旅行先で俺たちは
朝食を終えたあとは、観光地への移動だった。
俺たちはバスに乗り、歴史ある神社や寺、古い町並みが残る街へと向かった。窓の外に流れる景色を眺めながらも、俺の隣に座る佐々木さんはときどき視線を寄越しては、俺に微笑みかけてくる。
「こういうところ、修学旅行っぽいよね」
「うん。京都とかじゃなくて、ちょっと地味だけど……落ち着いてて好きかも」
「裕貴くんらしいね、そういうとこ」
俺らしい、か。そう言われて悪い気はしない。けど、なんだか照れくさくて、俺は軽く頬をかいた。
一方、前方の席では春樹が同じ班の男子と盛り上がっていた。明るく振る舞ってはいたが、ふとした瞬間に見せる横顔は、どこか物思いに沈んでいた。
……分かってる。春樹がちゃんと見てることも、感じてることも。
それでも、俺はもう迷わない。
※
最初の見学先は、小高い山の中腹にある神社だった。
長い石段を登る途中、佐々木さんが足を止めて、軽く息を吐いた。
「ちょっとだけ、休んでいい?」
「もちろん」
俺は佐々木さんの隣で立ち止まり、持っていた水を差し出す。彼女はそれを受け取って、小さく礼を言った。
「こういう坂道、苦手で……あ、でも足腰が弱いってわけじゃないからね?」
「分かってるって。むしろ俺のほうがバテそう」
思わず笑い合う俺たちの背後で、春樹が少し離れた場所からこちらを見ていた。
目が合う。
だけど、春樹はいつものようにニカッと笑って、手をひらひらと振ってきた。
「佐々木さーん、裕貴のこと、くれぐれも無理させないように頼むわー」
「ふふ、了解です」
そんなやりとりができるくらいには、俺たちの関係は変わってきているのかもしれない。
※
その日の午後、自由行動の時間が始まる。
各自班ごとに分かれて、街中を散策したり、お土産を見たり、甘味処に入ったり。にぎやかな通りの喧騒の中でも、俺たちの班は穏やかだった。
神木さんはといえば、別の女子たちと一緒に回っていた。
すれ違いざま、彼女と目が合った瞬間、何かを言いたげな表情をしていたけれど――口には出さずに、ふっと笑って、視線を外した。
その背中が少しだけ寂しげで、俺は胸の奥がちくりと痛んだ。
けど、今は――
「ねえ裕貴くん、次はあっちの通り行ってみよう?」
「うん、行こう」
そうやって、隣を歩く佐々木さんの手が、ふいに俺の袖を軽く掴んだ。
ほんの少しだけ、その手に触れ返す。
この気持ちが、ちゃんと彼女に届いているといい。
そんな風に、俺は願いながら、陽の傾く街並みをゆっくりと歩いた。
※
夕方、宿へと戻る頃には、空がにわかに曇り始めていた。
観光地で買ったお土産を手に、俺たちの班はゆっくりと歩いて宿までの坂を下っていた。まだ日は沈んでいないが、空気にはわずかな湿気が混じっている。
そのとき――ぽつり、ぽつりと、冷たい感触が額に落ちた。
「あ、雨……?」
佐々木さんが空を仰ぐ。
そして、次の瞬間、まるでその言葉を合図にしたかのように、バラバラッと本降りの雨が降り始めた。
「やばっ、急げ!」
春樹が叫び、班のみんなが小走りで軒下を探して駆け出す。
俺も咄嗟に佐々木さんの手を取って、近くの屋根付きの商店街に飛び込んだ。
濡れた制服が肌に張り付き、首筋に冷たい水滴が伝う。
ふと、となりに立つ佐々木さんを見ると、制服の肩口が雨でぐっしょりと濡れていた。髪も前髪がぺたりと頬に貼りついていて、いつもより儚げに見える。
「ごめん……ちゃんと傘、持ってくればよかったね」
「ううん、私こそ。……でも、こういうのも、ちょっとドラマっぽいかも」
佐々木さんが、くすっと笑った。
その笑顔がやけに近くて、俺は自分の心臓が少し速く脈打つのを感じた。
狭い軒下、雨音が世界の音を消していく。
ふたりの距離は、自然と肩が触れそうになるくらいまで近づいていた。
「……寒くない?」
「大丈夫。裕貴くんは?」
「俺も平気」
だけど、声を交わすたびに、胸の奥がどこか落ち着かなくなる。雨の匂いと、佐々木さんのほんのり甘いシャンプーの香りが混ざって、なんとも言えない空気を作っていた。
すると、佐々木さんが少しだけ身を寄せてくる。
「……ねぇ」
「ん?」
「今日、いろいろ楽しかったよ。裕貴くんと一緒で」
顔は見えなかったけれど、その声は確かに――どこか、特別だった。
「俺もだよ。今日だけじゃなくて、昨日も、文化祭のときも……全部、佐々木さんと一緒だったから、特別な日になったんだと思う」
「ふふ、ずるいな……そういうこと、真顔で言われたら……」
そこで佐々木さんは一拍置き、目を伏せたまま、小さく呟いた。
「……ドキドキ、しちゃうよ」
雨音がすべてを包み込んでいく。
俺は、ほんの少しだけ肩を傾けて、彼女のぬれた肩に自分の肩を寄せた。
体温が伝わる。距離が近づく。それだけで、何もかもが静かに変わっていく気がした。
やがて雨は少しずつ弱まり、遠くの空に薄明かりが射し始めた。
「……行こうか、宿」
「うん」
歩き出すとき、ふたりの肩はそっと離れた。でもその間にできた静かな余韻は、きっと――もう戻れないほど、甘くてあたたかかった。




