第9話 行き詰まり
翌日の朝。
空はよく晴れていて、雲がゆっくりと流れている。
この日イオは昨夜に立てた予定の通り、ギルドで簡単な採集の依頼を受けて町の東側に来ていた。街道を外れて草原を進み、森の手前で立ち止まる。ここは見晴らしがよく、何かが近づいてきてもすぐにわかる。同時に魔物もランクが弱いものしか出てこないため、その点でも安全でもある。
イオが受けたのはハボン草の採集。一般的なポーションの調合に使われる薬草である。もはやイオがこの依頼を受けた回数は300回を超えているだろう。この依頼に関してはイオはベテランである。薬草の知識と実地での経験を生かして、どこに生えているのか大まかな地形から予測できる。といってもそこまでするほど難しい依頼ではなく、適当に歩いていても簡単に見つかるのだが。
この日も始めてきた場所でありながら、1時間もしないうちに森の浅いところでハボン草を20束ほど採取し終えていた。
森の深くには入らない。未知の魔物が潜んでいるとしたらそこは森の奥深くだろう。視界が悪く容易に隠れられる。そのような場所の1人で踏み入ってしまえば、イオは格好の餌食となってしまうだろう。その魔物が現れたのは町の反対側だが用心に越したことはない。
臆病といわれるかもしれないが、それくらいでちょうどいい。ついこの前に森の奥深くに入り込んでファングベアと遭遇したばかりなのだ。
今考えるとあの時は少し慢心していたとイオは思う。長く1人で活動してきて、命の危機もあったけれど毒ナイフに頼りながらも何とか生き延びてきた。なにかあっても自分ならなんとかできる。国を1人で横断することもできたのだから。そんな思いがあったのは否定できない。
言うまでもなくファングベアと遭遇したのはこれまで生きてきて一番危険な出来事だった。あの時、瞬時に行動できたのも奇跡の近い。今同じようにやれと言われてもおそらくイオはできないと言うだろう。ギリギリのところで危機意識を取り戻したおかげだ。
そういうわけでイオは無用なリスクを負わないように心掛けているのだ。今回もわざわざ未知の魔物と遭遇する恐れのある行動はとらない。待っていれば優秀な先輩たちが解決してくれるだろう。それまでは分を弁えておとなしくする。
そんな決意をしたイオは現在もその方針に忠実だ。
いくら見晴らしがいいといってもイオが1人でいることには変わりはない。しかし森に向かって左を見ると、遠くにほかの冒険者が2人いて、魔物と戦っているのが見える。さらに奥には1つのパーティーが森に向かっているのも見える。これから探索に向かうのだろう。
そう、仮にイオが1人でいたとしても人通りがないわけではない。むしろ森の入り口であるこの辺りは多くの冒険者が行き来するのだ。これなら何かあってもすぐに助けが呼べるだろう。
そんな打算の下で森に沿って進むイオの目に魔物と戦う冒険者の姿が映る。
距離が離れているので良くは見えないが、どうやら女2人のパーティーのようだ。2人とも距離をとって迫りくるゴブリンに魔法を放っている。属性は水と風だろうか。確証は持てないがイオはそう予測した。
「ふう……」
イオは息をついて目頭を押さえた。なにもイオはただ彼女たちが戦う姿を見ていたわけではない。早速昨日知った「感覚強化」の魔法を練習していたのだ。が、うまくはいかなかった。遠くを見ようと目に魔力を集めようとしたのだが、魔力は全身に行き渡ってしまった上に視力も実感できるほど上がらなかった。遠くのものを長時間薄眼で見ようとした後のような疲れが目ににじむ。
イオも初めからできるとは思っていないが、先は長いと知って軽くため息をついた。
そんなことをしているうちに2人の戦いは終わったようだ。ゴブリンは倒れ、彼女たちはその死体にしゃがみこんでいる。おそらく討伐部位の左耳を切り取っているのだろう。イオは彼女たちから目を離した。
森に沿って進みながら、イオはもしかしなくても彼女たちは初級冒険者だろうと予測する。
後衛が2人で前衛がいないというのはパーティーを組む相手がいないなら仕方のないことだ。しかし、彼女らはゴブリン1匹に過乗に魔法を撃っていて、討伐部位を切り取るときも2人ともがそこに集中していて周りの警戒をしていなかった。イオの予測はそこから判断したことだった。
まあこの安全地帯といえる草原で魔物を狩っていることから、こんな証拠をそろえなくても彼女らが初級であることは簡単にわかるのだが。イオ自身は例外だろう。
そんな無駄なことを考えながらもイオはしっかりと周りを警戒して目標を探していた。
今日受けた依頼はもう完了していたが、イオにはもう1つの目的があった。昨日する予定であった、新しい剣の練習である。
一応イオはこれまで素振りはしていた。しかし買ってから魔物と遭遇することがなかったのでまだ実践で使ったことはなかったのだ。
ときどき森の中にも足を踏み入れながらイオは魔物を探す。討伐系の依頼は受けていないので、種類は試し切りの相手になれば何でもよかった。
と、森の中を歩くイオの耳にガサリと葉を散らす音が聞こえた。同時に木の上から何かが落ちてくる。
ボトリと鈍い音を立てて落ちてきたのは、イオの膝丈ほどの大きさを持つ巨大な芋虫だった。
(……キャタピラー。Eランクか)
イオが内心でつぶやいた通り、その芋虫はキャタピラーという名の魔物だった。
普通の芋虫とは比べ物にならないほどの大きさであるが、キャタピラーは見た目の通り鈍重な魔物でEランクという最低ランクに位置付けられている。太い木の枝の上を住みかとしているため、頭上からの奇襲さえしのげば素人でも簡単に倒せる。ただその見た目のせいで一部の冒険者たちには敬遠されているが。
近づいてくるイオに反応して落ちてきたキャタピラーだったが奇襲とはならず、ならばとせわしなく足を動かしてイオに迫ってきた。イオはそれを待たず自分から近づき、手に持ったロングソードを一閃。キャタピラーは頭から切られ、そのまま息絶えた。「身体強化」を使う必要もなかった。
イオは剣に着いた体液を落として再び歩き出す。キャタピラーには使える素材がない。強いて言えば吐き出す糸だったが、イオはわざわざその素を死体から取り出すことを労力と時間の無駄だと判断した。討伐の依頼も受けていないので討伐部位の触覚も放置だ。
(これならまだゴブリンの方がマシだ)
さすがにあれだけでは練習にならない。あんなものは動かない的と同じだと思うイオ。せめて同じEランクでもゴブリンが出てくることを願って探索を再開する。
「はあぁ!」
どこかから叫び声が聞こえた。見てみると先ほどイオが初級冒険者であると推測した女冒険者2人が近くで戦っていた。いつの間にか彼女たちの近くまで来ていたのだろう。
ここまで近くで見ると2人が使う魔法の属性もわかる。やはり風と水で間違いないようだ。2人は6本の足でカサカサと地を這う虫型の魔物に魔法を撃ちまくっていた。
イオは素早くその場を離れる。他の冒険者が魔物と戦っているときに、ピンチでもない限りそれを邪魔しないのは冒険者どうしの暗黙のルールだ。それにあんなに無茶苦茶に撃っていては流れ弾が来る可能性もある。
「よし、当たった!」
「すごいです、カナリアちゃん!」
後ろの方でそんな声が聞こえる。が、イオは無関心に歩みを進める。イオにとって彼女らを含めた他の冒険者はただそこで人気を絶やさずにいてくれればあとはどうでもいい存在だ。イオはただ自分の目的のために次の獲物を探す。
どうやらこの森は虫系の魔物が多く生息するらしい。森といってもこの森はイオがつい先日まで滞在していた街であるボーダン付近の森と違う。背の高い木が多く閑散としていたあちらの森と違って、この森は藪が多く自由に歩けるスペースが少ない。もちろん長年の冒険者による活動によって人が通れるくらいの道はある。
ここならいつもと違った経験もできるだろう。そう思うイオは警戒を怠らず、見通しの悪い森を進んでいった。
♢ ♢ ♢
昼をはさんで2度の探索を終えたイオは採取した薬草と魔物の素材を入れた荷袋を背負ってギルドに向かっていた。
あの後イオはカマキリ型の魔物、ビッグマンティスやアリ型の魔物、モアアントなどに遭遇した。どちらもDランクではあるが、ファングベアとの死闘を経たイオは「身体強化」を使って難なく倒すことができた。といっても出てきたのが1匹ずつだったおかげだが。特にモアアントは群れで行動するため、本来の通り群れで出てこられたならイオは迷わず撤退を選んでいただろう。
そんな幸運なこともあったものの、Dランクはその2体だけで他はすべてEランクだった。朝からあの森付近を張っていたからこそのことだろう。
ちなみに新しい剣の使い心地もすばらしいものであった。リーチが長くなったことで必要以上に相手に近づくことがなくなり、さらに深く切りつけることができる。剣の種類を変えたのは正解だった。
今日の成果を持ってイオはギルドの扉をくぐる。そこはいつも通りの喧騒に満ち溢れていた。時間的に冒険者たちが仕事を終えて帰ってくるころでもあって、より一層騒がしいかもしれない。
人の隙間を潜り抜けてイオは受付で並ぶ人たちの最後尾に着いた。
することがないので何となくあたりを観察していると、明らかに異質な人間が目に映った。
それは背の高い金髪の男だった。周りが粗野な服装をしている中で、その男が身に着けているのは一目で高価と分かるものだった。銀色に輝く胸当てに籠手、膝当てなど軽装ながら全身をフル装備していた。腰に下げた剣もそこらで売っているようなものでない。
「どうか私をパーティーに入れてもらえないだろうか」
「悪いがうちは間に合っているんだ」
どうやら仲間を探しているようだが、相手にその気はないらしい。それもそうだろう。見た目に話し方、立ち振る舞いから明らかに一般人ではない。というかパーティーに入れてもらおうとしているということは冒険者なのだろうか。どう見ても雇う側にしか見えない。
そんなことを思っているうちに話は終わったようだ。なおも食い下がろうとする男を無視して相手の冒険者はさっさとどこかへ行ってしまった。
賢明な判断だろうとイオは思う。どう考えても厄介ごとの臭いしかしない。もしくはただの成金の可能性もあるが、変わり者であることには変わりない。関わらないのが正解だろう。
そう判断したイオはすぐに目を離す。幸いもうすぐイオは受付にたどりつく。前の人が報酬をもらってイオの前からどいたので、イオも報酬をもらうべく今日の稼ぎ分をカウンターに置いた。
♢ ♢ ♢
報酬を受け取りギルドを後にするイオ。今日は「雷光の槍」の3人は見当たらなかった。今日は森を自分たちの足で調査しているのだろう。彼らならすぐに解決できるとイオは思っている。
(グロックさんがいるしな)
「感覚強化」が使える彼なら隠れた相手を探すのも難しくはないだろう。イオは自分と同じ無属性でありながらあの場所まで登りつめた彼を尊敬していた。そのため未知の魔物の正体が判明するのも時間の問題だと思っている。
そんなことを考えながらイオは宿に帰って来た。受付でさらに1週間宿泊を延長することを告げて追加料金を払った。今日の稼ぎはそれで消し飛んだ。
ファングベアの討伐でイオは十分な所持金を持っているが、それでもこの宿に泊まり続ければ1カ月で尽きる。そのため毎日依頼を受けなければならない。だが、さすがに採集依頼でだけでは消費の方が多い。最悪泊まる所を変える必要が出てくる。この宿の食事はおいしいのでできるだけそれは避けたかった。
(……明日からは討伐依頼も受けるか)
金欠になることを危惧したイオは明日受ける依頼を決める。といってもCランクのイオがEランクの魔物討伐の依頼を受けるのは褒められたことではないので、ソロのイオが受けられる依頼は限られてくる。
(……Cランクはやりにくいな)
部屋に戻ってついイオはそんなことを思ってしまう。Cランクに上がったことでイオは周りからの視線を変に意識してしまうようになったのだ。
今日も採集の依頼を受付に持って行ってギルドカードを見せたとき、受付嬢に奇異の視線を向けられた。別に悪いことをしているわけではないが気持ちの良いものではない。
今はまだそこまでイオがCランクだと知られてはいないため、他の初級冒険者に紛れることができている。できればこのままやり過ごしたいものだとイオは願う。
ここでイオが問題としているのはどうやってパーティーに入るかである。パーティーに入ることができたなら受ける依頼の制限もなくなってもらえる報酬も増える。だが見た目弱そうなイオがいくらCランクだと言ったところで入れてはくれないだろう。無属性のイオができることといえば剣をふるうことくらい。盾になることも斥候になることもできないイオを欲しがる人などどこにもいない。
それにCランクともなるとほとんどの人はもうすでに慣れ親しんだパーティーに所属している。その中にずけずけと入っていく勇気がイオにはなかった。
ふとイオの脳裏に浮かんだのは、明らかに場違いな金髪の男がギルドでパーティーに入れてくれと頼み込む姿。あのときはイオも関わり合いになりたくないと思ったものだが、あれは自分にも起こりうることかもしれない。
体が細く遠距離攻撃もできないくせにランクはCと高い。周りから見ればそんな人間は胡散臭く感じるだろう。
ついこの前心境の変化によってパーティーを組むのもいいと思ったばかりだが、あまりにその道のりが険しいことを実感してしまい、すでに心は折れかけていた。だが、このままでは行き詰ってしまう。まさに八方塞がりだ。
(まあなるようにしかならないだろう)
先延ばしでしかないがすぐに解決できることではない。イオは考えるのをやめた。今日は休み、また明日になると違った考えも浮かんでくるだろうと。
そう決めたイオは夕食を食べようと食堂に降りていく。美味しい料理を堪能して体を拭き、布団に入って眠る。
こうしてアビタシオンでの2日目を終えたイオ。
しかし数日後、先延ばしにしたこの問題が明確にイオの前に立ちはだかるのだった。