第87話 「感覚延長」の正体
「あれ、アルバートは?」
ギルドマスターの部屋から退出して一階まで降りてきたカナリアはふと辺りを見回して誰にともなく訊ねた。
「まだお話があったのかな?」
「イオは知ってる?」
カナリアとルーの2人は結局あの場でほとんど傍観していただけだったが、色々と理解を超える話が飛び交ったことで疲労が出てアルバートがいないことに気づいていなかった。
「手紙のことじゃないのか。怪我も治してもらってたし」
イオはアルバートが来ていないことに気づいていたが特に気にすることはなかった。そのため推測で彼の残った理由を語る。
「そうね。何が書かれていたのか気になるわよね」
「昇格はアルバートさんが来るまで待つ?」
「そうしましょう」
アルバートの事情を知る2人もイオの考えに納得したようだった。実際は違うのだが今それを教えてくれるような人間はここにはいない。
全員揃わない以上イオたちもすることがないのでカナリアとルーは休憩をしにベンチへ、イオはグロックの元へ向かった。
「グロックさん、少しいいですか」
「……ああ」
同じタイミングで退室した「雷光の槍」の3人もまだ近くに残っていた。近づいて話しかけると短い一言で了承を告げられる。
「稀になんですが、「感覚強化」を使うとおかしなことになるんです」
「……おかしな、とは?」
「突然遠くのものが見えたり聞こえたりするんです。まるでその場にいるみたいに」
イオが相談したかったのは、極限状態で自分の身に起きる「感覚延長」についてだった。
これまで二度、イオはその現象を体験している。一度目はクイーンホーネット討伐の際、そして二度目は直近のヘルフレアタイガー変異種の討伐の際だ。
どちらも共通して、長時間走ったり魔法を行使し続けて精神が限界を迎える頃に起きている。そして自分で意図して起こすことはできない。
これが新しい魔法の一種なら問題はない。しかし仮に人体に支障をきたすようなものであれば極力使用を控えなければならなくなる。
自由に使えるのならこれ以上の武器はない。
「なにか思い当たることはありませんか?」
大まかに当時の状況を語ったイオはそう問いかける。「感覚強化」について教わったのは他ならぬグロックなのだ。自分よりも使用期間が長い分、この現象についても心当たりがあるのではという期待は大きい。
「……すまないが、俺は聞いたことがない」
「そうですか……」
「……だが、気になることがある。ヴァナヘルト!」
一度は首を振ったグロックだが、イオが礼を述べて去る前にヴァナヘルトを呼んだ。
ヴァナヘルトは長話で眠くなったらしく、壁にもたれかかって欠伸をかみ殺していた。シャーリーはどこにいったのか姿が見当たらない。
「あー? 呼んだか?」
「……ああ。「変色の指輪」を貸してほしい」
「これか? 何に使うんだ?」
訝しみながらもヴァナヘルトは左手の指輪を抜き取ってグロックに渡した。
この「変色の指輪」は魔道具の一つで魔力を流すことで台座の石の色を変えることができる。それと同時に対となる指輪の石も変色するため、奇襲などでタイミングを計る際などに重宝されている。
都市アビタシオンで人魔を襲撃するときにも使われたものだが、日常的にはあまり使い道のない代物である。
その指輪をグロックはイオに手渡す。
「おいおい、ガキが使えるはずねぇだろ」
呆れ口調のヴァナヘルトの言う通り、無属性であるイオは魔道具を使えない。使用の際には魔力を流す必要があるので、体外に魔力を放出できないイオやグロックには無用の長物なのだ。
しかしグロックは戸惑うイオに短く告げる。
「……指にはめて、使ってみろ」
「いえ、それは……」
「……いいからやれ」
できるはずがない。そう決めつけるイオだったがグロックも意思を曲げなかった。
彼のことなので何かあるのかもしれないと思い直し指に「変色の指輪」をはめてみるものの、今度は使い方が分からない。
「魔力の流れを意識しろ。こう……指輪と体を一つと思ってだな、魔力を回すんだよ。……改めて説明するのもむずいな」
「魔力を回す……」
見かねたヴァナヘルトが使い方を教えてくれる。
イオは目を閉じて言われた通りに魔力の流れを意識して見た。
魔力。無色透明なそれは栓で固く塞がれたように頑なにイオの体外から出ようとはしない。
指と指輪という接触した部位であったとしてもその境はきちんと区切られていた。
(回す……魔力を回す……)
体内の巡りを意識したイオは自身の魔力の存在を感知する。魔法を使い慣れた今では無意識にやっていたことだ。
それはやはりイオの体内から出ようとしない。どれだけ回してもイオの体内で循環するだけで魔道具には一滴も流れようとしない。
ならばどうするか。
(もっと……もっと……!)
不可能を可能にするためには普通のやり方では叶わない。イオが選んだのは出力を上げることだった。
魔力は高速で回転し、無理な行為が精神に負荷をかける。
「身体強化」、「身体硬化」、「回復促進」、「感覚強化」。
イオが使える4種類の魔法すべてが同時に発動され、急速に魔力が消費されていくのが分かる。それでもイオは負荷をかけ続けた。
「おいおい……!」
「……やはり」
目を閉じているのにおぼろげに視界が得られそうになったその時、面食らったようなヴァナヘルトの声と確信を得たようなグロックの声が強化した耳に届く。
「これは……」
目を開けて胸に掲げた指輪を見たイオも驚愕に目を見開いた。
ヴァナヘルトからグロック、イオへと渡された指輪の台座の石の色は青。そしてそれは今、まるで血のように赤い色に変色していたのだ。
「どういうこった、こりゃあ」
意味が分からないというように指輪を覗き込むヴァナヘルト。説明してほしいのはイオも同じだ。
2人は視線でグロックに説明を求める。
「……深い意味はない。ただ、体外に魔法の効果が及ぶということは、魔力が放出されているのではないかと思っただけだ」
その言葉にイオもはっとする。
無属性の魔法はそのすべてが自身の体に影響を及ぼすものだ。身体能力をあげたり、体表を硬くしたり。また自然治癒能力を高めたり、目や耳をよくしたり。
すべて行使した人間の中で完結している。
しかし「感覚延長」は体を離れて遠くのものを実際に見たり聞いたりできるものだった。これは体内で完結するという無属性魔法の特徴を逸脱している。
「……つまりイオが経験したのは、放出された魔力に自分の視覚や聴覚をのせて飛ばしたのだと考えられる」
「俺は、魔力を放出できるんですか……?」
「……ああ。その証拠が今つけている指輪だ」
イオがはめている「変色の指輪」はいまだに台座が赤色に鈍く光っている。流した魔力が抜けるまで色が戻ることはない。
「……ただし、見たところいくらでも放出できるというわけでもないらしいな」
「そうですね。それなりに疲れます」
この小さな魔道具一つを使うために、イオは4種類の魔法を全力で同時に行使せねばならなかった。それによってかかる精神的負荷は坂道を全力で何回か走って往復するのと等しい。
とてもではないが、日常生活はおろか緊急時にも使うことは難しいだろう。
ーーしかしイオには確信があった。初めて「感覚延長」を使った時と比べてその疲労度は確実に減っているということを。
クイーンホーネット討伐の時はしばらく立っていられないほどに疲れを覚えた。
ヘルフレアタイガー変異種の討伐の際にはそれほど長く使用したわけではないが、それでも一戦交えられる程度の体力を残すことができた。
そして今。もしヴァナヘルトやグロックの声がもう少し遅く聞こえていたならば、おそらくあのまま「感覚延長」が発動していただろう。
過去二回と違って今は体力的な疲労が一切なかった。にもかかわらずこの程度の疲労で発動寸前までもっていけた。
(多分、使えば使うほど負荷は小さくなっていく)
ならばこの感覚で毎日練習すれば、いつかは息をするように使える日も来るのではないか。そんな希望も見えてくる。
「リスクはあると思いますか?」
「……すまないが……」
「いえ、原理が分かっただけで十分助かりました。あとは自分で探ってみます」
グロックに相談したことは一切無駄ではなかった。身に起きる謎の現象を解明しただけでなく、冒険者としての希望までもが見えてきたのだから。
「何か分かったらその時は連絡します」
「……助かる」
そしてその技術を体系化できた日にはグロックにもすべて伝える。イオはそう決心する。
魔道具が使えるようになる他に、「感覚延長」は「感覚強化」をも越える索敵能力を発揮する。イオの成長を促してくれた恩返しとして、これ以上のものはないだろう。
「ヴァナヘルトさん、これをお返しします」
「んー、そのまま持っとけ。くれてやる」
「そういうわけには……」
遠慮しようとするイオだったがヴァナヘルトは受け取る素振りを見せない。
「シャーリーから対のやつも貰っておけ。俺様からの施しだ」
「……こうなったらこいつは意見を変えん。貰っておけ」
「……ありがとうございます」
2人に言われたことでイオは好意を受け取ることにした。
実際のところこの「変色の指輪」は魔力放出の練習にちょうどいいので貰えるのならぜひ欲しかったりする。
「そういやシャーリーはどこ行ったんだ?」
対となる指輪をもらうためヴァナヘルトはシャーリーの姿を探す。
自由奔放な彼女のことなので、どこに行ったのか推測することは困難だ。
ましてやここは普通の冒険者ギルドよりも人一倍広い総本部である。人の数もその分多いため、一度見失えば捜索するのは面倒なことこの上ない。
「あ」
「……いたな」
今回は幸い探し回る羽目には陥らなかった。よく目立つ魔女帽が目の届く範囲に揺れていたからだ。
シャーリーはカナリアとルーが座るベンチに座っていた。真ん中に座るシャーリーの両横では、なぜか2人の少女が顔を赤らめている。
「どうやらまた犠牲になったようだな」
「……仲間が迷惑をかけた」
まず間違いなくシャーリーにからかわれでもしたのだろう。メンバー2人と並んでイオも同情の念を禁じ得ない。
「あれ、イオ?」
そこにやって来たのはアルバートだった。ドロシアと何かを話していた彼は一見いつも通りの様子でイオに声をかけた。
「アルバート、話は終わったのか?」
「うん、まあね」
そう言ってイオから目を外す仕草を不審に思いながらも詳しく聞くことはしない。イオはアルバートがプライベートな話をしていたと思っているからだ。
「カナリアとルーが待ってる。早く昇格して来い」
「わざわざ待ってくれたのか。……本当にイオはいいのかい?」
「ああ。分かっているだろう」
アルバートも頭では解っている。イオの実力が毒を含めたものであり、彼個人の戦闘能力はBランクに達していないということを。
しかし一緒に昇格の喜びを分かち合いというのは隠しきれぬ本心だ。
イオは出会ったときから一度も昇格していない。初めはD、Eランクだった自分たちはいつの間にかイオに追いつき、追い抜いている。アルバートはそのことを本人以上に気にかけていた。
怪我の治療を頼もうとしたのも、少しでも戦力向上につながればという思惑もあってのことだ。
『イオ君はもう自分の怪我を受け入れているのよ。試しに訊いてみるといいわ。怪我を治したいかってね』
ついさっき聞いたばかりのドロシアの言葉が耳に響く。
『賭けてもいいわよ。もし彼が望むなら、あたしはタダであの子を治してあげる』
当然、賭けの内容も覚えている。本当なら今ここでイオに訊ねてみるべきなのだろう。怪我を治したいか、と。
しかしあの自信に満ちたドロシアの表情からどうしても不安を拭いきることができなかった。それはアルバート自身、イオが治療を望んでいないと分かっているからなのかもしれない。
(確実に頷かせるために、今はまだ訊ねるべきじゃない)
結局行きついた結論はこれだった。
アルバートがやろうとしていることは善意の押し付けなのだ。相手が喜ばないかもしれないことをしようとしている。
イオの性格からして、一度首を横に振ってしまえばもう意見を変えさせることは難しい。決して真意を悟られずに、怪我を治した方がいいと自然に思わせる。
アルバートはその算段を立てながら、いまだ顔を赤くしたままのカナリアとルーの元へと歩くのだった。




