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距離感の違和感

「ただいまー」


 俺はゆっくりと自宅の扉を開ける。


 涼やかな夜風が背後から吹き込み、ほのかに潮の香りが漂った。


「お坊ちゃん、おかえりなさいませ」


 柔らかく澄んだ声が響く。


 玄関の灯りの下、メイド服に身を包んだ佐々木さんが、いつものように微笑んでいた。


「神木ちゃんとのデートはどうでした? 楽しかったですか?」


 彼女はいつものように優しい表情を浮かべながら聞いてくる。


「うん、久しぶりに誰かと買い物をしたから、新鮮な気持ちになれたよ」


「それなら良かったです。夕食の支度ができていますので、温かいうちに召し上がってくださいね」


 彼女は俺の目をまっすぐに見て言いながら、一歩近づく。


 少し甘い香りがふわりと漂った。


「佐々木さん、実は渡したいものがあるんだ」


「へ? 私に?」


 驚いたように瞬きをする彼女に、俺は少し気恥ずかしさを感じながら紙袋を差し出した。


 中には、綺麗に包装された小さな箱。


「その……いつもお弁当とかいろいろとお世話になってるからさ。日頃のお礼にと思って、神木さんと一緒に選んだんだ。受け取ってくれる?」


 一瞬、彼女の瞳が揺れた気がした。


 だが、すぐにぱっと表情を明るくし、箱を両手で包み込むように受け取る。


「……ありがとう! 裕貴くん! 大切にしますね」


 夕食の準備があるのも忘れたように、彼女は嬉しそうに微笑んだ。



 食堂に足を踏み入れると、母が席に座っていた。


「おかえりなさい。何をしに行ってたの?」


 目も合わせず、淡々とした口調で尋ねてくる。


「ただ、友達と遊びに行ってただけだよ」


 俺はなるべく軽い調子で答え、席についた。


「貴方にも友達ができたのね。意外だわ」


 ナイフでバターを切るような冷たい声だった。


「……そうだね、俺も昔の自分だったらビックリしてただろうね」


 俺は箸を取りながら、淡々と返す。


 それ以上、会話が続くことはなかった。


 ただ無言で食事を済ませ、俺は母より先に席を立った。



「はぁ……」


 部屋に戻るなり、思わずため息をつく。


 母といると、どうにも気疲れする。


 机の上には、今日買った漫画が入った袋。


 俺は袋から取り出し、ベッドの上に寝転がってページをめくる。


 意外と面白い。


 ふと――気配を感じた。


「ふーん、お坊っちゃんもこういうの読むんだー」


 不意に聞こえた声に、俺はビクッと肩を跳ねさせる。


「さ、佐々木さん!? い、いつの間に!」


 振り向くと、佐々木さんが俺の肩越しに覗き込んでいた。


「ノックしても返事がなかったので、心配したんですよ?」


 頬をぷくっと膨らませながら、じとっと俺を見つめてくる。


「……それで、どうでしたか? 神木ちゃんとのデートは」


 どこか試すような視線。


 俺は言葉を選ぼうとするが、彼女はさらに顔を近づけてくる。


「楽しかったですか?」


 柔らかい声とは裏腹に、目だけがじっとこちらを見据えていた。


「あ、う、うん!」


 つい反射的に答えてしまう。


 すると、彼女は一瞬ふっと何か考えるような表情を見せたが、すぐに笑顔を取り戻した。


「うん、裕貴くんが楽しかったなら、私も良かったよ」


 そう言って、彼女はそっと立ち上がる。


「じゃあ、おやすみなさい、お坊ちゃん」


 扉を閉める音が、妙に静かに響いた。



 月曜日の朝。


「裕貴くん! 今日は一緒に学校に行かない?」


 玄関を出ると、制服姿の佐々木さんが門の前で待っていた。


「うん、一緒に行こう」


 俺は軽く頷き、彼女と並んで歩き出す。


 朝の空気はひんやりとしていて、心地よい風が頬を撫でた。


「今日はどんな授業があるんだっけ?」


 何気なく聞くと、彼女は少し考えた後、答える。


「えっと、数学と英語、それに体育があったよね。……あ、そうだ! 二人三脚の練習は放課後するの?」


「うん、神木さんとも約束したし、今日もやる予定」


「そっかぁ……」


 一瞬、彼女の足がわずかに止まりかける。


「どうかした?」


「ううん、なんでもないよ」


 そう言って笑うが、その笑顔がどこかぎこちなく見えた。


 俺たちはそのまま並んで学校へ向かう。



 教室に入ると、すぐに神木さんが駆け寄ってきた。


「裕貴! 今日も放課後、二人三脚の特訓やるよな?」


 元気いっぱいの声と同時に、俺の腕をポンっと軽く叩いてくる。

 彼女の短めのポニーテールが揺れ、やる気に満ちた笑顔が目の前にあった。


「ああ、もちろん」


「よし! じゃあ今日もバッチリ鍛えるからな!」


 神木さんはニッと笑いながら、親指を立てる。

 その姿はまるでスポーツ漫画の主人公みたいで、つられて俺も口角を上げた。


 そんな俺たちのやり取りを、少し離れた場所から見つめる視線に気がついた。


「本当に二人三脚、頑張ってるんだね」


 佐々木さんだった。


 彼女は微笑んでいたが、その表情にはどこか影が差しているように見えた。


 そして、わずかに頬を膨らませながら、ぼそっと呟く。


「ふーん……」


 その声が耳に残ったが、深く考えることなく自分の席へ向かった。


 

 放課後。


「よし! 今日こそ完璧に息を合わせるぞ!」


「お、おう!」


 神木さんの気迫に押されながら、俺たちはグラウンドの隅で練習を始めた。

 足元の砂が蹴り上げられ、汗が額に滲む。


「せーの! いっち、にっ! いっち、にっ!」


 最初こそギクシャクした動きだったが、何度も繰り返すうちに息が合ってくる。

 踏み込むタイミング、腕の振り、彼女の動きを感じながら、一歩ずつ前へ。


「いいぞ、裕貴! これなら本番もバッチリだ!」


「お、おう……はぁ……疲れた」


 膝に手をつき、ゼェゼェと息を整える俺を見て、神木さんは笑いながら肩をバシッと叩いた。


「もう疲れたの? まだまだこれからだぞ!」


「……う、嘘だろ……」


 立ち上がろうとした瞬間、ふと、背中に視線を感じた。


 遠くのベンチ。


 そこに、じっとこちらを見つめる佐々木さんの姿があった。


 夕暮れの光が彼女の横顔を照らし、その表情は静かだった。

 何を考えているのか、読めない。


「……佐々木さん?」


 声をかけると、彼女は一瞬、ビクッと肩を揺らした。

 そして、すぐに視線を逸らし、何事もなかったかのように立ち上がる。


 小さく手を振り、そのまま校門の方へと歩いて行った。


 ……なんだろう。


 気になったが、その場を動けずにいた。


「おーい! まだやるぞー!」


「……あ、うん!」


 神木さんの声に我に返り、俺は再び練習に集中することにした。



 静かな夜、窓の外には月が浮かんでいる。

 俺はベッドの上に寝転びながら、天井をぼんやりと見つめていた。


 ……佐々木さん、今日なんか変だったよな。


 そう考えていると、ノックもせずにドアが開いた。


「お坊ちゃん、お風呂が湧いていますよ」


 いつもと変わらぬ優しい声。

 だが、俺は彼女の瞳の奥に、僅かな揺らぎを感じた。


「ありがとう、すぐ入るよ」


 ベッドから起き上がろうとしたとき、佐々木さんの視線がじっと俺に向けられていることに気づいた。


「……どうかした?」


 俺が尋ねると、彼女は一瞬だけ何かを言おうとした。

 けれど、結局口をつぐみ、ゆっくりと首を振る。


「……なんでもないです。おやすみなさい、お坊ちゃん」


 彼女は静かに扉を閉め、部屋を出ていった。


 ほんの一瞬、彼女の背中が、どこか寂しそうに見えた気がする。


 気のせい……なのか?


 俺はベッドに仰向けになり、深く息を吐いた。


 けれど、その違和感は、なかなか消えてくれなかった――。


ここまで読んでくださりありがとうございます!


面白い!と思ってくださった方はブクマ、☆、評価の方をよろしくお願いします!


しばらくの間、毎日投稿しますのでよろしくお願いします!

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