黒の魔装騎兵と赤の魔装騎兵(8)
そんなおバカな輪の中で無視されっぱなしの鶏蜘蛛は、少々ご立腹の様子で八本の足に静かに力を込めはじめた。
コッ……コッ……コッ……
鋭いくちばしが、おしゃべりしながら後退していく女たちに、じわじわと照準を合わせる。
巨体にみなぎる圧力――そう、それは獲物を捉える寸前の猛禽類のような緊張感!
そして、ついに――
コツメカワウそぉ〜ン!
鶏蜘蛛の咆哮が響いた瞬間、セレスティーノの視界からその巨大な影がフッと消えた。
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」
背後から響く、女の悲鳴!
しかも……その方向は……あの90点の女がいた場所!
セレスティーノは、これでも地獄耳(※本人談・たぶん本当)なのである。
――うそぉ〜ン!
慌てて勢いよく振り向くセレスティーノ!
すでに脳内では「トリプル・ルッツルツル」が遠ざかっていく悲しいBGMが流れはじめていた──!
そこには、鶏蜘蛛のくちばしが胸元に突き刺さった90点の女の姿があった。
白い肌に浮かぶ赤い点。破れた服の布地を染めるその血は、じわじわと広がっていく。
だが、それはこぶしほどの大きさになったところで止まった。
そう、鶏蜘蛛のくちばしは、胸をかすめただけで止まっていたのである。
トサカを振り乱しながら、なおも突き刺そうともがく鶏蜘蛛。だが、その攻撃はそこから一歩も進めなかった。
女の目の前には、一人の男が立っていた。
全身に黒い鎧をまとい、トラの仮面をかぶったその男が、くちばしを脇にがっちりと挟み込み、両手で頭を押さえつけている。
さすがに、この体勢では毒液を吐くことすらままならない
「大丈夫か、メルア!」
荒れる鶏蜘蛛を締め上げながら、男は背後の女を気遣うように声をかけた。
その男から少し離れた場所で、一人の年増の女郎が、汗だくになって膝に手をつき、肩で息をしていた。
「ハァ……ハァ……どうやら……間に合ったみたいだね……」
この女の名はお登勢。
メルアとともにファイブコインの激安の連れ込み宿に身を置いている奴隷女の仲間なのだ。
だが、この国において、奴隷女を助ける者などいない。
ましてやメルアのような半魔女の扱いは奴隷女よりさらに酷い。
そう頼れる人間など……この世にはいない……神さますらもあてになどならない……のである。
そんなことは、言われずともお登勢は知っていた。
誰よりも、深く、痛いほどに。
それでも……
あの時、メルアがベッツたちに無理やり連れ去られたその瞬間、お登勢はなぜか、迷わず走り出していたのだ。
――アイツなら絶対に助けてくれる! 絶対に!
肌をさらけ出し、裸足のまま、お登勢は夢中で駆けていた。
第六の宿舎。そこにいるという「神民」――ヨークという男の元へ。
……って、全然、間に合ってないじゃん! すでにかどわかした張本人のベッツなんか姿が見えませんよ! アンタ!
「……ヨーク」
メルアと呼ばれた半魔女は、一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた。
だが、その声を聞いた瞬間、まるで何かが弾けたように……
彼女はヨークの背中へ飛びつき、大声で泣き出した。
「ヨーク! アタイ……怖かったよ……怖かったよぉ……!」
その声は震えていた。
張り詰めていた心の糸が、とうとう切れたのだ。
「ちょっ……やめろ、メルア! そんなに強く引っ付くな! 俺だって……抱きしめたくなるだろ……!」
もしかしてこの男――
戦闘の真っ只中だというのに、照れてやがるのか?
その一瞬、ヨークの腕がわずかに緩んだ。
もちろん、鶏蜘蛛がそんな隙を見逃すはずがなかった。
男の腕を強引に振りほどくと、再び女に狙いを定め、くちばしを大きく開く。
今にも毒液を吐きかけんとする構え――
だが、そこから飛び出したのは、毒ではなくただの真っ白なよだれだった。
そんなよだれをまき散らしながら白目をむいた鶏蜘蛛が鉄砲の玉のように凄い勢いで一直線に飛んでいったではないか。
そうその瞬間、鶏蜘蛛の眉間に、ピンクのオッサンの右フックが炸裂していたのだ。
「ラブラブパーンヂ!」
怒号とともに振りぬかれる右拳。
気を失った鶏蜘蛛がその先をまっすぐに飛んでいく。
その激しい衝撃は、周囲の空気をも震わせていた!
「何ボケとんじゃワレ! ココにもっと美じい女がおるやろが!」
さらに激しい衝撃が、皆の心をも震わせた……
えっ? どこに……?
そんな意味不明な衝撃に呆気に取られていた守備兵たちだったが、すぐに我に返り、とっさに背後を振り返る。
吹き飛ばされた鶏蜘蛛へ向け、一斉に槍を突き出した。
だが、かろうじて意識を取り戻した鶏蜘蛛は、地を蹴って跳ねるように槍をかわし、素早く距離を取る。
体勢を立て直しながら、なおも鋭い視線でこちらを睨んでいた。
「お前……ヨークか!」
メルアが男に抱きつく様子を目の当たりにして、セレスティーノは愕然とした。
ヨークは第六のエメラルダに仕える腕利きの神民兵。
魔装騎兵と化している彼の対応戦力等級は約50。
(“対応戦力等級”は、各兵士や魔装騎兵が制圧可能な敵戦力の基準だ。制圧指標との兼ね合いで、任務の可否や配属が決まる。)
その存在を目にした瞬間、セレスティーノの中で警戒心が一気に跳ね上がる。
ここで強引にメルアを奪おうものなら、ヨークと拳を交えることになりかねない。
それはすなわち、エメラルダ――あの気難しい女騎士の怒りを買うことを意味する。
さすがに、それはマズい。
騎士同士の衝突は、ただの揉め事では済まない。
――ちっ! 今日、一番のお気に入りだったのに……
セレスティーノは、唇をかみしめながらも、あからさまに未練を滲ませた目でメルアを見つめていた。
すがりつくメルアの頭を優しくなでながら、ヨークはセレスティーノに向けて――あきらかに人を小馬鹿にしたような視線を送っていた。
……と言いたいところだが、ヨークの顔は黒きトラの仮面に覆われており、表情はまったく見えない。。
「ねぇ、セレスティーノさま?」
その声には、妙な軽さと、いやらしいほどの嘲りが滲んでいる。
「まさか……こんな程度の魔物に手こずってたりしないですよね?www」
でも、声のトーンと空気で、どう聞いてもバカにしているとしか思えない。
しかも、セレスティーノはれっきとした“騎士”様。
神民兵であるヨークよりも、はるかに上の身分。エライのだ。
だから、本来ならこんな尊いお方を茶化すなど、絶対にあってはならない……はずなのだが。
「セレスティーノさまって、騎士……ですよね?」
「……え? もしかして、俺みたいな神民兵より弱かったりしないですよね? 女たち、ドン引きですよ~www」
ちなみに、セレスティーノの対応戦力等級はゴニョゴにョごにょ……まぁ、普通、騎士であれば対応戦力等級70以上はあるはずなのだが……
やっぱり――どう見ても、バカにしてる。確実に。
――ちっ! 第六の神民兵ごときが、この騎士である私を侮辱するとは!
セレスティーノの唇が小刻みに震える。悔しさが滲むその顔を隠すように、彼はひとつ大きく息を吐き出した。自分を落ち着かせるように。
――いいさ、どうでもいい。所詮は半魔女ひとりのために争うほど、私は愚かではない。
そう自分に言い聞かせながら、セレスティーノは改めて下がっていく女たちを横目で値踏みする。腰、胸、足、顔、顔、顔――そして、つぶやいた。
「……まぁ、あんな半魔女の代わりなんか、まだまだいくらでもいるもんねぇ~だ!」
すると――なぜかその瞬間、ピンクのオッサンが「はっ」と何かに気づいたような顔をして、自分の顔を指さした。
えっ? ワタジ?
――違ぁーーーーう!
セレスティーノは、心の中で全力で叫んだ。




