10話 絞り込み
セッション1 指令書
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ターゲットID:DPC-G-34214
カテゴリ:DPCの生体適合に関わる遺伝子配列
レイティング:コモン
研究キーワード:『394―496―632』
場所:第52回日本バイオモニタリング学会2日目ポスターセッション
補足:該当研究とディープフォトンの関係を認識した人物が出た場合、情報秘匿および獲得のため拉致を推奨する。止むをえない場合は殺害も許可する。その場合の処理についてはDeeplayerを通じて連絡する。
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以下が『インヴィンシブル・アイ』に登録されたモデルへの案件提示です。
あなたの使命は以下の二つです。
1,ターゲットである『遺伝子配列』の特定および該当研究とニューロトリオンの関連を調査する。
2,指令を受諾して派遣された『モデル』を特定する。
以上の二つの情報をRMわたしに送信することでシナリオ達成となります。
注意:シンジケートは『Deeplayer』を通じ学会周辺のコグニトームを監視しています。不用意なネットの使用は感知されるリスクを伴います。なお上記のデータは現時点の情報であり、モデルはこれ以降に追加される情報を活用することが考えられます。
「最初に確認しておきたいことがいくつかある。さっき見せてもらったGFPやRFP、つまり蛍光タンパクだけど。この蛍光タンパクを現す一番重要な性質は『励起波長』と『蛍光波長』と考えていいだろうか」
「そうですね。実験の目的や対象によっては分子量や蛍光強度が影響を与える可能性はありますが、一番大事なのはその二つです」
「OK。じゃあ次の質問だ。その励起波長と蛍光波長だけど大体三桁の数字の範囲に収まると思っていいのか。確かGFPが『395』と『509』、RFPが『562』と言っていたが」
「はい。生きている細胞に当てる以上『励起波長』があまりに短い、高エネルギーの光を照射することは悪影響を与えます。蛍光波長も人間の目で観察することから可視光範囲です。そうですね、紫外領域の中でも生体ダメージが少ない380nmから可視光域の中でも肉眼で検出しやすい650nmの範囲に収まります」
彼女は俺の質問に少し首をかしげるが、すらすらと答えた。
ビンゴだ。ターゲット遺伝子を示すヒントである数字『394―496ー632』は三つすべて範囲内に収まった。ならば次はこの三つの波長の素性だ。
「次にその励起波長と蛍光波長だけど“励起”の方が“蛍光”よりも必ず高エネルギー、つまり小さな数値になると考えていいかな」
「はい。蛍光波長は励起波長のエネルギーから生まれますから与えられた以上のエネルギーを放出することはできません。二光子顕微鏡のように二つの光子を同時に当てることで励起する場合は見かけ上の励起波長は半分になりますが、励起自体は二つの光子が重なった倍の励起波長で起こったと見なして問題ないでしょう」
「なるほど……」
問題なさそうだ。俺の仮定は「ターゲットである『遺伝子』は蛍光タンパクであり『394―496ー632』という三つの数字はその蛍光タンパク質の種類を示す」というものだ。
問題は数字が二つではなく三つであることだが、とりあえずそれは置く。まずはこの三つの数字の素性の推測だ。その為に重要なのは順番だ。
一番小さな数値は『394』。これは紫外線領域だ。二番目に小さな496は緑の、一番大きな632は赤の波長領域に相当する。『紫外領域《394》』は人間の目では見えないし、励起波長は蛍光波長よりも短いと考えると必然的に『励起波長』の可能性が高い。同じ理屈で一番大きな数字『赤色領域《632》』は蛍光波長と考える。
問題は真ん中の『496』。波長の範囲は緑だから蛍光波長の可能性が高いか……。一番単純に考えて一つの蛍光タンパクを現すとすれば励起波長と蛍光波長の二つ。複数の蛍光タンパクが絡むとしても偶数になるはずだが……。いや、三つとも波長とは限らない。
「今から発表されるポスターの中で『新しい蛍光タンパク』を作り出した演題を絞り込むことはできるかな」
「可能です。ですが、ないと思います」
「…………理由は?」
「発表の区分けです。バイオイメージングの研究対象は多岐にわたります。大まかに言えば分子レベル、細胞や組織レベル、そして個体レベルです。発表の順番もこの区分で行われます。新規蛍光タンパク質の開発は分子レベルですから一日目。昨日終わっています。そうですね、昨日のポスターでなら三つ該当する発表があります」
「そ、そうなのか。じゃあ今日は細胞、組織レベルの研究ということか……」
いい感じだと思ったらいきなり本命が消えた。蛍光タンパク自体がターゲットなら、数値的に一意に決まりそうだし、たった三つならこの後の展開的にも理想的だったのだが。
方向の修正だ。他の可能性……。蛍光タンパクがターゲット遺伝子を指定するタグになっていると考えたらどうなる。つまり、この数字に当てはまる蛍光タンパクが使われた研究の中にターゲットである遺伝子が存在する。
「細胞や組織レベルっていうと、さっき上杉のブースで見たみたいな感じで、既存の蛍光タンパクを使って特定の遺伝子の働きやその組み合わせを調べるって考えればいいのかな」
「そうですね。基本的にそう考えて問題ありません」
「よし次の質問だ。既存の蛍光タンパクの励起波長や蛍光波長を調べることはできるのかな」
「簡単です。『アンペル』という蛍光タンパク専用のデータベースがありますから」
「アンペル?」
「ドイツ語の信号機という意味です。ドイツの研究所が運営しているからでしょう」
「ちなみにそのデータベースだが一般的なものと考えて大丈夫なものか?」
「ええ、ここの研究者なら使ったことがない人の方が少ないでしょう」
「なるほど。よしじゃあ、そのデータベ―スから既存の蛍光タンパク質の励起波長と蛍光波長の一覧表みたいなのは出せるだろうか」
「今送ります」
テックグラスに現れたアイコンを開く。千以上の蛍光タンパクが表として並ぶ。名前の欄を見るとSirius、Venusと言ったしゃれた名前からAzami-Greenなんて日本人が作ったと想像がつくもの。Raspberryなんて美味そうな名前もある。
名前の横には色付きの欄に数字が降順に並ぶ。なるほど、紫からピンクまでどうやら『蛍光波長』順に並んでいるようだ。そう考えれば名前もそれっぽい。その横は励起波長だな。直接数字を検索しなくていいのはラッキーだ。これなら順番に見ればわかる。
まずは一番目の数字『394』。これが励起波長に対応する蛍光タンパクだが……。いくつかあるな。仮に『496』が蛍光波長だとしたら……。ぴったりのがある。『GrowGrass』というGFPだ。『394ー632』の組み合わせの蛍光タンパクは他にないから、このGrowGrassが数値1と2に該当する。
つまり俺の仮定が正しければ『394―496ー632』の中で『394―496』は『GrowGrass』というGFPを指しているしていると推測される。
次だ。残った『632』だが、これは赤の蛍光波長の可能性が高い。実際、リストには632どころか600以下の励起波長は存在しない。一方、『632』の蛍光波長をもつ赤色蛍光タンパク《RFP》は三つある。どれも赤い光にちなんだ名前が付いている。
『ColRose』は『励起波長:506』で『蛍光波長:【632】』。説明には珊瑚由来と書いてあるから最初のColはコーラルの略だろうか。
『RubyRed』は完全人工配列から人工進化で作られたRFPで『励起波長:580』で『蛍光波長:【632】』。
Raspは『励起波長:486』で『蛍光波長:【632】』。Raspというのはラズベリーの方言らしい。
つまり、俺の仮定では『GrowGrass《396―496》』というGFPは確定。残ったRFP《632》は三つのうちのどれかだ。これで、無機質な数字の組は
394ー496 ― 632
『GrowGrass』―『ColRose』
―『RubyRed』
―『Rasp』
いずれかの組み合わせに翻訳されたことになる。歴史ある宝石の行方を追っている探偵っぽくなってきた。無機質な数字よりもずっといい。
後はこの三通りの蛍光タンパクの組を使った研究を絞り込めればいい。
「今日のポスター発表の中から『GrowGrass』単独、あるいはGrowGrassと『ColRose』、『RubyRed』、『Rasp』の蛍光タンパクの両方を使った研究を絞り込むことはできるか?」
「それぞれの蛍光タンパクの遺伝子IDで検索すれば可能です。演題には使用した蛍光タンパクのタグが付いています。例えばGrowGrassなら<gID495959>ですね。ちなみにGrowGrassは蛍光強度が高いことからGFPの中でもメジャーですから……。100を超えます」
「それは回り切れないか。じゃあ、この三組のいずれかの組み合わせだったらどうなる」
「三組合わせて十二ですね」
007:アカゲザルにおけるBMIと神経細胞のインタラクション効率の改善のための。
045:三次元培養環境でのガン免疫療法の研究
103:線虫コネクトームの運動過程におけるネットワーク網羅的解析。
117:膵臓のベータ細胞の再生医療をGGとRF1を使って研究
122:ショウジョウバエの味覚記憶の形成におけるMed遺伝子の役割。
155:VoltというGeVIsを用いた神経活動のinvivoモニタリング
178:ヒト培養細胞に神経回路形成刺激を与えた時に発現するプロモーターの解析
………………
…………
……
テックグラスに表示された演題の羅列の中から、十二個の番号が赤く光った。絞り込んだタイトルを並べるがもちろん意味は分からない。俺に分かるのは『ColRose』絡み二題、『RubyRed』絡み六題、『Rasp』三題ということだけ。数だけなら『RubyRed』が本命だな。
「OK。ずいぶん絞れたよ。これでいけそうだ」
「失礼ですが五つ、いえ三つくらいに絞る方が無難ではないでしょうか。そもそも、蛍光タンパクの組み合わせに焦点を当てるのか理解できません」
「そう思うだろうな。実は最後はフィーリングなんだ。実際に見てビビッときたやつをってことだな」
「そんな非合理な基準で…………。確かに最初からそういう方針だと聞いていましたが……」
抗議の声を上げる高峰沙耶香だが、俺が自分の鼻を指すと黙った。納得はしていないだろう。俺自身無茶苦茶なのはわかっている。だが、純粋に『生物学』で絞り込むならこれが限界。いや、想定したよりも絞り込めたといえる。
「ルルーシア氏には君の貢献は期待以上だったと伝えるよ」
「つまり、私の仕事は終わりということですか」
「ああ、ここからは俺の仕事だ。実際そろそろ約束の時間だ」
そう告げる。今から俺がやることに関しては彼女は足手まとい、あるいは危険な存在になりうる。彼女にとってもそれは望ましくないだろう。
「……わかりました。そうですね、私も夕方の準備をしなくてはいけません」
何か言いたげだった高峰沙耶香だが、表情を変えない俺にあきらめたのか席を立つ。俺は階段の向こうに消えて行く彼女を見守った後、スタンドにもう一度腰を下ろした。
眼下の会場を見る。さっきまでガラガラだったボードの前に発表者らしい男女が集まってきている。時刻は12時54分。発表開始まであと数分だ。次のステップに何とか間に合った。
さて、優秀なアドバイザーのおかげで絞り込めたとはいえ、相手は最先端の生物学研究だ。彼女がまさに危ぶんだ通り、十二個は候補としては多すぎる。本当なら三つでもきつい。
だが、今から俺がやることの為には手ごろな数だ。これからやることはいわば索敵。つまり、この十二個の“地点”に網を張りモデルを見つける。
リュックサックからカロリーフレンズのコーヒー味を取り出す。口の中にコーヒーの味が広がる。脳内にキーワードを浮かべる。
【Cogito ergo sum】
2022年1月31日:
次の投稿は明日です。