そうだよ」
「でも、どうして急に一人でいたいなんて言いだしたの? 連絡もしてくれなかったの? 初詣だって私以外の人となら行くの?」
なんだか私今、すごくめんどくさいことを言ってる。こんなこと言いたいわけじゃなかったのに。
「初詣行ったの知ってたんだ。あれは大崎に騙されたんだよ」
「騙された?」
「そう。それよりさ、いったん涙拭いとく?」
進藤くんは身体を離すと、ハンカチを渡してくれた。実は私も持っているけど、受け取ったハンカチで目元をそっと拭う。私が落ち着いたことを確認すると進藤くんはゆっくりと話し始める。
「元旦の日、大崎がどうしても渡したいものがあるから出てこいって言われて、出ていったら神社に連れていかれたんだ。行ったら人は多いし、あの先輩はいるし、最悪だったよ」
時折ため息を吐きながら、呆れたように話をしていた。渡したいものとは合格祈願のお守りだったみたいで、一緒に神社に行ってその場で買って渡されたそうだ。
神社に行くことは知らずに行ったんだ。少しモヤモヤが晴れた気がした。
「そうだったんだね」
「それと、佐倉さんの気持ちも考えずに勝手に距離を置いたこと、謝る。佐倉さんは僕のこと友達だって言ってくれてたのに。大切な友達が離れていくつらさを僕は知ってたはずなのに。本当にごめん。」
「理由、聞いてもいい? 私、なにかしてしまったかな?」
頭を下げようとする進藤くんの手を握り、顔を覗く。
私に会いたいと思ってくれていたことを知れて嬉しい。でも、だったらなんで離れていくようなことを言ったのだろう。
「佐倉さんは何も悪くないよ。前も言ったけど、佐倉さんといるとすごく楽しいんだ。それと同じくらい、乱されるんだ。だから離れたかった。怖かったんだ。自分が自分でなくなるみたいで」
「自分が自分でなくなる?」
「佐倉さんが、話かけてくれて、気にかけてくれて、一緒にいてくれるのがすごく嬉しい。でも、市村っていう後輩と仲良くしてるのを見るとむかついた。僕の方が佐倉さんと仲良いのにって。穏やかな気持ちでいられなくなった。それなのに佐倉さんはいつも僕の心の深いところに飛び込んでくるから……怖かった」
市村くんのこと、気にしてたんだ。いつも平然としていたし、私がクリスマスパーティーをしたがっていることを言ったり、なんとも思ってないから言ってるのかと思ってた。
全然気づかなかった。気づけなかった。
「私も、怖かったよ。このまま進藤くんと関わることがなくなってしまうことが。そう思えば思うほど会いたくなった。だからさっき、進藤くんの家に行ったの」
「僕も、佐倉さんに会いたくて、交差点で待ってた。離れてる方が怖いんだってわかったから。でも、死にそうな顔して赤信号渡ろうとしてて本当に死ぬのかと思ったよ。そっちの方が怖かったよ」
「それはごめん。死ぬつもりとか全然ないから!」
「わかってるよ」
進藤くんはフッと笑う。この、小さく笑う表情が好きだ。意外と不器用なところも。
ちょっと意地悪で、でもすごく優しくて、私のことをよく理解してくれる。
「進藤くん、あのね、私……進藤くんのことが、好きです」
「僕も佐倉さんのこと好きだよ」
「本当に?!」
「うん」
進藤くんも私のこと好きなんだ! あれ? でもすごくさらっとした好きだったな。待てよ。好きにはラブとライクがあるし、もしかしたらライクの可能性もある。進藤くんだったら大いにある。
「ねえ、その好きってどういう意味?」
「んー? さあ、わかんない」
「わかんない?!」
「気持ちなんてさ、人それぞれ違うって言ったでしょ。言葉では言い表せない好きだってあるよ」
どういうこと?! 難しいよ! 私にはわかんないよ!
「それは……大崎くんの時の好きとは違うの?」
「うん。違うね」
そうなんだ。だったら、恋してる好きとは違うのか……。
「じゃあどういう好き?!」
「だからわかんないって言ってるでしょ」
「えぇ」
項垂れる私に、進藤くんはまたフッと笑うと立ち上がり、両手を組んで伸びをする。
「そんなことよりさ、明日遊園地行かない?」
そんなこと?! 全然そんなことじゃないよ、大事なことだよ。でも、遊園地?
「進藤くん、遊園地嫌いじゃなかった?」
「まあ、今までは行きたいと思わなかったけど、佐倉さんとなら楽しいかなって」
振り返り私を見る進藤くんは穏やかな笑顔をしている。
私も、進藤くんとならどこでも楽しいと思う。
「うん。行く!」
私も立ち上がり、大きく頷く。
「あとさ、前に行ったパンケーキのお店、新メニュー出たらしいよ。食べにいこうよ」
「そうなの? 行く行く!」
そしてどちらからともなく歩きだし、いつもの道を並んで帰る。
「そういえば、進藤くんは大学どうだった?」
「合格したよ。じゃなかったら今頃焦って勉強してる」
「たしかに……」
「だから、いっぱい遊べるよ。これからずっと――」
進藤くんは、不思議な人だ。何を考えているかわからないこともよくある。
はじまりは奇妙な三角関係だった。
たくさん悩んで、たくさん失敗した。
それでも、進藤くんの優しさに、存在にたくさん救われた。好きになった。
ずっと一緒にいたいと思える人だ。
私も、そう思ってもらえるようにこれからも気持ちを伝え続けたい。
たくさん楽しいことをして、たくさん笑いあいたい。
今はまだ友達なのかもしれないけど、もっと特別な関係になりたい。
いつか、進藤くんの好きが私と同じ好きになりますように。
そしていつか、君と一緒に恋をしたい。
【完】