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【一週間まとめ読み用-22】

僕:山風亘平 『センター』に秘密で猫のジーナを飼っていた。いま行方不明。

とき:僕の惚れてる女性

山風明日香:亘平の母

珠々(すず)さん:僕の仕事を手伝ってくれる会社の女性

 ところでもし君が、チェス盤の上で完全に行く場所をなくして、もう仕留められるだけになっていたらどうする……? 諦めるしかない状況だ。でももし、君にどうしても守らなくちゃいけない家族がいて、諦めることもまた選択肢になかったなら……?

 ずっと前から僕はこの身動き取れない状況のなかで息を殺していて、ほんとうを言うと毎晩のようにうなされていた。

 採掘仕事で少しは体力もついたけれど、『センター』に支配されたこの世界で『センター』に刃向かうことは無謀なんてものじゃなかった。僕になにかあればリングが『犬』を呼ぶ。それは、僕を『始末』するためもあるけれど、僕を助けるような人間がいるとしたら、その人たちも巻き込むということだ。

 『センター』の構築したシステムはじつによくできていた。


 珠々さんの話を聞いたとき、万事休すと思われた。ところが思いがけない思考のすき間から、僕のあたまの中に『猫』がにゅっと現れたのさ。何を言っているかと思うだろうけど、君がもし猫を飼っているなら分かるだろう……。

 猫の中に人間がいるのか、人間の中に猫がいるのか、ともかく自分たちがよく似た存在だって感じるときがさ。

 それで、ともかく僕の中の猫はそのにっちもさっちもいかないチェス盤を見据えると、(まあ予想はつくだろうけど)気に食わないとばかりに盤上の駒をすべてなぎ払った。


 それで、僕は自分の中の猫に従うことにした。意味が分からないって? つまり、『センター』がこのチェス盤を支配するルールなら、チェス盤を僕は去ることにした。


 ただ、この計画を成功させるには、池田さんたちにだけは話しておかなくちゃいけない。僕がさいしょにこの話を打ち明けたとき、上川さんの反応は予想外に激しかった。


「そいつは無理だ、亘平。いくらなんでも」


「だけど上川さん、僕にはこれしか残されていないんです。生半可なことじゃ『センター』は追手をゆるめない」


「だけどおまえ……、この計画じゃ生きるか死ぬか五分五分だぜ……」


 僕は頷いた。もう覚悟は決まっていた。


「あと、僕は会わなきゃいけない人がいる。作業を半日ぬけさせてください」


 下田さんが言った。


「亘平、作業を抜けたついでに消えちまうってのはどうなんだ」


 これには池田さんが首を振った。


「だめだな。亘平の言うとおりだ。この計画の通りじゃねえと、どのみち『犬』が起動するようになっている」


「池田さん、すみません、巻き込んでしまって……」


 池田さんは首を振った。


「俺たちは何も知らねえよ。夜中、グースカ寝てる間に起ったことさ。それより、親父さんに会いに行くんだろう、ちゃんと挨拶していけよ」


 僕は頷いた。父にはもう会えないかもしれない。そして、最後に母のことを聞いておくつもりだった。


 君に手紙を送り始めたころは、まさか自分の父親のことを書くことになるとは思わなかった。21世紀の君たちにとったら、きっと僕がジーナのことは家族と呼ぶのに、父のことを話さないのは奇妙だと思ったかもしれないね。

 じつをいうと、僕と父は、『火星世代』のなかでもちょっと変わった家族だった。母はずっと家にいなかったし、話題に上ることもなかった。それに、父は僕とはちがって美男子で、つまり、女性にも人気があって、恋人もたくさん作っていた。(家には連れてこなかったけどね)

 まあ、もの心ついてから僕は家の中にひとりぼっちで恋人のところから遅く帰ってくる父を待っている生活だったわけだ。食事のときだってだんまりで、僕と話すどころか視線を合わせることもない。いっぽう、僕はといえばごくごく平凡な少年で、クラスで女の子にもてることもなく、目立ちもしなかったので話すようなこともなかったんだけどね。

 それでも、この計画のまえには、僕は父にあわなければならないと思った。なぜなら、父はたぶんたった一人の息子とこれで会えなくなるからだ。


 父と会うのはもう十年ぶりぐらいだった。電話で話したのだって思い出せないぐらいだ。つまり僕は父を徹底的にさけていたわけで、それというのも、僕たちのあいだにはいつだってあのブラックボックスが横たわっていたからだ。

 リングをあざむくためには3時間で帰ることが必要だった。つまり、話すことができるのはかっきり1時間だ。僕が父の暮らすコンパートメントを訪れたとき、玄関に現れたのは見知らぬ女性だった。

 僕が名前を名乗ると、女性はあっという顔をして、父を呼びに行った。僕はその女性がたぶん父の恋人だとは思ったけれど、まえの恋人たちと違ってずいぶん落ち着いた雰囲気の人だったことに驚いた。

 その女性に案内されて部屋に入ると、奥から父が出てきた。久しぶりに見る父は、ずいぶん年を取って見えた。当たり前だよね、十年ぶりなんだから。だけど、相変わらずしゃれた服を着て、紳士然としていた。この好男子を親に持って、どうして僕みたいなぼんやりした子供が生まれたのか不思議なぐらいだ。


「きたのか」


 父はそういうと僕の目の前の椅子に腰かけた。父はほんとうに何年かぶりに……僕を見つめた。その目には少し哀しげな光がやどっていた。僕は時間に追われて、単刀直入にこう言った。


「お父さん、今日は聞きたい話があってきたんです」


 父はゆっくりとうなずいた。もうすでに話題が何かわかっているような様子だ。


「僕の母、山風やまかぜ明日香あすかについてです」


「明日香……」


 父はぼんやりと繰り返した。そこに何があるかはわかっているけれど霧の中に目を凝らすような表情だ。父はこう言った。


「亘平。私たちはとても奇妙な親子だったと思わないか」


 僕は驚いて父を見た。僕の思っていたことそのままだったからだ。


「おまえには謝らなければならないと思っている。けれど、話してやろうにも私には明日香の記憶がない。伝えられるとしたら、私の記憶の範囲でありのままを伝えるしかない」


 僕は目を見張ったまま、言葉を失った。母の記憶がないって……? 父は僕をじっと探るようにみて、そのまま言葉をつづけた。


「明日香は……おまえの母さんは、なぜ写真も何も残っていないと思う?」


 僕はまったく見当もつかずに首を振った。じつは僕はいまのいままで、母は誰か父とは別の人と出ていってしまって、それで父が僕に冷たいのではないかと思っていた。父は言った。


「さあて思いかえせば、私の記憶は真っ二つに分かれている。明日香に会うまえと、会ったあとだ。名前だけは分っているけれど、彼女がどんな人間だったかは私には思い出せない。空白の五年間があって、あるひ私の家には三歳になったおまえがいた」


 父はそこでためいきをついた。そして哀しげな目でもういちど僕を見つめた。記憶の糸を手繰り寄せても僕のところでぷっつりと糸が切れているのだ。僕は子供のころ、その目がいつも僕をどこからか見ていたことを思い出した。

 僕は言った。


「……ということは、お母さんは消されるだけのことをしたということですか」


 父はふるえる唇をかるくゆがめた。母は『センター』から記憶を消されるだけのことをして、それが犯罪者と呼ばれるものなら。父は僕になんといえば良かったのだろう? ある日とつぜん自分の息子だという子供がそこにいて、父は戸惑わなかっただろうか? 僕ははじめて、父の気持ちが少しわかったような気がした。

 僕は母が何の罪を犯したのか知りたい気持ちにかられた。けれど、それを知ることは今は無理だ。いまはとにかくこの『センター』の支配するルールをかいくぐらなければならない。

 僕が考えを巡らせていると、父は昔と同じようなこの沈黙を破らねば、と無理やり口を開くようなかっこうでこう言った。


「亘平、おまえ会社のほうはどうだ。きつい仕事になったんじゃないのか」


「はい、いま採掘場のほうに行っています……。どうしてそれを?」


 父はそれを聞くと二度三度かるくうなずいた。


「グンシンに行った後輩に聞いたんだ。無理はしていないのか。どうしてそんなきついところに……」


 それを聞いて、ほんの数秒、こどものような甘えごころが出て、僕は父に全てを言いたくなった。実は『センター』に狙われているんだ、と。

 でもその次の瞬間には、山風明日香のことが頭をよぎった。

 よりにもよって、母と息子二代で『センター』に消されようとしているわけだ。僕はそれを思ったとたんまた自分の中の強さをすこし取り戻した。


 いま僕が父にひとつだけしてあげられることがあった。この計画では、父は僕の記憶は失わずに済むだろう。

 僕は父に言った。


「お父さん、時間がないのでもう帰ります。これからも元気で」


 父は、そうか、と言うと、また来るんだろう? と弱弱しく聞いた。僕はその声の弱さにすこし胸を突かれた。


「僕のことは何も心配しないでください。何を聞いても、何を言われても、心配しなくて大丈夫です。僕は僕でなんとかやっていけています」


 僕はそういうと、まだ父と話したい気持ちをおさえてなんとか立ち上がった。またあの女性が奥から出てきたので、僕は別れのあいさつ代わりに軽いハグをして言った。


「今日はありがとうございました、どうか父をよろしく」


 僕は詰所にもどるコミューターの中で、乗り合わせた人々を見回した。通勤の時間帯ではなく、込み合ってはいなかった。リラックスした様子で体を椅子にもたせ掛ける人、幸せそうに顔を寄せる恋人たち、体を丸め、何事か思案顔で座席の一点を見つめている男。

 僕はどんな顔をしているのだろうか。すくなくともいま、僕は不幸ではなかった。僕は父の顔を思い出した。父も不幸ではないけれど、どこか寂しい顔をしていた。

 そうだ、小さなころは気が付かなかったけれど、そうか、父の僕を見る目は寂しかったのだと僕はきゅうに理解した。……もし僕がいま、怜の記憶を失ったら。

 怜にフラれた苦しい思いは消えるかもしれない。でも、ジーナが飛び出したとき一緒にジーナを探した思い出や、『はじめの人たち』のことを聞いたときのまっすぐな瞳の記憶を失ってしまったなら。

 『何を失ったか』を知らないというのはたぶん、想像以上におそろしいことだった。父が多くの恋人たちを作ったのも、たぶんその空白じたいが何かを知らなかったのだ。

 僕は、自分の中にぽっかり空いた空白が、猫の形をしていることを知っていた。そして僕の悲しみは、怜の姿をしていることを知っていた。


 僕はそれで……自分が珠々さんに言わなければならないことを理解した。珠々さんは今日もリングの情報を中央に持ち帰るために詰所にくるだろう。

 詰所のドアを開けたとき、はたして珠々さんはもうそこにいた。僕の顔をみるとホッとした様子で、だけどすぐにその表情を曇らせた。


「珠々さん……」


 僕がそう言うと、珠々さんは覚悟を決めた顔で頷いた。珠々さんは自分のリングを外すと、池田さんに


「すぐにもどります」


 と言って渡した。僕と珠々さんは詰所を出て、採掘場のエレベーターの前で話をした。


「珠々さん、僕はどのみち『センター』に消されます。そのまえに賭けに出ようと思うんです。それで……」


 珠々さんは、少しうつむいた。表情は髪に隠れて見えなかったけれど、少し髪が震えているように見えた。僕は言った。


「……どうか僕を待たないでください」


 珠々さんはうつむいたまま頷いた。


「怜さんがそんなに好きなんですね……」


 僕はそういわれて、珠々さんにも嘘はついてはいけないと思った。


「珠々さん。怜じゃないんです」


 珠々さんはそこで顔を上げたけれど、難しい考えごとをしているみたいに目をつぶっていた。珠々さんは言った。


「……怜さんの他にもいらっしゃるの……」


 僕は珠々さんの考え違いに少し笑ってしまったけれど、同じようなことと言えないことはなかった。


「怜には相手がいます。僕の入り込めないような相手です。僕はあきらめなければならないと思っています。でも、それとは別に僕には最愛の家族のような存在がいるんです。たぶん彼女がいなければ、僕は怜を好きになることも、それから、珠々さんに好きになってもらえるような人間でいることもなかった。僕はいま彼女を探すために、僕はそのために賭けに出るんです」


「それで、待たないでくれっておっしゃるんですね」


 珠々さんの声はりんとしていた。僕はちょっとたじろいだ。


「努力はします、でもお約束はできません。亘平さんは鈍感だから分からないかもしれないけれど……」


 珠々さんは大きな目で僕をまっすぐに見つめていた。やがてその目には涙がたまった。


「怜さんだって亘平さんを心配しています。分るんです。これでわたしとはお別れになるかもしれませんけど……」


 珠々さんの声は震えていた。


「亘平さん、生きて」


 僕は自分の体がわななくのがわかった。それは珠々さんを好きだから、とかいうことではなく、自分の大切な人たちみんなへの思いがあらためて体に駆け巡ったからだった。


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