第135話 残された者と追いかける者
「……なるほど、そんなことがありましたか……」
なんとか「魔女」の猛追を退けた「勇者」リアンは、傷の手当てを受けながら現状の報告を受けていた。
目下急を要する要件は「聖女」フィリアの捜索である。討伐作戦は聖属性の彼女ありきで成り立っていたので、彼らは見た目以上に追い詰められている状態にある。傷を負ってもその場で治せるという精神的な余裕を失ったことで、残った者たちの雰囲気もかなり暗い。
広く市民に人気のあるフィリアのことだ。もしこのまま発見することができなければ、この暗さが彼らにも伝播してしまうのは間違いない。それは「魔女」を討伐したとしても払拭できるものではないだろう。
「フィリアさんは護衛の方々が追っているのですね?」
「ええ。ですが今もまだ戻ってきていない以上、結果は芳しいものではないのでしょうなぁ。最悪の場合は……」
もう全員生きていないかもしれない。その言葉を「聖騎士」ディラードはのみ込んだ。この場で口にすればただでさえ思い空気をさらに重くしてしまうことは容易に想像がつく。
「けっ、だらしのねえ。あんだけ護衛がついていながら何やってんだって話だ。これっぽちも仕事を果たせてねえじゃねえか」
「話聞いてた、ヴァナ? 誰もフィリアちゃんが自分からどこかに行くなんて思ってないよ。だから人魔の仕業だって悩んでるんじゃない」
「それも含めて、だ。シャーリー、お前も分かってるだろ。冒険者っていうのはな、ランクが上がるほど失敗が許されねえんだ。俺様たちの失敗ひとつで大勢の人間が死に、国が絶える。そんな可能性だってありえるんだからな」
ヴァナヘルトはふがいない冒険者仲間たちにひどく不満を抱いていた。一人の少女にあれだけの護衛がついていたのは、フィリアの必要性がそれだけ大きいということだ。失敗が許されないことなど初めから分かり切っているにもかかわらず、この体たらく。同業者として決して許せるものではなかった。
彼の言う通り、ランクが高い冒険者ほど失敗した時の影響力は計り知れない。魔物の討伐をしくじればそのまま町や村が襲われることになり、要人を守り切れなかった場合は国が割れることすらある。高い実力を認められているがゆえに、そこに流れてくる依頼は困難かつ絶対に成功させなければならないものがほとんどなのである。
今回の依頼もそのうちのひとつだということは、いまさら言うまでもなかった。
「はぁ……ったく、こんなところでくたばるなんざ許さねえぜ。グロック」
ヴァナヘルトは簡易の寝床に横たえられている人物に言葉を投げかけた。しかし彼からの返事はない。
人間にとって数少ない勝利である「雷光の槍」とリュビオスの戦い。相手が人魔側の最大に近い戦力だったために、それを下せたことの意味は大きい。少なくとも今後、あの圧倒的な力に押し潰されることはなくなるのだから。
しかし払った代償もまた大きなものであった。勝負を決める直前、大技を使うヴァナヘルトのために時間を稼ごうとしたグロックはリュビオスの攻撃をもろに食らってしまったのだ。着こんでいた鎧のおかげでなんとか一命をとりとめたものの、現在もこんこんと眠り続けている。
怪我によって動けないのはグロックだけではなかった。騎士の中でも傷の深い者がおり、とてもではないが戦いに行かせられる状態ではない。数人だが死者も出ている。
現在動けるのは、ディラード、ヴァナヘルト、シャーリーに騎士たちが四名。初めは二十二人だった討伐隊だが、これほどまでに消耗は大きかった。
「冒険者の方たちを欠いた状態でよく来てくれました、ディラード殿。貴方と騎士の皆さんによって私は命を救われました」
「……しかし、私は取り返しのつかない過ちを……」
「フィリアさんの捜索は護衛の方々に任せましょう。どのみち今の私たちにできることはありません」
まんまとフィリアを奪われたことに強く責任を感じていたディラードだったが、リアンはそれを許した。ディラードが果てしない死闘の末にここまでたどり着いたことは知っているからだ。
彼はアルバートをフィリアの方へと向かわせた後、誰一人欠けることなくあのゴブリンの群れを突破してみせた。統率者であるゴブリンキングを仕留めるまでには至っていないが、葬ったゴブリンは数え切れない。ディラードの奮闘が奮闘が功を奏した結果である。
「むしろ対策がとれているフィリアさんはマシな方です。問題は……」
「アストラ殿、ですか。一体どこへ……」
「人魔と戦っているところは確認していますが、その戦いで大規模な爆発が起きた後より姿は見ていません。ヴァナヘルト殿は?」
「俺様も知らねえ。「魔導士」サマが戦っていた場所は結構遠かったからな」
大した手掛かりはなく、一同は肩を落とした。
アストラは戦いの最中でどこかへその姿を消してしまった。死体はないのであの場で殺された可能性は低いが、依然として消息は不明なままだ。
「こういうときにグロックがいねえのはつらいな……」
ヴァナヘルトが愚痴をこぼす。優れた索敵、追跡能力を持つグロックは意識不明の重体なためその助けを期待することはできない。
アストラもフィリアと別の意味で欠かせない存在であるため、その穴はかなり大きかった。
「……リアン殿、こう言っては何ですが我々はもはや敗れる寸前です。教皇猊下に選定された者のうち、リアン殿を含めて三人が戦闘続行不可能。騎士にも死傷者が多く、冒険者についてはその半数以上が別行動。とてもではありませんが、「魔女」に対抗できる戦力は残っておりません。ここは一度態勢を立て直し――」
「ディラード殿」
沈鬱な表情で撤退を進言するディラードをリアンが遮る。
「態勢を立て直すと言えば聞こえはいいですが、それは敗走に他なりません。なぜなら、そのためには皇都まで戻らなくてはならないのですから。違いますか?」
「……いいえ」
「皇都に戻ったとなれば、私たちが負けて帰ってきたことは人々に知られてしまう。それも、「聖女」と「魔導士」を失ってしまったという完全な敗北です。人々は失望し、希望を失う。その時点で次はないでしょう」
それは否定できない推測だった。いや、限りなく現実に近いだろう。
ディラードの脳裏にはこの失敗を理由に他の騎士隊の隊長がしゃしゃり出て、「聖騎士」の名を奪っていく姿がありありと映し出されていた。「聖騎士」の称号をはく奪されるのはまだいい。しかし、あの欲の塊である隊長たちに名誉ある「聖騎士」の名を名乗らせては取り返しのつかないことになる。民衆の支持を理由に王位を簒奪しようとする可能性すらあるのだから。
そして同時に「女神教」への信頼が失われるのも確実。ノルス教国は大陸で肩身の狭い境遇に置かれることとなるだろう。
「……とはいっても、現状では敗走すら許されないでしょうね。この数の怪我人を抱えて「魔女」から逃れられるはずがありませんから」
リアンが撤退に反対する真の理由を述べた。彼は「魔女」が使役していた魔物の素早さを身をもって知っている。そのことを考えると全員で逃げるというのはどう考えても現実的な策ではなかったのだ。
「じゃあ、このまま決戦に持ち込むってのか?」
「そうせざるを得ないでしょうね。しかしそれで全滅しては却って意味がない……ふむ」
ヴァナヘルトの問いに首肯したリアンは思案すると、付近の騎士を一人呼び寄せた。
「貴方に重要な任務を授けます」
「はっ!」
「動ける者、傷の浅い者を連れて皇都に戻りなさい。そして人魔の能力、「魔女」の容姿、その他この作戦で得た情報のすべてを伝えるのです」
騎士は任務の内容に唖然とした後、はっと現実に戻って焦った声をあげた。
「なりません! 「勇者」様を、皆様を置いて行くなど……! 敵の足止めなら我々にお任せください!」
「酷なことを言うようですが、貴方たちでは数刻も保ちません。ただいたずらに命を散らすだけです」
はっきりと言いきられ騎士は口を詰まらせた。このことに関して反論は他の誰からも上がらない。
葛藤した様子を見せる騎士に、リアンが珍しく口許を緩ませ冗談めかせて言った。
「仲間を置いて逃げる「勇者」がいると思いますか? 私は人々の笑いものになるなんてことは御免ですよ」
「っ……!」
「これを頼めるのは貴方しかいません。仲間を率い、どうにかして「嘆きの跡地」から脱出するのです」
「ッ、はっ! 我が身命を賭して必ずや成し遂げて見せます!」
騎士は目に涙を溜めながらリアンの命令に従い荷造りを始める。その光景を見ながらヴァナヘルトが茶化すように訊ねた。
「なあ、「勇者」サマよ。俺様たちは強制参加ってことか?」
「改めて確認するまでもないと思っていましたが」
「はっ、分かってるじゃねえか。ここで尻尾巻いて帰るなんざ、俺様の美学に反するからな」
「私は正直もう帰りたいんだけど~」
満足そうに笑うヴァナヘルトに対し、シャーリーは不満を垂れる。しかし言葉とは裏腹に彼女も異論はないようだった。長くヴァナヘルトに振り回されてきた分、すでにその辺りの諦めはついているのだろう。
「で、実際のところどうするんだ? 俺様が「魔女」とやり合えばいいのか?」
一応は確認の口調だが、ヴァナヘルトの中でそれはすでに決定事項だった。そこには強い者と戦いたいという自らの欲望もあるが、戦力的に見てもそれがもっとも合理的に思えたからという理由ある。
リアンが負傷している以上、それは他の誰かがやらなければならないことなのだが、リアンは首を横に振る。
「ヴァナヘルト殿とシャーリー殿にはディラード殿と共に動けない負傷者を守っていただきたい。あのゴブリンの群れは間違いなく次もやってくるでしょうから」
「はぁ!? 俺様にゴブリンの相手をしろってのか!? いや、万が一そうしたとして「魔女」の相手は一体誰がするんだよ」
一度は激昂しかけたヴァナヘルトだったが、すぐにその判断に至った理由を訊ねる。立場上、依頼主はリアンである。よっぽどでない限りリアンの言葉は無視できない。
「――私が「魔女」と戦います」
「なっ! リアン殿、その傷では……!」
「問題ありません。私には、魔法がありますから。それに情報を持ち帰らせるのはあくまで保険であって、私は負けるつもりなど毛頭ありませんよ」
ディラードの心配をよそにリアンは己の右手を見つめる。そこには、あの時感じた確かな感覚が残っている。
初めて全力で解放した自身の魔法の才。先の戦いでは拙さが残っていたが、次はもっとうまくやれる自信が彼にはある。
「おそらく今夜。「魔女」はやってきます。その時こそ、最後の戦いとなるでしょう」
♢ ♢ ♢
「嘆きの跡地」、中腹よりやや頂上に近い場所。
そこには焼野原があった。地面は黒く焦げ、そこかしこに倒れた木が燃え続けている。
その中心に、満身創痍の二人の影。
一方は整った顔を黒く汚し剣を杖にして体を支える青年。もう一方は、白い体毛を焦げさせ殺意を瞳に宿らせるも片膝をつく少年。
両者はゆらりと二本の足でしっかり立つと――互い向かって一直線に駆け出した。
「終わらせるッ!」
「死ねェェええ!」
嗄れ切った声を振り絞り、譲れぬもののために彼らは剣と爪を交える。そして噴き出す――紅と蒼の炎。辺りを身を焦がすような熱気が吹き荒れた。
頂点と底辺の戦い。それは日が東の空に輝くころに始まり、戦いの場を転々としながら日が頭上を過ぎた後もまだ続いていた。




