7話 ロールプレイ開始
「……なるほど。つまり高峰さんはルルから雇われたと」
「黒崎さんの取材に同行、科学技術《S・E》関係のアドバイスをする事になっています。今から三時間の間だけですが」
突然現れた綺麗な女の子はルルとの契約IDを開示した。黒崎亨のIDと紐付けられたデータが開示され、僕はそれに目を通した。契約者はルルーシアでコグニトームリソースの投資家を名乗っている。要するにRMの偽名だ。
つまり、彼女はルルが差し向けた『お助けNPC』だ。ソロシナリオではプレイヤーキャラが持たない必要技能持ちのNPCは定番といえる。
確かに僕は探索に行き詰まっていた。だが、そういった気を利かせるなら利かせるで、もう少し穏当な人選は出来なかったのか。
改めて向かいの席に座った年下の女性のピカピカの来歴を見る。
開示されている情報から彼女の名前は高峰沙耶香。年齢は“本来”の僕より二つ下の17歳。一目でわかることだが、かなりの美人だ。
背中までのセミロングの艶やかな黒髪。女性の平均くらいのすらっとした身体に、スーツの上からでもバランスの良さが想像できる胸とお尻のライン。きっちり揃えられた前髪の下に整った目鼻立ちと細い顎。アーモンド形の大きな目が美しさと愛らしさを両立させる。
一緒に歩けばさぞかし人目を引くだろう。ちなみに密偵が美女を連れていていいのは映画の中だけだ。
いや、彼女について最も特筆すべきステータスは容姿《APP》ではなく知性《INT》だ。二歳年下にもかかわらず同じ大学一年生。つまり、二年飛び級している。中学生までは同じカリキュラムだから、高校を一年で卒業している。ちなみに所属はこの近くの科学大学院大学。当たり前のように日本で最高ランクのだ。
確かにスコアによって飛び級は珍しくなくなった。
だがこの子はそんなちゃちな存在ではない。紫色の文字で強調されている『アレクサンドリア・メダル』保持者。コグニトーム科学財団によるニ十歳以下の科学コンテスト入賞を意味するこのメダルの称号の持ち主は日本でも十人以下じゃなかったか。
メダル授与は三年前だから15歳。生化学部門で最優秀賞。そういえば何年か前にネットメディアのニュースで見たことがある少女が、そのままさらに美人に向かって成長した感じじゃないか。
とにかくSEAMの中でもさらに選ばれた存在、いわゆる天才だ。
しかも特許IDを複数持っている。経歴がきらびやかすぎて現実感がない。TRPGでもあからさますぎて扱いに困るタイプだ。残りの項目を流そうとした時、一つの項目に目が留まった。
「83―58―86」
目を引いたのはそれが三つの組の数字だからだ。確かハンドアウトの『ターゲット遺伝子』のヒントも三つ組の数字だった。もしかして何か関係があるのか? でもあっちは三桁だったよな。
んっ? 単位がセンチメートル。その次の数字の単位がキログラム……。
これ身体的データの項目だ。つまり、スリーサイズじゃないか。なんでこんなものを開示しているんだ。そりゃ、自慢したいくらいの数字だろうけど。ああ、そういえば『メダル』あたりから文字が紫になっている。明らかに非開示データだ。
「なにか?」
「いや、失礼」
思わず彼女と数字の整合性を確認してしまった。僕の視線に明らかに表情が硬くなった。だが悪いのは僕じゃなくてRMだ。
「ええっと高峰さん、とお呼びしていいかな。高峰さんはアドバイザーとして派遣された」
「そう説明しました」
明らかにさっきより声が硬い。ただでさえスーパーエリートなんて手に余るのに。
とにかく、彼女はRMから派遣された『お助けNPC』だ。それは間違いない。ソロプレイヤーの手助けをする専門技能持ちだ。学会という高度に専門的な空間で遭難していた僕にとっては必要な存在だろう。
だが、問題が二つある。
TRPGにおける『NPC』つまりノン・プレイアブル・キャラクターはシナリオ内でGMが操作するキャラクターすべてだ。だがRoDは現実世界が舞台。『NPC』といっても見ての通り生身の人間になる。つまり、ノンプレイヤーとはプレイヤーではない『ルールブック』を持っていないことを意味する。
彼女は【ニューロトリオン】のことを何も知らないのだ。TRPGならNPCが何も知らない“設定”でも問題ない。GMの操り糸に従ってシナリオ上必要な行動が期待できるが、彼女は僕にアドバイスするように言われているだけの生身の人間だ。
つまり、僕がこの天才女子高生、もとい女子大生をうまく使いこなす必要がある。超SEAMエリートを当人の専門領域で。
二番目の問題は「敵に自分の存在すら感知されないまま」情報収集を終える」という僕の最優先事項にとって、彼女が大きな危険因子であることだ。
もし、このいやというほど目立つ娘がシンジケートに目を付けられたら、そこから僕の存在が知られかねない。『主人公役《プレイヤー1》』じゃあるまいしヒロインを守って戦うなんてシナリオ展開は御免だ。いや、レベル1の僕の技能的に自分すら守る力はない。
要するに、お助けどころかシナリオ難易度を上げる爆弾になりかねないのだ。
「そういえば、突然の依頼だったと思うけど、よく引き受けたね」
僕の沈黙にいぶかし気な目を向けている彼女にとりあえず聞いた。どうやってこのエリートを動かしたのか。それに、この子の動機を知っておいたほうがいい。
「報酬として私の研究に必要なコグニトームリソース提供を提示されました。急な話でしたが、もともとこの学会には参加することになっていたのです。夕方に発表がありますので」
「…………なるほど。それで十三時までの時間限定ということか」
RM的には参加者を使った方が不自然じゃないという感じか。それにしても学会発表ですか。夕方ならポスターじゃなくて、ビルの会議室にご登壇の口頭発表だ。
「ルルーシアさんの研究がとても興味深かったのもあります」
「確かにルル、ルルーシア氏は色々特別だからね」
天才同士、さぞかし興味深い会話が成り立っただろう。聞きたくないけど。
「はい。ルルーシアさんの意識に関する考え方はとても……。いえ本題にもどりましょう。黒崎さんは取材の為にどんなアドバイスが必要なのでしょうか。最初にそれを教えていただかなければ」
当然の質問だ。冷や汗が背中を濡らす。さっきから「何が分からないのかも分からない」状態なのだ。彼女にRM製の真の依頼書からどの情報を出すべきかも決められない。
取り繕うようにカップに口を付けた。冷えた不味い液体を涼しい顔で飲み込む。もちろん、問題は全く解決しない。時間稼ぎにもならない。
突如巻き込まれた非日常、放り込まれた全くなれない舞台、そして自分よりもはるかに優秀なNPC。こんなのどうやって対応しろっていうんだ。中が汗ばみ、早くも喉が渇く。
だから現実でTRPGなんて無理げーなんだよ。僕はあくまでロールプレイが好きなだけの……。僕は? そういえばさっきから僕は僕のことを何と呼んでいた?
半分になった液体を見る。黒い液面に天井のライトが作る男の頭の影が映る。キャラに合わせてワックスで髪を上げた形が自分でも見慣れない。
ふと考えた。この黒い影は誰だ?
非日常に巻き込まれ、慣れない場所に放り込まれ。その挙句に高峰沙耶香にビビっている。それは一体どんな人間なのか。
もちろんそれは僕、白野康之だ。突出した才能はなくスコアのまま大学生をやっているいつもの僕。
断じて僕の黒崎亨ではない。
“僕”にとってロールプレイとはキャラクターシートを持っていることではない。そのキャラシーが本物のIDを偽装できる超高性能であってもだ。ロールプレイとはその世界の“自分”であること。つまり、自分が作り出したキャラクターに責任を持つということだ。何の才能もない人間のささやかな趣味であっても、いやだからこそTRPGプレイヤーとしての僕のプライドだったはずだ。
なるほど、要するに今までの“僕”は黒崎亨のIDを持っているだけの白野康之だったわけだ。
分かった。いいだろう。改めて今から始めてやろうじゃないか。舞台がエリートの祭典だろうとNPCが天才だろうと知ったことか。俺にとってこれはあくまでTRPGのシナリオだ。ならばただ黒崎亨をすればいい。
当たり前だ。黒崎亨は密偵。戦士系のように直接的な戦闘能力は高くない、魔法系のように能力自体が特別でもない。だからこそ発想と工夫で立ち回る。つまり、ロールプレイを最大限生かせる役割だ。
そして密偵にとって最大の見せ場は情報収集。未踏破ダンジョンだろうと秘密の地下研究所であろうと目的である情報を獲得して生還するのが役目だ。そう、未知の場所に潜入するなんて当たり前のこと。今回はそれがたまたま学会というだけ。急ぎの依頼だったために事前の情報収集が足りていないのは問題だとしても、科学のプロである必要なんて最初からなかった。
いつも通り情報収集のプロであればいいのだ。
黒い液面の黒い影が不敵に笑った気がした。嘘みたいに混乱が消え、頭が澄んでいくのを感じる。
自分が誰かを認識した脳が状況に合わせた振舞いを自然に組み立て始める。
「我々の雇い主ルルーシア氏はコグニトームリソース投資家だ。つまり、彼女は自分が権利保有する計算能力を投ずるべき対象を探している」
自分に言い聞かせるようにシナリオ設定から確認する。ID管理を除いたコグニトームの計算能力は投資対象であり、莫大な価値を持つ資産だ。ちなみに普通の人間にとっては雲の上の話に、高峰沙耶香は当たり前のように小さくうなずいただけだ。
「コグニトームによって企業の財務指標などからの現在価値の分析はほとんど機械任せで済む。現在所持している特許ポートフォリオから近い未来に生み出しうる価値もある程度は推測可能だ。問題はそのさらに先の未来に関する情報だ。つまり、俺が取材するのは『将来バイオ分野で利益を生む技術の種』ということになる」
経済学部の講義の記憶を探り、情報収集者としての俺の信念を交え、それっぽいことを自信ありげに語る。冷や汗を抑えるのが大変だ。向こうは涼しい顔。
「で、君への要請だ。まずこの学会の『バイオモニタリング』という分野自体について概要が知りたい」
情報収集の第一は情報が存在する“場”を把握することだ。情報はあくまで文脈の中にある。それを掴まない限り何も始まらない。
「わかりました。ではまず黒崎さんの知識の程度を教えてください」
「一般人と同じと思ってほしい。実は、光るクラゲがどうしてノーベル賞か理解できてない」
「…………つまり最低限の知識もないということですか」
大げさに両掌を天井に向ける。冷たい目が注がれた。さっきまでなら気後れしたかもしれない。
「そう認識してくれていい。ルルーシア氏は色の着いていない生の情報を望んでいる。だからこそ君を俺に付けた」
自分の鼻を指さしながら言った。我ながらよく言う。本当はRMがバランス調整をミスったんじゃないかと思っている。
「なるほど……」
「で、概要が分かったら次は午後のポスター発表で実際に取材する研究演題について候補を決める。その時にいくつか質問することになる。さて、君の契約時間内である残り二時間半程度で、ここまで片付けることは可能だろうか」
試すように言った。高峰沙耶香は顎に指を当てて少し考える。そしてすぐに立ち上がった。
「時間がないので歩きながらバイオモニタリング、一般的にはバイオイメージングについて最低限の基本を説明します。その後で実物にいくつか触れてもらいます。私の考えではこれが最初の問題に対する最適解です。ただし、理解できるかどうかは」
「こちらに掛ってるってわけだ。いいだろう。それで行こう」
レクチャーはともかく実物? まあいい、まずは専門家のお手並み拝見といこう。問題が起これば都度修正だ。それが俺のTRPGだ。
2022年1月27日:
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