6話 エリ―トの祭典(後半)
テックグラスに依頼書を表示する。
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ターゲットID:DPC-G-34214
カテゴリ:DPCの生体適合に関わる遺伝子配列
レイティング:コモン
研究キーワード:『394―496―632』
場所:第52回日本バイオモニタリング学会2日目ポスターセッション
補足:該当研究とディープフォトンの関係を認識した人物が出た場合、情報秘匿および獲得のため拉致を推奨する。止むをえない場合は殺害も許可する。その場合の処理についてはDeeplayerを通じて連絡する。
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以下が『インヴィンシブル・アイ』に登録されたモデルへの案件提示です。
あなたの使命は以下の二つです。
1,ターゲットである『遺伝子配列』の特定および該当研究とニューロトリオンの関連を調査する。
2,指令を受諾して派遣された『モデル』を特定する。
以上の二つの情報をRMに送信することでシナリオ達成となります。
注意:シンジケートは『Deeplayer』を通じ学会周辺のコグニトームを監視しています。不用意なネットの使用は感知されるリスクを伴います。なお上記のデータは現時点の情報であり、モデルはこれ以降に追加される情報を活用することが考えられます。
昨夜のRMの説明によると、シンジケートは『Deeplayer』というコグニトームを裏側から監視する仕組を持っている。自分たちの【ディープフォトン】研究開発に有用であったり、ディープフォトンの存在を明らかにしそうな研究および研究者の存在を探しているのだ。
そして、そういう研究あるいは研究者は『インヴィジブル・アイ』に登録され、報酬を餌にモデルが派遣されることで情報の奪取や秘匿を行う。
現実とネットの連動を『デジタル・ツイン』という。位置情報に合わせてテックグラスに映る宣伝や街中に住んでいるポケットサイズのモンスターが代表だ。実際にはデジタルの方にもう一人、隠れた双子がいたわけだ。近代フランスが舞台なら『三銃士』という名の『四人パーティー』が活躍しそうなシナリオだが、現代なら完全なディストピアだ。
で、今回の案件だ。『カテゴリ』はディープフォトン(ニューロトリオン)技術のどこに関わるか。つまり、モデルに埋め込まれるDPCに関連する『遺伝子』が敵のターゲットということだ。
『レーティング』はターゲットの重要性で『コモン』は「ディープフォトンに関連する可能性が否定できない」案件だ。報酬が低いので最低ランクのモデルしか関わらない。シナリオのクリア条件は『遺伝子』と『モデル』の情報収集だけ。研究を守ったりモデルを倒す必要はない。そう言う意味ではテストプレイらしく難易度は低めと言える。
だがこの情報収集が超難易度であるのは既に思い知っている。
まず『遺伝子』だが。ここで行われている発表のどれにその『遺伝子』が登場するのか絞り込まなければならない。指定されている『午後のポスター発表』の演題数は300を超える。
ヒントはキーワードだけ。それも『三つの数字の組』という無味乾燥なもの。どう考えても高度で専門的な知識を必要とする仕事だ。
『モデル』に関して分かっていることは同じターゲットを追っていることだけ。スキルを使えば手段はなくはないが、レベル1の制約がきつすぎて現況ではまず空振りになる。しかも向こうはターゲット情報の更新によって僕よりも明らかに有利。
何より、こちらは絶対に目立つわけにはいかない。「拉致、殺害」という文字は見ただけで背筋が寒くなる。
人々の行動痕跡がコグニトーム上に残る現代、犯罪は基本的に無理ゲーだ。だが、そんな素晴らしく安全な世界はあくまで昨日までの常識。仮に僕がモデルで、今周囲を歩いている研究者を拉致したとして、僕を捕まえることは極めて困難だろう。
何しろ今の僕は『黒崎亨』という存在しない人間だ。コグニトーム上で偽装IDなんて警察にも想定外だ。さらに狙われた理由は『ニューロトリオン』という未知の粒子。犯行の動機すら理解不可能ときている。
例えるなら『クトゥルフ神話をモチーフにしたTRPG』で邪神降臨の儀式が行われているようなものだ。邪神召喚に成功したら世界が滅びるが、警察に通報しても相手にされない。「信教の自由は基本的人権です」で終わりだ。
一般市民である『探索者』が四苦八苦しながら邪神カルト集団を食い止めないといけないというのが実によくできた世界設定だと実感した。
そんな凶悪犯と直接接触する可能性を極限まで減らすのが最大の方針だ。ターゲット遺伝子を研究している研究者にも自分の研究がニューロトリオンと関わることを知られないのが望ましい。見も知らない科学者様を守ろうなんて正義感はない、モデルの行動が過激になってはこちらの危険も上がる。
となると目標の優先順位は『遺伝子配列』であり、その為にはその遺伝子が使われている『研究演題』を絞り込むことが第一になる。共通のターゲットである『研究演題』が分かればそれを監視することで比較的安全にモデルを見つけ出すことが出来る。
ここまではいい。TRPGの『探索パート』で僕がいつもやってきた流儀だ。ただし、今回の舞台はリアル学会、必要な知識系のスキルが存在しない。おまけに下手にネット検索でもすれば、藪蛇になりかねない。
ならば残った手段は人間経由だが……。
周囲を見る。
会場前で見たのと同じくバラバラの服装の男女がいる。学術集会という名称が想像させるよりずっとフランクな雰囲気だ。なのに誰一人として同じ世界の住人と感じない。ここにいるエリート様はアレを理解できるのだ。
そんな連中にどうやって話しかける。「あの緑と赤のアメーバ綺麗でしたね」って感じか? 間抜けすぎる、多分アメーバじゃないし……。
「どうしろっていうんだよ」
円形のカップに黒いさざ波がたった。冷めたのかコーヒーは湯気も出ない。完全に冷えた展開だな。気の利いたGMならお助けNPCを出すところだぞ。
手に持ったままだったコーヒーを口に運ぶ。酸味が喉に突き刺さった。周りで食欲を無くす単語が飛び交っているからではなく、冷めてしまったからだ。残りを飲む気にもなれず、カップをテーブルに置いた時だった。
「黒崎さんですか」
背後から突然声がかかった。背筋に冷たい汗が流れる。なんで僕の名前を知っている。まさか早くもシンジケートに見つかった。まだ何もしてないぞ。恐る恐る顔を上げて声の主を見る。
目の前には紺のスーツを着た黒髪の女の子がいた。本来の僕よりも一つ二つ年下、女子高生くらいの綺麗な女の子。ある意味僕以上にこの場に似つかわしくない美少女だ。
彼女はかろうじて頷いた俺に、小さく会釈した。
「初めまして。私は高峰沙耶香と言います」
2022年1月26日:
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