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13話 ラスト・キーワード(後半)

「……膜電位感受性ドメイン《VSD》?」

「中央のVSDは細胞膜に存在しています。そして神経細胞の表面、つまり細胞膜に電流が流れるとそれに合わせて立体構造を変化させます。いいですか……」


 高峰は取り出したメモ帳にさらさらと模式図を書く。神経細胞に電流が流れていないときと流れている時では細胞膜の内外の電荷が逆転する。その結果中央のVSDが形を変えるらしい。


 そしてVSDの形の変化により輪が閉じるように頭《GrowGrass》と尻尾《ColRose》が近づく。結果、二つの蛍光タンパクの間でFRETが起こるようになるというのだ。


挿絵(By みてみん)


「つまり、電流が流れた時だけGrowGrassとColRoseの間にFRETが起こり、緑色の蛍光のエネルギーがColRoseに吸い取られることでColRoseの励起光が外から与えられないのに赤く光る。そういうことか」

「はい」



 FRETとGeVIs。二つの難解な専門用語フレーバーテキストの意味をやっと理解できた。この研究の主役『Volt』は呆れるほど複雑な分子機械だ。複数の生物(キメラ)の遺伝子を組み合わせて作られ、その製造から配置まですべてが細胞の仕組みに組み込まれている。


 すべてが生物に由来しながら、同時にあまりに人工的。そのあり様に名状しがたい怖気を感じた。自分たち自身がよって立つ仕組みを、ここまで玩具のように扱うとは……。


 いや、とにかく謎は解けたのだ。


「どうしました。まだ理解できないことがありますか?」

「いや、十分よく解ったよ」


 つまり、Voltにはキーワード『395―503―632』の三組の波長しか存在しない。しかも今の説明でモデルが『RubyRed』を候補から弾いた理由もわかる。三種類のRFPの中でRubyRedの励起波長だけがGrowGrassの蛍光波長と大きく離れていた。つまりRubyRedとGrowGrassでは『FRET』が起こらないのだ。


 今回の案件、あのモデル達に追加で与えられたキーワードがあるとしたら『FRET』だろう。

 解けてみれば全てが明白だ。そうだな、俺だってこの最後のキーワードがあれば…………って。わかるかこんな謎かけ(リドル)!!


 情報収集のみで難易度低い?? どこがだ。やっぱりくそシナリオじゃねーか。あのRMマスター素人プレイヤーに何を要求してるんだ。これ、解けたの奇跡だからな。


 思わず天井を仰ぎ、そして天《RM》にむかって唾を吐きたくなった。だが、俺を見る高峰沙耶香の視線に我に返る。あまりの理不尽に思わず状況を忘れるところだった。


「コホン。正直驚いたよ。流石最先端科学研究、すごいものだ」

「あいにくですが『FRET』はもちろん『GeVIs』も何十年も前から使われている技術です」

「そ、そうなのか。残念、掘り出し物かと思ったんだが」


 とにかくキーワードの指定する研究は155番のVoltで間違いない。あと分からないのはこのVSDがどうニューロトリオンと関係するのかだけ。GrowGrassとColRoseが既知である以上、ターゲット遺伝子『配列』はVoltの中央にある『VSD』の可能性が高い。


 ボードを見ると、さっきの外国人らしき男が離れていくところだった。それを背後で見ていたピアスのモデルがさりげなくその後ろに続いた。なるほど、どうやらあの外国人もモデルだったようだな。


 モデル同士、せいぜい追いかけっこでもしてくれ。これでここに二枚目のカード絡みの人間はいなくなった。こっちはお前たちが獲得した情報を確認するから。


「いろいろ助かったよ。取材を再開するとしよう。……君もついてくるのか?」

「この研究は興味深いです。黒崎さんのフィーリングも侮れませんね」


 高峰沙耶香はそんなことを言って、俺の横に並んだ。若いサイエンスの天才とVolt(ターゲット)について最も詳しい発表者の組み合わせ、出来れば避けてほしいところだ。


 だが彼女はあくまで『サービス残業』であり、それが終わった今、自由な学会の一参加者だ。俺が彼女を止める名目は存在しない。


 高峰沙耶香に二枚目のカードの存在は漏れていないはずだ。発表者の太田があちら側の世界を知る可能性は限りなくゼロだ。もし知っていたら、このミッションは最初から存在できない。つまり、二人がカードを提示し合っても『一枚目』の数字が変わるだけ。二枚目を持っていない限り、得点はゼロのままだ。


 ならば俺が気を付けよう。さっきまでと違って何が危ないのかは大体わかっている。今の俺には『知識:生物学ロール』に大幅なボーナスがある。


「すいません。さっきの続きを教えてください」

「わかりました。ええっと……そう、ここからでしたね。Voltの性能が既存のGeVIsよりも優れていることが分かったので、私達は次にマウスの脳組織でVoltによる神経回路の測定をしました。その為にVolt遺伝子編集マウスを作成して……」


 説明は理解できた。要するに受精卵にVoltを組み込むことで、全ての細胞にVoltを持つマウスを作成し、さっきのシャーレの実験と同じことを脳の組織に対して行ったのだ。グラフには従来のGeVIsに比べて何倍もの神経の反応を測定できたことが示されている。


「素晴らしい性能ですね。FRETは微妙な分子間の距離に左右されますから、設計は大変だったのでは? 野生型ワイルドのVSDそのままじゃないですよね」

「はい、オリジナルの遺伝子配列にいくつか変異ミューテーションを入れています。ちゃんと光るのが出来るまで苦労しました」


 高峰が感心したように言う。話がVSDになったことで一応警戒する。だが、話はむしろ俺の警戒を解くような方向に向かう。


「しかしIDを見ると変異VSDの配列は公開されていますね。論文前にですか?」

「それがですね。実は最初は特許化《IP》しようって話もしていたんです。ただ、肝心の実験で問題が起きてしまって」


 太田が苦笑しながら指さしたのは最後のポスター。培養液に使った白い豆粒のような物が浮いている。


「脳オルガノイドですね」

「ヒトiPS細胞由来でVoltを組み込みました。私達の最終目標は人間の脳ですから。ところがあちこちでおかしな反応が出ちゃったんです」

「アーティファクトですか?」

「そうなんですよ」

「アーティファクト?」

「簡単に言えば電流が流れていない神経細胞で無秩序にFRETが起こったということです」


 俺の疑問に高峰沙耶香が答えた。いきなりファンタジー用語と思ったが、これも専門用語フレーバーテキストだった。要するにセンサーに擬陽性エラーが頻発するということらしい。


「別に珍しいことではありません。人間の脳の神経細胞は何百種類もあります。Voltに影響を与えるような遺伝子パターンを持つ細胞があってもおかしくないんです」

「実験者には困りものですけどね。まあ生物は生ものですから」


 太田が苦笑した。だが、俺は内心ほっとしていた。このVSDの遺伝子配列は公開されている。つまり、シンジケートが実物を必要と判断したら入手可能ということだ。さっきのモデル達はVSDがニューロトリオンに関わることを確認できればよかったのだろう。


 後はあいつらが何を掴んだのかだ。これに関しては完全に二枚目の話。俺の頭の中でだけ判断しなければならない。


 待てよ、人間の神経細胞でだけおかしな反応《FRET》が起こる? それってもしかして本来存在しないはずの“何か”に反応したんじゃないのか。


挿絵(By みてみん)


 電流だけでなく脳の神経が生み出すニューロトリオンによってFRETを起こした。これならキーワードとニューロトリオンが完全につながる。DPCの生体適合性パーツというカテゴリとも一致する。


 つまり、この研究者はニューロトリオン感受性ドメイン、『NSD』とでもいうべき存在を偶然作り出してしまったのだ。これですべてが説明できるはずだ。


「でもせっかくだからもう少し改良すれば」

「そこは研究費がですね。教授ボスには「俺の頃なら膜タンパクの結晶解析でいくらかかったか」なんて言われちゃいました。それにやっぱりこのアーティファクトがネックで、あんまり興味を持ってもらえなくて」

「でも、さっきの外国の研究者と熱心に話してたじゃないか?」


 俺はフォローするふりをして水を向けた。


「さっきの人ですか。「もっと強いアーティファクトが出る配列はないのかって」変なことを聞かれましたね。うまくFRETを起こしたのはこの配列だけですし、仮にあってもそんなデータわざわざ取りませんよ」


 太田は肩を竦めた。当たりだな。真っ当な研究者にとっては不具合アーティファクトであるこの現象は、二枚目のカードを持つ人間にとっては秘宝アーティファクトなのだ。


 モデルと研究、二つのターゲット情報は完全に把握した。何ならモデルは二人だ。俺の探索は完全に成功と言えるだろう。


 二人は研究者同士にしかわからない話をしているが、内容はアーティファクトをどうやって軽減するかだ。つまり、シンジケートにとっては価値がない話。


 俺は二人に挨拶してポスターから離れる。スタンドに上がり、もう一度155番の周囲を確認する。ポスター発表時間が終わるまで見ていたが、高峰沙耶香と太田に注目している怪しい人間はいない。


 高峰沙耶香が会場を出るまで追った。視線を戻すとき企業ブースが目に入った。俺達がいた時と違い、多くの人がいる。スタッフも顧客獲得に大忙しの様だ。


 ブースには多くの機器が並ぶ。クラゲと珊瑚と人の神経で働く遺伝子を切り貼りして、神経活動センサーを生物自身に作らせる。ここの人間にとっては当たり前のことをするための機械だ。それを見ているうちに、先ほど感じた不安が蘇った。“ただのバイオテクノロジー”ですらこれだけのことが出来る。ならそれにニューロトリオン技術が組み合わされればどうなる。


 首を振る。俺の仕事は終わった。後は会場を出てRMに報告するだけ。それでシナリオクリアだ。





参考文献:

遺伝子にコードされた膜電位センサーによる神経活動計測の現状と展望

稲垣成矩、永井健治

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― 新着の感想 ―
[一言] 顕微鏡画像で「これなんですか?」って先生に聞いた時に「アーティファクトだね」って返ってきた時は「は?」ってなったことを思い出しましたわ… 続き読んできます
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