第41話 クイーンホーネット③ 撤退と反撃の狼煙
過去最長です。
「うあぁぁ! いてぇ!」
肩を抑えてうずくまり隙を晒した冒険者の男に次々とキラーホーネットが集まり始めた。男も初めはすぐにその場を離れようとしたが、自分を苦しめる痛みを引き起こしたものが押し寄せてくることに恐怖を感じ、足がもつれている。
キラーホーネットの攻撃手段は尻の針である。ただの針なら刺されても少しチクッとするだけだが、キラーホーネットはそこから毒を分泌している。それは即死するほどのものではないが、激しい痛みと腫れを引き起こし動きを阻害するくらいに強力ではある。
また、いくら即死でないからと言っても致死量に達すれば死ぬ。群れに襲われ、取り囲まれてしまえば生き残るのは至難の業だ。
「サリバ!」
と、そこでサリバと呼ばれた男の知り合いである別の冒険者が救出に向かった。彼が駆け寄るこの時もキラーホーネットはサリバに攻撃を加えている。
「あぁぁあぁああ!」
あまりの痛みに転げまわるサリバの叫びは周囲の冒険者たちにも影響を及ぼし出した。
いつ、どこから刺されるか分からない。一度くらえば終わりかもしれない。それらの恐怖が彼らの動きをぎこちなくさせる。
士気が落ちたことを敏感に察したカルボの判断は迅速だった。
「撤退だ! サリバを助けていったんさがれ!」
「なんでだよ! ここまで来たんだろ!」
リーダーの指示に難色を示したのはティグレだった。彼はこの状況でも戦意を漲らせ、キラーホーネットを殲滅し続けていた。
カルボの指示を好ましく思っていないのはティグレだけではなかった。彼らは戦いつつもカルボに向かって批判的な視線を送っている。
しかし、カルボは引かずに叫び続けた。
「罠だ! このまま行ったら奴らの懐に飛び込むことになっちまう!」
その言葉にイオは目を見開いた。カルボはイオの言葉を信じてくれたのだ。
「さっさと動け! 取り返しのつかないことになるぞ!」
反論を許さぬようカルボは強弁した。鬼気迫るその様子に冒険者たちは次第に撤退の準備に入る。
先頭で戦っていたティグレとベスティードは後衛が集まる場所まで戻ってきた。
「……カルボさん、ありがとうございます」
冒険者たちが行動に移すのを見ながらイオはカルボに礼を言った。荒かった呼吸は随分と楽になっている。
「礼はいらない。それよりも撤退だ。立てるか?」
「はい」
イオは鼻血をぬぐって立ち上がった。少しだけ休めたのと、遠くの状況を知れたことで気力が回復したことによって、歩くくらいはできるようになっていた。
そこに、サリバがいる方から声がかかった。
「おい、誰かこっちを助けてくれ!」
サリバを助けに行った男は槍を振ってキラーホーネットを追い払おうとしている。しかし依然としてキラーホーネットはサリバの周囲にまとわりついたままだ。それどころかターゲットが変わり男の方が囲まれそうになっている。
「俺に任せてください!」
数人が動こうとしたところで誰かから声が発せられた。そして、同時に放たれる魔法。蛇を象った炎は複雑な軌道を描いてキラーホーネットだけを焼いていった。
一瞬で10のキラーホーネットを倒したのは金髪の青年、アルバートだった。アルバートは自分が注目されていることも気にせずサリバの下へ駆け寄った。
「運びます。手伝ってもらえますか?」
「あ、ああ」
男は戸惑いながら頷き、アルバートと共にサリバを肩に担いだ。頭を庇っていたサリバの両腕は腫れあがり、自身はもはや呻き声をあげるだけとなっていた。
「行くぞ」
カルボは無事サリバが救出されたことを確認し、撤退の指示を出した。
♢ ♢ ♢
「撒けたか」
張り詰めた空気の中、誰かが呟いた言葉によって一行に安堵の空気が広がる。
イオたちはキラーホーネットの二重の包囲を掻い潜り、何とか逃げ切ることに成功したのだった。今イオたちがいるのはクイーンホーネットの縄張りの外縁部。キラーホーネットもおらず、他の魔物も近づかない空白地帯である。
「それよりこれからどうするつもりだ?」
問い詰めるようにカルボに言ったのはティグレだった。ティグレはまだこの撤退に納得しきれていない。
「もちろん対策を立ててもう一度向かう」
「そういう意味じゃない。せっかくうまくいっていたところを引き帰させて、あんたはまだ俺らを率いるつもりなのかって言ってんだ」
年上の格上に対してこの態度。しかし、ティグレの中でカルボは腰抜けのレッテルを張られていた。そして同じように思っているのは1人だけではない。
「そうだぜ、カルボさん。サリバがやられたからってちょっとビビりすぎでしょ」
カルボと旧知の仲の男まで、カルボに失望したと言うように口にした。
それに対しカルボは表情を消して憮然とした態度で答える。
「あの先には罠があった。それを回避するために一度さがる必要があっただけだ」
「罠だと?」
「ああ、クイーンホーネットがキラーホーネットを引き連れて待ち構えていたらしい」
「なら、なおさら行かなきゃならないだろう。クイーンホーネットさえ倒せば終わりだったんだ」
ティグレは鋭い目つきでカルボを睨み、そう吐き捨てた。
と、ここで別の冒険者が口を開く。
「カルボさん、さっき「らしい」って言ってましたけど、実際に確認したことなんですか?」
耳ざとくカルボの発言が暗に自分で確証を得たものではないと言っていたことに気づき、他の冒険者も疑いの視線を向けている。
「それは……」
図星だったためカルボは答えられず、ちらっとイオの方を見た。それがまた冒険者たちを刺激する。
「もしかして、そこの餓鬼に言われたからじゃないでしょうね?」
全員の注目がイオに集まる。イオの隣に座っていたアルバートは心配そうな目を向けていた。
イオが言ったことに違いはないのでカルボも肯定するしかない。
「……そうだ」
「はっ、落ちぶれたものですね。無属性の、しかもそんな餓鬼に従うなんて。死にかけて頭弱ったんじゃないですか?」
一帯に下品な笑い声が響く。カルボがリュビオスに襲われ、死にかけたことは周知の事実である。
さらに非難は続く。
「しかもそいつ、何もしてねえのに鼻血出してぶっ倒れたらしいじゃないですか」
「カルボさんはいつから子守りになったんですかねぇ」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてカルボを嘲笑する冒険者たち。カルボは何も言わない。
冒険者はランクで上下が決まるが、それは強さがすべてであるということと同じである。だからたとえ高ランクであっても軟弱者だと思われれば見下しの対象となる。相手を引きずり降ろそうとしてくるのだ。
アルバートがルーに語った内容が、今目の前で起きている。
「おい」
カルボを責める人間の中でただ1人、嘲笑することもなく目を細めていたティグレがイオに近づきながら呼び掛けた。
「お前何しに来たんだ? 邪魔しに来たのか? あ?」
そう言ってイオの前髪をつかみ上を向かせる。かぶっていたフードがとれ、紺色の髪が晒された。
イオの頭を乱暴に揺らしながらティグレは詰るように怒りをぶつける。
「剣も振らず魔法も使えず、それなのに邪魔だけはする。「感覚強化」? そんなものが何の役に立つ」
「その手を離せ」
なすがままにされるイオを見て冷たく言い放ったのはアルバートだった。アルバートは剣の柄に手をかけ今にも抜き放たんとしている。
「イオを侮辱することは許さない。その手を離せ」
「そう言えばお前が連れてきたんだったな。雑魚は雑魚だ」
「違う。今すぐ離さなければその手を切り飛ばす」
「やってみろ」
2人はまさに一触即発の状態だった。ティグレもイオの髪を掴んだまま片手を腰の剣に添える。
これにはさすがの冒険者たちもまずいと思いはじめ、静止を呼びかけようとしたところで別の方向から声が聞こえた。
「ーーあの先にはキラーホーネットが一面に待ち構えていた。その数はおそらく300に達する」
ティグレはその声が聞こえる方向、すなわち手元のイオへと顔を向けた。イオは髪を掴まれていても表情を変えず、全員に聞こえるような声で淡々と告げる。
「一番奥にはクイーンホーネットもいるが、そこにたどり着く前に俺たちは全滅していた。なぜなら」
思い出すのは朦朧としていた時に見たあの景色。イオはイオだけが知り得る情報から推測した結末を話す。
「初めに俺たちを包囲しようとしていた群れは、そのまま第二の包囲陣となって挟撃されていたからだ。全体の数は500を優に超える」
最初にイオたちは、まず四方から迫る群れの1つを撃破し囲まれる心配をなくした上ですべて殲滅する予定だった。しかし、突破した先にさらに多くの群れが待ち構えていれば、後ろからの群れを殲滅する間もなく次の戦闘が始まってしまう。
これはクイーンホーネットが縄張りへの侵入者をより確実に殺すために用意した巧妙な罠だったのだ。
「……おい、何を言っている。黙れ」
突然流暢に話し始めたイオにティグレが不気味そうな顔をしているが、デッドエンドを語るイオの言葉は止まらない。
「疲労がたまり怪我人もいる中で500のキラーホーネットを相手取り、クイーンホーネットを討伐することなど不可能。そして最初に死ぬのはーー」
「黙れと……!」
「アンタだ。ティグレ」
その宣告に場の空気が凍り付いた。ティグレは肩を震わせるとイオを思い切り殴り飛ばした。
「グフッ!」
「俺が……この俺がハチ如きに殺されるだと? ふざけたこと言ってんじゃねえ!」
怒りを顕わにしてティグレは怒鳴りつけた。ただでさえ鋭い目つきに大の大人を震え上がらせるほどの殺気がこめられている。
だが、殴られて地面に倒れ込んだイオがその目に怯えるようなことはない。それどころか起き上がると冷ややかな目でティグレを見返した。
「アンタは確かに強い。だがそのせいか1人で前に出すぎる傾向にある。その上、動きが大きく目を引きやすい。真っ先に狙われて孤立するタイプだろう」
強化されたイオの感覚には様々な情報が入ってくる。腕が空を切る音、足が地面を踏む音、口から洩れる声。人間ならどんな動きをしているかイオは大体予想できる。
そして、イオが周囲を探ろうとするとき決まってティグレから多くの雑音が混じる。つまりティグレの存在が強すぎるのだ。それが悪いこととは言わないが魔物を引き付ける要因にはなりうる。手数が多くキラーホーネットを多く倒している分、周りから狙われやすいのだ。
「前衛が崩れれば次は後衛と怪我人。なすすべもなく殺されて生き残れるのは……バルさんとアルバート、他数人だな。討伐隊は壊滅し、依頼は失敗。クイーンホーネットは勢力を広げ続けることになる」
突然名前を出されたバルとアルバートが驚いた顔をしているが、それを見る者はいない。今、この場にいる冒険者たちは皆イオを見ていた。そしてその多くがティグレと同様に殺気を漲らせている。
端的に見ればイオはこの場にいる大勢の冒険者を敵に回したことになる。最年少で最弱のイオに、依頼は失敗して死ぬなどと言われれば殺意を抱かれても仕方のないことだろう。ましてやそれが血気盛んな冒険者ならなおさらだ。
しかし、イオに恐れはない。イオが言ったことはすべて事実であり、あのまま進んでいれば起こり得たことなのだから。イオは危険をあらかじめ予測し回避しただけで、この場でイオに殺気を向けるのはお門違いだ。
つまり、イオは正義であり、被害者である。だから格上である冒険者たちに対しても精神的な優位性を保てる。
「……死ぬ覚悟はできているんだろうな」
といってもそれはイオの主観である。冷静さを失ったティグレや、怒りで頭に血を登らせた冒険者たちには通用しない。
ティグレはすでに双剣の片方を抜いている。ティグレの腕ならこの至近距離で地面に尻をつけているイオを殺すまでに1秒もかからないだろう。
そしてその未来はすぐに訪れる。斜めに振り下ろされた剣はまっすぐイオの首を狙っている。運の悪いことに殴り飛ばされたイオの近くに人はおらず、アルバートの助けも間に合わない。誰もがイオの死を確信した、その時ーー
「あ?」
突然目の前を流れた水にティグレの剣は軌道を逸らされ空を切った。そしてイオを守るように水の壁が展開される。
「まったく、困った後輩たちだ」
ゆっくりとした足取りで2人の方へと出てきたのは紫色の長髪をしたベスティードだった。ベスティードはすでに水魔法「水纏」を発動している。
「クイーンホーネットという敵が目の前にいるのに仲間内で争うなど無益にもほどがある。そんな暇があるなら策の1つや2つでもひねり出せばいいものを」
ベスティードはいかにもやれやれといった風に顔を横に振った。
「おい、あんたは気にならないのかよ。こんなのに侮辱されたまま終わればBランクの名が廃るんじゃないのか」
相手がベスティードということでティグレも多少は落ち着きを取り戻していた。とはいっても怒りは収まりきらないらしく剣の切っ先はイオに向けたままだ。
ベスティードはうーん、と首をひねった後にあっけらかんとした様子で言った。
「気にならないね。だって彼が言ったことは事実だから」
「なっ……! 俺たちが殺されるっていうのか」
「ああいや、二重に囲まれる云々は私も知らない。だが、君が真っ先に死ぬっていうのには賛成だね。だって君、あまりにも連携が取れないから」
その言葉にティグレはありえないと口をぱくぱくさせていた。ベスティードはその様子に笑いながら補足する。
「同じ最前線で戦っているとよく分かる。君は好き勝手動き回って周りのことを少しも考えていない。目に映る敵に向かうばかりで挟まれるかもなんてことは頭にないのさ。私がフォローしていなければ一撃もらっていたかもしれないね」
何も言えないティグレに向かって今度は別の方向から声がかけられた。
「俺は撤退したのも悪くない選択だって思ってるっすよ。俺は理由がなくても嫌な予感がしたらさがるくらいっすし」
バルが軽い口調でカルボを弁護した。事実これまで多くの危険をその身で乗り越えてきたバルの言葉には説得力がある。
するとまた別の方向から声がした。
「その小僧は何もしていないように見えてわし等のことをよく見とる。ならばさっきの話もまったくの嘘とは言えんのだろう」
ドゴスが斧の手入れをしながら顔も上げずにそう言った。たしかにイオの未来予測はかなりの現実感があったのだ。
ここにきて相次いでBランク冒険者がイオの側へ付いたことで風向きが変わった。ランク至上主義の冒険者はこの3人を相手に回して反論などできやしない。
「……俺はついこの前仲間を失った。臆病になったと言われても言い返せねえ。だが、俺はイオのおかげで生き延びることができたんだ。俺はイオを信じる。今だってイオに言われて撤退したことを後悔していない」
後輩や同輩に非難されても黙っていたカルボが口を開く。その言葉の通り、カルボの顔に後悔の色はなく決然とした表情をしていた。
そしてイオはというと、いまだに地面に座り込んだままで口をぬぐっていた。殴られた際に切ったのか口元に血がにじんでいる。
そんなイオのもとにアルバートがしゃがみ込む。
「まったく……無茶をしすぎだ。本気で肝が冷えた」
「……悪い。俺らしくもないな」
「そうだね。でも、よかったんじゃないか。分かる人にはイオのことを分かってもらえるって知れて」
場違いにもアルバートは少し嬉しそうだった。
イオが自分らしくないと言ったのはティグレたちを敵に回すようなことを言った件についてである。無関係を貫き、積極的に敵を作らないようにしていたかつてのイオとはかけ離れた行動である。
イオがそんな行動を起こしたのは果たして見下す相手に言い返したかったからなのか、それともカルボに非難を浴びせられたことに腹が立ったからなのか。イオ自身にも分からない。
しかし、自分の命まで張ったことでベスティードにバル、ドゴスやカルボといった冒険者たちはイオのことを少しでも理解していることが分かった。それは確かにいいことと言えるだろう。
ベスティードたちが意見を発したことで状況が変わり、もはやイオとカルボを責める空気は霧散していた。そもそも今はそんなことをしている場合ではないと思い出したのだ。
「さて、イオ君。ここまで私たちの時間を割いたんだ。何か策はあるんだろうね?」
ベスティードが相変わらず大袈裟な動作でイオに訊いた。再び全員の視線がイオへと向けられる。
その視線を一身に浴びながらイオは居心地悪そうに答えた。嫌悪の視線と期待の眼差しではイオの勝手も違ってくる。
「まあ、あります。けど、それにはアルバートの協力が必要になります」
「……俺?」
そして、反撃が始まる。
登場人物
・サリバ:Cランク冒険者。怪我人。再登場の予定は特にありません。




