第六の騎士の門(7)
おそらく、体の傷は一時的にふさがっただけ。
そのほとんどが完璧には治っていなかったのだろう。
権蔵はすぐさま、小屋の奥に積まれた道具の山に頭を突っ込み、何やら必死に探し始めた。
「確か……エメラルダ様からもろうた傷薬があったはず……!」
それは駐屯地を去る際、エメラルダが餞別として渡してくれた超高級傷薬。
売れば一本、金貨五枚──おそらく、日本で言えば五十万円はくだらない一品だ。
それが、七本。
権蔵は、そのすべてを惜しげもなくタカトの体に塗り込んでいく。
傷薬は体の表面組織を活性化させ、外傷を癒す働きを持つ。
これで、タカトの肉体的な傷は間違いなく癒えるだろう。
──間違いない。だが、それだけでは足りない。
そう。今のタカトは、生気が尽きかけているのだ。
生気は命の根──魂を灯す燃料そのもの。
これが尽きれば、人はどれだけ傷がふさがろうと、生きることはできない。
だが、傷薬では生気を補うことはできないのだ。
ましてや、神のように命の石から生気を直接取り込むなど、人間には不可能だ。
可能性があるとすれば、命の石から長い歳月をかけて染み出した、極めて稀少な妙薬──
しかし、そんな代物が、奴隷である権蔵の手元にあるはずがない。
いや、権蔵でなくとも、持っている者などこの地にはほとんどいない。
あるとすれば、駐屯地の最前線に数本──それだけだ。
いくら長年勤め上げたとはいえ、そんな宝物を、奴隷風情に分け与えてくれる者などいなかった。
──頑張れ、タカト。
今の権蔵にできることは、彼の命の灯火が消えぬよう、祈ることだけだった。
──お前は、元気になる……必ず、なるんじゃ……!
権蔵はタカトの手をとり、しっかりと握りしめた。
その体は、小さく、だが確かに温もりを残していた。
──お前は……ワシの子じゃろ! なぁ、タカト!
そのそばに、ぽつんと座る幼女の目が震えていた。
金色の瞳。神の証──
ということは……
――この小さき神こそが……おそらく……ビン子なのじゃろう……
だが、権蔵の記憶にある”未来から来た”というビン子とは、どこか様子が違っていた。
――本当にあのビン子なのか?
未来のあの娘は、よくしゃべり、よく怒り、よく笑った。
ハリセンを振り回し、タカトをドついてばかりの、元気いっぱいの「おてんば神」。
殺虫剤を浴びせかけても平然としていそうな強靭さ、いや、むしろ逆ギレして自己主張を連発するタイプである。
それが、今はどうだ。
うつろな瞳に涙を湛え、声ひとつ発しないまま、沈黙している。
その瞳は、消えてしまいそうなほどに、儚くて──弱弱しい。
まるで魂の抜けた人形のようだった。
――しかし、このままここにしておくわけにもいくまいて……
一息ついた権蔵は、奥の部屋を片付けて、ビン子を神として仰々しくもてなした。
もちろん、貧しい休息奴隷の身の上ゆえ、たいしたもてなしなどできるはずもない。
小汚い座布団の上に座ってもらい、湯で戻した芋と干し肉を皿に載せて、なんとか形を整えた程度である。
それでも、今の権蔵にとっては、これが精一杯のもてなしだった。
普通の神であれば──
いや、気難しいババアの神なら、それだけで怒って帰るか、呪いの一つでも吐いていたかもしれない。
だが、ビン子は違った。
座布団に腰を下ろすその姿は、どこか申し訳なさそうで。
皿の上の食べ物にすら、指を伸ばそうとしなかったのだ。
「……神様、せめて……何か口にしてくだされ……」
権蔵は、言葉を選びながら皿を差し出す。
だが、ビン子はかすかに笑みを浮かべ、そっと首を振った。
「……いいえ……大丈夫です……だって、私には……お返しするものが何もないですから……」
その声は、まるで風に消えるささやきだった。
──そう。今の彼女には、記憶がない。
自分がどんな神で、どんな恩恵を持つ存在だったのか。
それどころか、自分の名前すら思い出せていなかった。
──だから、“ビン子”という名は、本当の名前ではない。
それは、タカトがくれた名前。
小さきタカトと、小さきビン子の、大切な絆。
その名前に宿るのは、神としての力ではなく、人としての愛だった。




