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第139話 「ありがとう」

 ――燃やす。


「うわあぁぁぁぁ!!」


 ――壊す。


「嫌、嫌ぁぁあ!」


 ――消し炭にする。


「このッ……あがっ、ひいいぃいい!?」



 止まらぬ悲鳴。自分が手をかざすごとにまた一人、さらに一人と肉塊が増えていく。


 静けさに満ちていた洞窟内は、今や阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。


 その中を悠々と歩く外套を着た女。彼女こそ、この地獄を作り出した張本人である。


「助けっ、助けて!」


 女はふと助けを求める声に気づき足を止めた。

 這う這うの体でこちらに手を伸ばそうとしているのは、二〇代と思しき若い女性だった。


 これまでどんな悲鳴も苦としなかった女は初めて声に耳を傾けた。というのもその外見は他の有象無象とは違い、女のそれとよく似通っていたからだ。

 女は助けを求める女性に訊ねた。


「あなたは……?」

「ここに捕まっていたんです! ここから連れ出してください!」


 なるほど、この女性は非道な輩に囚われていた被害者らしい。女はそう納得すると手招きをして女性を近くに引き入れた。


「私の後ろで隠れてなさい。もうすぐここを制圧し終わるから」

「ありがとうございま……ッ!?」


 礼を言おうとする女性。しかしそれを言い切る前に、彼女の顔は驚愕に染まることとなる。


 女が不意に彼女の手首をつかんだのだ。それも、ぎりぎりと力を込めて。

 保護してくれた相手に突然そんなことをされれば驚いて当然だ。しかしさらに驚いたことに、その手には粗悪なナイフが握られており、それが女へと突き出されようとしていた。


「……どういうことかな?」

「ッ……!」


 ごく当たり前の権利として理由を問う女。

 手首をひねり上げられた女性は、それまでの弱々しげな表情を捨てて憎悪を露わにしていた。


 その理由を考えようとして、眼前まで持ち上げた女性の腕に目をやった女は目を見開き悟った。


「……なるほど。面白いことを考えたものだね。でも……私には通用しない」


 その視線の先には、女性の腕。正確にはそこに浮かぶ黒い筋。

 紛れもない、敵の証だ。


 不意打ちを仕掛けようとした女性は拘束から逃れようと必死に暴れるが、生憎とその細腕にはそれを為せるだけの力がない。

 殴ろうとも蹴ろうとも女に軽くあしらわれるだけだった。


「離して! 離してッ!」

「人の姿を真似て人を襲う魔物……ここで逃がすわけにはいかない」


 そして漂い始める魔法の気配。

 不幸なことに女性はそれを察知する能力はあっても防ぐ能力は皆無だった。


 ただひたすらに迫る死の恐怖。

 自分の腹部を中心にしてこれから起きるであろうことに、彼女はただ震えて涙をこぼした。


「カーレッ……!」


 誰かが誰かを呼んでいる。死にゆく女性、いや、人魔を助けたいのだろうが、その声もひどくかすれていて人の心配をしているどころではないことが明らかだった。


 一秒にも満たぬ長く短い時が流れ、この日何度目かも分からぬ爆発音が響いた。






 ♢ ♢ ♢






 ヴァナヘルトが大魔法「神滅の風槍(ロンギヌス)」を発動したその同時刻。


 リアンたちの元へと急ぎ戻ろうとするカナリアたちの耳にもその余波は届いていた。


「ああっ! もう始まってる!」

「今のは……ヴァナヘルトさんでしょうか」


 戦いに間に合わなかったことに焦るカナリアと、冷静に音の原因を予想するルー。

 フィリアは心情的にはカナリアに近かったが、一人先走るわけにもいかず戦い慣れている周りの指示を待っていた。


「あっちの方向って……イオ! 遠回りしてたんじゃないでしょうね!?」

「…………」


 音源と現在地を比較してまっずぐに戻っていたわけではないことに気づいたカナリアが眉を吊り上げて問い詰めた。

 道案内をしていたのはイオだ。その足先ひとつで彼は三人を容易に思う方向へと向かわせることができる。


 沈黙という答えが、それを真実だと物語っていた。


「……ッ! この……ッ」

「カナリアちゃん、喧嘩してる場合じゃないってば!」


 衝動的にその襟首を締め上げようとしたカナリアをルーがとどまらせる。


「……分かってる。フィリアさん、急ぎましょう。イオも!」


 カナリアはなんとか怒りを抑え、周囲に声をかけて走り出す。

 戦いの始まりには間に合わなかったが、フィリアを連れ帰りさえすれば今からでも十分に助けとなる。


 そう考えて急行しようとしたのだが、ただ一人、イオだけが足を止めたままであることに気づき彼女たちは足を止めた。


「……イオさん?」

「イオ君?」

「ああ、もう! まだ邪魔をする気!?」


 イオを心配するフィリア、単に疑問を呈したルー、憤るカナリア。

 それぞれの反応を受けて、イオはゆっくりと口を開いた。


「……悪い。俺はいっしょには行けない」


 やや目を伏せ、絞り出すような口調からは申し訳なさがにじみ出ている。

 しかし同時に覚悟も込められており、すでに決心は終わっているということが感じられた。


「またそんなことを……ッ!」


 こちらへ踏み出そうとするカナリアをイオは片手で制した。その姿が先刻の戦いを脳裏に思い浮かばせ、苦痛への忌避感から思わず足を止める。


「本当に……悪いと思ってる。カナリア、ルー。こんなところまでわざわざ迎えに来てくれて、ありがとう。アルバートにもそう伝えておいてくれ」


 これまででイオの口から「ありがとう」という言葉を聞いたことがあっただろうか。これが平時であるならばそんな素直さを似合わないと揶揄(からか)いつつも、その心境の変化を嬉しく思っただろう。


 しかし――どう考えてもこれは最後の言葉にしか聞こえない。


「ちょっと……!」

「フィリアさん」


 追及の声はイオ本人によって遮られる。

 その目はただまっすぐにフィリアを見つめていた。


「俺なんかのことをずっと心配してくれて、ありがとうございました。あんな態度をとっていたことについては申し訳なく思っています。それと――」


 フィリアへの感謝と謝罪を口にしたイオは、そこで言葉を切った。


 そして再び口を開くと、きっぱりと言うのだった。


「告白の件ですが……お受けするわけにはいきません」

「――――」

「俺はフィリアさんにはふさわしくない。いえ……あなたに救われる資格がありません。あのころと違って今の俺は本当に汚れた存在なんです」


 世界を愛し、世界に愛される「聖女」。

 その愛を一身に受ける人物というのはこの世で最も高潔であるべきである。


 そんな理屈を(、、、、、、)抜きにしても(、、、、、、)、このフィリアという優しい女性に愛を向けられるべきは自分ではないことくらい明らかだった。


 二人の道はまったくの逆方向に続いている。明るい未来へと進むフィリアを、どうして暗く淀んだこちら側につき合わせることができようか。

 すでにイオは人魔となり、罪なき人間を殺すことに少なくとも加担しているというのに。


「…………違う……」

「もう、終わりにしましょう。俺のことは忘れて、幸せに生きてください」

「……だめ!」

「レイス!」


 子供の用に反発するフィリアを無視してイオは己に付き従う亡霊を呼ぶ。

 付近の陰に潜んでいたのかそれはすぐに姿を現した。


「待って……」

「三人を守り、足止めしろ。もう一人(、、、、)が来たら俺のところに合流だ。今度こそは言うことを聞いてもらうぞ」

「お願い……!」


 泣きそうなフィリアの声はイオに届かない。縋りつこうとおぼつかない足取りで一歩を踏み出す間にも、レイスはイオの命令に従って闇を広げようとしていた。


「イオ!」

「イオ君!」


 今ここで逃がしてしまえば、本当に最後の別れになる。そのことを予感したカナリアとルーもイオのもとに駆け寄ろうとするが、Aランクの魔物の本気の威圧に足をすくませる。

 レイスはこれまでとは一線を画するほどの恐怖を振りまいていた。


 そして背を向けたイオは、まるで呑まれるように時々刻々とその姿を闇に沈めていく。

 細く小さいはずの背中がこのときだけはひどく大きく、そして遠くに感じられた。


「いやぁ……!」


 せっかく届いたはずの背中がまた離れていくことに果てしない喪失感を感じ、フィリアは届かないと知っていてなお手を伸ばした。


「行かないで……!」


 もちろん小さなその手がイオの背に達することはなく。

 何も掴めない手応えとともに、ただフィリアに虚しさを与えるばかりであった。


 イオの行く先は暗闇の果て。天とは真逆な地の底のように暗く冷たい。


 ――まるで、地獄へ落ちるように。


 愛し求めるその人の背中は、あっさりと消えたのだった。












 ――背中に自分を呼ぶ声を聞きながら。


 それでも彼は、振り返らない。あの温かみは、ほんのひと時しか得られないものと知っているから。


 ためらいを生み出そうとするすべてを遮断し、イオの足は「嘆きの跡地」の頂上へと向いていた。



 大局を決める戦いはもう始まっている。その激戦具合は時おり耳に届く音によって知ることができた。


 しかし――それとは別に強化されたイオの聴覚は、まだ「勇者」一行が踏み込んでいないはずの場所での戦闘音を捉えている。

 そこは「魔女」が何においても侵入を許してはならないはずの場所だ。非戦闘員である人魔たちが隠れ潜むそこで戦闘が起きているということは非常事態に他ならない。


 別にどちらかに加勢しようという意図はない。しかしふと頭をよぎった危機感がイオを突き動かしていた。


あれの存在(、、、、、)を知られるわけにはいかない)


 どうせ消えてなくなる命。懸念はできるだけ取り払っておきたかった。

 イオは勝手知ったる足取りで「嘆きの跡地」の最奥――封印の洞窟へと急ぐ。









 その一方で――。


 イオに取り残された三人の少女たちは、いまだにあの場から動くことができずにいた。


 リアンたちの救援に向かうか、イオを追いかけるか。どちらかしか選べないと分かっていても、そのどちらをも捨てられないのは果たして強欲なことか。

 理性はイオを追っている場合ではないと判断を下している。しかし感情はそれに納得できない。

 相反する二つの思考が彼女たちの足を縫い付けるものの正体だった。


 どうにかしなければ。

 そう思うほどに思考はがんじがらめになり、解決法は一つとして見つからない。イオへと続く道を阻むレイスは依然としてそこにおり、この魔物をどう倒せばいいのかすら考え付かないのだ。


「……あっ! やっと見つけた!」


 ――そんなピンチに、都合よくかけられた声。同時にレイスはぬるりと姿を消していた。

 イオに言われた通り、もう一人がやって来たのでその役目を負えたのだ。


 颯爽と現れた人物を見てカナリアとルーは気色を満面に浮かべようとしたが、実際に表れ出たのは驚愕だった。


「アルバート……って、ええ!?」

「その怪我……!」


 いつかヘルフレアタイガー変異種と戦った時のような、全身にわたる火傷。ちりばめられた赤と黒の配色は見ているだけで痛々しく思えるほどだ。


「はっ……す、すぐに治療します!」


 我に返ったフィリアがそう言うや否や、アルバートの身体を温かい光が包み怪我を癒していった。

 光が消えた時、さすがに汚れは残っているが血色は随分とマシになっていた。


「ありがとうございます、フィリアさん。ご無事なようで安心しました。カナリアと、ルーも」


 はぐれてから半日しか経っていないのに、まるで何年ぶりに再会したかのような感情をアルバートは抱いていた。

 見たところ怪我の類はなく元気そうだったので、にじみ出る安堵とともにほっと胸をなで下ろす。


 しかしカナリア、ルー、フィリアが焦りと期待をこめてそんなアルバートに言い募った。


「お願い! イオを追いかけて!」

「お願いします!」

「イオさんを、助けてください!」


 その剣幕に一瞬目を丸くしたアルバートは、すぐにまだ安心するには早いのだと察した。



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