【一週間まとめ読み用-7】
ジーナ 僕の飼っている猫(家出中)
怜 地上で出会った謎の美女
鳴子さん 何かとお世話になってる開拓団の占い師
遥さん 鳴子さんの姉 エンジニア
仁さん 遥さんの息子 モグリの医者
僕は思わずえっ、とうなった。
「玄関の外をみて。通路の通風孔のところに、ジーナの毛が付いてたわ」
僕は急いで外にでて、玄関の左横にある、通風孔を見た。火星の都市は大部分が地下にあるから、循環ステーションから通風路がくまなくめぐらせてある。もちろん通風孔には格子がはまっているけれど、それは猫にとっては難なくくぐり抜けられる大きさだった。
そして、その格子には確かに『何か』がくっ付いて空気の流れにそってたなびいていた。それをつまみあげると、確かにジーナの縞々の毛だった。
「ジーナは通風孔からどこかへ逃げたのか」
部屋で待っていた怜はにっこりとほほ笑んだ。
「たぶん、ジーナは誰にも見られていないわね」
僕もその点では安心できた。ジーナはとりあえずは安全だと思えた。けれど問題は、ジーナが通風孔からどこへ逃げたかだった。怜は言った。
「とにかく、ポイントは通風孔は通路側へ風が吹くってことよ」
僕がいまいち飲み込めないでいると、怜はメモに通風孔の簡単な図を描いて見せた。
「ジーナが動けば、ジーナの毛が風で通風孔に引っかかる。ってことは、片っ端から通風孔を調べれば、ジーナがいそうな場所には毛が付いてるってこと」
僕はうーん、とうなった。すぐにそんなことを思いつく怜に舌を巻いたし、一方で何か怖いような気がした。それでも、とにかくジーナを見つけるにはやってみるしかない。
僕と怜は通風孔の点検役と見張り役に分かれて、あたりの通風孔を片っ端から調べて回った。ジーナの毛が見つかったのはやはり第五ポート駅に向かってで、けれど駅に近づくにつれ通風孔の数も増えて追いきれなくなった。それでもともかく、ジーナは第五ポートに行こうとしたのだろう。
ジーナは食べるものはどうしているのだろう。もうそろそろ日光浴をさせないといけないことや、急に買ってきたジーナの好物のことなんかが思い出されて悲しくなった。怜の前だからつとめて平気なふりをしたけれど、実際かなり落ち込んでいた。
「まあ、見つけようはあるわ」
怜はそんな僕の心を見透かすようにそうつぶやいた。
「いろいろ、ありがとう、怜さん」
考えることが多すぎて、僕は怜に向かって笑って見せるのが背いっぱいだった。
怜は言った。
「……あなたはいい人だわ。明日、『かわます亭』で、落ち合える? ちょっとアイディアがあるんだけど」
僕はうなずいた。
「とにかく、もういちど『かわます亭』に戻らなきゃ……マスターにも謝らなきゃならないな」
僕は一人で『かわます亭』に帰った。鳴子さんはすでに戻ってきており、マスターは僕にカンカンに怒っていた。当たり前だよね、鳴子さんの代わりの人間までいなくなってちゃ。
それでも、あの氷さわぎの犯人は分っていないようだった。僕はマスターに申し訳なくなって、高めのボトルをキープしてもらうように頼んだ。
「で、いったいどこ行ってたんだいあんたは」
鳴子さんはあきれ顔で言った。
「怜が来たんだ」
怜の話が出たとたん、鳴子さんの顔色が変わった。
「怜にジーナの話をしたのかい?」
僕はうなずいた。鳴子さんはきびしい顔をした。
「亘平、あんたあの娘に……。あの娘はやめとくんだね。おまえの手におえる玉じゃないよ。なにかあるよ、あの娘には……」
僕は鳴子さんを黙って見つめていた。そのとき、僕は自分がどんな顔をしていたのかはわからない。けれど、鳴子さんは軽くため息をついてこう言った。
「最近、怜は開拓団に入り浸っているけれど、どうやら商売が理由だけでもなさそうだ。だいたい本当に怜がセンターの人間だったらどうするんだい、ジーナのことなんか話ちまって……」
僕は軽く肩をすくめて一気にグラスをあおった。
「彼女がだれだろうと、人間には『気の合うやつ』と『気の合わないやつ』しかいないんだろ? 鳴子さん。僕だってここに入り浸ってるけど、『火星世代』じゃないか」
鳴子さんはもういちど盛大にためいきをついた。
「亘平、あんたはいいやつだ。姉さん(遥)も仁もみんなお前を気に入っている。あたしだって若けりゃお前を婿さんに迎えたっていいぐらい信用してるんだ」
鳴子さんに思わぬプロポーズをされて、僕は思わず吹き出しそうになったけどこらえた。鳴子さんはそれを待ってたように僕の背中をどんと叩いた。
「お前はいいやつだ。だから心配なんだよ」
「鳴子さん、僕はただの平凡なサラリーマンだよ……」
僕がそういうと、鳴子さんはおおきくかぶりをふった。
「ただの平凡なサラリーマンがあんたみたいに真っすぐでいられるのが凄いのさ。あんたは自分のことを何にもわかっちゃいない。いいかい、確かに怜はそんじょそこらの玉じゃない。美人だし肝も据わってる。女のあたしだって感心しちまうくらいだ。でも亘平のまっすぐさが通じる相手じゃない気がするんだよ」
僕は鳴子さんの言うことが正直、よくわからなかった。そもそも怜のこともよくわからないのに、どう返事をすることもできなかった。ただ理解したよ、というかわりに鳴子さんの肩をポン、とたたくだけしかできなかった。
「それでねえ、実はきょう、姉さん(遥)に『犬』を借りられないか聞きに行ったんだよ」
「い……っ!」
僕は思わず大声で聞き返して途中で声を押し殺した。『犬』は、センターの管理するロボットの中でも際立って特殊だ。なぜなら『猫』の捜索だけに使われるもので、それが出るときはつまり、たいていセンターの子猫が行方不明になった場合だ。
独立式の四足歩行ロボットで、10体ほどが街に放たれる。万が一、テロリストが子猫を傷つける恐れなどがある場合、人間を殺すための道具も内蔵されている。
『犬』が放たれるときは、人間は家にこもって外に出ない、それが鉄則だ。
「だけどねえ、やっぱりそいつは無理だった」
鳴子さんがそういうのを聞いて、僕は正直ほっとした。なんだかんだ言って、火星世代には『犬』は怖いものだ。
「鳴子さん……鳴子さんには怒られるかもしれないけど、実はあした、怜とここで待ち合わせをしているんだ」
鳴子さんはいぶかし気に眉を上げた。
「どういうことだい」
僕はジーナが通風孔に入って逃げ出したこと、そして怜がどうやってそれを見抜いたかを話した。それを聞いて、鳴子さんはしばらく考え込んでいた。
「まさか、怜の目的はジーナじゃないだろうね……」
僕の心臓は、それを聞いたときまるで冷水が流れ込んだかのようにゆっくりと脈打った。
「ジーナ……」
「だって、おかしいじゃないか。怜はあれから『かわます亭』によく現れる。それに、はじめのときはセンター風の格好をしていた。何のためだい……?」
鳴子さんはそういうと、ふと僕のほうを横目で見て、上から下まで眺めまわした。
「少なくとも、お前さんが目的ではないんだろう?」
心で泣きながら僕はこう言った。
「怜さんのことは良く知らないけれど、センターではないと思うよ。僕みたいにひょんなことから開拓団が気に入ったのかもしれない」
「とにかく、あの娘には気を付けるんだよ。明日の夕方は間に合えばあたしもここに来るからね。それにしても、いったいどうやってジーナを見つける気なんだい、あの娘は……」
鳴子さんはそういうと、占いをするために店の奥の席へと戻って行った。
自分のコンパートメントに帰ると、家の中は何もなかった。出迎えてくれるジーナはいない。今日、ここに怜が来ていたのが不思議なくらいだ。
からっぽの藤の椅子、台所に置かれた二つのマグカップ、しーんと静まり返った家の中。僕は鳴子さんに何を言われても、怜を裏切れないだろう。
ジーナのいない寂しさの上に、怜がついさっきまでここにいたことが余計につらかった。いったい僕はどうしてしまったんだろう? ……そうだ、僕は自分がひとりだってことすら知らなかったのだ。
翌朝、僕は鏡の中の自分を見た。まじまじと見るのはもう何年ぶりだろう。そこにはいつの間にか『学生ではない』自分がいた。とすると、まさか鏡をじっくり見たのは学生以来だろうか?
歯ブラシをくわえたまま、僕はしばし考え込んだ。顔を洗ってその流れで髭を剃り、タオルで拭くと、そのままボサボサの髪の毛を軽く整えた。
確かに僕はとびぬけた美男子ではなかった。けれど、それほどひどい顔立ちでもない。とはいえ、ひどい顔立ちというのを僕はそもそも見たことがないけどね。
ネコカインがすべての幸福や自己肯定感を約束してくれるこの世界において、ひねくれた顔立ちとか、不幸を背負った顔立ち、なんてものはもう存在しないのだ。
僕のとなりに、怜の美しい顔を想像で並べてみる。女らしい丸く整った額、すっと通った鼻筋に力強いあの瞳。怜の黒い瞳は神秘的だ。ときに晴れやかで、だいたいにおいて気まぐれであり、すぐに冷たくなり、ほんの少し愁いをおびている。火星の気候そっくりだ。
それに比べたら、僕の顔のなんと『つまらない』ことだろう。毎日、コミューター(火星の電車のようなもの)に乗って会社に行き、地面を掘り返すマシンの監視や生産の調整をして、時間になれば家に帰るだけだ。
ジーナが来るまでは、自分が一人だということにすら気が付かなかった。だけど、たぶんジーナがやってきて、心の扉の隙間から、寂しさが金色の目をしてするりと入り込んだのだ。
僕は鏡の中の自分をもう一度見た。その顔は少し疲れていた。自分がたぶん「悲しい」のだと感じた。そして、そのことに驚いた。
この世界でけれど「悲しさ」なんてなんでもない。……会社に言えば、一時的にネコカインの支給が増量されるだろう、たったそれぐらいのことだ。
怜との待ち合わせの時間まで、僕は会社でいつもの通り働いた。体調チェックのとき、ネコカインの増量を申し出ることもなかった。そうだ、僕はジーナが帰ってくるまで自分の中の悲しさを消そうとは思わなかった。
その夕方、僕は第四ポート駅で降りて、『かわます亭』に向かった。『かわます亭』にはなんとすでに怜と鳴子さんと仁さん、そして遥さんまでが集まって、先にワイワイやっていた。
怜は今日はまったくの火星世代風だった。つまり金属紗の上着の下にクロップシャツとミニ丈のズボンで、センターほど冷たくはなく、開拓団ほど温かくもなく、という感じだ。ふだん見慣れた格好でも、怜だと何か特別な感じがした。
「素敵だね」
僕が思わずそういうと、怜ははにかみもせず、意外そうな顔をした。
「そう? 第五ポートで人目を引かないようにね。だけど……」
怜は鳴子さんたちを見ながら言った。そうだ。開拓団風よりは目立たないだろうけど、そもそも鳴子さんたちが付いてくるんだからその努力は台無しだった。怜は確認するように言った。
「ヒョウ柄が鳴子さんに、背の高いのが仁さん、つなぎが遥さんね。遥さんにはようやく会えたわ……」
仁さんは穏やかな細い目で僕と怜を愉快そうにちらっと僕を見た。僕は仁さんをつかまえるとこう聞いた。
「なんで仁さんまで来てるんですか」
すると仁さんはニコニコして悪びれずにこう言った。
「いや、叔母さんがお前も来いっていうから……。それにほら、ジーナが二日も食べてないんじゃ、俺がいたほうが何かと安心だろ?」
それを聞いて、僕は鳴子さんが怜のことで何か言ったのだな、と直感した。
「それじゃあんたの家まで案内しとくれ」
鳴子さんの号令で僕たちは『かわます亭』を出た。怜はなぜか鳴子さんと遥さんに挟まれ、僕と仁さんが先を歩くことになった。
僕と仁さんとは特に話すことはなく、長い沈黙に気まずくなって何か言おうと仁さんの方を向くと、仁さんの機嫌のいいニコニコ顔の前に言うべきことを忘れた。仁さんは沈黙が特に気になる人ではないようだった。
僕と仁さんとは対照的に、後ろの三人は意外にも話がはずんでいるようだった。
「えー、それじゃ鳴子さんと遥さんは双子なんですか!」
怜のころころとした笑い声が聞こえてくると、遥さんがこういうのが聞こえた。
「あたしは機械いじりが好きでね、鳴子はからきしダメで。だけど占い師ってのは開拓団の大切な稼業だからね、そっちは鳴子が継いだのさ」
「遥さんはじゃあ子供のころからエンジニア。じゃあ、バイクも?」
遥さんと怜はえらく気があったようだった。
怜は愉しそうに笑っていた。
「まあそうだね、それしか能がないんだもの。それでお前さんはどこに住んでるんだい」
僕は、思わず怜が何と答えるかできる限り神経を耳に集中した。
「私? 私は辺境よ。第十五ポートと第二ポートのあいだぐらいね」
僕は怜をちらっと見た。怜は目でにやりと笑った。
辺境とは、星間連絡船の発着する地域だ。広い土地が必要なので、僕たちの住む地下都市からは離れている。
たとえもし、怜が『はじめの人たち』だったとしても、うそでも辺境に住んでいると言えば地上で出会ったのもそれほど不自然ではない。連絡船で働く人々は、地上に出ることは珍しくないからだ。
最初の出会いから、僕は混乱しっぱなしだった。いまでは、怜がほんとうは『はじめの人たち』なのか、『センター』なのかもよくわからなくなった。でもそうだ、怜は最初に出会ったとき、宇宙線防護服を着ていなかったのだ。
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