閑話 「聖女」の夢②
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「ここなら大丈夫だろう……」
フィリアを連れてイオがやって来たのは人気のない裏通りだった。誰もいないのを確認してイオはフィリアに向き直る。
もうすでに日は暮れているのであたりはすっかり暗く、その顔はわずかにしか見えない。
イオは前置きなくフィリアに問いかけた。
「あそこで何してたんだ?」
「えっと……道に迷ってて……」
言いにくそうにフィリアは答えた。おそらくここに明かりがあったならイオの呆れ顔がありありとその目に映っていただろう。
「はあ、いいかげん道覚えろよ……2回目だぞ」
「……イオくん、最初にあった時のこと、覚えてたんだ」
「当然だ。なんか見たことある光景だなと思ったよ」
そんな場合ではないと思いながらもフィリアは嬉しさでいっぱいになった。イオがまた自分を見つけてくれたのだと思うとどうしようもなく口元が緩んでしまう。
幸いというべきか、この薄暗闇の中でイオがその表情を目にすることはなかった。
「とにかく気をつけろ。今日は送ってやるから。あと、さっきの魔法は誰にも……」
「ちょっと待って!」
話は終わりとばかりにフィリアの手を引いて歩き出そうとするイオを、フィリアははっとして呼び止めた。
ただならぬ気迫にイオは彼女の方を振り返った。
「なんだ?」
「ごめんなさい! 私のせいでイオくんにつらい思いをさせて……。あと、あの時助けてもらったのに、お礼も言えなくて……」
「……」
表情は見えないがきっと悲しそうな顔をしているのだろう。そうイオが感じているとフィリアの声は次第に涙声になっていった。
「ひぐっ、ごめんなさい……一緒にイオくんの、友達のどころに、いぐやくぞくしてたのに……破っちゃっで……ごめん、なざい!」
「……」
「……ごめんなさい……うぅっ」
フィリアはただただ謝った。涙を流しながら己の非を詫びた。
約束を放置してイオが苦しんでいたであろう間、フィリアはそんなことを感知もせず甘えた生活をおくっていただけだった。自分が受けたいじめの矛先をすべてイオに押し付けたままのうのうと暮らしていたのだ。
許されざる罪の意識にフィリアはただ泣きながら謝ることしかできない。
「……はあ」
そんなフィリアを無言で見ていたイオは1つ息をついてその頭の上に手を乗せた。そして慰めるようにぽんぽんと軽く叩く。
「え゛……?」
「いいか、よく聞け」
涙声のまま疑問の声をあげるフィリアに、イオは言い聞かせるようにはっきりと告げた。
「領主の息子を怪我させたのは俺だ。俺は自分がやったことを人のせいにするつもりはない」
「でも……」
「これでこの話は終わりだ。さっさと帰るぞ」
無理やり話を切り上げてイオは頭に乗せていた手を下ろし、今度こそフィリアを引っ張って歩き始めた。
「あの、イオくん……」
「それからあの魔法だけど、人前では使わない方がいい」
「なんで!?」
再度謝るために話を切り出そうとしたフィリアだったが、その前にイオがさらりと聞き逃せないことを言ったためにそちらに注意が向いてしまう。
過剰な反応をするフィリアにイオは簡潔に答えを返した。
「あんな珍しい魔法を使ってると目をつけられるに決まってる。それこそ領主にでも見つかったりすれば……」
「あ……」
その先はフィリアでもなんとなく想像がついた。権力で強制的に連れ去られ、その欲望のために好き放題に利用されるのが関の山だろう。
自分が受けた仕打ちとイオの現状を考えるとフィリアはどうしてもこの町の領主に良い印象を持てなかった。加えてあの性格の悪そうな少年の一家に利用されると思うと、恐怖と嫌悪で体が震えそうにすらなる。
いや、実際に震えていたのだろう。イオが自分の手をぎゅっと強く握ったことでフィリアはそれに気づいた。イオの手はところどころ皮膚が硬くなっていて全体的に乾燥していたが、それでもイオの体温を感じるとフィリアの震えは次第に収まっていった。
その温かさに触れて心を落ち着けていたフィリアだったが、その後にイオが口にした発言で凍りつく。
「あと、これからはもう俺と会わない方がいい。話をするのも、これで最後だ」
「えっ……な、なんで……?」
突き放したようなイオの冷たい言葉にフィリアはショックを隠せなかった。あまりのショックに、今もつないでいる手から急激に体温が消え失せていくようである。
ただ1人の大切な友達であるイオに拒絶されるというのは、フィリアにとってそれほどのことなのだ。
「やっぱり、イオくん怒ってる……?」
再び泣きだしそうになりながらフィリアは問いかけた。仮にそうだとしてもフィリアには謝り倒して許しを請う以外にできることはない。
しかし幸いというべきかイオはそうじゃない、と口にした。怒っているわけではない。ならばなぜ、という当然の疑問に対する答えは直後に与えられた。
「俺といるとフィリアまで目をつけられる。さっき言った魔法のこともあるし、目立つようなことはするな」
「それなら私は……」
「決定だ。いいな。今度からは迷子になってても助けないぞ」
イオに会えなくなるくらいなら目をつけられてもいい。フィリアはそう言おうとしたのだがイオがそれを許さなかった。
基本的におとなしい性格のフィリアは強く言い切られると反論できなくなる。それに間近から伝わってくる拒絶感が、イオの意志を変えることはできないと無理やり理解させられた。
--近くにいるのに、心は遠い。
これで最後。今後は会うことも話すこともない。イオとの最後の時間が終わろうとしているのを感じて孤独感が心を満たす中、フィリアにできたのはやはり泣くことだけだった。
「いや……ぐすっ、いやだよぉ……」
「……」
年相応に泣きじゃくるフィリアを見てもイオは先ほどのように頭を撫でて慰めてはくれない。月明りが差してちらりと見えたその顔は必死に無表情を取り繕い続けるものだった。
当然イオは好き好んでフィリアを泣かせるようなことを言っているわけではない。そうしなくてはならないから心を押し殺して事実を告げているだけなのだ。
全く泣き止む様子のないフィリアと、それを関心がない振りをして見つめるイオ。
先に折れたのは、イオだった。
「仕方ないだろ! 俺はもう自分のせいで大事な人に迷惑をかけたくないんだよ!」
聞き分けのない子供を叱るように、イオは感情を露わにして怒鳴った。フィリアと会ってからも努めて冷静であろうとしていたイオの自制心がついに切れたのだ。
この一年半、イオはほぼ毎日と言っていいほどペスターとフリックに直接、間接を問わず嫌がらせを受けてきた。
領主と町一番の商会の息子ということで周囲の人は見て見ぬふりをし、イオもまたつい先日まで手を出さずに耐え続けた。その過程でイオはすでに自己を押し殺す術を身に着けている。
その抑えが、泣きじゃくるフィリアによって取り払われた。
「俺のせいで父さんと母さんの仲は悪くなって、アイツに怪我させたせいでもっと迷惑かけることになった! なんだよ、果物一つで銀貨1枚って! 買えるわけないだろ!」
これまで押し込めていたイオの鬱憤が堰を切ったようにあふれ出す。これまで耐えてきた分、その反動は容易に止められるものではない。
イオの父親はイオと母親が無属性ということが判明してから、ずっと2人に対して見下した態度を取っていた。事あるごとに怒鳴るのは当たり前、時には暴力に訴えられることもあった。これまでイオが見ていた父親としての姿は完全に崩れ去っている。
それなのに母親は自分が悪いと言って悲しそうな顔でイオに何度も謝るのだ。そんなことをされればイオもそんなことはない、と言うしかなくなってしまう。
ペスターとフリックに目をつけられていたイオに当然心を許せる友達など居らず、イオはずっと本音を語れる相手がいなかった。その圧縮された本音が今初めて表に姿を現す。
「もう嫌なんだよ! これ以上俺に背負わせるな! 俺が迷惑かけないように、最初から関わってほしくないんだよッ……!」
いつの間にか叫ぶイオの両目からも涙が流れていた。
精神的に大人びているといってもまだ11歳。これまで罵倒されても殴られても、魔法を当てられても流すことのなかった涙は止まることなく溢れ続ける。
自分よりも数倍の悲しみが濃縮されたイオの涙を見て、フィリアはこれ以上何も言えなくなるのだった。
♢ ♢ ♢
「ん……ぅ?」
ごそごそと間近で音が鳴っているのを聞いてフィリアは重い瞼を押し上げた。寝ぼけ眼であたりを見ていると、音の主がそれに気づいて彼女に声をかける。
「おはようございます、フィリア。起こしてしまいましたか?」
「ク、クレシュ様、おはようございます。あれ、私……?」
自分の上司に当たるクレシュを見てフィリアは即座に居住まいを正した。そして朝の挨拶をすると、昨晩の記憶を探る。
クレシュはその様子を見て苦笑しながら彼女に教えてあげた。
「昨夜はお疲れのようでしたからね。私が戻って来た時にはあなたはもう寝ていました」
「そ、それは申し訳ございませんでした!」
「謝る必要はありません。疲れを残さないためにも眠るのは大切なことですからね」
「お気遣いありがとうございます……」
フィリアはクレシュが先に寝た自分を起こさずにいてくれた気遣いに対して礼を言った。本来なら上司を差し置いて1人で休んでしまうなど失礼に当たることなのだ。
フィリアが行儀よくクレシュに頭を下げるとそれを見たクレシュは柔らかく笑って言った。
「フィリアも随分と淑女が板につきましたね。私から教えることはもうなさそうです」
「もったいないお言葉です」
「いいえ、初めてあった時とは雲泥の差ですよ」
謙虚に答えるフィリアに、クレシュは確信をもって言葉を重ねる。
2人が初めて会ったのは、クレシュが聖属性のフィリアを教会に勧誘するために彼女の自宅を訪れたときである。
フィリアがイオに初めて魔法を使った時、それが聖属性であると気づいた修道服の女性がクレシュだったのだ。
彼女はすぐにフィリアの素性を調べて、誰に教えることもせずただ1人フィリアの下へと赴いた。単独で行動したのは、もしフィリアに勧誘を断られたとしても彼女が聖属性であることが広まらないようにするためである。
クレシュは初めてフィリアと会った時の、甘やかされて育ったのだろうと一目で分かる姿を今も覚えている。
初対面の自分に対して親の後ろに隠れる気弱さ。受け答えは自信なさげで、ぼそぼそと小さな声しか出さない。ある意味子供らしいと言えばそうかもしれないのだが、フィリアの人見知りは将来が危ぶまれるほどのものだったのだ。
「あ、あの頃のことは忘れてください。私もあれから頑張ったんですから」
「ええ、それは十分に分かっています。……さて、そろそろ朝の支度をしましょう。私は外の皆さんに挨拶をしてくるので、フィリアもその間に着替えて準備を済ませておくのですよ」
「分かりました」
クレシュはそう言ってテントから出て行った。先ほどまで和やかな雰囲気に包まれていたテントの中は急速に物静かになる。
クレシュには着替えるようにと言われたものの、フィリアは肌に染みる朝の冷たさにぶるりと震えて毛布にくるまった。まだ自分の体温が残る毛布は温かく、フィリアの体が心地よい温もりに包まれる。
『もう嫌なんだよ! これ以上俺に背負わせるな! 俺が迷惑かけないように、最初から関わってほしくないんだよッ……!』
毛布にくるまっているにもかかわらずフィリアは再びぶるりと体を震わせた。自分が見ていた夢ははっきりと覚えている。
イオの叫びが、涙が、泣き顔が、フィリアの心をきつく締めつけて離さない。
イオが本音を発露したのはあれが最後だった。それからはイオは宣言通り、可能な限りフィリアを避けて行動するようになる。
フィリアの存在が教会によって知らされた後に、その態度はより顕著なものになった。対外的にもイオがフィリアに親しく接するということはできなかったのだが、それ以上にイオはフィリアに対して他人行儀になったのだ。
イオに「フィリア様」と呼ばれた時のフィリアの悲しみは計り知れない。
そもそもフィリアが女神教の修道女になったのはイオの助けになりたかったからだ。
あの時のフィリアはあまりにも無力だった。悲しそうに、そして苦しそうに泣き叫ぶイオに対して慰めの言葉をかけることすらできなかった。
すべての人は平等という教義の女神教に入ることは、フィリアにとって不当な扱いを受けるイオを助けるための第一歩。聖属性の使い手として名を知らしめたのも、立場を得てイオを助けるための手段だった。
それでも必死の頑張りも空しくハルフンクのすべての人の考えを改めるには至らず、自分の名ばかりが売れるだけという結果に終わったのだが。
(それでも……これで終わりにしたくない)
フィリアはぎゅっと毛布の端を握った。
たとえ改善が間に合わず当人がどこか遠くへ行ったとしても、諦めたくはなかった。イオが頑なに否定するのと同じように、フィリアも自分が悪いと思い続けているのだから。償って、また笑い合えるようになりたいと思うから。
(イオさんは、二度も泣いていた私を見つけてくれた。だから今度は私が見つけよう。まだ心の中で泣いているかもしれない、あの人を--)
決意新たに、フィリアの旅路は今日も始まる。
彼女の見た夢は決して楽しいものではなかったが、それでもたしかに日々を生き抜く力にはなったのだった。
閑話はここで終わりです。フィリアの登場はまたしばらく先になりますが、それでも登場の頻度は多くなります。




