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9話 潜入Ⅰ ゲノムを読む機械の目 (1/2)

 白い壁に囲まれた正方形の狭い空間。下には生体サンプルの一種を受け止める陶器製の機器。俺は白いドアを背景に、脳内に投影される立体模型を確認していた。


 生体情報を分析するXome社の三階建ての建物。その一階の右端に並ぶ個室トイレの二番目、紫の点が俺だ。名前は墨芳徹すみよし とおる、科学機器の保守技術者だ。もちろん、偽の身分(カバー)である。


 ルルがオーバーヒートさせた遠心分離機の修理のため正面からXomeに潜入した。二時間かけて遠隔保守技術では手に負えなかった遠心分離機と格闘した。もちろん茶番だ、元々壊れていない機械の修理だ。そして、それが終わると帰り際にさりげなくトイレを借りた。


 それから一時間、時刻は夕方の六時だ。施設内を動く緑の点が一人、また一人と外に出ていく。退社するXomeの社員だ。現在残っているのは一階に二人と、二階と三階に各一人だけ。ちなみに記録上は墨芳徹もとっくにゲートを通過済みだ。


 キャラクターシートから【ニューロトリオン・ソナー】をパッシブモードで発動する。トイレの天井を貫通して斜め上に赤い光が見える。三階にいる一人と完全に座標が一致。八須長司やす・ちょうじという名のXome社員だ。ルルの分析どおりモデルであり、この施設の守り手。


 俺の仕事はこいつの監視を掻い潜り、ここで財団が集めている生体情報、おそらくDNA配列、を見つけ出すこと。潜入捜査スニーキングミッションだ。まさか現実のシナリオでやる羽目になるとはな。


 一階と二階の社員が帰ったのを確認、ゆっくりとトイレを出た。廊下を進む。一回の大部分を占める中央検査室は規則正しいモーター音と、点滅する小さな光が暗闇を演出する。


 この検査室は統一規格化されている検査をする場所だ。血液を血漿と血球に分離、俺が修理したふりをした遠心分離機の役目だ、そして処理されたサンプルはチューブに並び、全く同じに機械が整列する区画に運ばれる。

 ベルトコンベアからのサンプルを受け取るのは、透明な壁に囲まれた作業スペースに生えた二本の機械の腕だ。機械アームが重なったサンプルラックを引き寄せ、そこにもう一本の腕が液体を添加する。十二個のチップを連装ミサイルのように装備したピペットが規則正しい作業を終えると、最初の腕がプレートを掴み振動する板の上に載せる。


 サンプルと検査試薬の混合を終えたプレートはベルトコンベアの上を計測機器に流れていく、センサーを通過する瞬間、いくつものLEDが光った。測定が終わったプレートはそのままベルトコンベアで高温高圧処理機に向かう。


 ここで得られる情報は、病気の診断から筋トレの成果の確認まで、さまざまな判断に用いられるのだ。人間は自分の体内のことを自分で知ることはできない。人体という最も身近な生物が、すべて機械化されたルーチンによって処理される。情報工場インフォメーション・ファームという言葉通り、生体の一部を数値に変える工場だ。


 焼けた血の匂いが漂うように感じたのは錯覚だ。来る前に飲んだコーヒーの残滓だ。そう思いながら中央に進む。俺の目的は二階だ。


 二階は特別な工程や機器が必要な検査を行う。例えば血球からDNAだけを抽出して、それを使って配列を読む場合などだ。ちなみに、ここら辺の分析は沙耶香《OSINT》がやった。ルルがハッキングした天井の監視カメラの映像を見ただけで実験のタイプは分かるらしい。


 ちなみに、一階から二階への移動はエレベーターのみ。もちろん監視の目に触れる。外部者を入れないことが基本になっている。生体情報を扱う企業としての規定だ。実際には財団シンジケートの施設だ。入り込んだネズミを対策するそれ以上の仕掛けがあるだろう。ルルの調べではエレベーターには存在しない地下への移動があるようだし。


 向かうのは一階中央にある試料用の運搬装置だ。空母の飛行甲板エレベーターのように四角い台が上下する構造になっている。完全にサンプル運搬用で、人間が乗ることを禁ずるマークがある。

 乗ってしまえば重量異常が監視者に伝わる。使うのは二階へ続く穴としてだ。スキル【インセクト・フィンガー】を発動する。十本の指先に淡い光が灯る。脳のニューロトリオンを指先の感覚神経に流し、接地面の電子を操作することで、指と壁が磁石のようにくっつく。実際には分子間力の強化、昆虫が壁に張り付くのと同じ原理らしい。


 神経のオンオフで壁面にくっつくのと離れるのを繰り返せる。作業衣のズボンを引き上げて太腿を丸出しにする。指先ほどの密度はないが表面積が稼げる。太腿の接地で体重を支えつつ、左右の手を交互に動かして上に上る。昆虫というよりもヤモリだな。


 …………


 二階に上がる。目をつぶり施設の立体図を呼び出す。暗闇の中にワイヤーフレームのように壁と機械が映る。あらかじめ調査済みの監視カメラの位置が表示される。【インセクト・フィンガー】を切り、代わりに【立体聴覚バット・イヤー】を起動する。


 脳の視覚野に映るワイヤーフレームの空間の中に、両耳の強化聴覚がとらえた音が認識される。地面を移動している物体は五つ。三つは掃除機ロボだが残りの二つは警備用の円筒型のドローンだ。空中にも一台のドローンが浮遊している。移動する監視ロボは固定設置された監視カメラの死角をカバーするように巡回している。


 目をつぶったまま死角が復活するタイミングで、飛び石のような経路で目的地へと近づく。経路はナビゲーションされるので、タイミングだけに集中する。機械学習された警備機器はまともな人間を認識するように躾けられた番犬だ。


 だから、俺の最大の障害はこいつらではない。


 半分まで来たところで動きを止め、頭を上に向ける。ボヤっとした赤い光の焦点があい、モデルの位置が認識される。通常、パッシブソナーは相手を視認していない限り、距離が分からない。だが、今回は上の間取りが分かっているので、DPCの強さで距離が逆算できる。


 DPCから細い光の線が四方八方に繋がっているのが分かる。その内の十個は動いている。センサーとドローンを制御しているのだろうか。ルルの事前調査で戦闘記録がないことから、ある程度予想されたが拠点監視型らしい。


 大量のセンサー情報をDPCという超高性能のBMIで制御するのは驚異的な能力ではある。だが、それだけならコンピュータでも真似ができる。向こうが目を光らせているのは敵対するモデル、つまりDPCだ。センサーやドローンは感知したDPCから情報を得るため。


 事前に想定した通りの運用だ。俺は探索用の、基本的に体内で完結するスキルだけを使っている。【ソナー】でモデルの監視の目を掻い潜り。【感覚強化】で監視機器を躱す。順調だ。やはりレベル2はいい。


 一つ懸念があるとしたら、敵の注意が三階に集中していることだ。俺の目的地は二階。目的地が間違っているのか?


 いや、潜入中にごちゃごちゃ考えるのは危険だ。とにかく今はルルのナビゲートに従おう。目的地に着けば、答え合わせは出来る。


 監視を掻い潜り、設定したルートを這うように進む。いくつかのブロックに分かれた二階のフロアの中で、壁際の一画にたどり着く。


 他のブロックと違って電子錠が設置してある。電子錠を開錠しようとした時、手が止まった。頭上の赤い光が移動したのだ。


 モデルはゆっくりとした動きで上階を移動する。経路的にはまさに今俺がいる場所に向かっている。赤い光が真上に止まった。黒い静寂の中「ごくり」という唾をのむ喉の音が焦りを増強する。


 緊張に固まる中、モデルの光が離れていく。そのまま同じ経路で最初の部屋にもどった。


 改めて電子錠に向かう。虹彩認識があっさり侵入者の入室を許可した。コンピュータの画像認識は人間なら感知できないほどの小さなノイズで劇的に歪むという性質を応用しているらしい。ちなみに、監視カメラに人間の個体識別を間違えさせるにも使えるそうだ。


 我が卓のSIGINTは本当に有能だ。


 ゆっくりとドアを開けた。


 部屋の中には一台の機械が設置してあった。家庭用冷蔵庫くらいの大きさの白い台形の機械。四本の黒塗りされたチューブが繋がっている。横のモニターには黒地に無数の光点が映し出されている。光点は赤、青、緑、黄色の蛍光で、数十秒ごとに色を変えていく。


 沙耶香からレクチャーされたとおりの科学機器の姿だ。DNA配列を高速で解読するハイスループットDNAシーケンサーだ。この中に、俺達の目的のデータがある。

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