第138話 決戦の狼煙
夕日が暮れなずむ中、元ゴブリンの集落があった広い敷地には白に輝く巨大な箱のような建造物が出現していた。それはもう少し様相が整っていれば砦と言い換えても通じたかもしれない。
四方を壁で囲われ、内側はきわめて安全な領域となる。壁には数カ所穴が空いており、そこから攻撃も可能だ。
敵を阻み、迎え撃つ頑強な建物。それを表すにはやはり砦や要塞という言葉が正しいと言えた。
「お疲れ様です。ディラード殿」
「いえいえ、これくらいはどうということもありませんぞ」
リアンが労うのは、瞬く間にこれを作り上げた壮年の男だ。鍛え上げた肉体を鎧に包み、されど目元に細かいしわを浮かばせながら柔らかく微笑む姿から威圧感をまったく感じさせない人物。
「聖騎士」ディラードは言葉の通り余裕を見せながら、手ずから作った作品に満足そうな表情を見せていた。
「これならば人魔と言えどそう簡単に落とすことは叶いませんでしょうなぁ」
「いやはや、お願いしておいてなんですが、これほどのものを作って見せるとは予想以上でした」
普段から冷たい印象を与えるリアンだったが、今ばかりは素直に驚きを表している。それは同時に、ともに危地を潜り抜けてきただけあって二人の間に絆が芽生えていることも示していた。
「……これで少しでも汚名を返上できればいいのですが」
ディラードがぽつりと呟いた言葉にリアンは反応しない。フィリアについてはもはや待つ以外にできることはないのだから。
そうしてしばし沈黙を数えた後、ディラードはリアンの方を向いて真面目な表情で訊ねた。
「それでリアン殿。これを見てなお、自ら「魔女」へと向かっていくことを考え直せませぬかな」
「ええ。残念ながら、この砦で籠城戦をしたとして一夜も保たないでしょう。「魔女」の相手は誰かがやらなくてはなりません」
リアンの決意は変わらなかった。意地でも戦いに出るという意志がはっきりと感じられる。
これはディラードにとって好ましい結果ではなかったが、自分の魔法でもだめだと言われているのだからもはや説得の言葉は思いつかない。
「聖騎士」に選ばれたディラードの特異性は、武器や体術の習熟に指揮官として勤めてきた経験だけでなく、その魔法にある。土属性でありながら彼が操るのは、土でも石でもなく、より硬度の高い鉱物である。
土属性という名前ではあるものの、この属性で操れるのは何も土だけではない。魔力の扱いに習熟すれば大地を構成する様々な物質にまで干渉を及ぼせるのだ。しかしもちろんそれは簡単なものではなく、大きな変化を起こせる優れた使い手は少数しかいない。その中でも鉱石だけをここまで抽出して操れる者はディラードの他に類を見ないだろう。
守りを任せれば皇国で一番。それが民に知れ渡っているディラードの評価であった。
「ディラード殿は少しお休みください。消耗は少ない方がいいでしょうから」
「お待ちください。それならリアン殿も……」
そう言いかけて、ディラードは途端に声を潜めた。
突然ざわめきだした木々。不吉を運ぶような風の音。そして、戦闘前のひりついた空気の匂い。
「……日の入りを待たずに攻めてくるとは。これを見て焦りでもしましたかな」
「そのようですね。ですがそれは、この砦があちらにとって不都合だとも言えるでしょう」
二人は砦を見上げながら冷静に分析する。リアンの予想では肉体的にも精神的にも疲労した夜間に襲ってくると思っていたのだが、彼らが万全の態勢を整えようとしているのを見て襲撃のタイミングを繰り上げたらしい。
ほどなくして大量のゴブリン、少数の人魔、そして「魔女」が姿を見せるだろう。
「おい!」
そこへ声をかけたのはヴァナヘルト。後ろにはシャーリーもおり、二人も襲撃の前兆を感じ取っていたことが分かる。
リアンはヴァナヘルトに頷き、全員に向けて言った。
「勝っても負けてもこれが最後の戦いとなるでしょう。最低限の保険はかけましたので、どうか生き残ることだけを考えて戦ってください」
保険というのは「嘆きの跡地」を降りた騎士たちにもたせた情報のことである。もしこれでリアンたちが敗れても、情報に基づいて国や教会が新たな刺客をおくることだろう。
もはや彼らは敵を討伐する側ではなく、撃退される側だ。「魔女」は倒さねばならないが、そのために命を捨てて特攻しろとはリアンには言えなかった。
「最後まで生き残ったやつが最強ってわけだ。おもしれえ」
リアンとは反対に、ヴァナヘルトは何の気負いも見せずに意気込んで見せ、
「……私この戦い終わったらしばらく冒険者休もうかな……」
シャーリーは生き延びた後のことに思いを馳せる。彼女をして今日の出来事は耐えられる許容を大きく越えていると言わしめるほどのものであった。少しやけっぱちになっているようにも見えるが、悲壮感が見られないのはせめてもの救いか。
「今度こそ救援に間に合って見せます。ですからリアン殿、どうかご無事で」
もっとも緊張感を見せているのはディラードだった。先の失態を取り戻したいという本音もあるが、そこにはリアンを心配する感情もやはり含まれていた。
それぞれの感情を胸に、最後の戦いが幕を開ける。
戦いに参加できるのは六人。リアン、ディラード、ヴァナヘルト、シャーリーに騎士二人である。
他に無事だった騎士二人は一部の動ける負傷者を連れて、情報伝達の任を受けていた。そのため満足に動けるのはたったの六人である。
ディラードが即席で作った砦は主に負傷者を守り、また万が一の避難場所として機能する。全員が中に入って籠城するという選択肢は、敵がリアンに狙いを変えてはいけないので却下されていた。
ヴァナヘルトたちは大量の敵を引きつけながら戦うという難しい仕事を任されているのだ。
なお、シャーリーは砦の中から援護をするということになっている。前衛の数に比べあまりにも敵の数が多いので、彼女を守るために手を回せないのだ。
それに加え意識のある負傷者も援護と警戒を買って出てくれたが、それでも戦力は不足を極めている。
「……来たぜ」
夕日を背負い続々と現れる軍勢。
「魔女」のもつすべての戦力が集結しているのだ。
その大部分、というよりもほぼすべてを占めるのはやはりゴブリンである。単体なら少し戦いをかじった子供でも倒せる相手だが、それが千も集まれば圧倒的というほかない。
普通のゴブリンの集落でもまずお目にかかれない数だ。
そしてその最奥に座すのはもちろん王。相変わらず手下の多くに囲まれていて手を出すことは難しい。
しかし、それはそれとして「魔女」の姿は見えない。どこに潜んでいるのかと目を凝らしていると――
「ッ、右ですッ!」
ディラードが叫ぶ。それとほぼ同時に全員がこちらへ駆けてくる影に気づいていた。
「魔女」はゴブリンの軍団を回り込む形で直接砦を狙ってきていた。「孤狼」に乗っていることで彼我の距離はみるみる縮まり、ぼうっとしていればすぐに到達してしまいそうである。
「それでは」
「ご武運を!」
それに対応する形でリアンが移動する。「魔女」の相手は「勇者」が。ここまでは予定通りであった。
「魔女」が思い切りよく突撃してきたのには、リアンのような範囲攻撃を持つ人間を先に封じてしまおうという目論見があった。いくら数を揃えようと、有象無象如きでは圧倒的な暴虐に耐えることなど不可能なのだ。
ゆえに「魔女」はリアンの攻撃を受けながら少しずつ距離を離していく。リアンもそれに乗る形でディラードたちから距離をとっていった。味方が近くにいると大規模な魔法が使えないのは彼も同じである。
そうして先に大将同士を送り出した両陣営は、ともに毅然とした様子で向かい合う。
数の差に目を瞑ればそれはさながら合戦のよう。本来ならここから宣戦布告だなんだとそれなりの様式があるのだが、今相対しているのは人間と魔物である。
ゆえに――
「撃てぇぇぇぇええ!!」
「ギィィィイイイ!!」
ある距離を越えた瞬間に、何の前触れもなく戦闘は始まった。
ディラードの号令とともに一斉に魔法が放たれ、ゴブリンたちは脱落していく仲間を無視して進んでいく。
先手を取ったのは当然、遠距離攻撃手段に長けた人間たちだ。
しかしどう取り繕っても数で圧倒的に劣ることに変わりはない。そもそも後衛に数えられるのはシャーリーだけである以上、どこをどう攻撃したとしても敵を通す隙間は空いてしまう。
このままでは数という暴力の流れに押し流されるのも時間の問題だった。
「はは……随分と熱狂的じゃねえか」
劣勢にも関わらずヴァナヘルトは笑う。その手に持つ槍は淡い光を帯びていた。
「本当なら「魔女」に使いたかったんだが……この一撃はお前らにくれてやる」
そして一際強く輝いたかと思うと、砂煙を纏わせた巨大な竜巻へと変容する――!
竜巻をその手に握ったヴァナヘルトは深く腰を落とし、自身が飛ばされぬようしっかりと地面に踏み込んで腕を振り下ろした。
「――『神滅の風槍』!!」
全てを巻き込みながら暴虐の化身がゴブリンに迫る。竜巻が自らに迫ってくるという稀有な体験を今彼らはしているのだ。
そこに新鮮さはおろか恐ろしさを感じる間もなく――範囲内のゴブリンは吹き飛び、すり潰され、風を彩る血と肉の欠片へと分解されていった。
後に残ったのは地面が深く削られてできた大きな堀と。
そこに降り積もるゴブリンの一部だったものだけだった。
「……ふう。さすがにキツい。ちっとばかし休ませてもらうぜ」
「もちろんです。あちらも当分ここまではやって来れませんでしょうからなぁ」
あれだけの破壊を尽くしながらヴァナヘルトは息をついてしゃがみ込む程度の消耗しかない。
先日の皇都付近での魔物大氾濫を思い起こさせるような目の前の光景にディラードは戦慄する。これがSランク冒険者なのか――と。
敵の数はあれで半分以上は減らせたか。できるだけ引き付けて放ったため、できるだけ多くのゴブリンを葬ったはずだとディラードは内心で気色ばむ。
加えて、ただでさえ頑強な砦の前に堀ができてしまった。これによって攻め込むあちらは堀を進むか迂回せねばならない。
味方陣営――といっても数えるほどしかいない――が興奮と希望に満ち溢れる中、ヴァナヘルトが念を押すように言った。
「言っとくが、あれはもう撃てねえぞ。今日だけであのレベルの魔法を二度使っちまった。あとのことを考えると残りはちまちまやっていくしかねえ」
それを聞いてハッとするも、すぐにそれもそうだと思い直る。Sランクを象徴するような地形を大きく破壊する魔法がそう何回も使えるはずがない。この結果を引き起こすためにはそれ相応の魔力が必要なのだから。
ヴァナヘルトはすでにリュビオスにとどめを刺す際に「神葬の雷槍」を使っていた。やむを得ない事情はあったものの、もしこれが一日の出来事でなければと思ってしまう。
かなり数は減ったが、依然として相手は大群だ。これをどこまで相手取ることができるか――そう思っていると騎士の一人が驚愕の声をあげた。
「なっ、増援だと……!? しかもあれは上位個体ばかり!」
彼の言う通り、ゴブリンは目に見えているだけで全てではなかった。少数だが、続々と森の中からゴブリンの上位種が姿を現したのだ。
「……さすがに馬鹿じゃねえようだ。強えやつは温存してやがったか」
つまるところ、あちらもこちらの考えを読んでいたということだ。大量の捨て駒によって人間側の手札は一枚切らされてしまった。
まだまだ勝利には遠い。
「むっ、二手に分かれて堀を迂回してくるようですな」
「別方向から同時に来られたら手を割かざるを得ねえ。つくづく頭はよく回るみてえだ」
再びゴブリンたちは侵攻を始めた。
数が少ない分、二方向から来られるだけで一か所に投入できる戦力は半分になる。それでも正面から一気に押し寄せてこられるよりはマシと言えるが。
彼らは一瞬だけ緩みかけた気を引き締め直すのだった。




