第32話 佐倉さんは可愛いよ
進路も無事に決まり、夏休みに入った。
本格的に受験シーズンに入るが、これといって今までと特に変わりはない。
何かあるとすれば、進藤くんとよく勉強することになったこと。進藤くんの家だったり、カフェだったり、気分転換になるように色々場所を変えて勉強している。
今日は図書館の学習スペースで勉強していた。
朝の九時から始め、もうすぐ十二時だ。お互いすごく集中してあまり会話はないけれど、そろそろお腹もすいてきた。
「ねぇ、進藤くん」
私はなるべく小さな声で話かける。進藤くんは私の方を向き、首をかしげる。
「お腹、すかない?」
「言われてみればすいてるかも」
私たちは勉強していた手を止め、荷物を片付けると図書館を出て近くの洋食屋さんへ入った。
初めて入ったそのお店は新しいのに、どこか趣きのある店内で落ち着いた雰囲気だ。
窓際の席に座り、メニューを見る。
「どれも美味しそう」
「たしかに。迷うね」
同じメニューを覗きながら、お互い何を食べようか悩んでいた。
その時、聞いたことのある声がする。
「あ、佐倉先輩だ!」
顔を上げると、ウエイターの制服を着て、水を運んできた市村くんがいた。
ニコニコしながら水を置いてくれる。夏休みに入って会っていなかったが、愛嬌のよさは健在みたいだ。
「俺、高校入ってからここでバイトしてるんです!」
「そうなんだね」
「あ、注文決まりました?」
「ううん。どれにしようか迷っちゃって。おすすめとかある?」
市村くんは、えっとー、と言いながらメニューを捲り指をさす。
「この、とろとろ卵のオムライスです。あとはハンバーグプレートですね」
「オムライスとハンバーグかぁ。どっちもいいな。どっちにしよう。進藤くんは決まってる?」
進藤くんに顔を向けるとメニューは見ずに私を見ていた。
もう決まったのかな。
「佐倉さん、オムライスにしなよ」
「え? あぁ、じゃあそうしようかな」
「オムライス一つとハンバーグプレート一つで」
「かしこまりました!」
市村くんは注文を取って、厨房へと戻っていった。
私が勝手におすすめ聞いて、二人ともそれにしたけど他に食べたいものなかったかな?
進藤くんはメニューを閉じて水を一口飲む。
「オムライス、ちょっと頂戴ね」
「うん、いいけど……」
「心配しなくてもハンバーグもあげるよ」
「いや、別にそんな心配してないから!」
進藤くん、もしかして私のためにオムライスとハンバーグにしてくれたのかな。
それに私が頂戴、なんて言えないのわかってて、わざとあんな言い方したのかも。
もう、本当にずるいよなぁ。
しばらくして、市村くんがオムライスとハンバーグプレートを運んできてくれた。
それぞれ目の前に置いてくれて、お盆を抱える。
「佐倉先輩、もしかしてデートですか?」
「デート、ではないかな。友達」
「そうなんですね! 良かった」
「良かった?」
「俺、佐倉先輩のこと諦めてないですから」
「ええ?!」
市村くんはニコニコしながら戻っていった。
私のこと、諦めてなかったの?! あれからよく話はするけどそんなことは全然言ってなかったから先輩として慕ってくれてるのかなと思ってたのに。
進藤くんはなぜか小さくため息をつく。
そしてハンバーグをナイフとフォークで一口サイズに切ると、私の口元へ持ってくる。
「えっ?」
「ほら。食べるでしょ」
「食べたい……けど、このまま?」
目の前にはフォークに刺さったハンバーグ。
こう、お皿にちょこんと置いてくれたらいいのに。進藤くんは手を下げるつもりはないらしい。
これって『あーん』するってことだよね? 恥ずかしくない?!
食べさせる方はいいけど、食べる方はなんか恥ずかしいよね?!
「早く食べてよ。腕疲れるから」
「は、はいっ」
促されるまま勢いで口に入れた。なるべく大きな口はあけないようにして。
でも、口にいれた瞬間、そんなのどうでもよくなるくらいに、肉汁とふわっと柔らかい食感が口いっぱいに広がる。
「おいしいぃ」
まだ口に入っているのに思わず声が漏れてしまう。きっと、相当顔も緩んでいるはずだ。
進藤くんはそんな私を見て満足そうに笑うと自分も食べ始めた。
私もハンバーグを味わったあと、オムライスにスプーンを入れる。
大きくすくい、進藤くんに差し出す。
「はい、どうぞ」
「あとでいいよ」
「だめ、一番いいところだから」
「なに、一番いいとろって」
ぶつぶつ言いながらも、オムライスを口に入れる。唇についたケチャップをペロッと舐める仕草がなんとも色っぽい。そして目元を緩める。
「卵とろとろだ。美味しい」
柔らかい笑顔に私まで笑顔になる。でも、食べる側だけじゃなくて食べさせる側も恥ずかしいことに気づいた。
次は『あーん』はやめとこう。次があるのかわからないけど。
それから私もオムライスを食べ始める。
ふわふわでとろとろで、ケチャップライスの酸味と卵の甘味がちょうどよくて本当に美味しい。
ハンバーグも美味しかったし、満足だ。
終始ニコニコとした市村くんに見送られながらお会計を済ませ、お店を出る。
「このあとどうする? また図書館戻る?」
「佐倉さん、散歩しない?」
「散歩?」
「朝、いっぱい勉強したしもう少しゆっくりしようよ」
私たちはそのまま図書館とは反対方向に歩き始めた。
進藤くんに付いて歩いていると、なんだか見覚えのある裏通りに入る。
そして、小さな公園で足を止めた。
「ここ……」
「覚えてる?」
「うん。覚えてるよ」
ブランコとバスケットゴールだけがある小さな公園。去年、進藤くんと大崎くんをストーカーしてついた場所だ。
「あの時の佐倉さんほんとおかしかったよね」
「もう、言わないでよ」
勝手についてきて、話を盗み聞きして、勝手に落ち込んで。
進藤くんが来てくれてなかったら、それこそずっと落ち込んでいただろう。
二人でベンチに座り、他に誰もいない公園を眺める。
「でも、どうしてここに?」
「佐倉さん、あの時最後まで話聞いてなかったでしょ。大崎の話」
「私の、好きなところ?」
あの話に続きがあったんだ。知らなかった。いや、知らないほうがよくないかな? いいこととは限らないよね? それになんで今さら?
「大崎、佐倉さんがチョコレート食べてる顔が好きなんだって」
「ええ?! なにそれ」
「佐倉さんの好きな四角いチョコレート。一口で入れて、右の奥歯で噛む時に頬っぺが少し尖るのがいいらしいよ」
「どどどどどゆこと?!」
右の奥歯で噛んでるとか意識したことないんだけど!
たしかによく食べていたし、大崎くんもよくくれていた。まさか食べている顔を見ているなんて思ってもいなかった。それにしても変なとこ好きになるんだな。
「別に知りたくなかったかもしれないけど、僕も同感だから言っとこうと思って」
「同感なの?!」
「リスみたいで可愛いし」
「それ褒めてる? けなしてる?!」
動物に例えたらなんでも可愛いなんて思ってるでしょ。でもそれってただの食いしん坊みたいじゃん。
でも、進藤くんは急に真剣な表情になる。
そして私の顔を覗き込んだ。
「佐倉さんは可愛いよ」
「え……?」
「いつも一生懸命なところも、不器用なところも。佐倉さんは人を和ませる力があるよね。一緒にいて落ち着く」
いつもとは違う雰囲気に少し戸惑うけれど、進藤くんの言葉がすごく嬉しかった。
私も、進藤くんと一緒にいると落ち着くよ。他愛のない会話が楽しくて、そばにいると安心する。
これからも、ずっとそばにいたい。進藤くんもそう思ってくれていたらいいのに。