第2話 資金稼ぎ
イオが生まれ育った故郷を出て約半年。ここまで何の問題もなく順調に旅を進めてきたイオは国境の手前で初めて足止めを食らっていた。
というのも所持金が心もとなく国境を越えるための入国料が払えないのである。
イオがこのことを知ったのは国境付近の街に立ち寄った時である。道中倒した魔物の素材を売るために冒険者ギルドに立ち寄った際に知り合った冒険者に聞いたのである。
「入国料?」
「ああ、そうだ。俺もあそこを越えてこっちに来たんだがよ、ちょうど街道の真ん中に関所があってな。そこで金を払えっていうんだ。銀貨20枚だとよ」
聞けば冒険者の男はイオの向かうセントレスタ皇国の出身で、護衛の依頼を受けてイーストノット王国のこの街までやって来たのだという。
イオの住んでいた小さな町ハルフンクでは、護衛の依頼といってもせいぜい隣町までであって国をまたぐようなスケールの大きなものではなかった。場所が違えば依頼の内容も違うのだなと半ばのんきに考えていたところで、イオは自分のふところ事情を思い出す。
「……ってことは」
イオは嫌な予感を覚えながら財布を開き、硬貨を数えていく。
その結果、
銀貨8枚、銅貨18枚
これでは入国できないし、ギリギリで入国したとしてもその先で所持金が尽きてしまうのは明白である。
イオはこれまでずっと1人で旅をしてきていた。そのため魔物や盗賊に対する見張りの関係上、どうしても野宿は避けていく先の街で宿をとらざるを得なかった。
安い宿で一泊銀貨2枚。食事は1日に平均銅貨30枚。
道中で遭遇した魔物を倒して素材を得ていたといっても持ち運べる量は限られるため爪や牙のみしか得られず、それを売っても大した金額にはならなかった。
半年間できるだけ節約を心がけてはいたものの日に日に所持金は減っていき、ハルフンクで3年間貯めてきた金もほとんど使ってしまい今に至る。
ちなみに貨幣は大陸共通で、安価なものから順に銅貨、銀貨、金貨、白金貨に分けられる。
両親がいたころから裕福とは言えない生活をおくっていたイオは、白金貨どころか金貨ですら数えるほどしか見たことがない。
こういうわけでイオは十分な所持金を蓄えるまでこのイーストノット王国の最西端の都市ボーダンにとどまることにしたのであった。
目標は銀貨50枚。1日にかかる宿泊代と食事代のことも考えるとそれなりに働かなくてはならない。
ボーダンについて3日目の朝、イオは泊まっている安宿から出て冒険者ギルドへと向かった。
扉をくぐるとこの時間からギルドはにぎわっていた。
イオは自分より大柄な冒険者たちの脇をすり抜け、壁に貼られた依頼表を見る。そしてその中から3枚をはがすと受付に持って行った。
「これ、お願いします」
受付の女性に依頼表と自分のギルドカードを渡し、淡々と告げる。対する受付の返答も事務的なものであった。
「Dランクのイオさん。依頼の内容は、ハボン草の採取、エリダ草の採取、ゴブリンの討伐でよろしいですか?」
「はい」
「それではお気をつけていってらっしゃいませ」
慣れた手続きを終えイオはギルドを出る。
受付嬢に言われた通り、イオの冒険者ランクはD。もう初心者の部類ではない。
冒険者ギルドは大陸中に存在し、その基準も共通である。
例えば冒険者のランクは低い順にF、E、D、C、B、A、Sランクとなっている。Sランクには通常の手段ではなれないため例外であることを考えると、イオも中堅冒険者と言えるだろう。これはイオの年齢がまだ15歳であることを考えると異常である。
通常、普通の人が冒険者になり始めるのが15歳からであり、それよりも前に冒険者登録をするのはほとんどがやむにやまれぬ事情を持った者のみ。イオもその中の1人である。
12歳で冒険者となり、生きるためにひたすら依頼を受け続けてきた彼がこの年でDランクというのもおかしな話ではない。
イオは町を出て付近の森に向かう。ボーダンの外壁はハンフルクのそれとは違って石積みのしっかりしたものであった。
イオは受けた以来の内容を頭の中で反芻する。
ハボン草の採集。ランクはE。
ハボン草はポーションの原料であり、どこの町でも常に依頼が張り出されている。
基本的に木が生い茂った場所ならどこでも見つけることができる。
エリダ草の採集。ランクはD。
エリダ草は熱病の薬となるが森の奥地にしか生えておらず、同じ採取系でもハボン草よりも難易度が高い。
ランクもそれを反映してDランクとなっている。
ゴブリンの討伐(10体)。ランクはE。
魔物の中でも最弱に位置するゴブリンだが、繁殖力が高く数が多い。人を見つけると本能的に襲い掛かってくるので、安全のために見つけたらできるだけ殺せと言われている。
こうしてみるとイオのランクの割に依頼のランクが低く感じるが、これにはちゃんとした理由がある。
それはイオは基本的に単独で依頼を受けるからである。
冒険者は通常パーティーを組んでおり、ソロで行動するものは稀である。安全面で考えても依頼の達成度で考えても当然だろう。
しかしイオは複数人での行動を嫌う。それはただ嫌いだという理由のほかに過去に苦い経験をしたことがあるというのも影響しているだろう。
その経験は過去を捨て去ろうとするイオの中でも教訓となって残っている。
こうして現在のスタイルになったイオは、安全に達成することを第一に考えて依頼を慎重に選んでいるのだ。
森を1人で進むイオ。ゆっくりと歩きながら周囲に気を配り、魔物がいないか、対象となる薬草が生えていないか観察する。
するとイオの目にハボン草が群生しているのが映った。
周囲を確認して早速採取に移る。根から引き抜き何本かまとめて荷袋に入れる。今後のためにすべて抜くことはせず、大体20束になったところでイオは採取をやめた。
採取の依頼に決められた数はないが、取ってきた数によって報酬の量も上下する。20束というのは1度の依頼で取れる平均的な量と言える。
あまり乱獲しすぎるとギルドから注意されることもあるため、イオはこれ以上のハボン草の採取を止めにした。
立ち上がり再び森の奥に向かって歩いていく。目標はエリダ草とゴブリン。その2つの依頼を達成できれば今日のノルマは終了だ。
(そろそろゴブリンが現れてもおかしくないはずだが……)
イオは魔物が出現しないことに疑問を感じる。
ここまで約2時間森を歩いてきたが、イオはまだ1度も魔物と遭遇していない。数の多いゴブリンの1匹や2匹ぐらいいてもおかしくはない。
(もう誰かが刈り尽くした後なのか……おっ!)
考え事をしながらイオが歩いていると、もう1つの目標であるエリダ草が生ているのが見つかった。白い花がついているため、薄暗い森の中でもよく目立つ。
周囲を警戒しながら近づくイオだったが、その知覚に異物が引っ掛かった。静かな森の中で草木をかき分け、何かがこちらへ近づいてくる音が聞こえたのだ。
(数は1つ。体はそこそこ大きいか?)
ショートソードを抜き構えるイオの目の前に茂みから現れたのは……
「グオオオォォォォォ」
一頭の巨大な熊であった。その体はイオの身長よりはるかに大きく2メートルを超えている。
そして特徴的なのは下顎からはえた2本の牙。噛まれれば人の体など容易に貫通するだろう。爪も鋭く凶悪な武器となるだろう。その魔物の名前は———
(ファングベア!Cランクの魔物!)
そう、中堅冒険者の壁ともいえるイオよりも格上の魔物である。
それを目にしたイオの行動は速かった。
「『身体強化』!」
魔法を発動。瞬時に自身の身体能力を向上させる。
魔法とは体の中に存在する魔力を消費して様々な現象を起こすものである。
魔力はすべての人間が持っていて、練習を重ねることで誰でも魔法は使えるようになる。もちろんその技術は才能にも依るが。
魔力にはそれぞれ属性があり、それによって使える魔法は違う。その種類は火・水・風・土・無属性の5つ。どの属性になるかははっきり解明されていないが、多くの場合親のものを受け継ぐことが明らかになっている。
ちなみに聖属性はあまりにも使い手の数が少ないので、教会の信仰する「天の女神」から与えられる力であるとされていて魔法とは別のくくりとなっている。
イオが使った「身体強化」の属性は無。世間では役に立たないとされている無属性がイオのもつ属性である。
体を強化したイオは先んじてファングベアの方へ駆け出す。その理由はイオの後ろにあるエリダ草を戦闘で荒らさないようにするためである。
一般的に見て驚異的な速さで駆けるイオにファングベアは反応した。腕を振りイオを切り裂かんとする。
しかしイオはそれをかがんで躱しファングベアの横をすり抜けた。そして———
ザシュッ
横っ腹を持っていたショートソードではなく、ローブの中に隠し持っていた短剣で切り裂いた。
「こっちだ!」
イオはファングベアの注意を自分に向け後ろのエリダ草から遠ざけた。そのまま駆け抜けファングベアから距離をとる。
ファングベアは傷つけられたことに怒り狂い、強靭な4本の足で突進してきた。その速度は先ほどのイオの速さを超えている。
「ぐっ」
イオは横に跳んで突進を躱す。いくら身体を強化していても自分よりはるかに大きな体躯の魔物を止めることはできない。強化していなければ躱すこともできなかっただろう。
何とか初撃を躱したイオだったが一息つく間もなくファングベアは方向を変えて迫ってきた。一度走り出したら敵を切り裂き噛み砕くまで止まらない。まるで猪のように執拗にイオに向かってくる。
「ぐぅっ」
突進を躱しきれずにイオの左肩に鋭い痛みが走った。どうやら跳びかかってきたときに爪で切り裂かれたようである。
動きの止まったイオにファングベアは容赦なく襲い掛かる。
「ッ!『身体硬化』!」
無属性魔法「身体硬化」
その名のとおり魔力を体中に巡らせて体を硬化する防御用の魔法である。身体強化と並んで無属性の基本的な魔法の1つ。
躱す余裕もなくなったイオは体を硬化して剣を正面に構え、ファングベアを迎え撃つ。
だが———
「ぐあああっ!」
自分より圧倒的に質量の大きい相手の突進を止められるはずもなくイオは後ろに弾き飛ばされた。その際にファングベアの牙を受けたショートソードも折れてしまった。
魔法でダメージを抑えはしたものの左肩を裂かれ全身を地面に打ちつけたイオはすでに虫の息ともいえるだろう。
何とか立とうとするイオを見据えてファングベアは荒く息をつく。そしてとどめを刺そうと駆けだしたところで———
「……間に合ったか」
———よたよたと数歩歩きファングベアは地面に倒れこんだ。