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2話 TRPG

2022年1月20日:

本日投稿の3/4です。

 階段を上がると冷たい月明かりが照らす白い廊下に出た。入手した波長情報をゴーグルに入力、無人の廊下を走る赤外線レーザーを避けながら目的のドアに向かう。


――防犯装置の回避成功――


 目的区画のドアに到達。仮眠中だった一階の研究員から奪ったカードを通す。


――君の耳にはロックが解除された音が聞こえた。ここで【察知判定(ロール)】――


 微かな機械音が耳に届く。廊下の向こうから監視用の四足ドローンが近づいてくる。急いで中に入り、ドアを閉める。


――回転するクリスタルのカメラは廊下の向こうに引き返していった――


 窓一つない暗い部屋。奥の分厚いドアについた密閉ハンドルを引く。赤外線ライトが黒い冷気が床に流れ落ちるのを捉える。霜に覆われた引き出しの前面の二次元コードを照会。ある主任研究者の棚を引く。


 小指の先ほどのシリコンチューブが96本整列したラックを取り出した。この中の一つが今回の俺の仕事シナリオの標的だ。


黒川遼一「GMマスター、【知識:生物学】で判定ロールしたい」

GM『補正マイナス60で』

黒川遼一「待ってくれ。俺の【生物学技能】は55しかない、【自動失敗】じゃないか」


――君が迷っている間に超低温保管庫ディープフリーザーの温度は上がっていく。後数分で警備室のアラームが鳴るだろう――


 抑揚がない澄んだ声で容赦ない“描写”がされる。この世界ゲームでは彼女(GM)が白といえばカラスは白いし、彼女が馬だと言えば枝角を被った動物が馬だ。つまりあと少しで武装した警備員が殺到してくる。ソロの俺にとって絶体絶命の未来に見える。


 彼女の示した状況にどう反応するかはキャラクターに委ねられている。その結果次第で未来も変えられる。このGMマスターはアンフェアではない、つまりどこかに道があって俺はそれに気が付いていない。


 空間を探り手に当たった現実コーヒーを一口飲む。味覚を刺す苦味に意識が研ぎ澄まされる。これまでの過去シナリオを思い出せ。現在を把握しろ。成功する未来を創造イメージするために。


黒川遼一「……ここに来る前に森本教授(NPC)から聞き出した情報、あれが使えるはずだ。確か目的の細胞(ターゲット)には特殊な標識マークがされているという話だった」

GM「……」

黒川遼一「この手のサンプルは素早く扱う必要があるはずだ。この冷凍庫の近くにそれらしい実験機器がないか『目星』を付けられないか」

GM「その二つの条件に気が付いたなら、生物学プラス20でロール」

黒川遼一「よし。頼むぞ」


 空中に現れた二つの十面ポリゴンダイスを掴む。カラカラと気持ちよい音を立てて回転する。一つ目が『6』二つ目が『5』を上にして止まった。


黒川遼一「65/75。成功だな」


――君は保管庫の近くにちょうどラックが入りそうな機器を見つけた。君がラックをセットすると76番が緑色の光を灯した。サンプルである培養細胞に組み込まれたレポーターが反応したようだ――


黒川遼一「76番のチューブをダミーと入れ替えてからフリーザーにもどす」


――君がドアを閉めると、ディープフリーザーの温度上昇は穏やかになり、やがて規定値に向かって下がっていく――


…………


――君は地下の通気口から地上に出た。目の前には炎を上げる研究所が見える。モーター音とともに君の側にバンがとまった。運転席には森本教授の姿が見える――


黒川遼一「保冷箱のサンプルを森本教授(NPC)に渡す」

GM「翌日まで時間を飛ばすよ」


――培養槽から昨夜のサンプルを播種したシャーレが取り出された。君が倒立顕微鏡をのぞくと分裂を始めた培養細胞が見える。強化型タンパク質を生産する細胞は完全な形で入手された。すぐに君のアカウントに報酬が振り込まれるだろう――


GM「おめでとう、君は見事ミッションを達成した」

黒川遼一「よし」


 ガッツポーズを決めたアバターの影が仮想空間に表示された研究施設の写真に重なった。


 …………


 ライトグレーの空間に表示されているのは平面画像一枚。その写真の前にあるテーブルに、僕とGMの二体の仮想実体アバターが座っている。さっきまでの架空世界ゲームを思わせるものは写真に写った研究所のみだ。


 せっかくのVRがもったいない?いや、これで十分だ。


 黒川遼一はキャラクターシート一枚、世界は一冊のルールブック。このゲームのハードは僕達の頭なのだ。昔はテキストでやり取りして対面より三倍時間がかかったというオンラインセッションも、VRのおかげで同時間で済む。


 向かい席のGMが狐の仮面を外した。腰まで伸びた金色の髪の毛と紫の瞳の十代半ばの少女。蠱惑的で無邪気なその姿は一目で優れた造形者モデラーの作品と分かる。テックグラスに示されるIDに独占使用権が認識できる。このクオリティーの一品物っていくらするんだろうか。


 彼女は透明感ある紫の瞳で僕を見ると小さな口を開く。


「最後のセッションはどうだったかな?」

「最高に楽しんだよ。ここまでキャラクターに入り込んだのは久しぶりだ」


 マスタリング時と打って変わった明るい声に僕は答えた。


 GM、ゲームマスターは大量の設定とルールを理解して、ゲームが始まれば複数人のNPCを演じながら複数のプレイヤーに対応する。プレイヤーは人間でありその行動は頭の中のイメージ。つまり事実上何をするのかわからない。


 傍から見れば映画監督に似ているかもしれないが、実際はサッカーの監督の方が近いだろう。しかも今回のシナリオは彼女の自作オリジナルであるとても精巧なものだ。


 廃ビルで落ち合った別々の組織に属する五人が共通の目的のために手を組み、秘密の研究所に潜入する設定で、プレイヤー同士が潜在的には対立関係という凝ったものだった。


「特にデータとかシナリオ進行とか、管理面はホント完ぺきだったと思う。描写も簡潔でわかりやすかった。特にクライマックスの研究所の描写は真に迫っていたよね」

「ルート管理とか例外処理は得意だから。あと研究所は私がいる施設を使ったからだろうね」

「ああ……なるほど?」


 IDの開示情報を見る。十六歳の女の子が研究所みたいな建物に住んでいる? まあ、普段生活しているスペースなら管理しやすいのは分かるか。


「ただ判定がちょっとシビアすぎかな。ロールの度にロールプレイを要求されるのは難易度が高いと思う。ただでさえシナリオも専門知識なんかで情報量が多かったし」


 初回はプレイヤー五人でスタートしたセッションが三回目の今回残ったのは僕だけ。前回は自棄になったプレイヤー、僕以外の最後の一人、が敵組織に寝返った。ちなみにそのプレイヤーが持っていた推奨技能が『知識:生物学』だった。そもそもメイン火力担当が早々にロストしたので、力押しという選択肢が奪われた。


 少女アバターは小さく首を傾げた。


「TRPGは脳の想像力を駆使して架空の世界とその世界を認識して行動をシミュレーションする自己意識を作り出すものじゃないの?」

「シミュレーション? ああ、いや確かにその通りだよ。うん、ロールプレイ派としては歓迎なんだけどね」


 キャラクターは駒ではない。その世界の自分だ。そうでなければ、脳の想像力をフルに活用するゲームである意味がない。だからこそTRPGは想像の限りどんな展開にもなりえる。


 今回も、もともと別々の組織に所属するという導入だったし、あの裏切りもありの展開だった。


 実際、GMは裏切りを認めたし、その後のマスタリングも僕にもその一人にもフェアだった。裏切ったプレイヤーも最後はノリノリだった。僕としてもシナリオ上のクライマックスより彼との戦いが一番盛り上がった。


 ギリギリの状況で脳内に浮かんだ世界の中で、決められたルールを使って最善の未来を探求する。脳みそがフル回転すると感じる。あの時僕たち三人は間違いなく一つの世界ドラマを作り上げていた。


 そう言う意味で彼女のマスタリングは僕の為にあるようなものだった。


「他には?」

「ええっと、そうだな……。街中とかちょっとおかしな判定があったかな。ほら、無人バスが街の中心部に通じてないとか。シナリオ上の都合があったのかもだけど」

「それは純粋に設定ミス。バスに乗ったことがないし、ここ六年ほどベッドから出たことなかったから。デジタルツインを使って計画したけど無理があったみたい」


 屈託のない言葉で重い事実が告げられた。つまり、彼女のいる研究所のような施設は……。


「もしかして入院……」

「おおむねそのイメージであってる。実は今の君との会話はすべてBMI越しなんだ」

「脳波キーボードとか? でも、やり取りは全然ラグとかなかったような」

「論理層に近いプログラミングで補助してるからね」


 もしかしたら高価なアバターは外に出られない代わりか。なるほど、TRPGはある意味理想的な娯楽と言えるかもしれない。


「ええっと、最初言ったように僕個人としてはとても楽しめたよ。これまでの自分のロールプレイの中でも一、二を争う出来だった。次のシナリオがあったらぜひ参加したい」

「残念だけど今回が最後になりそうなんだ」

「それって…………」

「君の想像しているのとは逆だね。いや、半分は関係しているともいえる。実は今ルールブックを作ってるんだ」

「ルールブック、作っている……。自作システムってこと?」

「うん。頭の中に本来の自分とは別のもう一つの意識キャラクターを作り出し。そのキャラクターを通じて特別な能力を使うというコンセプト。そうだね、君に分かりやすく言えば“ロールプレイ”と強さが比例するシステムかな」


 このGMの自作システムというだけで興味をそそられる。しかも、極端にロールプレイ重視の尖ったコンセプト。


「ベータ版まで持ってきたんだ。これ以上のバージョンアップにはテストプレイが必要と判断していてね」


 蠱惑的な瞳が真っすぐ僕に向けられた。思わずつばを飲む。低性能のマイクがその音を拾ってVR空間に届けた。


「テストプレイヤーを引き受けてもらえないかな」

「もちろん、喜んで協力させてもらうよ」

「はやいね。いや助かるよ。ええっと、じゃあまず報酬の話を……」

「報酬? 何を大げさな」


 まるでSEAMエリートの世界の話だと僕は笑った。いやまあ、彼女の才能を考えれば将来はプロのクリエーターでもおかしくないか。


「でも、秘密を守ってもらう必要がある。それにテストシナリオの想定だけど二日ほど拘束する必要があるんだけど……」

「二日ね。自慢じゃないけど暇な大学生なんだ。二日潰すくらいなんでもない」


 僕は力を込めて言った。もしかしたら将来有名になるシステムってこともありうる。そのテストプレイに参加したなんて、一生の自慢になるかもしれない。


「でもね……。ああ、そろそろ巡回の時間だ。わかった、ルールブックの試作版に説明を追加してから送ることにしよう。それを読んでもらってから改めて話をしよう」

「送る? ああ了解。楽しみにしているよ」


 答えを確認すると、GMのアバターはVR空間から瞬時に消えた。


 後から考えると僕はこの時もう少し考慮すべきだったのだろう。彼女は一度もその『ルールブック』がTRPGのものだとは言わなかったのだから。

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