第20話 終着点
本日2話目です。お気を付けください。
「んん……」
朝日が差し込む中、イオは目を覚ました。
ずっと眠っていたのか、瞼がとても重く感じた。まるで瞼が降りているときの方が自然であるかのように。
かすむ視線を何とかしようと何度も目を瞬かせる。やっと視力が回復した目で見えたのは白い天井だった。
「生きてるのか……」
イオは思わず意外そうな声を出してしまう。
気を失う前のことははっきりと覚えている。
折れた毒ナイフ。同時に壊れた右腕。痛みにもがく中、自分の命を狩り取ろうと迫る黒い腕と、それを遠ざけた熱い炎。
それが何だったのかは分からない。しかし、イオはそれまで本気で死を覚悟していたのだ。
そこまで思い出してイオは体の傷を確かめようとする。だが、どういうわけか折れた右腕どころか体全体が全く動かなかった。いや、動かそうと思えば動くのだが、体は鉛がついたかのように重く動かすのもひどく億劫だったのだ。
と、そこでイオの隣から声が聞こえた。
「まったくだ。お互い運が良かったようだな」
この場に自分以外の人間がいるということにまだ半分寝ぼけていた頭が完全に覚醒した。重い体に鞭打って何とか首を声がした方へ向けると、そこにはイオと同じように首だけをこちらへ向けてベッドに横たわるカルボがいた。顔の右側面にはガーゼが張られている。
「えっと……」
改めて顔を合わせたものの、イオは何を言っていいのかわからず口ごもっていた。まずイオはともに死地を潜り抜けたこの男の名前すら覚えていなかった。
そんなイオの様子を見て察したのか、彼はまず自己紹介から始めた。
「挨拶がまだだったな。俺はカルボ。Bランクの冒険者だ。あの件では助かった。お前が居なければ俺は確実に死んでいた。礼を言う」
そう言ってわずかに頭を下げる。
イオも自分がまだ名乗っていなかったことを思い出して、自己紹介をした。
「Cランクのイオです。こちらこそありがとうございました。助けられたのはお互い様です。あと、勝手に首を突っ込んでしまって申し訳ありませんでした」
礼とともに謝罪をされてカルボはゆっくりと頭を横に振った。そして諭すように言う。
「謝る必要はない。もともと俺たちが巻き込んだようなものだ。むしろお前がいてくれて助かったよ。……あいつらをきちんと弔ってやれるからな」
そう口にするカルボは悲しそうだった。イオもそこから彼の言っていることを察した。
「やはり、お2人は……」
「ああ、だめだった。俺ももしかしたらと期待していたんだが……」
カルボによると仲間のうちの2人、テネルとバラートは死亡したということだった。あの惨状だったのだから生存は絶望的なはずだったが、それでもカルボは受け入れきれなかったらしい。
「せめて俺があいつらの最期に立ち会えて、それを語り継げるのがせめてもの慰めだと思っている」
そう言うカルボの目元は赤く腫れている。夜通し泣き続けたのだろうか。そう思ったイオはカルボに訊いてみた。
「あの、カルボさん。俺はいったいどれくらい眠っていたのでしょうか」
「今があの日から3日目の朝だ。と言っても俺が目を覚ましたのも半日前だけどな」
聞けばカルボが目を覚ましたのは昨晩だという。そのとき部屋には誰もいなかったが、気づいてもらおうと人を呼んでいたのを近くにいた人が聞きつけ、そこで情報を得たらしい。
それによるとここは町の治療施設の一室で、あの後大怪我を負った2人はここに運び込まれて治療を受けたらしい。
通常ならこのような待遇はあり得ないが、イオとカルボは実際にリュビオスと戦って生き延びた生き証人だということでこの扱いになったのだという。
ここが治療施設だということでイオは治療費に顔を青くしたのだが、カルボは笑ってそれを否定した。
「情報をギルドに売ることでここの費用はいくらか負担してくれるらしい。俺は昨日の夜目が覚めたばかりだから、今日の昼にでもギルドから人間が来るぞ」
それを聞いてイオは心の中で安堵した。ないとは思うがもし冒険者ギルドの知りたい情報がカルボからすべて得られていたなら、ギルドはイオの治療費の負担を渋るかもしれない。この辺りはそれを判断する人の人徳によるものが大きいので、最悪の場合を考えるとカルボからの事情聴衆が終わる前に目覚められて幸運だった。
「それ、俺も一緒にさせてもらってもいいですか? もう体は大丈夫なんで」
「ああ、かまわんだろう。というか、2人まとめて同じ部屋にいるということは最初からそのつもりだったんじゃないのか?」
どうやらイオの心配は杞憂だったらしい。そのことに安心していると、部屋の扉が開いた。
ここで手振りや身振りのない、首から上だけの2人の奇妙な対談は終わることとなる。
「失礼します……あ、目が覚めたんだ」
そう言って入ってきたのはアルバートだった。彼の後ろにはカナリアとルーもいる。
予想外の人物の登場にイオは驚いた。イオの中ではもう3人との関係性は切れたものとばかりに思っていたのだから。
「……なんでいるんですか?」
「なんでってお見舞いだよ。カルボさんも目が覚めたんですね。おはようございます」
人のよさそうな微笑みを浮かべて挨拶をするアルバート。カルボは再び顔を横に向けてイオに訊いてきた。
「イオ、こいつら知り合いか?」
「ええ……一応」
イオは曖昧に答える。知り合いと言われれば知り合いだが、見舞いに来てもらえるような仲ではない。ならば他に用があるのか。
イオは真意をつかみきれず警戒した視線を向ける。
反抗的ともいえるその態度に反応したのはアルバートではなくカナリアだった。彼女はアルバートのやさしさに疑いをもたれるのが我慢ならなかったのだ。年下ということも忘れて容赦のない言葉をたたきつける。
「ちょっと、なにその態度。礼くらい言ったらどうなのよ。アルバートはね、ずっとあなたのことを心配していたの。それなのにそんな目を向けて。アルバートがいなかったらあなたは死んでいたのよ。だいたい……」
「カナリア。そんなことをイオ君が知るはずもないだろう。俺は俺の意思で動いただけだ。礼を強要するつもりはない」
「そうだよ。落ち着いて、カナリアちゃん」
早口でまくしたてるカナリアをアルバートとルーは窘めた。しかし、イオはその言葉の中の1つに疑問を覚えるものがあった。
「もしかして、アルバートさんが助けてくれたんですか?」
イオの脳裏をよぎる赤く光る炎。イオの知る限りあのようなものを使う人間はいない。ならばもしかすると目の前のこの男によるものではないのか。これまでの言葉からそう推測できた。
「えっと、まあ、そうだよ。といっても「雷光の槍」の方々も一緒にだけどね」
その問いにアルバートは照れ臭そうに肯定した。功を強く主張する趣味など彼は持ち合わせていない。そのため自分であると言い切ることができなかったのだ。
「そうですか……」
得られた答えにイオは静かにそれだけを口にした。そしてこれまでの態度を一転させて目を伏せ、礼を言った。
「それは知らずに失礼しました。助けていただきありがとうございます。このご恩はいずれ必ず返させていただきます」
ただしそこから礼儀正しさは感じられても親しみは込められていない。これまでと変わらず他人行儀なものだった。
イオの中ではアルバートに恩というよりも借りができたという認識である。借りは必ず返す。それはイオの守る信条。
疎まれる存在だからこそ人に迷惑をかけない。人の手は借りない。そうしていればいくら周りの人に蔑まれても堂々としていられるから。
だからイオは始めリュビオスから逃げようとしたところを助けられたカルボに手を貸した。いや、借りを返した。
命を救われた借りは何よりも重い。それは同じ命を助けなければならないほどの重さだ。
カルボには十分返しただろう。仲間は助からなかったが、イオでもどうしようもないことはいくらでもある。本人と自分が助かっただけよくやったといえるだろう。
理想を言えば自分たちだけで倒すか追い返すかしたかった。しかし、そうはならず別の命の借りができてしまった。
イオはこれはやるべきことと使命感を持って口にした言葉だった。今は何もできない体だが、自分に恥じず生きるためにいつか返そうと。
しかし、アルバートはそれを聞いて面白いことを思い付いたとばかりににやりと笑った。
「へえ、じゃあさっそく返してもらってもいいかな?」
「? 今の俺にできることなら」
今のイオは起き上がることもできない身だ。そんなイオにできることがあるのかと疑問に感じたが、それが望むことならとイオは承諾した。
何を言われるのかと身構えたイオだったが、それに構わずアルバートは落ち着いた声音で言った。
「まずは謝罪を受け取ってほしい」
そう言ってアルバートは居住まいを正し、表情を改めて深く頭を下げた。
「先日は君に不快な思いをさせた。無属性だからって蔑むつもりはなかったんだ。だけど、そう取られても仕方のない態度をとってしまった。そのことを許してほしい。そして——」
そこでいったん言葉を区切り、アルバートは頭をあげた。そして穏やかな笑みを浮かべて言った。
「それを許してもらった上で俺たちとパーティを組んでほしい。どうだろうか?」
予想外の願いにイオが唖然としていると、後ろからルーもアルバートの横に並んで頭を下げた。
「あの時はごめんなさい! 私もイオさんを悪く言うつもりはありませんでした。でもその時は何も言えなくて……本当にごめんなさい」
アルバートに続いてルーにまで頭を下げられてイオは何が何だか分からなくなった。
そしてアルバートの目線は最後の1人へと向かう。
「カナリアちゃん」
ルーもカナリアに謝罪を促した。
だが彼女はやはり納得できないのか、耐え切れずに叫び出した。
「やっぱり間違ってるって! アルバートもルーも私も何も言ってないじゃない! それを勝手に決めつけて出て言ったのはこの子の方だっていうのに……。それにパーティーだって無理よ! 今だってこんなに大怪我をしているんだから。一緒にいたってどこかで限界が来る。それならこの際冒険者なんてやめた方が……。そう、そうするべきよ。今回で身をもって知ったでしょう。自分が冒険者に向いていないって。だから……」
辛辣な言葉を重ね続けるカナリア。彼女は興奮しているのかこの場にいる人間のほとんどが顔をしかめていることに気づいていなかった。
ただイオだけはその言葉に表情を変えていなかった。
向いていない? そんなことは分かり切っている。分かっていて尚、こうする他に手段がなかったのだ。
カナリアが言った程度のことなどイオは聞き慣れている。12の歳で初めて冒険者登録をした時。町の中で依頼を受けた際に依頼主と顔を合わせた時。薬草の採取で町の外に出ようとして、同年代の人間とすれ違った時。
皆が皆、イオのことを馬鹿にした。やめておけと言って笑った。誰もイオに期待する人などいなかった。石を投げつけてくる人はいても助けてくれる人はいなかった。
だからイオも他の人に期待するのはやめた。すべて自分だけでやれば煩わされることはない。
今だって、なんとも思っていない人に何を言われたところでイオの心には響かない。一時だけ緩んだイオの心は、3日前に他でもないこの3人によって打ち直されたのだから。
「それ以上言ったら許さねえぞ」
だからこそ、来るはずのないイオへの援護が隣のベッドからあったのには驚いた。
カルボは痛むはずの体を無理やり動かして起き上がり、カナリアを睨みつけていた。
「それ以上の侮辱は俺が許さねえ」
もう一度カルボは言った。許さない、と。まるで仲間の敵であるリュビオスを前にした時のような形相で。
「お前はイオの何を知っている? 偉そうにイオのことを決められるほどこいつのことを知っているのか?」
これまで黙っていた分、カルボは雄弁だった。あたかも当然のように持論を押し付けるカナリアへの怒りを前面に出している。
「俺はイオとは長いどころか1時間程度の付き合いでしかない。名前もさっき知ったばかりだ。だがな、共に戦った俺からすると、俺はこいつが冒険者に向いてないとは思わない」
初めて、イオは自身を肯定された。自分でさえも向いていないと思っていることを他人に肯定された。
「確かにイオは無属性だ。遠距離からの攻撃手段はなく、至近で切りつけるしかできない。でもな、こいつはそれだけで終わらないんだ。頭を使い、策を弄し、この小さな体の全部を使ってあの強敵に立ち向かったんだ。俺が今生きているのはイオのおかげだって断言できる」
リュビオスとの戦いの中でイオが決定打を与えられたことは一度もなかった。だが、知略を張り巡らせて取った行動はどれもリュビオスの意表をつき、その動きを止めて時間を稼ぐことにつながった。
「その恩人を侮辱するならそれが誰であっても許さねえ。言いたいことがあるのならこの俺が相手になってやる」
ボロボロの体でそんなことを言うカルボ。相手はそんな重症者だというのに、Bランク冒険者が発する怒りを一身に受けたカナリアは恐怖で身が竦んでいた。
何も言えないカナリアを見てカルボは一旦怒りを収める。そして呆れ声で訊いてきた。
「だいたいお前らランクはいくらだ? イオのランクはCだぞ。それ以上じゃなきゃこいつに口出しする権利はない」
「えっ……」
これにはカナリア以外の2人も大きく驚いた。自分よりも年下が冒険者の中で中堅のCランクだというのだから。
特にイオの実力を低く見積もっていたカナリアとルーは唖然としてイオの方を見ている。
「カナリア」
アルバートがカナリアに呼びかける。カナリアは観念したように謝罪を口にした。
「……悪かったわよ」
それだけの言葉だったが悪いとは思っているようだった。気まずそうに目を伏せている。
全員が静まり返ったところで今まで置いてけぼりにされていたイオは口を開いた。
「とりあえず謝罪は受け取ります。もともとそれほど気にしていませんでしたから」
それを聞いてアルバートたちはホッとしたような表情を浮かべる。
「ですが、パーティーの件は考え直した方がいいと思います。無属性以前にこの怪我です。復帰できるかどうかもわかりません。それでもいいんですか?」
そう言ってイオはアルバートを見据える。
こんな状態のイオを誘うなど正気の沙汰ではない。変な期待をされてもイオはそれに応えられる自信はなかった。
だからイオは確認した。それで後悔しないのか、と。
しかしアルバートには関係なかった。彼は特別イオに期待しているとかではなく、ただ仲間として迎え入れたいと思っているのだから。
「ああ。もし怪我が治って復帰したなら、パーティーに入ってもらう。それが俺の望みだ」
「……分かりました」
折れないアルバートの要求をイオは承諾した。
完全に信用したわけではない。だが、ここまでしてくれるのだから、イオにとって悪いことにはならないだろうと思えたのだ。
「よろしく」
アルバートが手を差し出す。イオはなんとか左手を持ち上げてその手を握り、握手を交わしたのだった。
これで一章は完結です。ここまでお読みいただきありがとうございました!
次回は閑話を挟んでそのまま二章に入りたいと思います。これからもよろしくお願いします。




