福音
コングレーヌ共和国、ザレムⅣ世とアンヌ・ルルワリリス女王の間に生まれた、長女アナリエッタは、才女であり、一族一の好奇心を持ち合わせた快活な女であった。しかし、彼女が生来持つ遺伝的欠陥により、齢20にしてベッドを離れられなくなる。命尽き欠けるころ、宮廷魔術師プトレマイオスの提案により、強化人間手術の初期ロットとして、治験を行うことに、王と女王は同意した。手術は失敗し、死に際にアナリエッタは「失敗は成功の礎ですわ。貴重な体験ができて光栄でしたわ。」そう言い残し、この世を去った。葬儀は伝統にのっとり、ローゲンハーグ教会にて執り行われた。他の王族や、貴族の希望により、墓は別の離れに作られた。その理由は、強化人間手術とはすなわち、他種族の要素を選択的に取り入れる。とりわけ初期ロットは吸血鬼の生命力を移植することが目的であったからである。
「ここはどこですの?ちょっとどなたか?どなたか?」
アナリエッタは暗闇の中、手探りであたりを把握する。
手触りから木材に四方を囲まれているような、気がする。防腐剤のような匂いもした。
じれったくなり、指先に魔法で火を灯し、アナリエッタは驚愕した。
「そうでした、、棺の、、中ですわ、、」
体の上には花やら、自分のお気に入りの道具やらで一杯だった。
葬儀の時にでも入れられたのだろう。
「じょ、冗談じゃないですわ、わたくしどうやら、まだ死んでいませんわ。なんとかしないと、なんとかしないと」
アナリエッタは、棺を叩く。
「誰か?誰かいませんの?」
「そうだ、棺なんて燃やしてしまえばいいんですわ!なんてスマートな考え方!」
アナリエッタは指先の炎で、棺の蓋を内側から炙り出す。
思ったより火の調子が悪い。酸素がないからだ。あっという間に燃え尽きる。
「酸素不足!?なんてことかしら!」
「誰か?開けてくださいまし!アナリエッタは生きていますわ!」
そうして、半ばあきらめの境地の達したアナリエッタは思いついた。
「酸素がないなら魔法で集めればいいじゃない!スマートですわ!」
そういって、両手で印を結んで酸素を集める。なんだか息苦しくなった気がした。
アナリエッタはうっとおしいこの狭い空間から早く出たいあまり、何も考えずにいた。
そして、指先に火を灯した。
ローゲンハーグ教会は、王族の眠る教会として有名な場所である。
教会は、見上げるほど高い雪花石膏のような白く澄んだゴシック様式の外観をしており、中に入れば、荘厳なアーチ型の天井と両サイド支柱、縦長の窓、そして正面の大きな虹色のステンドグラスが目を引く、煌びやかな建築物であった。そんな由緒ある教会にて、責任者でもあるシーラ教母は、毎朝の習慣である祈りを、自室ではなくこの礼拝堂を独り占めしてできるのが、楽しみであり、彼女の特権でもあった。
「新しい朝を迎えさせてくださった神よ、きょう一日わたしを照らし、導いてください。
いつもほがらかに、すこやかに過ごせますように。物事がうまくいかないときでも
ほほえみを忘れず、いつも物事の明るい面を見、最悪のときにも、感謝すべきものがあることを、悟らせてください。自分のしたいことばかりではなく、あなたの望まれることを行い、
まわりの人たちのことを考えて生きる喜びを見いださせてください。
アーメン。」
彼女はいつも口にする言葉を流暢に述べ、祈りのしぐさをした。
シーラ教母は、今日が晴れやかな日であると確信した。
朝起きたその瞬間からの、心地よい陽光。そよ風で舞うカーテン。鳥のさえずり。
澄んだ空気。少し湿気のはらんだ風のにおい。
祈りを終え、祭壇を背に立ち去ろうとしたその時、少し離れた墓所の方から、爆発音がした。
地を揺らし、ガラスが衝撃で叩きつけられひびが入る。どこかで割れる音がして悲鳴が上がった。衝撃が強すぎたのか、鐘塔の鐘が鳴り始めた。音の位置からなんとなく、音の発生源は裏手の墓所のような気がした。
シスターリーシャが、境界の奥の通路から教母を見つけると駆け寄ってきた。
痩せた茶髪の少女、真面目であり、朝早くから起きている数少ない一人でもある。
「何事でしょう教母様?」
「わからないわ。あの昨日来たマナリア業者。導管の付け方が甘かったんじゃないでしょうね。もし、そうならこの不始末は、もう、ただではおきません。」教母は続けて、
「シスタータチアナに伝えて、けが人はいないか。壊れたものはないか。あと念のため、マナリアの動力スイッチを切って、保管庫には向かわないことを伝えて。」
「わかりました。教母様は避難された方が、、?」
「馬鹿言わないで頂戴、リーシャ。わたくしはマナリア動力室を見てきます。」
「教母様、、それは、、」
「私はここの責任者よ、さあ早く、行って!」
シスターリーシャが、躊躇いながらも立ち去ろうとしたとき、奥の通路から、シスタータチアナが、ややふくよかな体で走り寄り、息を切らせてこういった。
「ハア、ハア。きょ教母様、リーシャ。は、墓が。墓が。」
「シスタータチアナ。要点は何?」
「墓所が吹き飛んでいます。先週埋葬されたプリンセスアナリエッタの墓が。」
アナリエッタは、まだ棺の中にいた。
違うのは、蓋がないこと。土埃を被っていること。近くの木洩れ日が差し込み、そよ風を感じていること。遠くで鳥のさえずりが聞こえること。鐘の音が聞こえること。
アナリエッタの耳はキーンと鳴り響き、全身を一瞬強く押しつぶされたような感覚のせいで、茫然と目を見開いていた。何が起きたのか理解するのに少し時間がかかった。
ゆっくりと、棺のふちに手をかけて身を起こし、立ち上がって土埃を払う。
「ま、こんなこともありますわ。上出来、上出来。」
アナリエッタは、教会の裏手の墓所に埋葬されていたようだ。見晴らしのいい丘の上、一本の木から指す木洩れ日が墓に差し込んでいる。墓の近くにはシャーロットの名前で花束が添えられていた。疑問に思ったのは、ここが王族の墓からはかなり離れているということ。
「いったいどういうことですの?まあ、ドレスがこんなにも、、大変、、」
アナリエッタの簡素な緑のドレスはズダズタであり、肌が露わになっていた。
ふと、裏手の通用門から、何人かのシスター達がこちらを見つけて、しばらく立ち止まって、こちらを見ていた。たちまち大騒ぎしながら、広い墓所を突っ切って、この墓がある丘まで登りきると、息を切らせながら、シーラ教母がアナリエッタを見つめた。
続いて、リーシャ、タチアナもアナリエッタ見るや、驚愕しタチアナが十字を切りだすと、シーラ教母が乱暴にタチアナを手で制して、こういった。
「お怪我はありませんか?プリンセスアナリエッタ。」
シーラ教母は自分でも何を言っているのか、わからなくなっていた。