【一週間まとめ読み用-14】
僕:山風亘平 火星の平凡なサラリーマンだったが、資料室にアクセスするためのダミーの企画書がなぜか『センター』の目にとまってしまう。『センター』に秘密で猫のジーナを飼っている。
オテロウ:『センター』からやってきた猫
珠々(すず)さん:資料室で出会った可愛い女性。『センター』付部署のエリート。
怜:僕の惚れてる女性。『はじめの人びと』
鳴子さん:何かと頼れる『開拓団』の占い師。
***
僕はその日、家に帰ると、ジーナを思いきり抱きしめた。ジーナはさいきん、抱きあげられるときに自分から背伸びするようになったんだよ。
以前、ジーナはサバトラのふとっちょさんだと言ったろ? ジーナがそれを聞いたら怒るからちょっと付け加えると、ジーナは体重的にはそれほど太ってはいない。ただ、毛が長いからそれはそれは真ん丸に見える。
しかも、手足が『センター』の猫に比べるとちょっと短いと思うね……。だから、ジーナが一生懸命、そのみじかい足をのばして背伸びをすると、それはそれは可愛いんだ。
僕は抱きあげて、そのままモフモフのお腹に顔を突っ込んで、天然のネコカインを吸う。ああ、家に帰ってきたと思う。まあ、それは配給のネコカインが薄かろうと僕が気づかないはずだよね。ジーナから補給しているんだから。
僕が夢の中で泣いてから、ジーナはよく僕の顔をなめてくれるようになった。僕はあの夢の声をもういちど聞きたいと思うのだけれど、それは怜の声に似ているようでもあり、別の人のようでもあった。
……それと、ジーナは気に食わないことがあると手を僕の口の中に突っ込んでくるんだけれど、あれは何なんだろうね……。
そうだ、僕のジーナはもう七才になろうとしていた。僕の大切な家族は、もし『センター』の子猫だったなら、もう別れなければならない年齢だった。
僕はよくあの『消えてしまった』友達を思い出すようになっていた。いまなら、彼と家族の気持ちが痛いほどわかる。ジーナと別れなくちゃいけなくなったら。
だけど、僕の大切なジーナは『センター』の猫とは明らかに違う。彼らと違って、毛がとても長い。それに、地上の日の光を直に浴びても平気だ。そして、ちょっと言葉がつたない。けれど、そんな言葉よりずっと豊かな『心のことば』をもっている。そのくるくると変わる金色の目だね。
「ジーナ、おまえ、本当はどこから来たんだい? どうしで僕のところへ来たんだい」
僕は眠るまえ、ジーナによくそう語りかけた。ジーナは金色の目で僕をのぞき込み、何も言わずにただゴロゴロと喉を鳴らしていた。僕はジーナを守りたかった。僕のところは何故やってきたのかなんか関係ない。僕にとってジーナはかけがえのない家族だったんだ。もしかしたら、母の話をしようとすらしない、ほんとうの父親よりもね。
翌日は会社の『センター』部署にあのどうしようもない企画の説明をしなくちゃいけない日だった。
『センター』からやってきたオテロウは相変わらず大きく美しい猫だった。僕が『センター』部署に入っていったとき、オテロウは会議室のいちばん奥で、センター用モビールの上から僕を見下ろしていた。(センター用モビールというのは、猫の移動に使われるもので、だいたい立った人間と同じくらいの目線になるように作られている)
その灰色の毛並みはつやつやしていて、まるで水にぬれた鋼鉄の色だった。首もとには灰色の毛並みに映える、金色のバンドで翡翠色の飾り石のついた翻訳機が輝いていた。珠々さんはオテロウのとなりについていた。
僕は珠々さんに笑顔で挨拶したけれど、珠々さんは僕と目が合うと、不思議とちょっと哀しそうな目をした。
珠々さんのとなりのオテロウは、僕にむかってゆっくりと瞬きした。僕もゆっくり瞬きしてそれに返事をした。(猫同士の、敵意がないことを確かめる挨拶だけど、たぶんこの場合は『はじめまして』の意味だね)
僕はオテロウの前で企画の説明をしているときも、それほど緊張することはなかった。ジーナで慣れているからかな……。他の役員たちはみんなカチコチになって緊張していた。
僕がまだこの企画は開拓団の需要がつかみ切れていないということを説明すると、オテロウは何かを考えるように目を細めた。
「山風さん、このプロジェクトは『センター』も注目しています。なぜなら、我々は近いうちに『犬』を3000万台生産しなくてはならない。そして、『開拓団』地域と、『火星世代』地域は統合されなくてはならない」
オテロウは低い声でそう言った。
「つまり、『開拓団』地域の電力不足は解消されねばならない、ということですね、オテロウ」
珠々さんがそう続けると、オテロウはゆっくりとうなずいた。僕は内心、はじめて聞く計画に驚いていた。『開拓団』地域と『火星世代』地域の統合だって? いったい、火星の人々のしらないところで何が計画されているのだろう。
「『犬』製造のために、我々は、地球政府からイリジウムの増産を任されています。その副産物を有効利用することに『センター』はとても乗り気だ」
オテロウはうっすらと目を開けながらそう言った。ジーナとはまるで違う話し方。僕はほんとうにオテロウとジーナは同じ猫だろうか、といぶかしんだ。僕は言った。
「それじゃあ、もうこの計画は進むということですか」
「採算の問題はあとの話です。『センター』が開拓団地域の併合を決めた以上、フェライトコアのみならず、電力問題を解決するプロジェクトは完遂されねばならない。そのための人材をあなたにつけましょう、山風さん」
その一言で、役員の雰囲気が変わった。珠々さんも驚いた表情で、僕とオテロウを見つめていた。
「山風さん、ここからは私とあなたとで話しましょう。センターの考えはプロジェクトにかかわる人間以外には明かせません」
珠々さんはそれを聞くと、筆頭役員に歩み寄って何ごとかを耳打ちした。筆頭役員はうなずくと、他の役員たちを見回し、退出を促した。そして彼自身も部屋をあとにした。
珠々さんはみんなが出たのを見計らって、オテロウにこう言った。
「わたくしは同席してもよろしいでしょうか」
それは毅然とした声で、同席したいという意思表明だった。オテロウはかすかにうなずいて言った。
「もちろん君はいてくれてかまわないよ」
けれど僕のこころはそれどころじゃなかった。オテロウの言う計画のことが気になってしょうがなかったのだ。僕は自分の体がこわばるのを感じた。はじめて経験する、本能的な緊張だ。僕は言った。
「開拓団を併合するというと……」
オテロウは言った。
「『センター』は火星のリソースをすべて一元管理したいと考えています。火星は確かに鉱物は豊富にとれるが、そのほかの資源が豊富なわけではありません。山風さん、あなたは開拓団地域によく行かれるからご存知でしょう。常に……形あるものは崩れようとします、常にです」
僕はオテロウの言おうとしていることを理解しようとしたが、よくわからなかった。オテロウはまるで数千年前の地球文明の遺物のようだった。すっとのびた背筋に長くそろえられた前足。神秘的な緑色の目は常に半分閉じられ、僕たちを睥睨していた。
生まれながらの哲学者といった風貌からは、やはり子猫時代はどうしても想像ができなかった。
僕がどうやらじろじろオテロウを見ていたのか、オテロウはふと僕の方に目を見開いた。
「あなたはどうやら好奇心の強い人だ、山風さん」
オテロウは僕を見ながらそう言った。緑色の目に翻訳機の翡翠色の飾りがよく似合っていた。ジーナはの金色の目はあんなに表情が豊かなのに、オテロウの目からは何の感情も読み取れなかった。
「オテロウ……さん、開拓団地域はまだ火星世代とは全く別の暮らしをしています。それに、自主独立の気風がある」
僕がそういうと、オテロウは僕を見つめて言った。
「そうです、だからこそこのプロジェクトに意味がある。山風さん、あなたはこのプロジェクトで、『地球』への渡航権利も与えられます。わかりますね」
珠々さんの顔が青くなっていた。『センター』にかかわるものにはそれなりの特権が生まれる。そして、そこに生まれるのは特権だけではない。僕は、怜に突き付けられた刃の冷たさと同じものを、いまオテロウから突き付けられていた。
地球。火星の『センター』とは別格のこの世界の中枢。人類を生んだ星でありながら、火星の人間にはほとんどその実態は隠されている。地球はほとんど『センター』と同義語だ。
火星の人間ならみんな、地球に行きたいと思っている。それは強烈な思慕だ。けれど、それは人生にいちど許されるかどうかで、すべての日程も決められたコースで回るだけだ。それが、昨日までただの平社員だった僕が、渡航権を許されるだって……?
「オテロウさん、よくわかりませんが、なぜ僕が……」
オテロウは目を細めた。ほとんど喉がなるほどの低い声がする。
「山風さん、『センター』は人間の『本質』を見るのです。それにはあなたがいままでいた場所も、やってきたことも関係ない。あなたはもう我々の家族です。『センター』は我々(猫)に対する忠誠心を数値化することができる。あなたは我々の家族としてふさわしい人間であり、我々はあなたを受け入れることを決めた。それがあなたの知りたいことですか?」
僕はオテロウの目を見た。緑色の目は翡翠のように無機質で、つめたく僕を見つめ返していた。僕はたぶん、オテロウにとってなんでもない存在だろう。
僕はなんとなく、この話を断ることはおそらくもうできず、この計画に参加することによってしか、この部屋を出ることすら叶わないのだな、と理解した。
僕が消されるのは仕方ないとして、ジーナはどうなる? 怜とはもう会えないだろう。 そして、いまここで話を聞いてしまった珠々さんは?
「心根にみあった知恵と腕前があってこそ、本当の勇気ってもんだよ」
鳴子さんの言葉が僕の頭にこだました。
「鳴子さん、ごめんよ。僕はたぶんいま必要な本当の勇気が足りない男かもしれない。でも他の道はもうないみたいなんだ」
僕は頭の中の鳴子さんにそう答えた。僕は腹を据えると、オテロウに言った。
「オテロウさん、光栄です。いつか僕の忠誠心が認められることを信じていました」
オテロウはそれを聞いてはじめて満足そうに眼をつぶり、喉を鳴らしながら前足を僕の方に差し出した。僕はしばらく考えて、それが握手だと思いついて、自分も右手を差し出してそれを握った。
それは柔らかい肉球だった。オテロウはすぐに前足をふりながら引っ込めた。僕ははじめてオテロウも猫なのだな、と感じた。
「プロジェクト始動ですわね」
珠々さんが少し青ざめた顔で、それでも笑顔を作ってそう言った。僕も笑顔を作ってそれに頷いた。オテロウはまた冷たい表情に戻り、
「何か質問はありますか」
と聞いた。僕はしばらく言うか言うまいか迷った後、どうしても聞きたくなってこう言った。(オテロウの子猫時代のことがどうしても気になったのだ)
「……オテロウさんは、地球のお生まれですか」
「火星ですよ。そうは見えませんか?」
オテロウは少し僕の方を見た。
「いえ……それじゃ、ドームにいたことがあるんですね。うらやましい」
「昔のことです。しばらく地球にいたこともある」
地球……。オテロウはいったい何歳なのだろう、と僕は思った。『センター』の猫は人間と同じぐらいの寿命があると聞いたからだ。もしかしたら僕よりも年上なのかもしれない。
「どんなご家族でしたか……?」
僕がそういうと、オテロウの目が鋭く光った。
「家族……? 我々(猫)のことですか……?」
僕はオテロウの冷たい雰囲気に言いよどんだ。一緒に暮らした人間は家族とは言わないのだろうか? 『センター』ではそうなのかもしれない。
「いえ、オテロウさんと暮らした人たちのことです……」
オテロウの尻尾が何度か鞭打つようにモビールの上を行き来した。
「面白い質問だ。とてもいい人たちでしたよ。私はそこで人間というものを学んだ。彼らはとても愛情深く私を育てました。あまりに昔だからよくは覚えていないが。……なぜそんなことを?」
僕はわざと鈍感なふりをしてさらに踏み込んだ。
「その……さびしくありませんでしたか? 『センター』に行くときには」
オテロウの尻尾が大きく波打って、ただいちど、モビールの上をぴしりと音をたてて打った。
「何も知らない子猫の時分でね。『センター』での正式の教育を受ける前の猫は猫と呼べるかどうか? ……ともかく昔のことでよく覚えてはいない。山風さんの疑問の答えにはならないが」
僕はここが引きどきだと判断してこう言った。
「いえ、僕は本当に平凡な家庭で育ったので……。今回、オテロウさんのような『センター』のVIPとはじめて話すことができました。くだらない質問をしてすみません……」
「私はごく普通の『センター』の猫ですよ。いうなれば、『センター』にVIP以外はいないのです」
ぴんと張り詰めた雰囲気に、珠々さんがすかさず助け舟を出してくれた。
「山風さんは、『ドームの夢』がおありになるんだそうですよ。山風さんはそこでオテロウさんのような方を育てるには、とお思いになったのですわ」
オテロウは冷たい目で僕と珠々さんを見てこう言った。
「山風さんはドームで子猫と暮らさなくても、もうじゅうぶん忠誠度スコアは高い。いぜん我々(猫)と暮らされていたことは……?」
僕は内心びくびくしながら笑ってこう答えた。
「実はドームで暮らしている同級生のところによく遊びに行きました。そのときから僕には『ドームの夢』があるんですよ」
オテロウも皮肉な笑い声を返した。猫が笑うなんて! と僕は思ったけれど、表情は変えないように努力した。
「もちろん『センター』はお望みならドームに永住権を与えることもできますが、山風さん? 我々の子供たちを配給されたいなら、それも手配しましょう」
僕はほんの一瞬、ほんの一瞬だけドームでジーナと暮らす夢を見たけれど、次の瞬間にはその危険すぎる夢を打ち消すように首を振った。
「いえ、いまはむしろ開拓団地域のほうに居を構えたいと思います。そちらの方がなにかとプロジェクトにも便利ですから」
オテロウは平たい声でこう答えた。
「必要なものは手配させましょう。冠城さん、しばらく彼の方について手伝ってあげてください」
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