【一週間まとめ読み用-18】
僕:山風亘平 『センター』に秘密で猫のジーナを飼っていた。いま行方不明
怜:僕の惚れてる女性
珠々さん:僕の仕事を手伝ってくれてる女性
池田さん:採掘場の責任者
***
結局、僕はその日、まんじりともすることはできなかった。詰所は坑道に面した谷間にあったので、僕は朝が来たことにも気が付かなかった。
ただ、詰所のドアが急に開いたので、僕は長椅子の上に伸ばした体を起こした。入ってきたのはさいしょ黒い影にしかみえなかったけれど、
「わっ! 誰だ!」
と声をあげたのでそれが男だということだけはわかった。そのとき、谷を縫って朝日が差し込んできた。それで僕は、赤い光の中で、それが白髪交じりの初老の男だということに気が付いた。
「なんだよ驚いたなあ」
男はそういうと、まじまじと僕の顔を見た。男は無精ひげを生やしており、顔には深い皺が刻まれていた。
「新入りかい、若ぇの」
そしてテーブルの上の二つのマグカップを顎でしゃくってみせると、にやりと笑いながらこう言った。
「出勤前に女連れ込むたあ大した度胸だな、髭ぐらい剃りやがれみっともない」
僕はいまさら、それが僕が話をしようとしていた池田さんだということに気が付いた。僕は椅子から立ち上がると、池田さんに向かって頭を下げた。
「誤解をまねいてしまいすみません。グンシンの本部から来ました、山風亘平です」
すると、池田さんはうなり声のような、詰まった驚きの声を上げた。
「えっ、あんたが本部の……、山風って人かい……」
「はい。池田さんと直接、生産物のこまかい話をしたくてこの部署に来たいと願い出たんですが……」
池田さんは渋い顔をした。
「そうかい、そいつは結構だが、うちは現場を知らねえ人間はおいとく余裕はないんだ。丁重にお断りして、お帰りねがおうって話だったんだが……」
池田さんはそういうと椅子を引きながら、白髪頭をぼりぼりと掻いた。僕にしても池田さんにしても計算外の初対面だった。池田さんはゆっくりと椅子に腰かけると、うーん、とうなって、僕をまじまじと見た。
「で、なんでお前さんがここにいて、しかも女を連れ込んでるんだ」
「女というか、その件は誤解ですが……」
池田さんはうつ向いたまま、うなずきながら言った。
「じゃあそこに落ちてる長い髪は見間違いだな。ともかくなんであんたがここにいるのか説明が欲しいんだ。もうそろそろここに来る他の連中にどう俺は言ってやればいいのかってことさ」
「実は帰る家がないんです。それで昨日、ここの宿直室を使えないかと……」
僕がそういうと、池田さんはまたうなりながら椅子に身を沈めた。
「家がない男が本部から採掘場へ転がり込んだ……」
「家はありました。第四ポートにある開拓団のアパートで。ギャングに焼かれたんです」
すると、池田さんはがばっと身を起こしてこう言った。
「昨日の火事!」
「はい。開拓団では僕ら『火星世代』はターゲットになってるんだと……。それでもうあのアパートに帰れなくなりました」
池田さんはふうっとためいきをついた。
「そうはいっても、厳しいことを言うようだが、ここに来てもらっても困るんだよなぁ……。山風さん、現場の人間ってのはあんたが思うほどお上品じゃないもんでね、特にこういう危険な現場は。あんたの前にきた本部の人間が、いったい何日もったと思う?」
「わかっています。だけど、どのみち僕はこの仕事をやらなくちゃならないんです」
『センター』の求める仕事を失敗すれば、僕の安全は保障されないだろう。もしそうなったら、誰がジーナを探すというのか?
「じゃあお前さんが、ここの奴らを説得するんだな。俺は生産部門の調整担当としていろんな現場を渡っちゃきたが、ここの人間は一筋縄じゃいかねえぞ。俺は厄介ごとはごめんこうむる」
「わかりました、僕が説得します……」
池田さんは僕を見つめたまま間をおいて、それからテーブルを手の平でポンと打つと、椅子から立ち上がってお湯を沸かし始めた。僕はふと自分のビジネスリングが震えるのを感じて、表示を見ると、なんと10件以上もメッセージが入っていた。珠々さんからだった。
僕は池田さんにあいさつして詰所の外に出た。僕がコールすると、珠々さんは一回も鳴らないうちに出た。
「山風さん?」
「はい……」
珠々さんの心配そうな声に僕は昨日の『かわます亭』でのことを思い出した。
「ああ、よかった……。昨日はどこに行かれたんですか? ひどい火事だって聞きましたけど、家は……」
「連絡もせず、心配かけてすみません。家は焼け出されて……」
珠々さんは電話口で言葉を失っているようだった。そうだ、僕は珠々さんも『かわます亭』にほったらかしですっかり忘れていたのだ。
「珠々さん、無事に家に帰れましたか……?」
電話口の珠々さんはそれを聞いて怒りを爆発させた。
「私のことなんかどうでもいいんです! 山風さん、いまどちらに? 会社にはいらっしゃいますか?」
「いえ、今日からもう採掘場の方へ……。実は昨日、採掘所の宿直室を使ったんです」
「……怜さんは……? いま一緒ですか……?」
そういえば、『かわます亭』を飛び出すときは怜と一緒だったのだ。僕は自分の口から乾いた笑いが漏れるのを感じた。
「いや、別です」
珠々さんがふっとためいきをつくのが分かった。
「今日、会社で山風さん用の新しい居住地を探しますわ。今日も『かわます亭』にいらしてくださいますね?」
珠々さんはたぶん僕を心配してくれていて、声が必死だった。僕はなんだかそれで逆に自分が落ち着いた。
「珠々さん、……冠城さん。僕は大丈夫です。家のことも、僕に任せてくれませんか……?」
「……だって、だって山風さん……」
珠々さんは少し泣き声になったようだった。けれど、少し間をおいて、落ち着いた声でこう言った。
「でしたら、怜さんは? あの方『センター』ですよね。安全な地域に家を見つけてもらえるんじゃないかしら」
僕は思わずえっ、と電話口で言葉を失った。怜が『センター』の人間だって?
「握手の仕方がそうでしたもの。それに、身のこなしも……」
僕は何が何だか分からなくなって、しばらく黙っていた。怜が『センター』の人間だって? いったい珠々さんは何を言っているんだろう……。
僕は電話でうまく珠々さんをなだめると、電話を切ってからしばらく呆然とした。怜の身のこなしが『センター』のものだって……?
そういえば、二回目に『かわます亭』にあらわれたとき、確かに『センター』風の姿はしていた。だけど、怜はたしかに『はじめの人たち』のはずだ。地上で防護服を着ないで平気な顔をしていた。
いそがしく考えを巡らせているうちに、僕の横を数人が通りすぎて、詰所に入っていった。おそらく、採掘人たちだろう。僕は彼らのあとについて詰所に戻った。
僕が詰所に入ると、採掘人たちが僕をふりかえった。池田さんが僕を指さして採掘人たちに言った。
「新入りになりたいんだとよ」
それを聞いて一人の小柄な男が僕を上から下まで眺めまわして、あざけるように言った。
「へえ、このうらなりが、ですかい。なんだってこんなススまみれなんだか。さしずめ職を追われてとりあえずの宿が必要ってとこか」
池田さんは首をすくめた。
「おれは前からのとおり、あんたたちの人選には文句はいわねえ約束だ。だから、今回もかかわらねえよ。命を張るのはあんたらだからな」
詰所には三人の採掘人がいて、一人は撫でつけ髪で、小柄で身軽そうな引き締まった体をしており、一人は髪が薄く中肉中背だが背中が少し曲っている男、一人は縮れ毛頭で、背中までも筋肉が隆々としている大男だった。
三人のなかではどうやら縮れ毛の男がリーダー格のようで、僕にむかってこう言った。
「足手まといを入れる余裕はないが、名前はなんていうんだ」
池田さんは我関せずといった風に窓から外を見ており、僕はだけど本部であることを悟られたらおそらくそこで話は終わるのだと直感した。
「亘平です。下っ端なんで亘平って呼んでください」
池田さんはそれを聞いて、ふっとこちらに顔を向けた。縮れ毛の男は言った。
「で、なんでそんなススっけてるんだ。髭も剃らないで、前は炭素工場(二酸化炭素から炭素を取り出す工場のことだ)にでもいたのかね」
そこで池田さんが口をはさんだ。
「なあ、詰め所に女まで連れ込んでやがったよ、こいつは」
「いや、それは誤解で……」
僕がそう言いかけると、池田さんは言葉を継いだ。
「家もないってんでまだ雇ってもない詰所に女と転がり込んでるんだから、おおかた」
そこで池田さんはまず親指を立て、もう一方の手で小指が離れるジェスチャーをしてみせた。そこで男たちはいっせいに笑った。
「詰所に入ったってことは会社からトークンをもらってるわけだな。それじゃあ一度は仕事をみたってことにしないといけねえな。なあ、池田さん」
池田さんはうなずいた。
「なあに、一度見て使えねえなら上には言うよ」
中背の男が僕の脇腹を肘でつついた。
「で、その女ってのはいい女なのかい? 察するに敵は工場長ってとこだな」
小柄な男もにやにやとして僕に採掘用の工具を渡してきた。僕は何も知らない人間に怜のことを下世話に詮索されたくなくて、思わず小柄な男をにらんだ。
「こいつはマジだぜ」
小柄な男はなぜかほくほく顔でそういった。僕はこういった過酷な現場で、どういう経緯にしろ『上の奴をぎゃふんと言わせる』ことのもつ意味合いをまだよく理解していなかった。
僕は縮れ毛の男に、道具だけをもって自分についてくるように言われると、他の二人の分も余分に持たされて坑道を降りることになった。
どうして会社が支給している作業服を着ないのかいぶかしんだけれど、その理由はすぐに分かった。作業服など着ていられないのだ。
鉱脈の近くに火山のマグマだまりがあるようで、地熱がすさまじかったからだ。坑道は入ってすぐに立て坑のエレベーターへと繋がっていて、そこから百メートルは地下へもぐった場所にあった。
現場では、会社の定めたルールは何から何まで守られていなかった。つまり彼らは池田さんの言うように身一つで鉱脈から調査用のレアメタルを採取していた。
「俺は上川で、こいつが仲嶋、そしてこいつが下田だ。基本的には見て覚えろ。いちいち教えねえぞ。待避所はエレベーターの横だ」
エレベーターが採掘レベルにつくと、縮れ毛頭の上川さんはそういった。立て坑はもともとのマグマだまりらしき空洞につながっていて、ほとんど断崖絶壁のなかほどに鉱脈が顔をだしているのだ。
「それと、これが命綱だ」
そういうと、上川さんは僕にゴーグルのようなものを渡した。それをつけると、暗い坑道が赤く輝く岩の中に浮かび上がった。まるで溶岩の中にいるようだった。どうやら、赤外線スコープのようなものだったが、それをつけるとさらに岩肌の熱を目でも感じた。
「それを落とせば目が見えなくなる。一巻の終わりだ」
上川さんはにやにやしながら言った。僕がひるむのを楽しむつもりだろう。けれど僕はすでに熱にやられていて、もう怖がる余裕すらなかった。
ただ立て坑から採掘の拠点についただけで、僕たちの顔からも体からも汗が噴き出した。みんなが上着を脱いだので僕もそうした。だからと言って暑さがマシになるわけではなかったけど、上着を着ていたら確実にすぐに気を失いそうな熱気だった。
見て覚えろとはよく言ったもので、湿度も高いからしゃべること自体が体力を使う。僕は何か言われるたびにうんうんと肯くのがやっとだった。
僕はもういちど、頭の中で待避所までの道順を繰り返した。いますぐに駆け込みたい気分だった。
それから上川さんは僕にハーネスをなげてよこした。採掘方法は驚くほど原始的だった。……つまり、すべてが人力で行われていた。人を崖から吊り下げるのも、鉱物を掘るのも、鉱物を引き上げるのも、だ。
「作業はニ十分が限界だ。俺がまず崖を降りるから、お前はこのバケツのロープをしっかり持ってろ。汗ですべらすなよ」
その言葉の意味はすぐに分かった。ロープは耐熱と断熱のために汗を吸わない素材でできていて、手の中であっという間に滑りやすくなるのだ。そして、手袋なんぞはめようものだったらすぐに体が気温の方で参ってしまう。ニ十分は気が遠くなるほど長かった。
バケツを上川さんの手元にとどめて、合図で引き上げなければならないのに、僕は5分も経たないうちにバケツに入れられた岩石の重みで手を滑らせた。
それから、あっという間にバケツは谷底だ。
「体に括り付けてでも落とすな、新入り!」
小柄な下田さんから怒号が飛んだ。僕がはっと下田さんの方に頭を上げようとしたのは覚えているけれど、そのときの記憶はそこまでだった。
ぼんやりとした意識の中で、僕はジーナの重みを胸に感じた。それは子猫時代のジーナで、まだ家に来て数週間ぐらいのときの重さだった。
僕がジーナを見ると、ジーナは心配そうな顔で僕をのぞき込んだ。何か言いたげだけど、僕が耳を澄ませても何もしゃべらない。僕はもうジーナを逃がすまいと、いっしょうけんめい右手でジーナをつかんだ。ただ、その顔はいつの間にか猫じゃなくなって、人間のような、もっというとのぞき込む瞳だけのような存在になっていた。
「おい、亘平! 亘平!」
僕は上川さんの声で気が付いた。待避所には緊急の冷風装置が地上から降ろされていて、僕はベッドの上で急速に『冷却』されていた。
「気が付いたか、まさかしょっぱなから気絶するとはな」
僕は首を起こすと、自分の右手を見た。そこにあったのはゴーグル式の赤外線スコープだった。道理で夢の中のジーナが軽かったはずだ。
「命綱だって言ったら後生大事に握りしめてやがるよ」
仲嶋さんが笑いながらそういうと、僕の手からスコープを受け取った。
「悪いことはいわねえ、おまえさんはここには向いてねえよ。いちど上がるぞ、下田、おまえ道具持って上がってこい」
上川さんはそういうと、僕はほとんど上川さんと仲嶋さんの肩に両腕を担がれながら待避所をでて(待避所の外はまた気を失いそうな熱さだった)、エレベーターで地上にあがった。
下田さんは僕のかわりに道具を一式持ってきてくれた。
僕はただ、向いてない、という言葉をぼんやり頭の中で繰り返した。そうか、僕はここも追い出されるのか、というにぶいあきらめの気持ちが、吐き気とともに胸に上がってきた。
僕は文字通り、空っぽな気持ちで詰所でしばらくのびていた。まったく情けなくて、涙もでないありさまだ。上川さんたちはすぐに作業のためにまた坑道を降りて行った。
「残念だったな」
池田さんはそう言った。僕は体も起こさずに、しかも池田さんの方も見ずに言った。どうせもうここにもいられないのだ。
「どうして上川さんたちは耐熱服も着ないでやるんですか。これじゃとても身が持たない」
「なんでだと思う? 奴らは完全な出来高だからな。この鉱脈が有望かどうか、とにかく会社に言われた既定の量を採取してきてはじめてカネになる。会社の配るようなバカ厚ぼったい耐熱服きて、あんたあの絶壁にぶら下がれるかい? 救助の時は担いで退避するのに、あんな重たいもの運べるかい?」
「それでも会社は耐熱服を予算計上し続ける……と」
池田さんは、ははは、と大きく笑った。
「それだけ減らず口が利けりゃあいいな。おい、山風さん。それでもダメなもんはダメだ。詰所のシャワーでも使ってさっぱりして、どうか本部におとなしく戻ってくださいよ」
僕は黙った。まだしばらく動く気力はなかった。
小一時間そうしていて、ようやくの思いで体をおこすと、保管箱の中からビジネスリングを取り出した。珠々さんからまた一件の着信が入っていた。
僕は『かわます亭』に行ける時間を珠々さんに送ると、ついでに地上駅の近くにホテルをとってもらうようにメールした。自分でも情けなかったけれど、会社の近くや、開拓団の近くにいたくなかった。
池田さんはようやく椅子から立ち上がった僕を見ると憐れむように僕を見た。
「ひでえ服だな……。餞別代りに着替えをやるよ」
池田さんはそういうと、誰も使っていない予備のロッカーをごそごそやり始めた。
「申し訳ない」
「なに、会社の備品でね」
池田さんはそういうと、後ろ手で服をポンポン投げてよこした。それはほとんど特徴のないシャツと上着とズボンとで、まあいうなれば作業員そのものの服だった。
僕はそれを受け取ると、シャワー室へと向かった。服をぬぐときに、ポケットから白い布きれが落ちた。いったいなんだろうと拾ってみると、それは怜がマスク代わりに自分の袖を割いた布だった。
僕はふと、ああそうか、怜は袖がないままここから帰ったのか。と思った。袖がないままここまでついてきて、袖がないままここから帰ったのだ。
そのことが妙に僕の胸に刺さった。『かわます亭』で怜に会えたなら、まずは怜にきのう、声を荒らげたことをあやまろうと思った。
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