閑話 故郷の「聖女」
懐かしい人物が再登場します。お忘れの方は第1話へ(笑)
閑話ですが、一応重要な内容を含んでいます。
イーストノット王国に位置する町の1つ、ハルフンク。
これと言って特に何があるわけでもないその町は、現在夕暮れ時。これまた変わり映えしない一日を終えた人々が岐路に着く時間帯である。
数年前までここはどこにでもある田舎町であった。しかし、その評価は変わりつつある。もし、今住民たちにこの町の自慢できるところはと聞いたならば、皆口をそろえてこう言うだろう。
「聖女」がいるところだ、と。
♢ ♢ ♢
窓から茜色の光が差し込む中、少女は教会の正面奥に嵌め込まれたステンドグラスに祈りを捧げていた。
修道服を身にまといベールを被っているため、手と顔以外はすべて隠れており髪の色さえも分からない。しかし、その限られた部分だけを見ても、その少女の容姿が大変優れているのは誰もが認めるところだろう。
少女が両手を顔の前に組み祈る先のステンドグラスには、背中から白い翼を生やし空を飛ぶ女性が描かれていた。教会が崇拝する「天の女神」である。
この宗教の正式名称は「女神教」である。しかし、人々がこの名称を口にすることはあまりない。
なぜなら「天の女神」を敬うこの宗教は大陸中に広まっており、他に宗教と呼べるものはないからである。
宗教と言えば「天の女神」を崇めるもの。教会と言えば「天の女神」を祀り上げるもの。それ以外はあり得ない、という認識である。
もちろん地方によって別のものを崇拝する人々はいるが、どれも主流になりうるものではない。国を越えてこれほど信仰されているのは「女神教」だけである。
ちなみにその教義は、「天が誰のものでもないように、人は皆平等で何者にも束縛されない」というものである。
少女がいるこの聖堂も休日にもなれば多くの人が祈りを捧げにやってくる。それどころか敬虔な信徒で毎日祈りを欠かさない者もいる。
彼らは少女と同じようにステンドグラスの前で膝をつき、両手を組んで目を閉じる。そして毎日を平穏に暮らせることを感謝したり、時には逃れられない苦しみに救いを求めたりするのだ。
そのように絶えず人がちらほら見られるこの場所だが、今は少女一人しかいない。
彼女は夕日が差し込む中、長い時間微動だにせず祈りを捧げ続けていた。
そして静かに閉じていた目を開く。両手もゆっくりと膝の上へと下ろす。
長い祈りを終えた彼女の顔には濃い憂いの色があった。
(今日も兵士さんに怪我人がでました。神官様は心配することはないって言ってましたけど……)
この少女には大陸中で見ても滅多に現れない特別な力があった。それは怪我を治療し、人々を癒す優しい力。
少女はその力を使って、治療を求めてやってくる人をこの教会で治療していたのだ。
(やっぱり怪我人が多くなっている気がします。噂では魔物の活動が活発になっているらしいですし……)
少女はこの先よくないことが起こる予感がして身を震えさせた。
そして彼女の脳裏に浮かぶのは1人の少年。
(……イオ様はご無事でしょうか)
聖属性魔法の使い手であり「聖女」と呼ばれる少女、フィリアは、約1年前に別れた少年の安否を心配してさらに憂いの色を濃くさせるのであった。
♢ ♢ ♢
フィリアは幼少期より内気な子供だった。
知らない人と話すのを嫌がり、外へ出るのも苦手だった。当然一緒に遊ぶような友達もおらず、毎日を家の中だけで過ごした。
両親は当然そんな彼女に友達を作ってほしかったのだが、ある身体的特徴のせいであまり強く言うこともできずにいた。
その特徴とは髪の色が黒いということ。
フィリアは生まれつき髪が黒色だったのだ。
大昔から黒い髪は不吉の象徴とされている。とりわけ彼女が所属しているイーストノット王国では黒い髪への忌避感が他国より強い風潮があった。
その理由は、500年前世界中に混乱を巻き起こした「嘆きの魔女」の髪の色と同じだからというもの。
勇者と魔女の物語は親が子供に必ず言い聞かせるといってもいいほど有名なもので、真偽はともあれその話の中で「魔女の髪の色は黒い」と明言されている。
さすがにそれだけの理由で殺されたりすることはないが、いじめの原因にはなりうる。大人でさえも黒い髪に対しては寛容的でないのだ。それが子供なら容易にいじめに発展しかねない。
フィリアの両親はそのことを心配していた。ただでさえ気弱なのに、外に出ていじめとまでは言わずとも悪口でも言われたなら一生心の傷になってしまうのでは、と。
だから彼女の両親は、家の中で1人で絵を描いたり本を読んだりしているフィリアをやさしく見守っていたのだ。
しかし7歳になった頃、彼女に転機が訪れる。
初めは窓の外からちらっと見ただけだった。
同い年の少年少女4人が彼女の家の近くの空き地で遊んでいたのだ。
体が大きく力強そうな少年。反対に体が細く明らかにひ弱そうな少年。勝気そうで少し目つきの鋭い少女。
この時フィリアは知らなかったが、それぞれ名前はガート、ハック、ミリ。後に彼女の親友となる存在である。
そしてその3人を引き連れていたリーダー格のような少年。紺色の髪をしていて、体格はガートとハックの中間くらい。チャンバラごっこやかけっこなど何で競っても一番で、友人からも慕われていた少年。
それが幼き日のイオだった。
♢ ♢ ♢
その日から一年近く、フィリアは4人が遊んでいるのを窓から眺め続けていた。
4人はフィリアの家の近くの空き地を遊び場と決めたようで、毎日のように集まってはいろいろなことをしていた。
追いかけ合ったり、穴を掘って泥団子を作ったり。時には何もせずずっと話しているだけの時もあった。
イオたちは何をするときもよく笑っていた。イオがかけっこで一番になった時も。ガートが重い石を持ち上げて自慢げにしていた時も。ハックとミリが協力して他の2人を驚かせようとしていた時も、皆楽しそうに笑っているのだ。
もちろんフィリアも家族と話していて笑う時はある。しかしそれははにかむような笑みであって、イオたちのように心底楽しそうにというようなものではなかった。
時折聞こえてくる4人の笑い声に、フィリアは次第に羨ましさを感じるようになっていったのである。
しかし、そんな時間は突然終わってしまう。
何があったのか、4人がフィリアの家の近くの遊び場に来なくなったのである。
もはやこの4人がいることが日常となっていたフィリアにとってそれは大きなショックだった。初めはただ休んでいるだけだと思っていたのだが、1日経って2日が経って、1週間がたっても彼らが再び現れることはなかった。待てども待てども来てくれないことにフィリアは次第に焦りを募らせていった。
もしや遊び場を変えてしまったのではないか。このままではもう二度と4人と会うことはできないのではないか。ごく狭い空間でのみ暮らしていたフィリアは本気でそう思っていた。
そしてついに外へ出ることを決意する。
今までも家から一歩も出なかったわけではない。小さい庭のようなところならフィリアも怖くなかった。
しかし、この日彼女は初めて自分で「家」の外に出ることを決めたのだ。
両親は不安げにしていたものの最終的にこの変化を喜んでくれた。しかし、さすがに不安なのでそれに付き添おうとしたのだが、フィリアはそれを断った。
イオたちはそれぞれ親を連れているのを見たことがない。そんな中に自分だけ親を連れていくのは恥ずかしく感じたのだ。
結果その熱意に負けた両親はフィリアに1人での外出を許可する。だが、もちろん心配もあったので後ろからこっそりついていくことにはしたのが。
こうして後ろから見られているとも知らずに、フィリアは初めて1人で家の外へ出た。
初めての外出はフィリアに不安を感じさせると同時に高揚感をもたらした。知らない道、すれ違う知らない人。今までは恐怖が先行していたがこの日は違った。確かに怖いものは怖いが、確固たる目的があるということが彼女を恐怖に打ち勝たせていた。
しかし、フィリアはイオたちがどこにいるのか全く知らない。完全に勘で進んでいた彼女は、見つからないことに次第に不安を覚え始めた。
増え続ける不安にいつしか高揚感が打ち負け、ただ辺りを彷徨うだけになる。
帰りたいと思っても帰り道がわからない。そこらにいる人に聞く勇気もない。迷子となった彼女は泣きべそをかきながら闇雲に走り出す。走って走って、いつの間にか周りに人もいなくなって、フィリアの不安は加速する。
そしてついに立ち止まり、うずくまって泣き出してしまった。
ここまでずっと見つからないように彼女の跡をつけてきた父親もさすがに限界と感じ、娘を助けるべく姿を現そうとする。が、その瞬間——
「だいじょうぶ?」
——下を向いて泣くフィリアの上から声がかけられたのだ。フィリアはその声に聞き覚えがあった。この一年、ほとんど毎日といっていいほど聞いていた声だった。
顔を上げた先にいたのは探し求めていたうちの1人。紺色の髪を揺らせて皆を引っ張っていた、イオだった。
「? どうしたの?」
突然イオの顔を見て固まったフィリアにイオが首を傾げて疑問の声をあげる。
その問いに対して彼女が答えられたのはこれだけの言葉だった。
「み……みつけた……!」
そして再び泣き出すフィリアにイオはひどく慌てる。だが、その涙の意味は先ほどとは違っていた。
「おなかが痛いのか」などと的外れなことを聞くイオを見て、彼女の父親は静かに身を引いたのだった。
♢ ♢ ♢
「うぅん……」
フィリアはぼんやりと天井を眺める。するとここが教会の中にある自分の部屋であることに思い至った。
「……私、眠ってしまっていたんですね……」
日課である祈りを終えたフィリアは自分の部屋に帰るなり、疲れに身を任せてそのまま眠ってしまったのだ。日に日に怪我人が増えるため、それを治すフィリアの仕事量も増えている。それが原因だろう。
フィリアは眠っているときもつけたままだったベールを脱いだ。長く、艶のある黒髪が背中に零れ落ちる。
(なんだかとても懐かしい夢を見ていました……)
フィリアが見ていたのは、イオと彼女が初めて会った時の夢。いや、イオにとって初対面でもフィリアにとっては再会だった。
あのときは冗談でもなんでもなくイオが天使のように見えた。自分がどこにいるのかも分からず途方に暮れていたところに、道を照らすような光が差したのだ。それは今でもフィリアの心の奥深くに残っている。
(今頃遠くに行ってしまわれたのでしょうね)
そう思うと悲しまずにはいられない。一年前に別れたイオには幼少期の面影が一切消えていた。感情を感じさせないような表情に、他の人から一歩引く姿勢。あのとき毎日のように聞こえていたような笑い声をあげることはなく、それどころか笑顔さえも見せない。
完全に、変わってしまった。いや、変えてしまったのだ。
その一端に自分も関わっていると思うとフィリアはどうしようもなく胸が苦しくなってしまう。謝ろうとするたびにイオは関係ないと言ってくれるが、自分ではそう思えない。あの笑顔を消してしまったことに罪の意識を感じざるをえない。
(そう、再会した時のような笑顔を……)
再び過去に思いを馳せようとしたところで、部屋の扉がノックされた。
続いて声がかけられる。
「フィリア、少しよろしいですか」
その声はこの教会に属するシスター、フィリアの上司にあたる人物のものだった。上司と言っても彼女はよくフィリアのことを気にかけてくれるため、仲は良好である。
「は、はい、少々お待ちください」
そう言ってフィリアは服装を整える。脱いでいたベールも再びかぶり髪を隠した。
「どうぞ」
「失礼しますよ」
そう言って入ってきたのは妙齢の女性。フィリアと同じ修道服を着ているが、着こなし方が堂に入っている。
「クレシュ様、どうされましたか?」
クレシュと呼ばれたシスターは難しそうな顔をしている。あまりいい話ではないらしい。
「フィリア、よくお聞きなさい。つい先ほど、教会本部から連絡がありました」
「本部から、ですか?」
フィリアが聞き直す。
女神教の教会本部はイーストノット王国ではなく、北のノルス教国にある。
この国は女神教発祥の地とされていて、国自体が女神教の信仰を強く推進している。そのため信徒の数が他国に比べ圧倒的に多く、教会の設置数も同じく多い。
土地が貧しく環境の厳しい国ではあるが、それでも信じるものがあるためか活気に満ち溢れている。
そんな国にある本部だが、そこには女神教のトップである教皇がいる。そして代々教皇は「女神教」ができた当初から伝わる神聖な魔道具を守り、祀っている。
教皇の一番の職務はこれらを守り、有事の際には平和に役立てることだと言われている。
知識としては知っているものの、フィリアにとっては本部も教皇も遠い存在で今まで意識したことはあまりなかった。
「ええ、そうです。今朝、本部に置かれた「守り石」がひび割れた、と」
この言葉にフィリアは少なからぬ衝撃を受けた。彼女も協会に使える人間の一人である。「守り石」が先に述べた神聖な道具の1つであることは知っていた。それが割れるとなれば事は重大だ。
ここでフィリアはある疑問を抱いた。
「今朝のことがもう伝えられたのですか?」
フィリアが感じた疑問は、教皇が信託を受けてからここまで情報が伝わってくるのがあまりにも早すぎるということである。
ノルス教国からこのイーストノット王国まで、馬に乗って休まず走っても最低半年以上はかかる。今朝ひび割れたと確認したというのならあまりにも伝わるのが早すぎる。
だが、クレシュは今思い出したかのように説明してくれた。
「正式な教会にはすべて本部から情報を受け取るための魔道具が設置されているのです」
「そんな魔道具が……?」
「ええ。せっかく道具があっても、どこで何が起きているかを伝えられなければ意味がでしょう? そのための特別な魔道具です。噂では冒険者ギルドにも設置されているようですよ」
そう言ってクレシュは微笑む。フィリアとのやり取りはまるで教え子を相手にしているようでクレシュも心が和むのだ。
「それで、「守り石」が割れるとどうなるのでしょうか?」
フィリアは本題を尋ねた。まだシスターとして半人前の彼女にわざわざ伝えるとなれば、何か理由があるのだろう。
聞くのは怖い気がしたがそうは言ってられない。フィリアはもう幼き日の彼女ではないのだから。
クレシュは一転して顔を暗くしながらも、はっきりと言い切った。
「「嘆きの魔女」が復活するそうです」
「な!」
ついフィリアは大きな声を出してしまう。
だがクレシュはそんな彼女にかまわず、言うべきことを最後まで言い切った。
「ひいては魔女に対抗するために勇者選定の議を行うとのこと。そしてフィリア。あなたも「聖女」として「嘆きの魔女」を討つための旅に同行する使命を与える、と」
一瞬でフィリアの思考が凍り付く。
ここからフィリアの過酷な闘いは始まった。




