2話 デートⅡ 恋人判定 (1/3)
「そういえば、君もこういうところはよく来たのかい。ほら高校のときとか」
超高難易度の現実を再確認したからには、隠蔽工作をしっかりしないといけないのだ。
それにこれから同卓? となる以上、彼女のことも多少は知っておくべきだ。『アレクサンダーメダル』とかそういうことじゃない彼女を。TRPGは相性がかなり重要だからな。
「そうですね。これは私が丁度ここのようなお店にクラスの人たちと来た時のことでした」
彼女は少し遠い目をしたあと、そんな風に語り始めた。なんでJKがクラスメイトとお茶をした話をホラーみたいな語り口で?
「そこで人体に有害な化学物質……コスメの話になったのです」
語り口だけでなく、内容まで不穏になってきた。
「……皆さんが肌の細胞のターンオーバーを気にしていたので、その化粧品が一時の表面上の効果と引き換えに将来的に悪化させる可能性があるという話をしたんです。最近の老化研究では若い時からのそう言った蓄積が将来的に与える影響が証明されているので。それで、私の話が終わると場が静まり返ってしまっていました」
「な、なるほど……」
彼女の言ったことは生物学的には正しいのだろう。だが条件が悪すぎる。これだけ綺麗な子に「化粧品なんて意味ないですよ」と言われたクラスメイトの心情を思えば軽いホラーだ。僕だって自分で「SEAMはいくら高収入でもストレスが多くて大変そうだ」と言うのと、当のSEAMから「金があっても幸せにはなれないんだよ」と言われるのは全く違う。
ただ……。
「あまり楽しい話じゃないですよね。さっきの話も今思えば私、灰谷さんがついて来てくれるのをいいことに、独りよがりだった気がします」
「いや、あれは打ち合わせだから」
奇跡的にリアル知能判定の連続成功が続いたことを、ついてきたと言われるのはともかくとして、僕は彼女をフォローする。
「ええっと……。そうだな、これは勝手な推測かもしれないけど。その時も高峰さんなりに丁寧に分かりやすく説明しようとしたんじゃないかな」
「あ、はい。それは、なるべくそうするように気を付けていますけど……」
「うん。昨日の学会での高峰さんの“仕事”では、少なくともそういう気遣いは伝わってきたから。その場にいた人たちの中にも、わかってくれる人はいたんじゃないのかな」
沙耶香の表情の影が薄まった。
「その時、場を取り持ってくれた人が同じように言ってくれました。スポーツが得意でいろいろな運動部で頼りにされていた人で、それ以来お話しするようになって」
「いい友人がいたんだね」
「はい。私が大学に入ってからは研究ばかりでこの半年ほとんど連絡も出来てないですけど」
どうやらクラスでも信望のある女の子が彼女をフォローしてくれたらしい。完全に孤立していたわけではないことに少しほっとする。まあ将来のSEAM確定人材を敵に回すなんて、そうそうないんだけど。
「ええっと、次は白野……灰谷さんのことを聞いてもいいですか?」
「僕? 僕のことなんか話しても仕方がないと思うけど。平凡な大学生ってくらいだから」
「平凡ですか?」
「そう平凡。正直言って目的もなく大学生をやってる。将来は公益法人にでももぐりこめればと思ってた。いや、今でも思っている。後は趣味がTRPGってくらいかな。で、そのおかげでRoDのテストプレイヤーに選ばれたわけなんだけどね」
そう説明したが、高峰沙耶香はじっと僕を見る。
「ルルさんと私でもう一つ認識が一致したことがあります。昨夜のあの状況では私のことは見捨てるべきだったということです。昨日のあなた、ええっと黒崎さんはそうしませんでした。平凡な人の行動には思えません」
「君たちは何に同意してるんだ。じゃなくて『黒崎亨』はそういうキャラなんだよ。僕とは全然違うんだ」
これはちゃんと誤解を解いておかないといけない。自分の信念の為にあったばかりの他人を命がけで助ける、そんないかれた人間が現実にそうそういてたまるか。いや、いてもいいけどそれは僕じゃない。
「でも、同じ人ですよね」
「だからそれがロールプレイだというか。あの時の僕は自分のことをそういう人間だと思い込んでいるというか……」
あれ? 冷静に説明しようとするとめちゃくちゃ痛いぞ。
「そうだなVRゲームを知ってるよね?」
「はい。VRゲームの様々な形式で、脳の活動パターンがどのように変化するかを研究した論文を読むときに、いくつかのVRゲームを観戦しました」
知ってるの定義が無駄に学術《SEAM》的だ。でもこれで説明はしやすい。
「VR上のキャラクターは魔法が使えたり、格闘の達人だったりする。でも、それを操作している人間が魔法を使えたり、武道の達人だったりするわけじゃない」
「あの、先ほど話した友人はVRアーツで実績を上げていました。お父さんの影響で小さいころ剣道をしてたとか」
「VRアーツ。モーションセンサーで体と連動してってやつか。ええっと、あれとTRPGは対極だよ。全部頭の中でやるんだから。現実の僕はそれこそ何もできない」
「でも、昨夜の戦いは現実でした」
「あれはスキルのおかげ。体をバリアみたいなので覆ってたから」
HPがあるうちはヒーローの演技が出来ても、かすり傷一つで凡人に戻りかけた。
「ちなみに最後君をかばったのは、反射みたいなものだから」
「…………RoDのシステムのことはある程度はルルさんから聞いています。じゃあ、学会での『探索』はどうですか。科学の問題でしたよね」
「それこそ高峰さんの助けがあればこそだっただろ。しかもスキルの力で、敵の行動を探って到達したんだ。そうだな……例えばだけど、黒崎亨があの時持っていた情報を全部君が知っていたと考えてほしい。君はスキルなんか使わずに僕より早く答えにたどり着いたはずだ」
ハンドアウトを一読して「うーん、この数字だと考えられることはFRETですね」という彼女が容易に想像できる。
「私は専門家です。自分がスパイだと思いこめば、難しい問題を解けるんですか? ルルさんは少なくとも現時点では知能を向上させるスキルはないと言っていましたけど」
「ええっとそれは……。そう、役にも得手不得手がある。僕の場合ああいうスパイ的なキャラが得意なんだ。科学ではなくて、クイズゲームをやってる感じだ」
それだってゲーム内だけだ。現実であんなふうに計画を練って動けたら世話ない。大体、能力というものは目的があってこそ力を得る。高校の時のTRPG仲間に「白野の本人スキルはキャラクターの時にしか働かないのか?」なんて言われたことがある。
現実は複雑でシナリオのような明確で単純な目的は設定できない。富だの名声だのが絡みつく。現実の僕は膨大で複雑な情報と、しがらみ、そして無限の選択を前に立ちすくむだけだ。誰だってノイズのない環境なら全力を発揮できる。だが、それが本当の実力であるはずがない。
「私のことを助けようとしたのは?」
「黒崎亨の信念の問題だ。ちなみに僕自身には現実の信念なんてない。成し遂げたい目標とかそういうのはないんだ」
だから、昨夜の“俺”をリアルで期待されたら困る。いやロールプレイとしても昨夜のあれはいくら何でもいかれていたと思うくらいだ。普段の俺はあんなヒロイックなスタイルじゃない。あれか、ヒロイン役のAPPに当てられたか?
「ほら、今の僕は昨日とはだいぶ違うだろ」
「確かに今の灰谷さんは昨夜みたいな頼りになる男の人って感じじゃ……あっ」
高峰沙耶香は思わず口を押えた。僕は笑顔を作って応じる。
「こっちが本物なんだ。いや、あっちの時だって気を付けないとロールプレイが崩れる」
彼女は脳の解明という困難で明確な目的にその優れた本人能力を注ぎ込む。現実をゲームにできる人間と、ゲームでしか現実が出来ない人間、僕と彼女の間には越えられない壁がある。
大体、昨夜僕が守ろうとしたのはTRPGプレイヤーとしての自分だ。そこを勘違いしては何時か大失敗につながる。
「確かに昨夜の黒崎さんと今のあなたは違う……。でも、それでも私を助けてくれたのはあなただとも感じます。うまく言えませんけど……」
沙耶香は自分の胸に右手を当ててそう言った。彼女らしくない曖昧な言葉だ。そして意味が分からない。むしろ正反対に近い。
もう一度そういう風に説明しようかと思った時、小さな駆動音がした。接客ロボが一体がこちらに近づいてくる。ロボは僕に前面にあるモニターを向けた。
テックグラスにアイコンと数字が表示された。クーポンなんていらない。表示を消そうとした僕は、その内容に絶句した。
ため息をつく狐のアイコン。そこからの吹き出しに『18/100 >= 80』の数字と『守銭奴?』の文字。その意味を悟った僕の表情筋が痙攣する。
「どうしたんですか?」
「僕たちのデートは18点だそうだ。百点満点で。80点ないと隠蔽に支障があるらしい」
なんでRMにデートの採点をされなきゃならない。いや、これはそういうシナリオだった。つまりこの点数は『偽装判定』だ。あだやおろそかには出来ない。
「どうすればいいんでしょうか?」
「もっとデートっぽいことをしろということなんだろうけど……」
戦犯は僕だろう。格好はグダグダ、食事にファーストフードを選択。彼女がちゃんとした格好をしていなければ、それこそ仕事の打ち合わせに見えたかも。意図的になれないロールプレイから逃げていた気もする。
ちらっと彼女を見るが、明らかに途方に暮れている。
映画とかのスパイはこういう時どうしていた。ホテルに連れ込むとかは無しで。大体、そのイベントはもう終わった。一日に二回も濡れ場ではスパイ映画じゃなくてポルノになる。
そもそも映画を参考にしている時点でアウトか。あれは男性向け、美女とのデートシーンは男にとっての理想だ。女性の買い物で延々と待たされている英国人のジェームズ氏なんてシーンはない。シャーロック氏なら美女を放って帰るのが正しいロールプレイだ。
いや待てよ買い物か、もしかしてあのシーンなら……。
「一つ思いついた。次の場所も僕に任せてくれる?」
「えっ、あ、はい。お願いします」
沙耶香と一緒に店を出る。テックグラスでフロア構成を確認してエレベーターに向かう。次は守銭奴とは言わせない。
2022年3月24日:
次の投稿は3月27日です。