第142話 星空の下の絶望
本日三話目です。(7/8)
最新話からとんできた方はご注意ください。
――いったいぜんたい、これはどういうことだろう。
アルバートは心の中で何度も首を傾げた。
ウィスプを退け、やっと見つけたカナリア、ルー、フィリアの三人。その無事な姿に安堵したのも束の間、すぐ後に彼女たちは請うてきたのだ。
イオを追いかけてほしい、と。
困惑しつつもイオを助けることに否やはない。しかし彼女たちが言うにはそうではないらしい。
いわく、イオが人魔となって自分たちに襲い掛かってきた。
いわく、それは自分たちを助けるための行為だった。
いわく、イオは別れの言葉を告げてどこかへ消えてしまった。
まったくもって意味が分からない。
なぜイオが人魔になっている? なぜ助けるために襲い掛かってきた?
四人の間でどんなやり取りがあったのか?
性急を要するあの状況ではそのすべてを知ることは叶わなかった。
しかし見るからに慌てふためく彼女たち、なにより憔悴してしまったかのようなフィリアの様子を見て何もしないわけにはいかず。
レイスとやらが道を塞いでいたという方向にアルバートは送り出されていった。
単身で向かったのには理由がある。一人の方が早いというのと、さすがにそろそろフィリアに戦線復帰してほしかったためだ。
ここまで戦場のひりつきが届くほどの激しさである。リアンたちが苦境に差し迫っていることは直接見ずともわかる。
フィリアもここまで何もできていないことに責任を感じてか、カナリアとルーとともに自らリアンたちの元へ向かうと言ってくれた。
『イオさんをどうか、お願いします』
そんな懇願するような言葉とともに。
こうしてアルバートは、どこに向かったかも分からないイオの探すために駆けたのだった。
女神がほほ笑んでくれたのか、幸運なことにアルバートはそう苦労なく封印の洞窟に辿り着いた。血の臭いを感じて中に入ってみると、大量の人魔の亡骸がそこかしこに転がっている。
そこにはどうみても人間としか見えない死体もあり、アルバートはひどく嫌な気分を味わいながら奥へと進んでいった。
そしてその先で、誰かが争う音を聞きつけ。
駆け付けた瞬間に足の先に何かが当たり、戦っていた両人物に要求されたのだ。
「――その石板を壊せ!」
「――その石板を渡しなさい!」
そして時は現実へと戻る――。
「えっと……イオ、と……アストラさん、ですよね?」
とりあえずアルバートは相手を確認した。本当は訊ねるまでもないことだが、この現状にそう確認を取らずにはいられなかったのだ。
「壊すんだ!」
「渡しなさいって言ってるでしょ!」
しかし二人は取り付く島もない。ひたすらにアルバートの足元を指さし、両者ともに違った要求を繰り返す。
壊すのと渡すのとではまったく意味が異なる。アルバートはどちらを選ぶべきなのか分からず動けないでいた。
アルバートが役に立たないと察したイオとアストラの行動は早かった。
「ちっ、それを俺に寄越せ!」
「ああもう!」
これまで争っていた二人が、まるで共通の敵を得たかのように。
イオとアストラは険しい目つきでアルバートへと全力で駆けだした。
「はっ、ちょっ!?」
まさかの展開にアルバートは慌てる。イオを見て、アストラを見て、足元を見て、この石板が二人をああさせているのだと気づくと――
「おい!」
「ああ!」
――石板を両手で拾い上げ、そのまま二人に背を向けた。そしてそのまま走り出す。
なにがなんだかわからないが、どちらが正しいかはきちんと話してから決めるべきだと思ったのだ。
「落ち着いてください! なんで二人が戦っているんですか!?」
「説明している暇はない!」
「いいからそれを渡しなさい!」
だが事情を尋ねようにもこんな調子である。仕方なしにアルバートは走り続ける。
しかし封印部屋から通路へ出ようとしたところで、突然目の前に爆発が起きた。出口を狙ったのだろうその魔法は見事に通路を崩し、アルバートから逃げ場を奪ってみせた。
「アストラさん!?」
「そのままそこで石板を守ってて!」
アストラの所業に驚くアルバートだったが、逃げる先をなくしたことで彼女の標的は変わっていた。
「先に倒すべきは、あなたね!」
「なっ!」
イオに矛先を向けたことに目を剥くアルバート。彼が来るまでも戦っていたのだろうが、さすがにそれを目の当たりにするとまさかという思いを禁じ得ない。
アストラの得意魔法は弱者に対し必殺の威力を持つ。制止の声を投げかけようとしたその時、なぜか魔法が不発に終わったことでさらなる驚愕に見舞われる。
「見え見えだ!」
「ッ、厄介な……!」
そして今度はイオがアストラにナイフを投げる。アルバートはあれが毒ナイフということを知っており、彼もまた本気でアストラを殺そうとしているのだと知る。
石板を手放して身軽になったアストラはそれを躱して見せた。
「な……なんで……」
ごく当然と言った様子で戦う二人を見て、アルバートはありえないという気持ちでいっぱいだった。
なぜイオとアストラはあんな風に殺し合うことができるのか、たとえ事情を知った後であっても信じられそうにない。
「アルバート、今のうちにそれを壊せ!」
アストラ相手に大立ち回りを演じるイオにそう言われても、アルバートは動くことができない。
「アルバート君、それでいい! そのまま持ってて!」
仲間を殺そうとしながらアストラにそう褒められても、アルバートには何の嬉しさもない。
(何が……! いったいどうして!)
どちらを信じるべきなのか。
自分の仲間か。人類の希望を背負う者か。
イオに応えたいという本心と、アストラに従うべきだという理屈。
そうして葛藤している間に、イオの苦悶とアストラの喜悦混じりの声が耳に入り――
「限界みたいだね。これで――!」
「――ッ!」
武器の不足と手数の少なさ。そしてレイスが限界に達し、ついに趨勢は傾いた。
(イオが、殺される?)
その事実をようやく、本当に理解すると同時に。
それは絶対に許せないという気持ちが燃え上がる。
「お終い……えっ!?」
アルバートの心を燃え上がらせた炎は現実にも表れていた。イオとアストラを阻むようにして現れた炎の壁。
もちろんそれはアルバートの魔法だ。
「……どんな理由があるかは知らない」
アルバートは二人の視線を受けながら口を開いた。
「でも……俺はどちらにも死んでほしくない。こんな石板ごときで争ってほしくないんだ」
それは理想論かもしれない。イオは同胞の平穏のために、アストラは自らの栄誉のために、決して引き退がることはないのだから。
互いの利害が衝突した時、形はなんであれ争いを避けては通れない。
しかし――
「イオ、説明してくれ。アストラさんも、教えてください。この石板が何なのか、何のために求めるのか。
――それを知るまで、俺は何があってもこれを壊さないし、渡さない」
それでも我を通すために、アルバートは自らも争いに身を投じることを決めた。
(面倒なことを……いや、さっきは助けられたが)
イオはアルバートの正義感にうんざりしたが、すぐにそれで救われたのだと思い直す。
アルバートの性格からすれば味方だと思っていた二人が本気で殺し合いを演じていれば止めないわけがない。こうなることは彼が現れ、その手に石板が渡った瞬間に決まっていた。
「アルバート君……君は人魔に味方するというの?」
アストラが目に暗い光を灯しながらそう訊ねた。おおむね思う通りに行かなかったことに腹を立てているのだろう。
「人魔でもイオです。仲間の死ぬのを黙って見過ごせないのは当然です。でも、アストラさんの方に理があるのならこれはお渡ししますよ」
一方でアルバートはイオが人魔であることを受け入れつつも毅然として言い切った。この辺りはやはりアルバートか、とイオはやや呆れ気味に感心する。
「ふうん……」
アストラは何でもない風を装いながらも内心で苛立ちを押し殺していた。
ここまで溜めに溜めてきたストレスが爆発寸前なのだ。それでも平静を装うのは、見苦しさを見せない彼女の意地か。
「その石板は、人類の発展に大きく役立つものなの。初代「魔導士」が作った声を記録する魔道具で、しかもその中の情報も歴史的に大きな価値を持つ」
「そうですか。それはすごいですね」
アルバートは言葉だけでなく本当にそう感じていた。手に持つこれがそれほどまでのものかと思うと、少し興味も湧いてくる。
しかしそれを遮るようにイオが言う。
「アルバート、それは多くの人間を不幸にする。歴史的事実が明らかになることで悲劇を生むのなら、必ずしも公にする必要はないだろう」
「それは……そうかもしれない」
アルバートは少し迷いながらも同意した。誰かの不幸と引き換えにしてまで何かを知りたいとアルバートは思わない。
「それはイオ君が加害者側にいるから都合が悪いだけでしょ。罪は罪。秘匿されるべきではないの」
「それはあなたが無関係だから言えることでしょう。生まれながらに罪を背負わされ、苦しむ人がいることをあなたは理解していない」
イオとアストラは互いの弁に反論を重ねる。
アルバートはそのどちらにも耳を傾けながら、次第に不穏になっていく空気を感じ取っていた。
そして唐突に――、
「はっ!」
「ふっ!」
イオとアルバートの正面が爆発し、二人は後ろへ跳びのいた。
「いいから私の言う通りにしていればいいのよ!」
強硬手段に出たのはアストラである。苛立ちの限界だったのだろう、あまりにもお粗末な開戦の狼煙だった。
視界を遮った隙にアルバートから石板を奪おうと駆ける。しかしその途中で突然胸に苦しみを覚えた。
話をしている間に仕込んだ「同調」でイオが彼女の精神に負担をかけたのだ。
だが荒ぶる魔力によりそれはすぐに解除され、アストラは自由の身となる。その間にアルバートは何とか態勢を整えることに成功し、一方でイオは落としていた自分の剣を拾っていた。
「アルバート、どっちが正しいか、これで分かっただろ!」
「え、ええ!? うん、まあ……」
「ならさっさとそれを壊せ!」
状況から見てアストラに非があることは確実だ。そう思いつつも、壊そうとするには心を決める時間が必要だった。
一瞬目を離した隙に、アストラの姿が消えていることに気づかぬまま――
「いただき!」
「ああっ!」
アルバートの注意がイオへと向いた瞬間を狙い「隠魔の外套」で夜の闇に溶け込んだアストラが石板を奪取した。
しかし喜びをかみしめたのも束の間――。
「まだだ!」
「あっ、このッ!」
アストラの挙動を五感に加え魔力で呼んでいたイオは、ついに石板を手にすることに成功する。
そのままの勢いで地面に叩きつけ――
「させない!」
――ようとしたところでアストラが滑り込み、体で石板を受け止めた。
衝撃を全てその身で吸収したため苦しそうに呻き声をあげたが、彼女の狙い通り石板を破壊されることは免れた。
だがそれはイオにとって絶好の好機でもあって。
無防備をさらすアストラの首めがけ、剣を突き立てる――!
「それは駄目だ!」
「くっ!?」
必死な声。
イオにアストラを殺させてはならないと、その剣をアルバートは自分の剣ではじいた。
イオに恨みがましい目で見られるも、それはアルバートが己に掲げた信念である。まだ彼は平和にイオを連れ帰ることを諦めていなかった。
「これはいただきます」
「うっ!? ああ……!」
あわや死ぬところだったアストラが呆然としていたところをアルバートが石板を奪い取り、そのまま二人を牽制しながら距離をとった。
イオもアストラが起き上がったところで自分の身を優先し、その場を離れる。
「…………」
「…………」
「…………」
剣呑とした空気はいまだに晴れておらず、イオとアルバートは剣を、アストラは魔法の起点となる手のひらを構えてじりじりと距離を測る。
この中でイオは遠距離攻撃ができず、アルバートは石板という重しを抱えている。利はアストラにあると言えよう。
「アルバート、何でもいいから早く壊せ!」
「変な動きは見せないことね。死んでも責任はとれないから」
アルバートに頼み込むイオと、それを牽制するアストラ。
星空の下、洞窟の壁を走る薄紫の明かりを頼りに三人はそれぞれの動きを観察する。
「……まだ」
「うん?」
「まだ、この石板にどんな情報が保存されているのか聞いていません」
アルバートは少しずつ距離を詰めてくるアストラから後ずさりしながらそう言った。
アストラとイオでは情報の内容についての印象が大きく異なっている。どちらの個人的な感情も否定できない以上、それを直接知る必要があった。
「それは……」
「…………」
それを答えることを二人はためらう。アストラはアルバートの心変わりを怖れ、さらに発表した時の功績を独占するため。イオはできるだけ人魔が無属性の人間だということを人に知られたくないため。
特にイオは、隠そうとした事実が人に知られるたびに意義が薄れていく。アストラだけならなんとか妄言だということにできるかもしれないが、そこに複数の証言があれば確たる証拠がなくとも信憑性を増していくのだ。
完全な隠蔽を図るためにはアストラも殺す必要がある。しかしアルバートがいては叶いそうにない。
「……答えてくれませんか。それなら、この魔道具を直接使ってみるしかないですね」
「ッ、やめなさい!」
恐れていた事態にアストラが焦りを見せる。
強制的に止めさせるために、強引な手段に出ようとするが――。
「レイス」
「なっ!?」
イオは弱ったレイスに呼び掛けてそれを妨害させた。
ここに至りイオも腹をくくったのだ。自分だけの力では解決できないと。そのためにはアルバートを共犯者にしなければならないと。
「イオ……」
「アルバート、その中には――」
イオが人魔の正体について告げるため、口を開く。
「――こ、れは」
そこに悲壮感に漂う声が頭上から落ちてきた。
はっとして三人が上を見上げると、洞窟の天井に空いた穴からこちらを覗く影。
「そんな、そんな……わたしの、家族が……わたしの、居場所が……!」
この場所が制圧されているということは、彼女の同胞が殺されたことに他ならない。
穴の淵からこちらを見下ろす「魔女」は、「孤狼」にまたがった状態のまま現実を受け入れるまで黒髪をかきむしり嘆きを訴え続けた。
そして。
「……ああ」
ようやく手を降ろしたとき、その目から感情の色は消えていた。
「魔女」の両頬を伝う涙の軌跡は枝分かれを起こし、さらに皮膚を浸食していく。
さらに以上は「孤狼」にも発生していた。その巨躯が少し震えたかと思うと、みるみるうちに小さく消滅していった。
それとは反対に「魔女」の身体が膨れ上がっていく。
(「孤狼」の力を吸収している……!?)
イオは「魔女」が「同調」を全力で使っていることを察知した。対象は、己の半身ともいえる「孤狼」である。
これが不味い事態であると理解はしているが、ここからではどうしようもない。
そしてすべてが終わる時。
星が輝く雄大な天を背負い、絶望の果てに沈んだ「嘆きの魔女」がそこに立っていた。




