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第65話 離別とその裏

評価、ブックマーク等ありがとうございます!

 ロナルテッド・エイデン男爵との対面から2日後の朝、アルバート、カナリア、ルーの3人の姿はイクアシスの外にあった。向かう先はもちろんヘルフレアタイガー変異種がいる高原地域だ。

 3人の頭上には朝日を通さないほど分厚い雲が覆いかぶさっており、辺りは彼らの気分を表しているかのように薄暗い。


「結局、イオ君は来なかったね」


 ルーがカナリアに話しかけた。来なかったというのは討伐にではなく、見送りについてだ。

 ロナルテッドに出発を急かされ、またアルバートたちも闘志を燃え滾らせていたこともあって、3人の行動は性急に思えるほど早かった。代わりとなるアルバートの剣を買い、イオがいない代わりにカナリアとルーでヘルフレアタイガーについて情報を集め、それらが完了すれば即討伐に向かっているのだ。


 そしてその間にイオが3人の前に姿を現すことは一切なかった。領主の館から出た直後に短く「すまない」と告げた後、忽然と姿を消してしまったのだ。

 討伐について来なかったことについては誰も怒ってはいないし、恨んでもいない。あの状況では仕方のないことだと理解しているのだ。だから3人がイオを責めるようつもりは一切なかったのだが、それでもイオの方で合わせる顔がなかったのだろう。

 探す余裕がなかったこともあってあれがイオとの最後の別れになってしまったのだ。


「仕方ないわよ。イオはもう私たちに関わる必要なんてないんだから」


 言葉だけ聞けば突き放したような印象を受けるだろう。しかしカナリアの表情にはやりきれないといった思いがありありと浮かんでいた。

 こうして討伐について行っているのはほぼ勢いで決めたようなものだが、それでもカナリアに後悔はない。しかしその選択をイオにも押し付け、最終的に懸念されていたパーティーの脱退を決定づける出来事になってしまったのだ。


 かつてアルバートがクイーンホーネットの討伐にイオを連れて行こうとした時とはわけが違う。あの時はイオの力が必要とされていたし、実際に役に立って見せたのだ。イオが参加する意義は十分にあった。

 一方で今回はイオの力云々は関係なく、ただ仲間のためにという理由で勝てる見込みの薄い戦いへの参加を迫られたのだ。集団ではなく個として圧倒的な力を持つヘルフレアタイガー。ただでさえ実力不足に悩むイオに一体何ができるだろうか。カナリアでさえ足元に及ぶかどうかさえも分からないというのに。


「いない人間よりも、今は自分たちのことを考えましょ。倒せないと私たちも終わりなんだから」

「そう……だね」


 あっさりと話題を転換させたのはこれ以上イオのことを考えて思考が乱れるのを避けるため。イオがいない今、現実的な話を切り出す人間は他の人が代わりを務めるしかないのだから。

 そうして勝手に作戦会議に入ろうとする2人を見て、アルバートは諦めたようにぼやく。


「……俺は2人の参加も認めたつもりはなかったんだけどなぁ」

「勝手について行くんだから認められる必要はないわ」


 そもそもこの討伐はアルバート1人によって行われる予定だったのだ。それがあれよあれよという間にこの2人の動向が決まってしまっていた。

 勝手にパーティーの解散を決めたアルバートにカナリアはかなり怒っていたらしく、諦めさせるどころか逆に説き伏せられてしまったのだった。こうなってしまっては彼女は梃子(てこ)でも動かない。


「いいかい、絶対に相手に近づかないこと。危険を感じたらすぐに逃げること。それを絶対に守ってくれ」

「分かってるわよ」

「2人は牽制だけしてくれればいいんだ。倒すのは俺がやるから」

「迷惑だけは絶対にかけません」


 カナリアもルーも自分の分は弁えているつもりだ。ただでさえ厳しい戦いの中で足を引っ張るようなことはしないと肝に銘じる。


「それじゃあ細かく情報をおさらいしていこう。時と場合に応じた作戦も考えないとね」

「場所は山岳地帯だから……」

「もしもの時に隠れる場所を見つけておく必要がありますね」


 一般的な冒険者は作戦など関係なくただ突っ込むだけという者が多いが、彼らはどんな戦いにおいても常にどう戦うかを事前に決めるようにしていた。貴族として教育を受け、騎士として実戦を重ねてきたアルバートの教育のたまものだ。

 真剣な面持ちで意見を出し合う中、ふとカナリアの頭にあることが浮かんだ。


(そういえば……イオに許してもらうって話、あやふやなままだったわね)


 かつて森の中でイオに和解を持ちかけた際、カナリアはイオに自分を見て数々の暴言を許すか許さないか決めてほしい、と言ったことがあった。よくよく考えればあの話自体かなり横暴だったと今ではカナリアも思っている。

 あれから何とか普通に接することができるようになり、イオも自分に受け答えしてもらえるようになって、表面上では和解は成立したようにも見える。しかしあのイオのことだ。心の底では自分のことなどこれっぽっちも許していないかもしれない。

 それに改めてまだ怒っているか、などと聞くような機会はそうそう訪れない。結局この時まで放り出したままにしてしまっていたのだ。


(私としては変わったつもりだけど、思い返してみれば私イオと喧嘩してばっかりだったわね。これじゃあ、許してもらえるはずないか)


 そう自嘲するカナリアはどこか寂しげだった。

 そもそもの性格も合わなかったのだろう。感情的で視野を広く保てないカナリアは、常に冷静で達観しているイオと何度も衝突があった。細かい言動だったりとか、ノリの悪さだとか。本当に何度も言い争ってきた。

 もちろんカナリアとしても譲れないものがあり、いたずらに口論を重ねてきたわけではない。それでも今思えばなぜもう少し耳を傾けることができなかったのだろう、と後悔さえ浮かんでくる。

 面倒臭そうに、しかし一方で律儀に応対するイオの表情が今ではなぜか懐かしく思えた。


(考えても今更ね。今は、生きてやり遂げることだけ考える)


 無理やり思考を切り替えてカナリアは現実に向き合う。先も言った通り、人の心配をしている場合ではないのだ。


 日差しが差す隙間もないほど厚く重なり合った灰色の雲の下、3人は行く。欠けた1人はもともと口数が少なかったのだが、実際に居なくなってみて初めてその穴が大きいということに彼らは気づくのだった。






 ♢ ♢ ♢






「行ったか……」


 一方で行方をくらませていたイオはアルバートたちの出発をしっかりと察知していた。

 今いるのはこの町イクアシスに来た時に潜った門の近くだ。


(思ったよりも早い。いくらなんでも焦りすぎじゃないか?)


 イオの感覚では十分に対策が練れたのか心配なところだが、それを伝えることは不可能だ。すでに出発してしまったので物理的に無理な上、心理的にも抵抗がある。

 今のイオは「不死鳥(フェニックス)の翼」とは無関係な、ただのソロ冒険者なのだから。


 ロナルテッドとの話が終わった後、イオはすぐにパーティーからの脱退をギルドで申請した。期限がいつまでとは言われなかったが早いに越したことはないと思ったのだ。

 何しろ遅れた時の代償は、イオが無属性だということの流布。それがどれだけ本気なのか、実際にどれほどの影響力があるのか分からないが、イオは貴族の思考と力を舐めてはいない。なにしろ子供どうしの喧嘩で負ったかすり傷を原因に、それを実行した貴族が実際にいるのだから。


 そうして後顧の憂いを断った後、イオはまだこの町に止まり続けていたのだった。


「おにーさん! 今日はどうするの?」


 そんなイオの傍らで元気よく問いかけるのは、ついこの前イオに野花を売った少女だった。長く乱れた橙色の髪が嬉し気に揺れている。


「そうだな……予定が狂った。エナ、とりあえず昨日集めたものを渡してくれ」

「はい! どうぞ!」


 イオがそう言うと少女、エナはこれまた元気よく返事をしてポケットからいくつかの草花をイオに渡したのだった。

 イオは今、かつての自分のようにこの町で虐げられている無属性の少女を、ある目的のために雇っていた。そこには当然同情という理由も含まれているのだが、それを除いても少ない金で頼んだものを集めてくれるからだ。


「……確認した。全部言ったとおりだ。よくやった」

「えへへ、やったあ!」


 年相応に無邪気にはしゃぐエナを見てイオの表情もいくらか和らぐ。まだ2日の付き合いでしかないが、この少女は自分に対等に接してくれるイオにかなり懐いているようだった。

 エナと親し気にしているイオを目にした通行人が目を丸くしていたのだが、彼は一切気にせず手を顎に当てて唸った。


「さて、どうするか……」


 イオが考えているのはこれから死地へと向かう3人のこと。すなわちここでイオが彼らのために何をするべきだろうか、ということである。

 イオとて情がないわけではない。できるならこれまで短くない時間を共に過ごした人たちに無事でいてほしいと思うのは自然なことなのだ。

 しかし同時にイオが自分の身を優先して討伐への参加を表明しなかったのは事実であるし、実際にパーティーからも脱退した。別の事情もあるのだが、今更彼らの前に顔を出しにくいという思いは強かった。

 それにイオ1人が加わったところで何も変わらないという事実もある。せいぜい正面からやり合って数秒もてばいい方だろう。むざむざ死にに行くようなことを彼はするつもりがない。

 やるなら、確実性を重視するのがイオのやり方だ。


 何かしらの考えに至ったイオはようやく口を開いた。


「俺はこれから調合に入る。エナはもう一度同じものを集めてきてくれ。できれば大量に」

「わかった! 行ってきます!」


 イオの急な頼みにもかかわらずエナは元気よく返事をしてそのままどこかに走り去る。言われたものをさっそく集めに行ったのだろう。

 それを見送ったイオは凝った肩をほぐして自身も動き出す。


(一日差が出るが……移動に集中すればぎりぎり間に合うだろう)


 頭の中でアルバートたちがどれくらいの速度で移動するかを概算し、イオは今後の予定を立てる。




不死鳥(フェニックス)の翼」を解散させてアルバートの味方をなくし、借りと負い目を作ることでその身を縛ろうとしたロナルテッドの策は本当によくできたものだった。普通の冒険者なら厄介ごとを遠ざけるために、また昇格という甘い誘惑に逆らえずに迷うことなくアルバートとの縁を切っただろう。

 しかし普通とは違い利害を度外視して仲間のために動けるといった、冒険者になり切れていない(・・・・・・・・)カナリアとルーのせいでその目論見は崩れ去ることになる。根っからの貴族であり、息子さえもその策謀に組み入れることができるロナルテッドからしてみれば想定外もいいところだった。アルバートの反発もあって彼の考えていたことは半分も達成されていない。


 そして数少ない、目論見通りにいったことの一つであるイオの離反。利害を優先して動ける彼だったが、そこにもロナルテッドの予測していなかったことがあった。

 あの男は、半ば強制的にイオをパーティーから脱退させはしたもののヘルフレアタイガー変異種の討伐に向かうアルバートたちを手伝ってはならないとは一言も言わなかったのだ。まさかイオが縁を切ったと見せかけて、その実そうではないなどとは夢にも思わないだろう。


 表向きはアルバートたちと繋がりがないことをアピールするために接触を避けていたのだが、影では彼らを支援するために行動を起こしていた。


(討伐を果たしたとして、悔しがるあの貴族の顔が見られないのは少し残念だが……気にするほどでもないか)


 そう考えてイオは深く被ったフードの中で不敵に笑うのだった。

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