15話 リスタート
ベッドの上に一枚の映像が浮かび上がる。ビルの窓を掃除する昆虫型ロボの物らしい。関節足の向こうにエスカレーターで上に上がる若い女性が映っている。斜め上からで顔が見えないが間違いない。高峰沙耶香だ。
「彼女は秘宝を否定する話をしていたはずだ。僕や発表者が目を付けられていないのにおかしいだろ」
「それなんだけどね、追加された情報をたどるとどうもシンジケートの正規会員の一人に私的にマークされていたみたいだ」
「はっ? なんでそんな危ない人間を『NPC』にしたんだよ。身辺を洗ってないのか?」
思わず問い詰めた。スリーサイズまで調べた癖になんで一番肝心なところが抜けてるんだ。
「ボクのインヴィジブル・アイズの監視にも限界があるんだ。シンジケートが分裂してから正規会員情報については元々強固だったセキュリティーがさらに見直されたんだ。しかも個人的にとなればどうしようもない」
個人的に? その言葉にある顔が浮かんだ。高峰沙耶香の能力に執着していた白いスーツのマネージメントエリート。
「そのシンジケートメンバーの名前は?」
「さっき言ったように秘匿強度が高い。ノーヒントじゃボクにも調べれない」
「名前『葛城早馬』でどうだ」
「調べてみよう…………。当たりだ。どうしてわかったんだい」
「そんなことより葛城早馬の頭にDPCはなかったぞ」
「現在のDPCはまだ不完全な技術だ。長期使用は人間の脳に負荷がかかるんだ。だからこそモデルを使うし、DPCの生体適合性向上が大きな技術的目標になっている。そしてその関連研究だと確定した155番に高峰沙耶香が近づいたことにメンバーである葛城早馬が気が付いた」
「どっちも僕たちのせいじゃないか」
葛城早馬が高峰沙耶香に接触しようとしたのも、155番の研究に彼女が興味を持ったのも『お助けNPC』としての活動の結果だ。それにニューロトリオンの研究絡みでマークされたということは、僕が彼女に無意識に二枚目のカードを晒した可能性がある。
例えば、あの時僕は情報の確証を得ようと、二人目のモデルがVoltのどこに興味を持ったのか、太田にカマを掛けた。
「僕が情報管理をミスったのか」
「違うだろうね。レイティングがレアに上がった理由は、高峰沙耶香がコグニトームにアップしたメモが決定的だ。VSDの分子構造の変化と『ブレインニュートリノ仮説』との関係に目を付けた」
「……ブレインニュートリノ? ニューロトリオンとかディープフォトンじゃないのか?」
「その三つは同じものだよ。『ニューロトリオン』はコンピュータ電力エネルギーの一部が未知の粒子になるという仮説だっただろ。『ブレインニュートリノ』はそれの脳バージョンといっていい。中枢神経の神経細胞の代謝活動に謎のエネルギーの損失があるという観察結果から考えられた架空の粒子だ。粒子のエネルギー自体はコンピューターの物より大きいが、発生する環境がコンピュータとは比較にならないほどノイズだらけの生物内だ。とっくに忘れ去られた仮説だった」
要するに『ニューロトリオン』という高度計算から生じる粒子がある。その未知の粒子をコンピュータ科学的に見つけたのが『ディープフォトン』で、生物学的に見つけたのが『ブレインニュートリノ』ということか。
それ自体はどうでもいい、要するにニューロトリオンだ。
「そんな忘れ去られた仮説でわかる物なのか?」
「そこは高峰沙耶香の才能というしかない。ブレインニュートリノ仮説ではその粒子の予想エネルギーが計算されていた。高峰沙耶香は例のVSDの構造シミュレーションでそのエネルギーギャップに対応する場所を探すためのアイデアを考えたんだ。タンパク質の折りたたみのシミュレーションはいまだ聖杯だ。普通はまずできない芸当だよ」
「なんてことをしてるんだ」
こっちはニューロトリオンの存在を知っていてなおVSDとの関係なんてふんわりとしかわかってない。なんで存在も知らないのに詳細なメカニズムにまで迫ろうとしてるんだよ。
「というわけで、君の情報管理に過失はない。今回のことは彼女の運が悪かった」
その言葉に少しホッとした。プレイヤーがいないところでNPCが勝手に致命的失敗、いやクリティカルを出した。そんなことまで責任は持てない。責任があるとしてもRMだ。そう考えようとする。それでも、思わず聞いてしまう。
「これから彼女はどうなる」
「レーティングがレアに上がった以上、コモンみたいに情報の確認にとどまらない。強引な方法を用いても奪取。あるいは外に漏れないために隠ぺいの処置ってことになる」
最低でも誘拐、最悪は殺されるってこと。僕が絶対に避けようとしたシナリオ展開じゃないか。
「そうだ、警察に通報すれば」
「どう説明するんだい」
「奴らはDPCのスレイブコア、要するに街中で武装してるんだろ。治安維持に引っかかる。ルルならそういう情報を警察に流せるはずだ」
コグニトームによりアメリカですら銃規制が成立した。これだけ安全な世の中で武器を持つ理由はテロリズムくらいしかない。日本ならなおさら重罪だ。
「仮に警察がモデルに詰問したとしても発見するのは空気圧でプラスティック弾を打ち出す玩具とか、指揮棒程度のものだよ。モデルの武装はDPCによる【ディープ・アルゴリズム】を発動する媒体なんだ」
現代に存在するマジックアイテムじゃないか。木の杖が実は火炎放射能力を持つなんて証明しようがない。
「しかも、リスクは極めて大きい。インヴィジブル・アイズは既に高峰沙耶香のIDに網を張っている。彼女が事件に巻き込まれるなんて通報したらボクでも痕跡をたどられる」
「…………なら僕が直接彼女に警告する。時間的には間に合うはずだ」
確か彼女は夕方から発表と言っていた。学会の要旨集をテックグラスに開く。あった、口頭発表夕方の部で19:45分から20:00まで。今が19:00丁度。会場までここから15分でいける。発表が終わった彼女を捕まえることが出来る。
「推奨できない」
「警告するだけだ。いくら何でもあのビルの中でドンパチもないだろう」
「ないだろうね。運び出すことも考えておそらく襲撃は公園の中だ」
「公園の中だって十分すぎるほど人がいるよ」
「レア確保の為の行動強度では障害にならない。これはかつての例だけど」
空中に新たな映像が映る。外国らしき高層ビルの街。夜、道路を歩く大勢の人間。中央の一人に赤い丸でマークされている。周囲の人間が次々と離れていく。テックグラスに何らかの情報が表示されて誘導されているようだ。
都会の街角で一人になったことに気が付いた男が、その不自然さに気が付いたのか周囲を見る。その瞬間、背後のビルの角から光線が走った。その光の筋は何もない空中で二回曲がり、男の首筋に達した。
倒れ込む男の前にたまたま通りかかった無人タクシーがドアを開け、男を回収した。それから一分もたたないうちに、周囲の道から人間が自然に集まり普通の街の姿になる。都会のど真ん中で、人一人が忽然と消えた。なのに誰もそれに気が付かない。
「この人、どうなったんだ」
「半年後の映像がこれだ」
さっきの男が研究室らしい場所で何かの実験をやっている。生きていることにほっとしたが、男の頭にはDPCの光があるのに気が付いた。それが光ると男はうつろな顔で立ち上がり、厳重に封じられたサンプル庫から何かを取り出し、床に叩きつけ破壊し始めた。驚く同僚が止めるが、男はまるで気が触れたように暴れまわる。
「まるで操り人形じゃないか」
「現在のDPCは基本的にディープフォトンを使ったコンピュータなんだ。つまり使用者である人間の脳の方が適応させられる。深く用いれば用いるほど脳の方が干渉を受ける」
目から血を流しながら倒れた男の眼球が裏返る。今のが彼女の身に起こるなら、その未来を脳が勝手にシミュレーションする。
国際会議場から出た高峰沙耶香が上野公園を歩いている。木立に囲まれた広い道には多くの人間がいる。だが、いつの間にか周囲の人間が一人、また一人と別の方向に進路を変える。やがて一人になった彼女に突き付けられる銃。
彼女の感情反応が薄い瞳に恐怖が浮かぶ。やがて公園内の自販機を補充する無人車が横に留まる。無人のはずの車両から手が伸び、彼女は車内に運び込まれる。
その優れた頭脳が彼女の意志によって使われることは二度となくなる。
絶望の未来には圧倒的な説得力があった。警告なんて何の役にも立たない。これを変えることが出来る人間や組織が想像つかない。僕が今日その一端を見た世界設定が導き出す必然だ。いわば隠された世界の仕組みだ。
その世界の中に生きている人間は、その世界のルールには逆らえない。それがルールというものだ。だからこそ僕もこれまでこの世界の判定した自分の役割に従って……。今回も手の届かない事態なんだから無駄なだけじゃなく危険極まりない行動などするべきじゃない。
いや、いいわけないだろう。自分でも予期しない感情が脳内に沸き上がった。
世界設定がそこで生きるキャラクターの意志を潰すだって。そんなこと許されるわけがない。ルールとは制約ではない、それは可能性でなければいけないんだ。
少なくともTRPGのルールはそうだ。僕がプレイヤーキャラならなおさら。『邪神』に勝てなくても、抗うことはできる。その可能性は常に開かれていなければならない。
今、一人だけこの状況で動くことが出来る人間がいる。Deeplayerの死角にいる存在しないはずのIDと犯人と原理的には同じ力を持つ黒崎亨だ。
ごくりとつばを飲み込んで確認する。
「俺はまだ黒崎亨のはずだよな、ルールマスター」
「もう一度言うけど、君が勝てる可能性はないといっていい。それに、これだけの動きになると君の本物のIDの秘匿もより困難になる。RMとして推奨できない」
そうだろうな。我ながらあり得ない選択だと思うよ。このまま明日になれば僕は白野康之として平穏な生活を取り戻せる。それが期待値に従う判断だ。だけどそうやって取り戻した日常ってなんだ?
彼女が巻き込まれることになった原因の一つには間違いなく黒峰亨の行動がある。幸い、明日の昼には存在自体が消滅している人間《ID》。架空の自分の行動に責任を取るなんてばかばかしい話だろう。
黒峰亨だって別に正義の味方じゃない。だが、ここで彼女を見捨てることは今日一日黒峰亨が存在したことの否定だ。ロールプレイとはその世界の“自分”であることだ。それならば必然的に黒崎亨として関わったNPCも人間ということになる。
大体、俺は少なくとも主体的にこの状況に参加したプレイヤー。彼女はこちらの都合で巻き込まれたルールブックを持たないNPC。そもそも、情報提供者が自分の仕事で危険に陥ってるのを見捨てるのは黒峰亨の信条に反する。
ここでまだ終わってないシナリオから逃げ出したら、僕は二度と自分のロールプレイを誇れない。それはTRPGプレイヤーとしての白野康之のロールプレイでもない。
「そもそも、君が動いて彼女を守る方法が――」
「プレイヤーとして一つアドバイスする。確かにシナリオを作り進行を管理するのはRMだ。だけどRMにも守るべきルールがある。このテストを引き受ける時に言ったよな」
俺はRMの言葉を止めた。そして誰の言葉かわからないセリフを紡ぐ。
「シナリオの結末に関わる重大な決断はプレイヤーに委ねる、だ」
自分が望む未来を作り出すためにありとあらゆる情報を統合し、可能性を模索し、実現可能な計画をでっちあげる。それがGMもDMもKPも考えてもいなかった未来だとしても。
ルルは僕をじっと見て、そしてため息をついた。
「確かに最初にそう約束してしまった。これはボクの選択ミスかな。ダイスを覆すことはできないということか」
「ああ、あれはオープン・ダイスだったからな」
「……分かったRMとしてプレイヤーの選択を尊重するよ」
「よし。じゃあさっきのレベルアップの話、詳しく聞かせてくれ」
結局戦闘パートに突入だ。TRPGのシナリオというやつはこれだから予想がつかない。
2022年2月8日:
次の投稿は木曜日の予定です。