【一週間まとめ読み用-15】
僕:亘平 火星の平凡なサラリーマンだったが、デタラメ企画が『センター』の目に留まってしまい大抜擢。しかし『センター』に秘密で猫のジーナを飼っている。
ジーナ:僕の飼っている猫。『センター』の猫とはどこか違う。
怜:僕の惚れている女性。
鳴子&遥さん:開拓団の双子姉妹。占い師&エンジニア
仁さん:遥さんの息子。モグリの医者。
それから数日後にはもう僕の家は『開拓団』地域にあった。治安がどんどんわるくなっている頃だったので、僕が引っ越してきたことに鳴子さんも遥さんもあきれていた。
新しい家は第四ポートからそう遠くない、けれど『かわます亭』からは反対側に離れた地域で、会社の工夫たちが住んでいる地域にあった。広くはないというか……単身者用の前の家よりはずいぶん狭くなった。それでも、ジーナが暮らした痕跡を消すためにほとんど家具を捨てていたから、がらんとしたものだったけれどね。
引っ越しのあいだ、ジーナは遥さんの家にあずけていた。そして引っ越してからも前の家に比べれば狭いのでジーナが遥さんのところで過ごすことは格段に長くなった。だって、家具もなにもないところで留守番させるなんてちょっとかわいそうじゃないか。
そして僕は自分の頭を全力で回転させなければならなかった。
ジーナとの暮らしを守るためには、とにかくフェライトコアの計画は進んでいるように『見せる』必要があった。どのみちフェライトコアは『開拓団』にとっていい選択肢になるだろう。問題はおそらく……フェライトコアの開発だけでは僕は『足抜け』を許されないだろうということだ。ということは、開発はなるべくゆっくり、けれども『センター』を怒らせない程度ののろさで進めなくてはいけない。
そして『センター』はたぶん僕に『開拓団』に関する情報を流すように要求してくるだろう。『開拓団』を併合するというのは、たぶん『センター』の支配を強めるためだ。何のために……?
僕は自分の回らない頭を呪いながら、何度も何度も自分に問いかけた。……いったい何のために……?
ともかく、僕に何かあったら、ジーナは『開拓団』にまかせるしかない。ジーナがいる以上は、『センター』の言うなりになるわけにはいかなかった。
子供のころ、僕は『はじめの人たち』は火星に逃げた裏切り者であると教えられた。もしあのとき、友達に怜の言ったことを教えたらなんと言われたろう? 『センター』は嘘つきかもしれないと言ったら? 誰が、何のために地球温暖化でもうすでにめちゃくちゃだった地球に核戦争を起こしたのか?
もしそんな話をしたら、僕は『火星世代』にはもう入れなくなったろう。いや、今だって。もし同級生たちにこんな話をしたら信じてもらえるだろうか……? もしかしたら、一人だけは信じてくれたかもしれない。あの『消えて』しまった同級生なら。
僕は完全に孤独だった。これはもう、前みたいな精神的な意味じゃない。生存をかけた意味で味方がいなかった。完全なひとりだ。汗がにじんでくるような、じりじりするような孤立だった。
でも僕は、もうひとり自分と同じように一人ぼっちの人間を知っていた。
……怜だ。彼女も焼けつくような孤独を背負っていた。僕はこの状況になってはじめてそれが理解できた。
怜の瞳の光は、ずっとそれを見つめてきた強さだ。僕はたとえ殺されると知ったって怜に嘘はつけないだろう。
遥さんはどうやら、僕のそんな精神状態を見抜いていた。それで僕にこう言ったんだ。
「亘平……あんた何をやらかしたんだか知らないが、いくらヘボやったって『火星世代』が『開拓団』地域に追いやられるなんて聞いたことがないよ……」
遥さんはたぶん、僕が会社で大変なミスをやってここにきたと思っていたらしかった。僕は言った。
「僕はとにかくジーナと普通に暮らせればどこでもいいよ」
遥さんは言った。
「ジーナは猫なんだよ、亘平。いくら家族でも、人間じゃないんだ。ジーナを『センター』に返す気はないのかい……?」
僕は首を振った。ジーナは『センター』の猫たちとは明らかに違う。ジーナのような猫が他にいたという話も聞かない。遥さんだってそれは分っているはずだ。
自分でも笑ってしまうけれど、そのころのいちばんの愉しみは誰も知らない土地で怜とジーナとの暮らしを夢想をすることだった。
『開拓団』のコンパートメントは、古い鋼鉄都市の枠組みを残すもので、決して住み心地のいいものではなかった。計算外だったのは、『開拓団』が『火星世代』のように他人に無関心じゃないということだ。
鳴子さんから言われていたのは、引っ越したら隣の人間には挨拶するように、ということだった。僕は引っ越した日に左右の部屋の人たちにあいさつした。左側は不愛想な青年が入居していて挨拶は簡単に済んだ。右側は中年の夫婦が入っていた。
「何もわざわざ『開拓団』地域に住まなくったって……ねえ、あんた」
人の良さそうな夫婦のおかみさんがそういうと、旦那さんの方は僕を怪訝そうな目で上から下まで眺めまわした。
「あんたが新しい『火星世代』の監督さんかい? こっちは家に帰ってまで監視されてるみたいでやってらんねぇなあ」
僕が監督ではありませんよ、ただの平社員です、というとますますじっと見てやがて首を振った。
「会社の考えることは俺らにゃさっぱりわからねえや。ともかく、ご近所さんなら言っとくがその『火星世代』の格好はできるだけやめたがいいぜ。ギャングの格好の獲物になるぜ若いの」
コンパートメントは狭い通路でつながっていて、ドアから顔を出せばすぐに向かいに突き当たる、という具合だった。通気口は古くて、どこか空気が澱んでいた。通路はところどころ錆びかけていた。そして子供たちがその通路で遊び、どこからか誰かの『おかみさん』が顔を出して、また別の部屋の『おかみさん』に挨拶したりするのだ。
たぶん、となりの人の良さそうな『おかみさん』が僕について何か言ったのだろう。そういう人たちの情報網で、僕はあっという間に注目の的になった。
なにせ『火星世代』が『開拓団』で暮らしているのだ。『火星世代』では完全に気配を消して生きていられたのにね。
「あんたいったい何しでかしたんだい」
それが僕が地域の顔役から言われた言葉だった。僕はあんまりジーナを抱えているこちらの生活に鼻を突っ込んでもらっては困るのもあって、意味ありげににやりと返すだけにした。
長いあいだの鳴子さんたちとの付き合いで、『開拓団』の好奇心には何もエサを与えないことが大切だと分かっていたからだ。ところで、こういうときに『開拓団』の人たちはどんな反応をすると思う?
「そうかい……人間、言えねえこともあるわな!」
顔役はわけ知り顔にそううなずくと、周囲の人間にこういうのだ。
「まあそういうこった。最低限のとこは助けてやんな」
つまり、自分だけは何か知っている風を通すのだ。こういうときの面子の在り方は『開拓団』特有のものだった。(まあ、そのあとで自分には事情を話すように圧力をかけてくるけどね)
それで、『開拓団』の地域に住むまでは知らなかったんだけれど、『かわます亭』は『開拓団』の中でも上の人たちが集まるような店だったんだ。僕のアパートのある東地区は『グンシン』(僕の会社だね)が守備をしていたから治安が良かったけれど、少し外れればギャングの支配していると言っていい地域だった。
『かわます亭』はあの襲撃から一か月でもうすっかり元通りになっていた。地元から愛されていたからね。みんなそれなりに協力をして、ガラス窓も何事もなかったかのようにきれいになった。それでも『開拓団』地域は相変わらず荒れていて、仁さんのところにはひっきりなしにケガ人が運ばれているありさまだった。
僕は怜を『かわます亭』に呼び出した。怜にだけは状況を話しておかなくては、と思ったからだ。誰にも聞かれないのなら地上のほうがよかったけれど、僕が『開拓団』に引っ越したことも話しておきたかった。
その日かわます亭に現れた怜はまた開拓団風の格好をしていた。具体的に言うなら、紺のシャツの上に遥さんのようなゆったりしたエンジニア用のつなぎを着て、豊かな髪を二つに分けて肩におろしていた。
「引っ越したんだって?」
怜は僕の格好を上からしたまでさっと見るとそう言った。確かに僕はとなりの夫婦の忠告を守って、開拓団風の格好をするようにしていた。
「似合わないかな」
僕がそういうと、怜はまた例のにやりとした笑みを浮かべて何も言わなかった。怜に会ったら話さなくてはいけないことだらけだったはずなのに、僕は怜と会えばすぐ言葉を忘れる。となりで飲んでいた怜が僕の沈黙に怪訝そうに僕を見上げたので、僕は思わず咳払いをした。
「実は、会社のほうでとんでもないことになった……」
「とんでもないこと? それが引っ越しの理由?」
僕は自分の身の危険をどれだけ怜に話していいものか迷った。怜に心配をさせたくなかったからだ。
「実は『センター』が……」
その言葉を口にしたとたん、怜は手でそれから先をさえぎった。それからするどくあたりを見回して、話題をすぐさま変えた。
「遥さんたちはきょうは来るのかしら」
「さあ……。鳴子さんは駅の客が長引いてるのかもしれないし……。仁さんはここのところ忙しそうなんだ。開拓団も荒れててね」
「そう……じゃ亘平の家に行きましょ!」
僕はうなずきかけて止まった。
「えっ……」
「家に行きましょ。亘平の新しい家も知らないし」
怜はさっさと自分の飲み物を飲み干して僕を店の出口に招いた。
「怜さン……怜、いま来るの?」
「なによ、問題?」
僕があわてているあいだに、怜は怜で勝手に想像をめぐらせたらしかった。
「ああ、ごめん……うとくて。誰かと一緒に住んでる?」
「いや、そういうことじゃなくて、仁さんたちがいないから……」
怜はなぜかにやりと笑ってこう言った。
「二人きりになるから行くんでしょ!」
僕は目をつぶって深呼吸した。この言葉の意味をたぶん、深読みしても、たぶん、僕の希望する意味はたぶん、出てこないのだ。この笑みにも深い意味はないのだ。
開拓団の通りは、前より閑散としていた。というのも、ギャングがのさばるようになったので、みんな警戒して夜の街はあまり出歩かないのだ。そのせいで、通りは少しさびれているように見えた。
「ジーナは元気?」
怜は歩きながらそう言った。僕はうなずいた。ジーナは元気だし、遥さんの家によく行くようになって機嫌がいいし、なんならジャンクヤードで力をつけて家の中も飛び回るようになったし、で実際は第五ポート駅にいたころよりもずっと幸せそうだということしか言えなかった。
だけど、怜が家に来たらジーナはどうするだろう……ヘソを曲げないだろうか……。怜が嫌いだというわけではないけれど、怜とジーナとのあいだに妙な緊張関係があることだけは確かだった。
そんなことを考えながら歩いていると、むこうからものすごい勢いで黒い影が走ってきた。そしてそのうす暗い遠くから
「リングを摺られた!」
という叫び声。僕はとっさに怜をかばうように通りの方に体を張ったけど、当の怜はもうそこにはおらず、僕の腕をとりながら何食わぬ顔で走ってきた男の足に自分の足をかけた。
全速力で走ってきた男は文字通り揚げ足をとられて、そのまま宙に飛んで地面に激突した。
「あら、ごめん! ごめんなさい!」
怜は申し訳なさそうな顔で男に駆け寄ると、男の腕を自分の肩にかけて、僕にも手伝うように目で言った。
「ごめんなさい、ほんとに、大丈夫?」
怜は体を起こした髭の男に、大げさにまるで子供にするように怪我がないか確かめた。男は息をととのえ、怜をにらみつけると
「気をつけろバカヤロウ!」
とつぶやき、後ろを一瞬ふりかえった。そしてまだ追手が来ていないのをいいことにまた怜と僕を振り払って走り去ってしまった。
僕があっけにとられていると、男が見えなくなったところで怜はおもむろに手品のように袖をさぐると、リングを取り出して掲げて見せた。開拓団には珍しい、真新しいピカピカのリングだ。なんと、怜はスリからリングを摺り返したわけだ。
しばらくして、摺られた本人らしいやせっぽちの男がこちらにとぼとぼと歩いてきた。
「さっき叫んだひと?」
怜は男に近づくと単刀直入にそう聞いた。男はぼんやりと怜を見つめ、それから僕を見た。
「スリはこっちに来ましたか」
男は力なく言った。まるで走って追いかける気力もないといった様子だ。怜はリングを男に差し出した。
「さっき、髭の男が走って行ったんだけど、これを落としって行ったの」
男はリングと怜と僕を交互に見た。
「これです。奴が落として行ったんですか」
怜はにっこり笑ってうなずいた。男は受け取ると、何度も礼を言って離れて行った。
「あんな新品じゃ、手に入れるのも苦労だったろう」
僕がそういうと、怜は少し渋い顔をしていった。
「どのみち盗品だったわ」
僕が怜をみると、怜は僕をちらっと見てこう言った。
「開拓団のものではなかったもの。みんな生きるのに必死なのよ」
怜は真剣なのに、僕はとうとつに笑いの発作に襲われた。怜は笑いをかみ殺してる僕の顔を怒った顔で見上げた。
「なんで笑うの?」
「いや……自分の取り越し苦労がおかしくて……。敵わないなぁ……」
家に帰ると、怜をみるなり案の定、ジーナは瞳孔を細くして耳を伏せた。さらに、僕が怜にすすめた椅子の上にいちはやく飛び乗って丸くなる念の入れようだった。
けれど、怜は一向に気にしない様子で、まるでジーナが存在しないかのように隣の椅子に腰かけた。
「で、会社で何があったって?」
僕はそういえばジーナを探す時に怜に手伝ってもらって以来だな、と思いながら怜のためにお茶をいれた。
「実は『センター』に僕の企画が目をつけられて、プロジェクトを進めるように言われた。『センター』はこの計画のためだったらいろいろ僕に便宜を図るってさ」
怜は渡されたマグカップを両手で持って、しばらく考えていた。
「ただの計画じゃないのね」
僕は怜のはす向かいにこしかけて、お茶をすすった。不思議だけれど、怜にこのことを話すことができて、永いあいだの孤独な緊張感に、ようやく一息つけるような気分があった。
「このために『地球』への渡航許可すら出すと『センター』は言ってる」
怜は『地球』という言葉を聞いて、いっしゅん息を飲んだ様に見えた。
「彼らの目的は『開拓団』地域の併合だ。資源を一元管理したいと言ってるけれど、なんの資源なのかはよくわからない。とにかく僕が『センター』に期待されているのは、たぶん『開拓団』の情報を流すことだ」
そのとき、僕はジーナが隣の部屋で何かを落として壊す音を聞いた。いつの間にか隣の部屋に行って、そして招かざる客に抗議の姿勢を示したのだ。怜はけれどその音すら耳に入らないように続けた。
「どうして私にその話をするの」
怜の目は鷹の様にするどく僕の目を見据えていた。
「『はじめの人たち』に危険がなければそれでいい。僕はいまのところ、『センター』にも『開拓団』にもつけないでいる。僕の目的はジーナと穏やかに暮らすことだ。……『はじめの人たち』は……」
僕がそう言いかけると、怜はそれを遮って言った。
「私はそのことは話さないわ。亘平、あなたはいい人。私たちの『掟』に巻き込みたくない」
『掟』はたぶん知られたら始末する、という意味だろう。そういわれてこっちはバイク事件で怜のためにもう命の危険という意味でも、名誉の危機という意味でも犠牲は払っていたので、僕は思わず皮肉な笑いを漏らした。
「今日はヘンなときに笑うわね、亘平……」
怜はぞっとしたように僕の顔を見たので、僕は軽く傷ついた。
「ともかく、『はじめの人たち』に危険なことがあったら知らせるよ。僕を信用しているなら覚えていてほしい」
ジーナはいたずらに飽きて、また同じ椅子に戻ってふて寝していた。怜はそれをじっと見ながらこう言った。
「それでも『センター』の計画に巻き込まれたのは厄介だわ……。どうするつもり、亘平」
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