第1話 金人鋳造の儀
焼け溶けて灼熱する銅が、砂を固めて造った鋳型に注ぎこまれる。飛び散る火花と炎は、太陽の光のもとでも眩く目を射る輝きを放っていた。
太極殿は、魁の外朝の中心に位置する大宮殿だ。
宮殿の奥、鍍金された龍が絡みつく柱に囲まれた玉座からは皇帝が見下ろし、左右には赫太子と薛貴人が控えている。
宮殿の外、白い玉石を敷き詰めた前庭には、諸侯と文官と武官とが、序列に従って整列している。
三年前までならば、洸廉の位置は末席、遥かな後方だったはず。だが、皇太子の師である少師への抜擢と、亡き太后の服喪の間の功績によって彼の前を遮る背中は恐ろしいほど少なくなっていた。
皇帝の御前、列席者からは仰ぎ見る位置に、祭壇が設けられている。そこに鎮座するのは人の背丈の半分ほどの鋳型がふたつ。それぞれに溶けた銅が注ぎこまれる様を、魁の国の中枢の者が揃って息を詰めて見守っているのだ。
(話には聞いていたが、奇妙な風習だな)
洸廉と同じ感慨を抱く者は、列の中にどれだけいるのだろう。彼のように南の昊から降った者、長く魁に支配されてきた農耕の民を出自にする者もそれなりの数がいるはずなのだが。草原を駆ける民を祖に持つこの国において、重んじられるのはやはり国を興した支配者たちの習俗だった。
金人鋳造──すなわち、国の大事に当たっては銅で像を鋳て吉凶を占うという。
鋳型を割った時に、見事銅像が立っていれば吉とみなして事を進め、欠けたり割れたり倒れたりの不備があれば凶として取り止める。
銅があるていど冷えて固まるのを待つ間、舞楽奉納されるのを余所に、洸廉は密かに念じた。
(実験は十分に繰り返した。銅の純度も、炉の熱さも。どうか成ってくれ……!)
皇帝に願い出て、材料や職人の手配を行ったのはほかならぬ彼だった。生まれながらの魁の民であれば、天意を問うための儀に入念な試行錯誤を行う、という不敬な発想には至らなかったかもしれない。だが、彼ならできた。やらなければならないことでもあった。
この儀式が成功すれば、魁の諸臣の心は一丸となる。皇帝の意は、天の心にも叶うことと認められる。少なくとも、声高に意を唱えることは難しくなる。
最後は祈るだけ、とは愚かしくもあるが、今となってはほかにできることはない。
舞楽が終わり、槌を手にした官が祭壇に上る。皇帝から卑官に至るまで、その場の全員の視線を浴びながら、槌が振り上げられる。鈍い音が幾度か響き、砂の鋳型が崩れて落ちる。その中から現れたのは、赤く輝く艶やかな金属の煌めきだった。
まだ熱を秘めていたのか、一瞬だけ内側から光り輝き、そして外気に晒されてすぐに冷たい艶に落ち着く──ひとつめの像は、裙が優美な曲線を描く女の姿。
そして、もうひとつの鋳型にも槌が振るわれた。現れたのは、剣を佩いた武人の像。
対となるふたつの像は、欠けるところなく立ち、そして輝いていた。誰ともなく──その場の数百人の口から漏れた溜息と歓声が、ひとつのどよめきとなって空気を揺らした。
「──成った」
そこへ、しゃらり、と鳴ったのは、太極殿の玉座から姿を見せた皇帝の、冕冠から垂れる旒が奏でた音だ。
皇帝の臨御に、諸侯諸官が一斉に平伏する。衣擦れの音と武具が鳴る音が重なって響き、一瞬だけ嵐が吹いたかのような轟音となる。それを圧して、皇帝が通る声で高らかに宣言する。
「天は我が意を嘉した! この場にいた者は確と目に焼き付けよ!」
洸廉と同様に、若い主君も落ち着かない思いで祈り、見守っていたのだろう。はしゃいで、とさえ言えるほどに声を弾ませてまでも占おうとした大事とは──
「翠薇──薛貴人を皇后に立てる。朕が自ら率いて昊を征する。良いな!?」
玉声に、平伏した者たちは皇帝万歳の斉唱で応える。合わせて声を上げながら、安堵と高揚に体温が上がるのを感じながら。洸廉は、大音声に紛れた軽やかな衣擦れの音を確かに聞き取っていた。
太極殿の奥から近づいてきた、宦官や文官が纏うものではあり得ない薄絹が奏でる音。雅な香の香りさえ漂ってきそうな──薛貴人も、皇帝の傍らに進み出たのだろう。
「皇上の宿願がようやく叶うのですね。心よりお慶び申し上げます」
「魁にとっては昊を降すのは難事ではない。そなたを皇后に据えることこそ朕の願いであった」
「そのような──」
喜びつつ恐縮する薛貴人──今はまだそう呼ぼう──の声は、文句のつけようもなく淑やかで慎まやかな女人だと聞こえた。
彼女の声や言葉遣いに初めて接して、印象を変えた者もこの場にはいるだろうか。高位の妃たちを次々に退けて皇帝の心を捕らえた女狐と、信じている者も多いだろうが──
(この三年、あの御方は何もなさっていない。ただ、皇上を癒し、御子たちを慈しんだだけで。分かってくださったのか。諦めてくださったのか……?)
太后の喪が明けて、魁は若い皇帝のもとでいよいよ前に進もうとしている。儀式の成功によって、臣下の士気は大いに上がった。だから何も憂える必要はないと、信じたいのだが。
心に影を落とす不安を拭いきれず、頭を何かに抑えつけられる思いの洸廉とは裏腹に、皇帝の声はどこまでも明るく軽やかだった。
「遠征中の留守を任せて、皇太子を監国に任じる。とはいえいまだ幼少ゆえ、何ごとも官の助言を聞くように」
「はい、父上」
高く澄んだ声で応じる赫太子も、この三年の間に成長した。まだ十になるかどうかの年齢でも、すでに君主に相応しい思慮深さを見せている。
「特に李少師。太子と翠薇が不安も不自由も覚えぬように寄り添ってやってくれ」
「御意。皇上のご信任に応えるべく粉骨砕身いたします」
そして洸廉は、皇帝が不在の間の実質的な宰相に任じられたのも同然だった。若い身で、亡命者の末裔でありながら、なんと目覚ましい栄達か。遠征の間の振る舞い次第で、皇帝からの信頼も皇太子との絆も、いっそう深まることだろう。──気を引き締めて、臨まねばならない。
(皇上がご不在の間に、事を起こす者がいないかどうか──目を配らねば)
警戒する対象の筆頭に、皇后に立てられたばかりの女人が来るのは、どう考えても理不尽なことではあった。




