16話 レベルアップ(前半)
ベッドに放り投げていた参加証を取りスケジュールを確認する。現在時刻は18時50分。会場では夕方の口頭発表が始まっている。18時から20時までの夕方の口頭発表の最後、19時45分から20時00分までの十五分が高峰沙耶香の発表だ。さっきの映像は彼女が自分の発表会場である三階会議室に向かっていた姿だろう。
このホテルから国際会議場ビルまで急いで15分。となると準備時間は約一時間となる。
今からやる行動リストを考えるとギリギリもいいところだ。全てのステップを迅速かつ必要なクオリティーで進めなければいけない。まずはレベルアップについて把握する。
「そもそも『レベルアップ』ってどういうことだ?」
RoDは現実が舞台だ。キャラクターは俺の体そのものだ。レベルアップというゲーム的な変化がイメージできない。大体、経験値ってどうやって産出するのか。
「RoDのキャラクターはニューロトリオンを認識、操作可能な意識だという説明はしたよね」
「クオリアだったか」
「そのニューロトリオン・クオリアが鍵だ。今回のテストプレイで君は『ニューロトリオン』にまつわる【スキル】そして【モデル】についてその身をもって体験した」
ルルの言葉にうなずく。用いたのは基本スキルと探索中心の地味なものばかりとは言え、ある種の異能者としてこの半日を過ごしたことは間違いない。
「つまり君の認識する世界と自分のイメージ、つまり意識の中にニューロトリオンという存在がより深く組み込まれた。RoDルールブック的に言えば、君のニューロトリオン・クオリアの数値はレベル2のスキルが使用可能な水準を超えている。実際、ボクの姿が前よりもしっかり見えているはずだ」
「つまりキャラクターとしての今日の体験が、文字通り経験値ってことか」
シナリオとしては地味な探求オンリーでも十分な意味があったわけだ。それはいいが、今の説明ってある意味『侵食率』や『クトゥルフ神話的技能』が上がったことを意味してるよな。
「じゃあルールブックを開いて」
キャラクターシート、脳内のホムンクルスが手に持つルールブックを開くのをイメージする。脳の視覚野に映るルールブックが、目の前に半透明のページとして認識される。空中に浮かぶ金髪のRMから光の帯が伸び、ルールブックにページが追加される。追加されたページに書かれたスキルを見る。
レベル1では自分の身体や感覚を強化するための地味なスキルが目立ったが、レベル2になると異能らしい異能が増える。特に戦闘専用スキルが一気に増えた。この中から習得するスキルを選択するわけだが、まずはシステムの基本を理解する必要がある。
「確認したい。レベル2になったということはレベル2のスキルを単独で使用できるだけじゃなくて、レベル1のスキルを二つ同時使用できるってことでいいのか」
「そう理解してくれていい。ただし、レベル1以上のスキルはニューロトリオンの消費量が大きい。君のニューロトリオン量も制約になるのは気を付けて」
完全に魔力《MP》だな。リソース管理がより難しくなる。まあ、戦闘ルールというのはそういうものだけど。
「レベル2で一気に増えた【戦闘専用スキル】。これの使用条件「ニューロトリオンが周囲に存在する状況下に限る」というのは?」
ちなみにキャラメイクで戦闘スキルは一つもとっていない。探索オンリーで済ませるつもりだったし、使いこなせる自信がなかったからだ。
「モデルが本格的にDPCの力を使うにはそこにディープフォトンが展開される必要があるんだ。どれだけ高い『歌唱スキル』があっても真空中では使えないだろ、この空気に当たるのがDP」
「異能物や魔法少女の定番のフィールドってやつか」
「そう、ディープフォトンフィールド《DPF》だ。このDPFはタワーの生み出すDPを大量に消費する。レイティングがレア案件じゃないと使用されないのはそのためなんだ」
「DPFについてもっと詳しく。まずはモデルがその中でできることだ」
「モデルのDPCはフィールド内に存在する原子やエネルギーを操作できる。脳に埋め込まれたDPCマスターコアが生成した【ディープアルゴリズム】を装備に組み込まれたスレイブコアを通じて発現するのが基本だ。実際の効果としては空気分子のプラズマ化による常温帯電空間や衝撃波の発生、あるいは局所的な光の屈折率を変えることでの光学迷彩など。中には地面や生体に干渉するアルゴリズムもある」
「生体、俺の体を分解とかできたりするのか」
「原理的には可能だね。ただ強力なアルゴリズムほど多数のコアを持ったDPCが必要だ。DPCはいわゆる歩留まりが極端に厳しいんだ。百個作って使えるコアが一つだ。つまり、デュアルコアは一万個に一つ。トリプルコアとなると百万個に一つの貴重品になる。今回のモデルは君が見つけた一人目、シングルDPC持ちだね」
「レーティングが上がってもモデルのランクは上がらないのか?」
「レーティングの変更が急だったからね。もちろん、明日になればわからない」
最低ランクは結構だが、今の説明やさっきの映像を見ると勝てる気がしないな。サイバーパンク物のテクノロジー兵士が近い。一般人はおろか、専門の訓練を受けた兵士でも勝てないやつだろう。
「次は俺の方だ。DPFのDPは俺の使うニューロトリオンと同じものなんだよな。つまり、ルールブックのスキルでも干渉可能ってことか。それが戦闘専用スキルだと」
「理解が早くて助かる。RoDキャラクター、つまり君の場合は脳内で作り出したニューロトリオンのパターンをそのまま空間のDPに投影する。君の脳自身が強力な楽器だと思ってほしい。ただし、いかに脳のニューロトリオンがDPよりも強力とはいえ、DPの扱い自体についてはDPCの方が専門だ。レベル2の戦闘専用スキルでは分が悪いと言わざるを得ない」
「となるとスキル自身に頼り切るのは駄目だな。基本的には俺自身の身体や感覚を強化して、戦闘専用スキルは本当に切り札的に使うのが妥当な戦術か。よし、概要は分かった」
聞きたいことは山ほどある。だが、情報はある一定のラインを超えると、それ以上どれだけ詳しくなっても実効力が落ちる。四十点を八十点にするのと同じ労力で、八十点は九十点にしかならないし、九十点は九十五点にしかならない。食事バランスみたいなものだ。時間との勝負である今は無難に定食を目指すしかない。
「じゃあ、スキルの選択を」
「いや最初は目的、勝利条件を決定する。今回の場合単に高峰沙耶香を襲うモデルを撃退するだけじゃダメなはずだ」
仮にモデルを倒して今夜高峰沙耶香を守ることに成功したとする。だが明日には次のモデルがやってくる。それももっと強い上に、俺《RoD》というイレギュラーを想定した相手だ。つまり、今夜ですべてを終わらせる必要がある。
「このシナリオのグッドエンドは、シンジケートのターゲットから高峰沙耶香が外れるのが絶対条件だ。これに関しては当然、インヴィジブル・アイズに干渉できるルルの力が前提だ」
「そうだね。だけど極めて難しいよ。一度ターゲットになったIDをなかったことにするなんて普通じゃ絶対に無理だ」
ハッキングロール一発で解決するなら情報戦の主役である密偵はいらない。
「逆に言えば幾つかの条件がそろえば不可能じゃないということだな。そうだな、一つ目。彼女ではなく「彼女の持つ情報」の価値を無くす、そんな方法は考えられないか?」
「……彼女が思いついたアイデアを彼女のメモよりも詳細、かつ架空の人物の仕事としてコグニトームに上げることは可能だ。ただし、それでも優先順位の問題になる」
なるほど、シンジケートにとって高峰沙耶香より重要に見えるデコイを作り出すわけか。
「それと同時に高峰沙耶香の今日の行動痕跡を改竄するのはどうだ? 俺の時みたいに。極端なことを言えば高峰沙耶香は今日の学会には来なかったみたいに」
「それは流石に無理だけど、本人の協力とIDリングがあればそれなりのことはできる。そうだね、そう言った組み合わせならあるいはインヴィジブル・アイズ上の優先順位を水面下に下げることは可能かもしれない。ただし、その為にはここみたいなDeeplayer死角でやる必要があるし、痕跡の改変には時間がかかる」
「なるほど。つまり俺が高峰沙耶香をこの部屋に潜伏させることが勝利条件だな」
終点は具体的かつ、可能な限り現実的になった。次は始点だ。これに関しては物理的にはほぼ決まっている。国際会議場のビルの出口だ。
「上野公園とこのホテルを含んだ地図を出してくれ。スタートからゴールまでの経路を可能な限り俺達に有利な形に持っていく。つまり、未来の戦場をデザインする」
ライオンだって川に落ちればピラニアに負ける。ましてや川に落ちてくるライオンを想定して計画を立てたピラニアにならなおさらだ。
2022年2月10日:
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