拒絶という名の自己犠牲
「はい、お粥持ってきましたよ」
佐々木さんが、優しく微笑みながらお盆を持って部屋へ入ってきた。
湯気が立ち上る白いお粥の香りが、体調の悪い俺の胃を刺激する。
「あ、ありがとうございます」
俺はそれを受け取ろうとしたが、スプーンが見当たらない。
探そうとすると――
「お坊ちゃん、はい、アーン」
スプーンを持った佐々木さんが、俺の目の前で微笑んでいた。
「えっ!? いや、その、それは……!」
俺の心臓が跳ねる。
「でも、お坊ちゃんは風邪を引いてるんだから、少しぐらい甘えてもいいんだよ」
そう言って、彼女はスプーンを俺の唇の前まで持ってくる。
優しく、温かな瞳が俺を見つめていた。
「……いただきます」
観念した俺は、彼女の手からお粥を口に運ぶ。
柔らかくて優しい味が、じんわりと体に染み渡った。
「お、美味しいです」
「でしょ? 私が作ったんだから」
「……あの、昨日のお弁当も美味しかったです」
俺がぽつりと呟くと、佐々木さんは胸をグイッと張って、満面の笑みを浮かべた。
「当然でしょ! 私こう見えて料理得意だからね!」
彼女の笑顔を見ていると、心まで温かくなる気がした。
このままずっと、こうしていられたら――
けれど、そんな願いは叶わない。
このぬくもりを、自ら手放さなければならない日が、すぐそこまで迫っていた。
※
風邪もすっかり良くなり、俺はいつも通り佐々木さんと登校する。
そして教室に入ると、バッグから教科書を取り出していた。
そのとき、突然、鋭い声が飛んできた。
「ねぇ、アンタでしょ?」
「えっ、俺に何か……?」
驚いて振り向くと、そこには黒めの青髪を持つ女子が立っていた。
整った顔立ちをしているのに、どこか冷たい雰囲気を纏っている。
その鋭い瞳が、俺をじっと射抜いていた。
「そう、アンタ。ちょっと聞きたいんだけどさ。アンタ、悠里とどういう関係なの?」
ブラックホールのような彼女の瞳に、俺は引き込まれそうになる。
「い、いや、ただの友達……かな」
「ふーん、じゃあいいんだけど」
彼女は腕を組み、ため息をつく。
「でも、あまり悠里に近づかないでくれる?」
「えっ、それって……なんで?」
「朝、いつもあんたら一緒に登校してるでしょ? それを見た周りの奴らが、悠里のことを悪く言ってたりしてるの」
「それって、どういう……」
「『悠里みたいな可愛い子が、冴えない男と付き合ってる』って噂が広まってんのよ。だから、今後はできるだけ悠里に近づかないで。お互いのためにもさ」
冷たい言葉が、心に突き刺さる。
彼女はそれだけ言い残し、静かに教室を後にした。
俺は、動けなかった。
――俺みたいなコミュ障でデブで冴えない男が、佐々木さんの隣にいるのは、周りから見ればおかしいことなのかもしれない。
彼女の優しさが、彼女の評判を落とすことになるなら――俺は。
この関係を、終わらせるべきなのかもしれない。
※
「お! 裕貴くん!」
佐々木さんが、いつものように俺に声をかける。
だが――俺は、彼女と目が合った瞬間、何もなかったかのように視線を逸らし、その場を去った。
彼女の表情が、一瞬驚きに染まるのが見えた。
――これでいい。
彼女が俺と関わらないことで、彼女の悪い噂は消える。
そう自分に言い聞かせながらも、胸が苦しかった。
しかし、それでも彼女は優しい人だった。
それからというもの、彼女は前よりも積極的に俺に話しかけてくるようになった。
それでも、俺は彼女を無視し続けた。
※
昼休み。
俺は逃げるように教室を出て、購買で買ったプロテインパンを手に取り、屋上へ向かった。
静かで、誰にも邪魔されない場所。
あそこなら、誰にも気づかれずにいられる。
そう思ったのに――
「裕貴くん!」
背後から聞き慣れた声が響いた。
振り返ると、俺の袖を掴み、息を切らせながらこちらを見つめる佐々木さんがいた。
「裕貴くん……今日、何かあったの? 何度呼びかけても無視して……私、何かした?」
不安そうな瞳。
俺を心配する、優しい声。
――違う、彼女は何も悪くない。
これは、ただの俺の自己犠牲だ。
「……」
「話してくれなきゃ分かんないよ、私、裕貴くんが何かあったか喋るまで、絶対に離さないから」
彼女の声が揺れる。
俺は俯き、唇を噛み締めた。
そして――涙が、溢れた。
「……ごめんなさい」
「な、なんで謝るの?」
「ご、ごめん……ご、ごめんなさい……」
佐々木さんの優しさに、俺は耐えられなかった。
これまで積み重なってきた思いが、堰を切ったように溢れ出した。
しゃくり上げる声で、何度も謝罪の言葉を繰り返す。
そして――彼女の手を振りほどき、屋上へと駆け出した。
涙で滲む視界。
これでいいんだ。
彼女が俺と関わらないことで、彼女の悪い噂は消える。
――きっと、これでいいんだ。
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