2話 デートⅡ 恋人判定 (2/3)
ホログラムで『3』と表示されたドアが開いた。目の前には静かで落ち着いたフロアが広がる。渋谷グランドバレー三階はプライベートブランドを集めた階層だ。まるでダンジョンのように、小さめのテナントが複雑に並ぶ通路を歩く。
ドラゴンの巣を攻略した冒険者が開いたような店、要するに宝飾店の前に着いた。スコア的に見れば中堅の彫金アーティストグループの品を扱うようだ。
「ここですか?」
「そう。小さなアクセサリーを一つ選んでほしい。今日の記念にプレゼントする」
小さな光がきらびやかに並ぶクリアケースを前に沙耶香は首を傾げた。初手でファーストフードを選択した男のエスコートとしては意外だろう。
「えっ、でも……」
「大丈夫、ちゃんと目的はある」
テックグラスに浮かび上がる値段は社会人なら届くクラスだ。彼女の立場を考えると不自然ではない。それにウォレットには十分な軍資金がある。もちろん他のGMの金である。いや、今回のシナリオの報酬こみだから、僕のだと言えば言えるんだけど。
「……わかりました。ええっと、どれがいいと思いますか?」
沙耶香はしばらく迷った後で聞いてきた。しっかりデートルックの彼女だがアクセサリーのたぐいは一つもつけていない。その服を選んだセンスで決めてくれればいいんだが。
「この服はさっき言った高校の時の友人が、彼女の友人と一緒に選んでくれました。私はお金を出しただけです」
「…………わかった。じゃあそうだな、ジャンルだけでも決めてみよう」
指輪、首飾りのクリスタルケースを通り過ぎ、端の方に向かう。耳に付ける装身具を集めたコーナーだ。この“アイテム”の目的を考えると、これが最適だと思う。あとは……光る針に一瞬怯む相方を確認して、ピアスのケースを通過、その隣の小さな箱の前に立つ。
「ここはどうかな」
アルファベットの”C”の形の小さなアクセサリーが並んでいる。一見イヤリングに見えるが、耳たぶを挟むように装着するタイプだ。
「イヤーカフですか」
「ああ、高峰さんは素で綺麗だから。派手なアクセサリーより、さりげなく覗くくらいがいいと思う。ピアスも開けてないみたいだし」
「………………。あ、はい。そこまでしてアクセサリーを付けたいと思ったことが無くて」
沙耶香は神妙な表情でケースの中を見る。最初難しそうな顔をしていたのだが、その瞳に段々と宝石の煌めきが反射し始めた。思わず見とれそうになる。彼女は店員に二つのケースを取り出すように頼んだ。
そしてあろうことか僕の前にその二つを並べた。
「どちらがいいと思いますか?」
「……」
来た。これは名高い孔明の罠だ。我が従妹曰く女の子の“これ”は決して男の意見を求めているのでも、選択を委ねているのでもない。「あなたなら私がどちらを好きかわかるよね?」という試験なのだという。
それを聞いた時に僕は思った。万が一そんな機会が来たらダイスを振ろうと。ダイスの女神は女性だからして、僕よりもまともな選択をするはずだ。だが、残念ながら今手元にダイスはない。
女の子らしいピンクゴールドと、上品なシルバーゴールドの二つの輝きを前に、究極の謎かけだ。
…………
「こんな感じでしょうか」
店を出てすぐ、彼女は僕に向かって右手で髪の毛を掻き上げて見せる。黒髪の下に隠れていた耳が露わになると共に金属の輝きが覗いた。シンプルなリングタイプの形状、その色はピンクゴールド。
「あ、ああ、うん。必要な時はそんな感じで“合図”してくれればいいから」
そう、これは秘密の合図、いわゆる密偵の符牒だ。周囲に気取られることなく、何らかの情報をやり取りするための取り決め。つまりこのアクセサリーは単に必要な道具なのだ。だからこそ上品なシルバーよりも、少し外したピンクゴールドを選んだ。
それが艶やかな黒髪と白い耳のアクセントとしてここまではまるとは思わなかった。何よりも、女の子が自分の贈ったアクセサリーを付けている姿がこれほど来るとは。慣れないロールプレイはこれだから侮れない。
思わず「似合ってる」と似合わないことを言いそうになった時、テックグラスに特別な表示が点灯した。また判定かと思ったが、数字ではなく赤色の警告だった。
「あれ、もしかして高峰さん?」
赤い文字列を読む前に背後から声が掛った。振り返ると高校の制服を着たショートカットの女の子がいた。
…………
プライベートブランドのフロアから一階降りたシックな空間に僕と高峰沙耶香は座っていた。沙耶香の前にはレアチーズと紅茶、僕の前にはコーヒーがある。要するに高級洋菓子店だ。
イベントの性質を考えれば向かい合うべき僕達が並んでいるのは、向かい席には女子高生が陣取っているからだ。ちなみに彼女の注文は苺のタルトだ。
「それで高峰さんはこの人のどんなところが好きになったの?」
しなやかな足を組んで座る女子高生はショートカットの髪の毛を小さく揺らしながら身を乗り出すように聞いた。前髪の一房だけが赤く染めているのが、今の僕の目には毒々しい。
「っ、いきなりだな」
「あれ? たわいない恋バナですけど。全くそう言ったことに興味がなかった高峰さんを射止めた男に興味を持っただけですよ。おかしいですか?」
反射的に止めた僕に、JKは机に着いた両手に顎を載せ、品定めの視線を送ってくる。こんなことで動揺するなんて、と言った感じか。『心理学』か『目星』を成功させたかのごとき疑惑の目が怖い。何しろこちらにとっては興味本位で聞かれていい話じゃない。
まさか任務中に関係者に出くわすとは。『遭遇表』でファンブルを出したのは誰だ。
このJKの名前は古城舞奈。私立桜嶺高校の三年生。白いブラウスとチェックのプリーツスカートの制服が均整の取れた肢体を包んでいる。胸元を飾る紺色のリボンタイは緩められていて、二つボタンが外れたブラウスの隙間がいささか目の毒だ。テーブルの下で組んだ足は、しなやかで張りがある。
桜領は高峰沙耶香の母校である。二年生時のクラスメイトで、飛び級で転入した沙耶香の世話を焼いた人物が、この古城舞奈というわけだ。SEAMハイスコアの受け入れ校だけあって、ただものではない。正確に言えば父親がやばいのだ。ルルから緊急に送られてきた情報をチェックする。
父親の古城晃洋は自衛軍の一佐、つまり幹部だ。十年前の要塞都市同時テロでは邦人救出に赴いた経験を持ち、現在は内閣情報局に出向中。ちなみに内閣情報局は、コグニトームにより情報を巡る基盤が変化したことに対応して出来た部署だ。
要するに国家の情報管理に関わる領域、それも商業のみならず行政の情報もコグニトームが押さえている中で、最後に残った聖域である軍事関係の。
そんな怖い父親を持つお嬢様は沙耶香に笑顔を向けながら、時折鋭い視線をこちらに送ってくる。元クラスメイトの隣にいる男に納得できないようだ。
確かに不釣り合い感が半端ない。出くわした時、上から下までさりげなくサーチされた。特に昨夜の戦いの汚れが残ったスニーカーで視線が止まっていた。そう言えば昔従妹に、シャーロックホームズが、些細な服装の『目星』から人物を言い当てることの凄さを説明した時。「えっ? 女の子ならそれくらい日常だよ」とあきれられたっけ。
何とか誤魔化してくれと設定上の恋人にサインを送る。彼女のキャラを知らない僕に対応は難しい。実際に見ると、先ほどファーストフードで聞いた話とずいぶん印象が違う。
「ほらほら。まさか一時の気の迷いでもないでしょ」
「ええっと、そうですね。彼はとてもやさしい人で……。そう、それに信念があって勇敢なの」
「ふうん。人は見かけによらないんですね。でも、以前聞いた男のタイプとは違うけど」
偽装恋人が言っているのはあくまで昨日の黒崎亨だ。彼女なりに状況に合わせるため、かなり盛っている。ご友人の『目星』の方がずっと正確だ。あと、沙耶香の男の好みなんて僕は知らない。
どうロールプレイしろと。せっかくちょっと持ち直したかと思っていたら、NPC一人で難易度が跳ねあがった。
「じゃ、いったいどんな形で知り合ったのかな?」
「ええっと、彼が私が参加した学会に取材に来て。その時、研究のこととかで質問されて、それがきっかけなの」
沙耶香は頑張っている。だが、実際は昨日初めて知り合った関係。半日とは思えない濃い時間を共有したが、口に出せない。
「学会……。そういえば以前にタイプを聞いた時、理知的な人って言っていたよね」
「そうなの彼は凄く理解が早くて、それで話していると楽しいの」
もしかして納得してくれるか、そんな儚い希望を持った。だが、JKはまっすぐこちらを見た。揺れるショートカットの先端がダガーのようにとがって見える。
「それはそうと。才能があって将来有望。それに綺麗で若いお人よし。男性にとってはこれ以上ない獲物ですよね。もちろん貴方がそうだというわけではなく、一般論ですけど」
えらく狭い世界の一般論だ。具体的には四人掛けテーブル一つ分くらいか。
彼女はまったくこれっぽちも納得していない。完全に僕が沙耶香をたぶらかしていると思っている。即席の、それも不釣り合いの僕たちの演技なんて本職《JK》からしてみれば穴だらけだろう。
ただでさえ残り時間が少ないのにどう対応すればいい?
2022年3月27日:
次の投稿は3月30日です。