第22話 影の特訓
日が暮れ行く中、イオたちが来たのは町はずれの空き地だった。
奥には古びた建物が残っており、この場所がかつては豪邸の庭だったことを物語っている。
今では誰にも使われておらず、ただ取り壊されるのを待つばかりとなっている。
明かりなど当然なく、日が沈むにつれて視界は効かなくなっていく。
そんな場所までやってきた4人は早速3手に別れる。
空き地の中心で向かい合うイオとヴァナヘルト。
隅によって観戦の姿勢を見せるシャーリーとグロック。
ヴァナヘルトは愛用の槍の代わりに細長い木の棒を持っている。対するイオの左手に握られているのは金属製のロングソードだった。右手は相変わらず包帯が巻かれていて物を握ることもできない。
「じゃあ、行くぞ」
「よろしくお願いします」
そう言うや否や、ヴァナヘルトがイオに迫る。突き出す木の棒に殺傷能力はないが、当たれば当然痛い。
イオはその攻撃をまずバックステップで躱した。
するとすかさずヴァナヘルトが呆れ顔でどやす。
「おいおい、いきなり下がってどうすんだよ。後ろに仲間がいる時どうすんだ?」
「ッ! すみません」
「やり直しだ」
そう言って同じように構え直す。そして再現される先ほどのシーン。ただ今度はイオは下がらずにそれをロングソードではじいた。
しかし、はじかれた程度でヴァナヘルトは止まらない。流れるように軌道を変えて、横からイオの頭を強襲した。
「ふっ」
それをイオはしゃがんで躱す。するとすると次に繰り出されるのは顎への蹴り。体を反らすことでそれを躱した。
「おら、今度は手が止まってるぞ! その手に持っているのは飾りか?」
「ッ!」
再び修正点を指摘される。
利き手が使えない以上、左手だけで剣を振ることはイオにとって難しいことだった。それでも「身体強化」の助けを借りながらなんとか剣を操る。
だが連続して急所を狙う攻撃にイオは次第に対応できなくなっていく。
躱して防いで、しかし次の攻撃は当たる。思わず下がったもののすぐに追撃を受ける。
槍の長所はリーチが長いこと。イオが一歩下がったところで、ヴァナヘルトが手を伸ばすだけで攻撃は当たる。
すぐに距離を詰められ再び苦しい展開になる。躱す余裕はなくなり剣での防御が増える。すると足元が疎かになって足を引っかけられる。
地面に転がされたところで顔のすぐ横の地面に木の棒が突き刺さった。
「……参りました」
イオが負けを認めるとヴァナヘルトは鼻を鳴らしてその場を離れる。そして起き上がったイオに言葉をかけた。
「ダメだな。そんなんじゃあBランクどころかCランクの魔物にも瞬殺だ。お前は集中すると行動が偏るんだよ。だからちょっと違うことをしただけですぐ引っかかる。もっと剣と足捌きを両方同時に使えるようになれ」
「……分かりました」
厳しい言葉にさすがのイオも落ち込んだ様子をみせる。
「ただでさえハンデがあるんだ。使えるものは全部使えるようになれ」
「はい……」
ヴァナヘルトが視線を向ける先にあるものをイオも見て返事をする。2人が見ているのは包帯が巻かれた右腕だった。
アルバートに言ったとおり、イオはこのままいけば冒険者に復帰するつもりだった。しかし、これまでと全く同じ状態で、とは言えないのだ。
肩ごと壊れた右腕は添え木を当てて安静にしていたところで元には戻らない。とはいっても物を持ったり握ったりすることはできる。ただ戦闘で剣を振るうのには耐えられないのだ。より正確に言えば、右肩の可動域が狭くなったのである。
もともと右肩はファングベアによって小さくない引っ掻き傷が残っていた。一度は治りつつあったこの傷だったが、先の戦闘によって再び開いたのだ。
そのこともあってイオの右腕はもう元には戻らないほど壊れてしまった。
もちろんイオも全力で直そうとした。しかし、治療費以前に医師にさじを投げられてしまい、「回復促進」をかけ続けても治ることはなかった。もともと「回復促進」は自然治癒の延長線上にある魔法だ。直りが早くなることはあっても自然治癒を超えるほどの治癒力はない。
それでもここまで治ったのはイオが全力を尽くしたおかげ以上に奇跡のようなものだ。本当に最悪な場合は肩から腕を切り落とすということもあったのだから。
不完全と言えどもここまで治ったのだから、イオはもうこれ以上の欲をかくつもりはなかった。
完治させる方法は、あるにはある。聖属性の魔法だ。しかし、貴重な聖属性の使い手は例外なくどこかの機関の管理下にある。それを頼ろうとするなら伝手や大金なんかが必要になってくる。
唯一、平等を謳う教会だけはお布施と引き換えに万民に分け隔てなくその力を行使しているが、現在協会に所属している使い手でイオが知っているのはフィリアのみ。そしてイオは彼女に頼るつもりはない。
結果、イオはこの腕のまま生きていくことを決めたのだった。
立ち合いを終えた2人の下にシャーリーとグロックが近づいてきた。
「でも、最初の頃よりは良くなってると思うよ。初めなんてヴァナにコロコロ転がされてたもんね」
「まあ……そう言われるとそうですけど」
シャーリーは褒めてくれるがイオは喜んでいいのか微妙な気持ちだった。
初めて立ち会った時、イオは初手から地面に転がされ、そこを上から突いてくるヴァナヘルトの攻撃を避けるために地面を転がりまくったのだ。イオが思うに、いくらまだ病み上がりだとか片手に慣れていないといってもあれは論外である。戦いにすらなっていなかった。
釈然としないイオに向かって今度はグロックが声をかける。
「……もう十分休んだだろう。次だ。シャーリー」
「はーい。じゃあ、イオちゃん。やろっか」
「はい、お願いします」
今度はヴァナヘルトが離れる代わりにシャーリーがイオの正面に立った。グロックは2人の間に審判のように立ってる。
辺りはもう暗く、イオからシャーリーの表情どころかその姿もはっきりとは見えない。見える範囲は数歩先まで。
この状態では満足に動くことすら難しいだろう。
「……始め!」
グロックの合図とともにシャーリーが魔法を発動する。使うのは殺傷能力の低い「風球」。だが代わりに四方八方からイオに襲い掛かってくる。
「『感覚強化』」
イオはまず「感覚強化」を発動した。強化する部分は目と耳。そして強化度合いの比重は耳の方が大きい。
瞬間、風が吹くような音がイオの耳にはっきりと聞こえるようになる。その方向もなんとなく感じられる。
イオは予測と直感を信じてその方向に剣を振るった。何かを切ったような確かな手応えを感じる。
だが、それだけでは終わらない。今度は違った方向から2つ同時に襲い来る。イオは頭をフルに使って情報を選別、向かってくる方向を察知して片方を剣で防ぎもう片方を避けた。
移動する際に強化した目で足元を確認するのも忘れない。
先ほど注意されたことの実践だ。剣での防御と避けを両方使う。それを意識することでイオはほとんどの魔法を避けきってた。
うまくできていると内心で喜ぶイオ。真横からくる1つの気配を察知して切り払う。手応えあり。
と、意識を他へ向けたところで剣で払った方向から風の塊が直撃した。
「なっ……!?」
予想が外れたことで驚くイオ。強化した耳から得られる情報の処理に遅れが出る。
「ぐぉっ……」
一瞬の遅滞によって対処が遅れる。殺到する風球。もはやどこから来ているのかもわからない。
剣を体の前に置いて防御の構えをとるものの、そんなもので防ぎきることはできない。
結果、イオは全身に風球を食らい続けるのだった。
♢ ♢ ♢
「……そこまで」
グロックから終了を告げられやっとイオは風球の包囲網から逃れられた。
「はあぁ……」
イオは疲れ切った声を漏らした。
結局イオはあれから立て直すことはできず、「感覚強化」関係なく闇雲に剣を振ることしかできなかった。
イオが落ち込んでいると周囲が突然明るくなる。見るとグロックが明かりを持って立っていた。
「……「感覚強化」は大分うまくなったな」
「……ありがとうございます」
「……だが、想定外のことが起きて体勢が崩れてもあまり動揺しないことだ。この魔法で得られた情報を処理するのはあくまで自分の頭なのだからな」
「はい」
グロックからアドバイスをもらい、イオは近づいてくるシャーリーに尋ねてみた。
「シャーリーさん、俺が最初に当たった攻撃ですけど、縦に2つ「風球」を並べてたんですか?」
「そうだよ。なかなか当たらないから工夫してみたの」
「やっぱりですか」
イオは自分が体勢を崩す原因となった攻撃について考え、自分で答えにたどり着いた。
シャーリーは何も特別なことはしていない。しかし、風球を2つ縦に並べることでイオが前方の風球を切った後それで終わりと勘違いして、後方の風球には対応できなかったのだ。
「ま、1カ月でこれなら十分だよ。ヴァナー、終わったよ」
「んあ? やっとか。こっちは暇で寝ちまったぜ」
シャーリーがヴァナヘルトを呼び寄せる。そして4人は来た時と同じように、誰に見つかることもなくその場を去っていった。
さて、イオはこのように「雷光の槍」に稽古をつけてもらうようになったのだが、その理由は実に単純で気まぐれなものだった。
すなわち、「暇だから」という理由だ。
3人はリュビオスに対する備えとしてこの町にとどまっているのだが、ここ3カ月間全く音沙汰もないのだ。遠出するわけにもいかず、ひたすら町でぼーっとする生活に彼らは飽きていたのだ。
もちろん定期的な森の散策は欠かしていない。だが、相手に知能があるだけにもう現れることはないだろうという考えが有力なのも事実。
よって、グロックはともかくヴァナヘルトとシャーリーは暇を持て余していたのだ。
そこでターゲットになったのはイオ。
始まりは1カ月前。イオがグロックに「感覚強化」のコツを聞きに行った時だった。
当時魔力を持て余していたイオはそれを「感覚強化」に費やしていた。しかし独学ではどうしてもうまくいかない。そこでたまたまギルドにいたグロックに尋ねたのだ。
すると横でそれを聞いていたヴァナヘルトが気まぐれを発動。
「俺様が鍛えてやる!」
などと言い出したのである。
もちろんイオは遠慮した。ただでさえ右腕を負傷しているのにAランク冒険者の指導を直接受けるなど分不相応だと思ったのだ。
しかし、そんなものはヴァナヘルトには通用しない。
「怪我だぁ? ならなおさら鍛えねえとな」
理解不能な謎理論。なぜ怪我をしているときに鍛えるのか全く分からない。
今思えば「怪我をして不利になったからこそ、それを補うための力を身に着けなければならない」という意味なのだろう、とイオは思い込んでいる。決して暇つぶしにちょうどいいから、という理由ではないはずだ、と。
とにかく、イオはヴァナヘルトにそのまま押し切られ、シャーリーも乗り気になって今に至っている。
しかし、いざ始まると指導は至極まじめなものだった。イオの体や使用武器を考慮に入れ、イオに合った訓練法を作ってきたのだ。
訓練にあたってヴァナヘルトが提示した目標は3つ。
1つ目は、右腕が使えなくても戦えるようになる、というもの。これ以上の悪化を防ぐため、この先右腕に負担をかけるようなことはなくすべきである。そのためにイオはこの訓練中に一切右腕を使うことを禁じられている。
2つ目は、安全な回避術や捌き方を身に着ける、というもの。リュビオスとの闘いでもそれができていれば、怪我ももっと少なかっただろうという考えからである。確かにあの闘いでイオは捨て身でなければ有効な攻撃は与えられなかった。戦闘においてこれは大切だろう。
3つ目は、「感覚強化」を使いこなせるようになる、というもの。これが使えるようになるだけでできることが大幅に増える。それこそ戦闘ができなくてもパーティーの役に立てるのだ。身に着けておいて損はない。
これらを目標として、イオはほぼ毎日ヴァナヘルトに突かれまくったり、シャーリーの魔法にボコボコにされたりしているのだ。
……ストレス解消のためではないはず、とイオは信じている。
ちなみにこの訓練のことをアルバートたちは全く知らない。
理由は、まだイオが安静にしておくべきだと言われていることと、あまり言いふらすことではないからだ。イオ1人がAランクパーティーの個人指導を受けていると知られれば、いらぬ恨みを買ってしまうおそれがある。
と、色々思うところはあるが、結局のところイオは自分を鍛えてくれる3人に感謝していた。冒険者であるかどうかに関係なく、これから先に危険に見舞われる可能性は高くなるのだから。
暗闇の中、ヴァナヘルトたちの後について町へと歩くイオの脳裏に、この町のギルドマスターであるクメの不吉な言葉がよぎる。
『これから先、魔物は増え、よりその強さを増していく。彼奴らが現れたのもその前兆さね』
それを聞いたのは3カ月前。イオが目覚めた日の昼にイオとカルボの病室にギルドマスターが直々に訪れ、事情を話した後に口にした言葉だ。
イオはその時のことを明確に覚えている。




