第30話 結成2日目
「はっ!」
アルバートが短く息を吐くと同時に剣が振り下ろされる。
その軌道上にいた巨大な蜂の魔物は真っ二つに分かれた。
「上にもう2匹!」
「了解!」
イオの言葉に答えてアルバートはそのまま上を向く。そこには言われた通り2体の巨大蜂が向かってきていた。
依頼、「キラーホーネットの討伐」。ランクはD。
初の依頼を達成した翌日、イオ達4人はこの依頼を受けて森までやってきていた。
キラーホーネットの特徴は素早い動きと群れでの活動。1体の女王を頂点として完全な統制がとれており、5、6匹を最小単位として活動している。
攻撃手段は尻の毒針を刺すことで、刺されても即死することはないが刺された箇所が酷く腫れる。もちろん数匹にまとわりつかれると死に至ることもある。
最近この森でキラーホーネットがよく見られるようになっており、女王、すなわちクイーンホーネットの出現が推測されている。が、今回イオ達が受けたのはあくまでキラーホーネットの数を減らすことだけである。
クイーンホーネットの討伐はBランクの依頼なので、Eランクパーティーの「不死鳥の翼」ではまだ受けることすらできない。
「何体でも来てみろ!」
アルバートの挑発的な言葉が理解できたのか、2体のキラーホーネットはそのままアルバートへと襲い掛かる。
そしてその後方では——
「あーもう! 当たらない!」
カナリアが苛立ちの声をあげていた。
「カナリアちゃん、慌てない」
カナリアの隣で彼女に声をかけるルーだが、その表情は真剣だった。ルーは今まさに魔法を発動している最中なのである。
2人を包み込むように展開された半球状の水の壁、「水壁」それは周り囲む3体のキラーホーネットが彼女達に近づこうとするのを阻んでいた。
空中で停止しているキラーホーネットは何度も水の壁の中に侵入を試みようとするが、そのたびにカナリアが魔法を放ち後退することになる。
一方でカナリアも近づいてきたキラーホーネットを「風刃」で仕留めようとするのだが、昨日倒したビックマンティスと違って的が小さく動きが速いため捉えられずにいる。
羽音を鳴らして上下左右に飛び回り、攻撃の機会を窺う3体のキラーホーネット。睨みあいの末、カナリア達が隙を見せないことにしびれを切らせたのか、そのうちの1体が無策に真っ直ぐ突っ込んでできた。
カナリアはそれを正面から捉えている。
「くらいなさい!」
前に突き出された右手を起点として放たれた風刃。それは向かってくるキラーホーネットと正面から交差する。
一拍後、そのキラーホーネットは腹から血を噴き出し、飛んできた勢いのまま水壁にパシャリとぶつかって地面に落ちた。
「よし!」
「ちょっと、こっちにも!」
「えっ!?」
喜びも束の間、切迫したルーの声に振り返ってみるとそこにはもう1体のキラーホーネットが水壁に張り付いていた。そして少しずつ足が内側に入り込んできている。
水の壁というのはいわゆる薄膜のようなものであり当然遮断性が高くない。だからこそカナリアは内側から外側へと魔法を放つことができた。しかし、それは逆に体の軽いキラーホーネットでも時間をかければそこを通り抜けられるということである。
「待ってなさい、すぐに魔法を……!」
「は、早く! もう入ってきてる!」
キラーホーネットはすでに体を半分侵入させていた。
現在進行形で魔法を使っているルーは他の魔法を使う余裕がない。ついさっき魔法を放ったばかりのカナリアは焦りを抑えて魔力を練る。が、間に合うかどうかは正直微妙だった。
「くっ……」
カナリアが分の悪い賭けに出ようとしたその時。こちらに全力で駆けてくる誰かの姿が映った。
邪魔臭いローブを着ていながらその動きが阻害されている様子はない。姿勢を低くして地面を強く蹴り、一歩ごとに跳んでいるような広い歩幅でこちらに迫る。
そして伸ばした左手に握られている剣を、走る勢いのまま侵入しようとしているキラーホーネットに突き刺した。
「ギィィ……」
柄近くまで貫通していながらそのキラーホーネットはまだ生きていた。声をあげ、弱々しく羽をばたつかせている。
剣の持ち主であるイオは足でキラーホーネットを押さえつけ剣を抜くと、頭に突き刺す。ゆっくりと動きが停止し、今度こそキラーホーネットは息絶えた。
イオが現れてからここまでかかった時間は十秒ほど。つい先ほどまで危機に陥りかけていたカナリアとルーは状況についていけずに呆然としていた。しかし、まだもう1対残っていることを思い出し正面を向いてみると残りの1体だったと思われるキラーホーネットはすでに地に落ちていた。
その後ろから剣を片手にアルバートが語り掛ける。
「皆、怪我はない?」
この一言で戦闘がすでに終わっていることを認識したルーは魔法を解除した。半球の天井から裂けるように水の壁は消えていった。
「はい、大丈夫です」
「私も」
安否を問う声にルー、カナリアの順で答える。危ないところはあったが2人とも攻撃は受けていない。
「問題ない」
イオも無傷の勝利だった。
シャーリーとグロックの暗闇での魔法回避訓練を受けたイオにとって、常に羽音で自分の場所を知らせてくれるキラーホーネットの動きを察知することは朝飯前だった。来る方向が分かっていて、しかも何をしてくるか分かり切っているような攻撃をくらうことはない。
「……はぁ、さっきは危なかったね」
危機が去ったことで安堵したルーが先ほどのことを思い出して口にする。
「そうね。……ごめん、私が1体に気をとられすぎたせいだわ」
「ううん、私も簡単に壁を抜けられそうになっちゃったし。お互い様だよ」
2人がそれぞれ反省点を述べる。するとそこにアルバートが割り込んできた。
「2人とも、改善点はあるみたいだけど連携はよくできていた。なにより自力で1体倒せたんだ。成長の証だよ」
「そ、そうかしら」
「えっと、ありがとうございます」
アルバートに褒められたことでカナリアとルーは照れを見せながら言葉を返した。
アルバートの言う通り、2人で一緒にぼんぼんと魔法を撃ちまくっていた昔と比べると、技術的にも戦術的にも格段に成長したと言える。その証拠にEランクの2人がDランクの魔物を倒すことができた。
「あ、それよりアルバートの方は大丈夫だったの? 半分そっちに行ってたけど」
話題転換の意味も込めてカナリアがアルバートに気になったことを尋ねた。
「僕は大丈夫。最初の1体は簡単に倒せたからね」
「さすがだわ。じゃあ、アルバートは3……あ、4体倒したってことね」
カナリアがアルバートに尊敬の眼差しを向ける。
しかし、アルバートは苦笑して首を横に振った。
「僕だけじゃなくて、こっちには一応イオもいたから。イオの攪乱のおかげだよ」
「あ、イオ君が。……そういえばまだ助けてもらったお礼してなかった」
横で聞いてきたルーが納得の声をあげ、そしてイオの姿を探す。
イオは相変わらず話には加わらず地面に転がるキラーホーネットを解体していた。
「イオ君、さっきは助けてくれてありがとう」
ルーが話しかけるとイオはいったん手を止めて顔を上げた。
「いや、少し遅れた。悪い」
「全然大丈夫だよ」
少し申し訳なさを見せるイオにルーは笑顔で答えた。その表情から彼女が本当に気にしていないのだということが理解できる。
パーティー「不死鳥の翼」における今のイオの役割は斥候と前衛及び後衛の守りである。このことはメンバーと話し合って決定されている。
しかし、今回の相手は空を飛んでいるためイオ1人で守っていても容易に包囲されてしまう。そのため守りはルーに任せて遊撃として戦闘に参加したのだった。とは言ってもカナリアとルーを2人で放置しておくというわけではない。イオはアルバートと後衛組を両方援護するつもりだった。
ところがいざ戦闘になると、イオに集団戦の経験がないこともあって2つの戦局を見続けるのは思いのほか難しかったのである。結果、後衛組のピンチに反応が遅れた。イオは「身体強化」を使って突進せざるを得なくなったのである。
(助けたのに威張ることもない……)
2人のやり取りを見てカナリアが心の中で呟く。改めてよく観察してみると、イオの不愛想な態度の中にも様々なことが見受けられる。
昨晩ルーに説教のようなものをされてからカナリアの頭は靄が晴れたようにすっきりしていた。まるで曇ったガラス越しに相手を見ていたような感触が消え、イオをただありのままに見ることができるようになったのだった。
もちろんそれでも近寄りがたいと思ってしまう苦手感は消えていない。それでもカナリアに明るさが戻ったことと、不必要にイオに絡まなくなったことでパーティー内の空気はいくら改善されていた。
「ほら、カナリアちゃんも」
ぼんやりと見ているとルーが何かを催促してきた。その視線の先にイオがいることで意図するところを理解した。理解はしたが行動に移せと言われると難しい。なにせ昨日まで一方的に喧嘩していた相手なのだ。声をかけ辛いことこの上ない。
「カナリアちゃん」
止まない催促。逃れられないことを悟ったカナリアは勇気を出してイオに声をかけた。
「あ……ありがと」
目線も合わさず、さらにはしかめっ面でぼそりと告げた感謝。礼をする者がとっていい態度ではない。聞こえたかも怪しいその言葉に対してイオは——
「……ん」
顔も上げずに、同じくそれが返事なのかどうかも分からないほど小さな声で返した。
ルーとはあからさまに違う、こちらと意思疎通を図ろうともしていないイオの態度にカナリアはつい激高しそうになった。が、瞬時に頭が冷えて怒りは消え去った。
(……当然か。昨日までの自分の振る舞いを考えると)
最初に悪い印象を与えたのは他ならぬ自分。それなのに自分を棚に上げて相手だけに敬意を求めるのは筋違いだ。カナリアはそう自分を戒める。油断するとすぐにまたイオを見下した態度を取ろうとしてしまう。自分のことだけにいつそれを表に出してしまうか、カナリアは恐ろしくなった。
そんなカナリアの内心を余所に、アルバートがイオに話しかける。
「イオ、それは何をしてるんだい? 討伐部位は尻の針だけだろう?」
イオは地面に片膝を立ててキラーホーネットの腹にナイフを入れている。討伐部位を得るだけならそんなところを切る必要はない。
「毒袋をとっている」
「毒袋?」
端的に述べたイオにアルバートが訊き返す。そんなものが何に使えるのか分からなかったのだ。
イオは何でもないことのように答える。
「ギルドで買い取りはしてないが、然るところに持っていけばそれなりの値で売れる」
「へぇ……」
感心したように相槌をうつアルバート。
他の2人も初耳だったようで驚いたような表情をしていた。
イオは黙々と作業を続け、取り出した毒袋に触れたり破かないように注意しながら持参の容器に入れる。
手に入ったのは2つ。他は4体とも腹に傷があり、さらに時間的な意味でも取り出すのを断念した。
慣れた手つきですべてを終えたイオを見てカナリアは思う。
(……剥ぎ取りは私よりも断然うまい。アルバートが知らないことも知っている)
剥ぎ取りのうまさはそのまま買い値の増減に直結する。もし剥ぎ取りに失敗すれば買い取り額を減らされることもあり得る。
繊細な技術を要する毒袋を傷つけずに取り出すイオの技量は冒険者の中でも高いと言えた。
(それに私たちが話してる間もずっと1人でやってた。おかげで私たちの負担は減って、早く出発できる……)
偏見のない眼で見ればイオがどれだけパーティーに貢献しているのかが分かる。
カナリアの中でイオの評価が一段上がった瞬間だった。




