きっと春樹は佐々木さんを狙っている
数日後。季節は少しずつ秋の深まりを見せ、教室の窓から入る風もひんやりと感じるようになっていた。
そんな中――沢田先生が朝のHRで発した言葉が、教室を一気にざわつかせた。
「来月の修学旅行先、決まったぞ。行き先は……京都・奈良だ!」
わあっ、と教室に歓声が上がる。
「マジで!? 俺、清水寺行ってみたかったんだよな!」 「鹿せんべい持ってかないとじゃん」 「旅館ってどうなるんだろ、部屋割り気になるー!」
それぞれが思い思いに期待を膨らませていく中、俺はふと隣の佐々木さんに目をやった。
「佐々木さんは、行ったことある?」
「ううん。奈良も京都も初めて。だから、すごく楽しみ」
彼女はふわっと微笑みながら、手帳に小さく“修学旅行”と書き込んでいた。その字を見ているだけで、なんだかこっちまでワクワクしてくる。
そんな俺の様子に気づいたのか、春樹が背後からひょいっと顔を出す。
「おいおい、まさかお前、修学旅行で告白とか考えてないよな?」
「は!? なに言ってんだよ」
「だってさ~、旅行っていう非日常空間だぜ? 枕投げ、恋バナ、夜の廊下探検……恋が始まらないわけがないっしょ?」
「小学生のノリかよ……」
ため息交じりに返すと、後ろから別の声が飛んでくる。
「ふーん、じゃあ夜の恋バナには私も参加しよっかな?」
いたずらっぽく笑っていたのは、もちろん神木さんだった。
「ちょ、女子は女子で話すんじゃないのか?」
「えー? 男子部屋に突撃とか、アリでしょ?」
冗談めかして言う彼女だったが、その目にはどこか、まだ揺れる感情の残滓が見えた気がした。
でも、それを深く追求するのは――今じゃない。
※
放課後。廊下を歩いていた俺の背中に、佐々木さんの声が追いかけてきた。
「裕貴くん」
「ん? どうしたの?」
「修学旅行の班、どうする?」
その言葉に、俺は足を止める。
「ああ……もう、そういうの考えなきゃいけない時期か」
「うん。先生が、班は4〜5人でって言ってた。春樹くんはきっと一緒だよね?」
「まぁ、アイツはもう当然のような顔して俺の隣に座ってたし」
ふふっと佐々木さんが笑う。
「じゃあ……もし、良ければ、私も一緒に」
そう言った彼女の声はほんの少しだけ震えていた。
「もちろん。佐々木さんがいてくれたら、心強いし」
「……ありがとう」
そう返してくれたその声が、なんだかいつもより近くて、あたたかくて。
俺たちの“次のステージ”は、もうすぐ始まろうとしていた。
京都と奈良。新しい景色と、新しい気持ちと。
※
修学旅行の班決めが終わって数日後。放課後の教室では、春樹が珍しく真面目な顔をして、佐々木さんの席のそばに立っていた。
「なあ、佐々木」
名前で呼ばれたのが意外だったのか、佐々木さんは少し驚いたように顔を上げた。
「……どうかしたの、春樹くん?」
「えっとさ、今度の修学旅行で、よかったら班の中で一緒に行動できる時間とか、俺に合わせてくれないかなって思ってさ」
「えっ……?」
「いや、変な意味じゃないんだけど、せっかく班一緒になったんだし、ちゃんと話してみたくてさ」
春樹は頭を掻きながら、いつになく照れくさそうな表情を見せていた。
「……うん。わかった、私も楽しみにしてるね」
佐々木さんはいつもの穏やかな笑顔でそう答えた。その笑顔を見て、春樹の耳がほんのり赤く染まったのを、俺は偶然見てしまった。
(……春樹、もしかして)
そう思った矢先、春樹がこちらに向かって親指を立ててきた。
「なあ裕貴、俺、もうちょっとだけ頑張ってみるわ」
その目は真剣で、からかいなんかじゃなかった。
※
その日の帰り道。空はどんよりとした曇り空で、帰るタイミングを見計らうようにしていたとき、不意に窓の外から音が響いた。
ポツ、ポツ……やがて、ザーッと雨が降り始める。
「うわっ、マジかよ……」
傘は持ってきていない。けれど、迷っている間にも制服の肩が少しずつ濡れていく。
「裕貴くん、よかったら、入る?」
ふいに声がして、振り向くと、佐々木さんが一本の傘を差し出していた。
「いいの? ありがとう……」
俺は少し遠慮がちに傘に入る。狭い視界の中、肩と肩がかすかに触れるほどの距離。
歩くたびに、袖が擦れる。濡れた髪から落ちる雫の音が、やけに大きく感じた。
「雨、思ったより強いね」
「そうだね。……でも、なんか嫌いじゃない」
「え?」
「こうして、同じ傘に入って歩くのってさ。特別な時間って感じがする」
そんな俺の言葉に、佐々木さんは小さく笑って、でもその横顔は少しだけ赤く染まっていた。
照れたのはたぶん、俺の方も同じだった。
いつもより少し静かな、雨の帰り道。
心臓の鼓動だけが、やけに近くにあった。




