ブブゼラ売りの少年
「ブブゼラは要りませんか? どなたか、ブブゼラは要りませんか?」
燦々と西日の差す街角で、道行く人々に必死で声をかけている一人の少年。
「吹けばたちまちお祭り気分! 南アフリカの伝統楽器ブブゼラですよ。みなさんいかがですかー?」
ガリガリの体にボロ切れ同然の布をまとっただけの、みすぼらしい身なりをした少年の姿には、逃れようのない貧困の匂いがこびりついている。努めて明朗な口調で販売文句を口にしているものの、声の出しすぎか喉を嗄らしており痛々しい。
太陽は傾きかけてもなお強い日差しを放っており、少年の頭上から容赦なく照りつけて、そのうなじをじりじりと焦がしていた。痩せ細った少年の体から、この上何かを搾り取ろうとでもいうように。
行き交う人々は皆、少年には目もくれずに通り過ぎていく。彼の呼びかけに立ち止まる者は、誰もいない。
少年は一旦声かけをやめ、肩を落として深く溜息をついた。
2010年ワールドカップ開催後、南アフリカ国内で大量に余ったブブゼラの在庫をさばくのが少年の仕事だった。
試合の応援で使われたことで大会を象徴する楽器となったブブゼラだったが、ブームにあやかった過剰な生産に消費が追いつかず、現在ではおびただしい数のデッドストックが発生してしまっている。そのせいで潰れた楽器製作所も少なくはなく、そうした製作所から破格の安値でブブゼラを買い漁って観光客などに売りつけようとする業者まで出現する始末だ。
少年は、そういった類の悪どい業者に雇われている、下っ端の販売員であった。
この仕事は完全歩合制であり、売れば売るだけ自分の利益が上がる一方、売り上げノルマを達成できなかった場合は即クビを切られる。
少年にとってはようやくありつけた仕事だったが、代わりなどいくらでもいるということだろう。
親がおらず、帰る家もない少年は、自分で食いぶちを稼がなくてはならない。しかし、今のところ売り上げは芳しくなく、このままではクビは免れないという状況だった。
「ああ、どうしよう……」
少年は、途方に暮れたように独り言を呟き、地べたに座り込んだ。
(ひどいや……誰も立ち止まってくれないんだもの……)
朝から何も食べずに街角に立ち続けているというのに、誰一人ブブゼラを買ってくれないばかりか、少年の呼びかけに反応するものすらいない。ずーっと無視されていた。
(まるで幽霊になったみたいだ)
商品がからっきし売れないこともそうだが、自分など存在していないかのような扱いを受けていることもまた胸に来る。まだ子供の彼は、仕事だからと割り切って考えることができない。客商売とはいえ、人からぞんざいに扱われるのはつらかった。
少年は、知らずうつむいて地面に視線を落としていた。
その時、乾いた地面にぽつぽつと水滴が降ってくるのが見えた。慌てて空を見上げる。
先ほどまで晴れ渡っていた空が、唐突に曇り始めていた。吹いてくる風も湿り気を帯びている。
「まずい!」
少年は、商品のブブゼラが詰められている箱に急いでビニールシートを被せると、バナナの木の下に移動した。
突然のスコール。
ここ南アフリカにおいて、スコールは珍しいことではない。雨風が激しく吹き荒れた後、しばらくしてから嘘みたいにカラッと晴れる。それまでただスコールが止むのを待つしかないが、雨風をしのぐ場所もなければ傘も持たない少年は、バナナの葉の下に隠れて申し訳程度の雨宿りをすることにした。
「早く止んでくれよ……」
少年は、地面を力任せに叩きつける大粒の水滴を見つめながら、一刻も早くスコールが過ぎ去ってくれることを願った。
何せ、ブブゼラ販売にはタイムリミットがある。20時までに本社に戻って売り上げの報告を行わなくてはならないのだ。そこで各自の売り上げに応じた報酬を渡されるわけだが、ノルマに到達していなければその場で解雇されることとなる。
最悪なことに、スコールのせいで街からは人の姿が消えていた。皆屋内に避難しているのだろう。これでは売り上げなど望めそうにない。
勢いを増す雨風に、少年の気分が沈んでいく。
もしこれがダメなら、また一から仕事を探すしかないのだろうか。考えたくもない。せっかく稼ぎの良さそうな働き口を見つけたというのに……。
なかなか止んでくれないスコールに気をもんでいるうち、少年の心にふと魔が差した。
「そうだ……このブブゼラを鳴らせば、少しは気も晴れるかな?」
売り物ではあるが、ひとつくらいくすねてもバレはしないはずだ。少年は、箱に詰められたブブゼラをひとつ手に取って、思いっきり吹いてみた。
ブファーー!!
雨空に響き渡るブブゼラの音色。ブブゼラは、油断すると難聴を引き起こしかねないほど音の大きな楽器だが、勢いよく降り注ぐ雨音に掻き消されて、あまり遠くまでは響いてくれない。それがなんだか悔しくて、少年は続けざまにブブゼラを吹いた。何度も、何度も、スコールを追い払う思いで吹き続けた。
すると。ここで不思議なことが起こる。
少年の吹き鳴らした後から、いくつもいくつもブブゼラの音色が重なり、辺りにブブゼラの大合唱が巻き起こったのだ。それはまるで、ワールドカップの会場のような……。
「こ、ここは!?」
そして、気づけば少年は、ブブゼラを握りしめたままスタジアムに降り立っていた。2010年、南アフリカワールドカップの開催された会場に。
小さい頃からサッカーが好きだった少年は、自国がワールドカップ開催地に選ばれた時、飛び上がって喜んだ。ぜひともワールドカップの試合を生で観戦したい、世界中から集結した一流選手のプレーをこの目で見てみたい、と切望した。
しかし、貧しい彼にはもちろんチケットを買う金などなく、スタジアム観戦は夢のまた夢……の、はずだった。
(これは、幻覚だろうか?)
思わずそう疑った少年だったが、それにしてはやたらと臨場感がある。観客らの興奮した息遣い、波のようにうねる歓声、会場いっぱいに満ち満ちた高揚感。すべてがリアルすぎるのだ。まるで、少年の眼前にだけワールドカップの熱狂が蘇ったかのようだ。
(もしかすると、サッカーの神様が僕を憐れんで、特別にこの光景を見せてくださっているのかもしれない)
少年は思った。だとしたら、これが幻でもいい、ただの現実逃避であったとしてもかまわない、少しでも長く、この空間に留まっていたい――。
持っていたブブゼラの吹き口に唇を当て、高らかに吹き鳴らす。その音色は周囲の熱い歓声と調和し、ピッチで駆け回る選手たちの元へと真っ直ぐに伸びていった。
プレーのひとつひとつに歓声が上がり、ボールの行方に全員が一喜一憂する。ここでは、誰もが平等だった。年齢も性別も社会的地位も関係なく、サッカーを通してその場にいる全員がつながっている。
少年は、会場全体を支配する心地よい一体感に身を委ねながら、至上の喜びを感じていた。
その翌朝、バナナの木の下で、ブブゼラ売りの少年が死んでいるのが見つかった。
豪雨で地面がぬかるみ、泥水がそこここで氾濫している中、水たまりに顔を浸して溺死していたのだ。
悲惨な死に方ではあったものの、少年はブブゼラを大事そうに胸に抱え込み、幸せそうな表情で事切れていたという。
街の人々は、皆一様に少年の境遇に同情した。可哀想に、と涙を流す者までおり、遺体が倒れていた場所にはたくさんの花が添えられた。
そう、彼らは知るはずもないのだ。少年が最後に願いを叶え、幸福の只中で死んでいったなどとは。
――完。