第3話 奥の手
目の前に倒れたファングベア。その目に敵意はいまだ消えておらず、イオを食い殺そうと睨んでいる。
しかしどれだけ睨もうとファングベアの四肢は震えていて力が入らず起き上がることはできない。
ゆっくり体を起こしたイオは折れたショートソードを手に持ち、いまだ起き上がれずにいるファングベアに近づいてその首を掻き切った。
そして仰向けに倒れこんだ。
「……死ぬかと思った」
全身に痛みを感じながらイオは生をかみしめる。
ファングベアはDランクのイオよりも格上であり、しかも本来ならパーティー単位で挑む魔物である。他の冒険者からすればそのファングベアに1人で挑むのは自殺行為であるし、さらにそれを1人で討伐してしまうのも異常なことである。
それにもかかわらず今回イオがリスクを冒してまでファングベアに挑んだのは、イオにとって逃げるよりも倒すほうがまだ楽だったからである。
ファングベアは1度狙った相手はどこまでもその強靭な足で追い続けるという習性をもっている。あの場にいたのはイオただ1人。数人いれば誰かが囮となって、その隙にほかの誰かが攻撃を仕掛けて足止めするなどやりようはあったが、1人の時に遭遇してしまえばファングベアはその1人を執拗に追い続けるだろう。
そうなればいくら無属性魔法の「身体強化」が使えても、単純なスピードもスタミナもファングベアのほうが上なのだからすぐに追いつかれてしまう。仮に同じ速さで走っていたとしても森を抜けるよりも先にイオの魔力が尽きてしまう。その後で結局追いつかれて殺されるだろう。
とっさに出会い頭をついて1撃を入れたイオの判断は適切なものであった。
そして突然動けなくなって地面に倒れ伏したファングベア。イオはその原因をつくった武器を取り出した。
「またこれに頼ってしまった……」
取り出したのはイオがいつもローブの中に隠して持ち歩いているナイフ。普通の武器屋で売っているような何の変哲もないナイフである。しかしその刀身は金属が出すものとは違ったぬめりとした輝きを放っていた。
この輝きの正体は毒。イオはいつも毒を塗り込んだナイフを持ち運んでいた。
効果は神経に作用し体の自由を奪うというもの。そのまま放置すれば死にも至る強力な毒である。
これは薬師であった母に教えてもらったものである。いや、危ないから絶対に作らないようにと言われていたものである。
イオは冒険者になる前に母を手伝って薬を作っていた。普段作るのはもちろん治療薬であったが、熱心だったイオを見た母が色々なことを教えたのだ。時には薬草自体が高価で手に入らないものであるが高い効果を持つ万能薬について。また時にはそこらの森に生えているが体内に入ると腹をこわす毒草について。
今回使用したのは後者のくくりで教えられたものの1つである。
母はイオがこれを作り、ましてや自分で使用するなど望んではいないだろう。しかし単独で行動するイオにとってこれが切り札になっていて、これまでに何度か命を救われていることも事実である。
今回は先手必勝で毒ナイフで切りつけ、毒がまわるのを待っただけである。さすがにファングベアは巨体だったためにまわりが遅かったものの、派手に動きまくってくれたおかげでぎりぎり間に合ったというところだ。
しかし当然毒というものは暗殺者が使うものであり、冒険者的に考えると邪道であると思ってしまうのは否めない。魔物の肉が目当てだった場合、誰も毒を使って倒した魔物の肉に手を出す者はいないだろう。それは毛皮なんかでも同様である。
もし仮にイオが毒を使うと他の冒険者に知られてしまえば、イオが完全に爪はじきにあってしまうのは確実である。それどころかギルドから罰則を与えられる可能性もある。
イオが1人で依頼を受けるのもこのことがばれないようにするためという目的もあってのことである。
さすがにイオもこのままではまずいと思い、なんとか毒を使わないようにしようと思ってはいるのだが、長年命を救ってきたものがなくなるのは精神的に不安を感じ毒ナイフを手放せないでいる。
「……っつつ」
イオが自己嫌悪に悩まされていると、思い出したように体中の痛みがぶりかえしてきた。
特に左肩は深く切り裂かれていて重症である。
「『回復促進』」
イオはこの日3つ目の魔法を使った。
「回復促進」はその名の通り、体中に魔力を通わせて自然治癒能力を高める魔法である。
「身体強化」、「身体硬化」、「回復促進」。魔力を体に通わせることで自身の体に様々な付与効果を与える。それが無属性魔法の性質である。
無属性魔法をうまく使いこなせれば近接戦では大きな力を発揮することができるだろう。
しかし、その反面無属性にはいくつかの欠点も存在する。
その1つが遠距離攻撃ができないということである。他の4属性である火、水、風、土属性は遠・近の両方で使うことができる。そのため距離をとられれば無属性魔法の使い手に打つ手はないし、近づけたとしても攻撃は他の4属性のほうが多様である。
また、自分の体を強化できるといってもそれほど効果が大きいわけではない。例えば「身体強化」を使っても生まれつき武勇に優れたものに負けることはあるし、「回復促進」を使ってもイオの左肩の傷を治すことはできない。このような傷を治すのはフィリアが使える聖属性の分野だ。「女神の慈悲」と言われるかの魔法なら魔物の爪で切り裂かれた傷でも治せるだろうが、治療費の関係上イオが取れる選択肢ではない。
イオは「回復促進」を使ったまま仰向けに寝転がり、効果が現れるのを待つ。特に左肩には集中的に魔力を集める。
そのまま30分ほどしたところで体が楽になったのを感じ、イオはゆっくりと起き上がった。
このあたりにゴブリンがいなかったのはどうやらファングベアが原因だったらしい。ファングベアがこの一帯の魔物を殺し自身の縄張りにしたためにほかの魔物が寄り付かなくなったのだろう。
イオもそう考えたためにこうして堂々と体を休めていたのである。
イオは戦闘前に放っておいた荷物からポーションを取り出した。もちろん自作である。
小ビンの半分を肩にかけ、残りを飲み干す。さらに包帯を取り出して巻いていった。これで町に帰るまで保つだろう。
だが来ていたローブの肩口はざっくりと切れ、若草色の生地に赤い血が付着している。これは買いかえる必要がある。
傷と装備の具合を確認してイオは手早くエリダ草の採取に取り掛かる。ハボン草と同じく20束集まったところで採取を終えた。
依頼はゴブリンの討伐もあるが、この傷では無理だろう。それよりもファングベアが倒されたことで魔物が再び集まってくる前に森を抜けるべきである。そう判断したイオは迅速に行動を起こす。
必要なのは後処理。森にCランクの魔物が現れたとなればギルドに報告しなけらばならない。それにせっかく倒したのだから素材を売って資金の足しにしたい。
その一方でイオが毒を使ったということがばれてはならない。そのための後処理である。
イオは毒のついていないナイフでファングベアの下顎と4本の足を切り離した。これで牙と爪は確保できた。
そして折れた剣を手に持つとイオはファングベアの死体に大量の切り傷を付けていく。毛皮もめちゃくちゃにして誰も使おうと思えないようにしていく。
流れ出る血も魔物を引き寄せるのに一役買うだろう。これで他の誰かが見つけた時には魔物が食べた後になっていることを願うだけである。
ちなみにイオが使った毒を体内に取り込んだ魔物の肉を他の生物が食べても影響が少ないことは過去に魔物や動物を使って検証済みである。運が悪ければ数時間後に体がしびれるといった程度だろう。
だからといってイオがその魔物の肉を食べようとは思わないし、もしものことがあってはならないので誰も食べないようにこうして処理するのだが。
イオはすべての処理を終えると荷物をまとめ、最後にもう一度確認してから町の方へと歩き出した。
♢ ♢ ♢
「おら!さっさとしろ!」
イオがボーダンの町に帰還し冒険者ギルドに入ると、そこは荒々しい雰囲気が漂っていた。
10人ほどの冒険者がギルドの真ん中で荷を集め、いかにもこれから遠征にでも行くという感じだった。周囲の人もそれに注目していて、「頑張ってこい」と声をかけている人もいる。
イオは大体のことを察し、しかしその殺気立った集団に声をかける勇気はなかったため説明を任せる目的で受付へと向かった。
「すいません」
「あ、はい……って、大丈夫ですか!?」
朝と同じ受付嬢もおそらくこれから討伐に向かうであろう集団に目を向けていたため、声をかけられたほうを見て思わず大声を出した。いきなり目の前に半身を血まみれにした人が現れれば驚くのも当然だろう。
その声にまわりの人たちの注目もイオに向く。
イオはそのことに居心地の悪さを感じながら淡々と答える。
「依頼中にファングベアと遭遇しました」
「ファングベアですか!?よくご無事でした。これからあちらのパーティーが討伐に向かうので安心してください」
「いえ、もう討伐してきました」
興奮した受付嬢が勘違いしてイオの事情説明を遮ったが、イオはすぐに伝えるべきことを伝える。
予想通りあの殺気立った集団はこれからファングベアの討伐に向かうらしい。おそらくイオの前に遭遇した人がいたのだろう。このままでは無駄足になってしまうのでさっさと伝えるにこしたことはない。
「え……討伐、ですか?」
「はい、これが証明部位の牙で、こっちは爪です」
信じられない様子の受付嬢にイオは淡々と証拠を提示する。さすがに証拠を出されては受付嬢も信じざるを得ず、しかし大きな衝撃を受けたのか固まっていた。
まあDランクの冒険者が1人でCランクの魔物を倒したとなれば信じられないのも無理はない。
「嘘だろ?あの小せえのが」
「けどありゃあ間違いなくファングベアの牙だ。それに爪もってなると……」
周囲からもこんな声が聞こえる。居心地の悪さも限界に達し、これ以上注目を浴びるのはかなわないとイオは受付嬢に声をかけた。
「あの、傷の治療をしたいんで早くしてもらえませんか」
「あ、すっ、すいません!!」
正気に戻った受付嬢だったが、イオを窺うように見て問うてきた。
「あの、事情をお聞きしたいので別室に来ていただけますでしょうか?」
「いえ、傷が……」
「こちらで治療させていただきます」
「でも、治療費が……」
「無料で結構です」
イオの逃げ口上に受付嬢は畳みかけるように言葉をかぶせてくる。
どうやらイオはまだここから逃げ出すことはできないらしい。