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社長室の子ども

作者: 安孫子友大

私は飛び起きた。

まだニワトリが鳴く前の時間、目覚まし時計が鳴るには2時間も早いでは無いか。

夢の中で見たあの場面がとても懐かしく感じて、いても経っても居られなくなったのだ…


私は現在40歳のしがない経営者だ。

現在は妻と3人の子どもにも恵まれ幸せな家庭を築いているとおもう。

私が産まれたのはイギリス北部の町、サッカーで有名なマンチェスターだ。父もまた私と同じ経営者でありとても優しい母と6人の兄弟の末っ子として育った。


父の会社はお爺さんが一世で作り上げた貿易会社であった。私は世間的に見れば富裕層であり、何不自由ない幼少期を過ごしていた。

あれは7歳ぐらいの時だったろうか?弟ができるという知らせを聞いた。それから数ヶ月は母は入院していたから、父の職場で過ごす事が多くなった。働いている人はみんな優しく兄弟のことを可愛がってくれた、もちろん私にも。私のお気に入りの場所は社長室。普通なら社長室に子どもがいるのは変な話しだが、まだ7歳だったし父や知らない大人たちが何か話してても私には分からないだろうと思って、父は止めなかった。


毎日忙しそうに働く父、しかし忙しさの中にも楽しさを見つけているようで笑顔を絶やさなかった。母が入院するまでは父と一緒にいる時間は少なく、父の事を尊敬とか考えていなかったが、そんな姿を見て好きになっていった。


しかしそんな父がある日から笑わなくなった。常に頭を抱えているのだ。そう、第二次世界大戦が始まったのだ。父は根っからの平和主義で、戦争には断固反対だった。国からは武器を作るために協力を要請されたが、もちろん答えは否であった。

そのため国や他の会社から目をつけられて嫌がらせを受けていた。

結局父の会社はそのせいで倒産をする。

あの場面はその際に弁護士と話している場面だ。


最初に私は父と同じ経営者だと言った。

私は7歳にして世界の不条理を知りその悔しさから会社を再建したのだ。

父や周りの大人は七歳の子どもに難しい話は分からないと思い、社長室に野放しにしていたが、私は全てを理解し会社の経営や人間関係など学んでいた。あの時の知識が火を吹いたのだ。


今日は祖父の33回忌、私は祖父が創り上げたこの会社を父から教わった知識で守り抜くと決めた。

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