第14話 発見
鬱蒼と茂る森を3人の人影が進んでいる。
彼らの間に会話はなく、ただ見通しの悪い中を進むのに集中している。もちろん周囲の警戒も怠っていない。
ここはアビタシオンの町の東側に広がる森の奥地である。ここまで来ると人が踏み鳴らしたことによってできる道は存在せず、彼らは膝丈ほどある草を踏み分けて進まなければならない。
と、ここで先頭を進む鎧に身をつつんだ男が後ろに合図をして立ち止まる。そしてある方向を指さした。後ろの2人もそちらを見る。そこには距離は離れているがカマキリの魔物、ビックマンティスがいた。こちらにはまだ気づいていない。
縦一列で並んでいた3人のうち、真ん中にいた女性がそこに向かって魔法を放つ。放たれた真空の刃は寸分狂わずその魔物の方へ飛んでいき、胴体を切り飛ばした。わずかな音を立てて体が崩れ落ちる。
一行は再び歩き始める。
そしてしばらく歩いた後に、先頭の男が再び立ち止まった。しかし先ほどとは違って、どこかを探るように目を凝らし、耳を澄ましている。
殿を務めていた槍を持った男がまじめな様子で尋ねる。
「グロック、いるか?」
「……ああ、いる」
尋ねられた男、グロックは顔を厳しくさせて言い切った。
「やっとだね」
それを聞いた女性、シャーリーも緊張しているというより闘志を漲らせている様子で言った。彼女はいつもかぶっている魔女帽の先を邪魔にならないように折っていた。
「ここでケリをつけるぞ」
そして初めに口を開いた男、ヴァナヘルトが士気を高めるように言った。そこに絶対の自信はあっても慢心はない。
Aランクパーティー「雷光の槍」は未知の魔物の正体を確かめ、討伐するために昨晩被害があった町の東側の森に来ていた。
まず彼らは被害があった場所から捜索を始めていった。件の魔物はほぼ間違いなく森へに出たという予測から森を重点的に調べ、そしてグロックの観察眼によってその魔物のものと思われる痕跡を発見したのである。すなわちそれは草が踏み荒らされた跡。この森の魔物の生態からして、人が通った跡と同じものを残す魔物は限られてくる。
もちろん冒険者という線もあるが、基本的に冒険者は森の中に入るとしても突然道なき道を進むようなことはせず、すでに踏み慣らされてできた道から外れて入っていく。そこが違和感へとつながったのである。
ちなみに森についての情報を集めたのはシャーリーだ。彼女は積極的に冒険者たちに話しかけ、その明るい性格をもって情報を収集していた。
そしてその情報を基に痕跡を探すのは基本的にグロックの役目である。彼はもともと観察眼が優れているだけではなく、「感覚強化」というお誂え向きの魔法も使える。今もその魔法を使ってついにその魔物の影を視界にとらえていた。
「……向こうの木の陰。座っている」
「俺様にはまだ見えねえ。もう少し近づくか」
グロックを戦闘に慎重に進んでいく。やがてヴァナヘルトとシャーリーの目にも木にもたれかかって座っている何者かが映った。
「あれ、人じゃねえのか?本当に魔物か?」
ヴァナヘルトたちが見たのは人と見間違えてもおかしくない姿だった。頭があって手足がある。そしてなにより衣服、ローブを身に着けていた。傍らには盗んだのか元から自分のものだったのか、かばんや荷袋が置かれている。
顔は影になっているのと、フードをかぶっているため見ることができない。
ここにきて予想外の展開に動揺する3人。グロックはしきりに正体を確かめようと魔法を使って目を凝らしている。
「……人か?いや……、む?」
「どうかしたか?」
グロックのあげた声に疑問を感じてヴァナヘルトが問う。
「……奴の手が、黒い」
たまたま木陰からはみ出していた手を見てグロックが答えた。ヴァナヘルトやシャーリーにはどう目を凝らしても見えないが、グロックは目をこすりながら何度も確認し、そして断言した。
「……間違いない。証言と一致する」
未知の魔物に襲われて唯一生き残った人から得た情報は、主に3つ。力が常識外れに強い、人と見た目が酷似している、そして肌が黒い、である。3つのうち2つが当てはまったこととなる。最後の1つが本当かどうかわかるのはこれからだ。
「こっちにはまだ気づかれてねえな。なら奇襲だ」
ここまで特に大した活躍をしていないヴァナヘルト。だがここからが彼の本分だ。戦闘においては3人の中でヴァナヘルトがずば抜けている。大物を討伐するときに致命傷を与えて勝負を決定づけるのはいつもヴァナヘルトである。
パーティーリーダーでもある彼は手早く指示を出す。
「シャーリー、合図を出したら魔法を放て。俺は反対側にまわって後ろから撃つ。グロックは奇襲後すぐに突撃。死んでたらよし、生きてたら即殺すか、俺様が行くまで抑えてろ。シャーリーは援護だ」
「わかった」
「……了解だ」
「気づかれるなよ……よし、散開!」
3人は素早く行動を起こした。そこに一週間前にイオを相手にしていた時のようにお茶らけた感じはない。Aランクパーティーの本気の動きである。
ヴァナヘルトは大回りをして魔物の側面をとった。近づいて違う方向から見たことでヴァナヘルトもその魔物の黒い肌を確認することができた。痣だとか火傷というレベルではない。腕も手も均一に黒く染まっていた。残っていたわずかな躊躇も消える。
どうやら目の前の魔物は眠っているらしい。こちらに気づく様子もない。ヴァナヘルトは魔法を発動するために魔力をこめ始める。そして指に着けた指輪を見る。
これは魔道具で、パーティーメンバー全員が持っている。効果は魔力を流すことで指輪の台座にある石の色が変わる。それだけだ。だが、特別なのは設定した他の指輪も色が変わるという点である。
欠点は一度色が変わるとこめられた魔力が抜けるまで再使用できないということと、魔力を体外に放出できない無属性から色を変えることはできないということである。
無属性は魔力を流すことで使える魔道具のほとんどを使うことができない。このことも無属性が役立たずだと言われる所以である。
ヴァナヘルトたちはこの指輪を合図代わりにしていた。同時に攻撃を仕掛ける奇襲のような場面ではよく使われる。
魔法の準備ができたヴァナヘルトは指輪に魔力を流す。すると台座の石が赤から青へと変色した。それを確認してヴァナヘルトは魔法を思いっきり放った。
「『風刃』!」
同時に別の方向からも同じ魔法が放たれる。シャーリーによるものだ。
ヴァナヘルトとシャーリーの属性はともに風。同じパーティーに同じ属性持ちがいるのはバランスが悪いようにも思われるが、一概にそういうわけではない。むしろ火と水など反対属性を同時にぶつけることで互いに相殺されてしまうこともある。その点同じ属性ならそのことを気にする必要はないのだ。
2つの方向から放たれた無数の刃。それらは気づいた素振も見せない人型の魔物を何の抵抗もなく蹂躙していく。
「ガアアァァ!」
獣じみた悲鳴が上がる。だがそれはどこか人間の声のようにも思われた。
「グロック!行け!」
自身も走り出しながらヴァナヘルトはグロックに指示を飛ばす。言われるまでもなく飛び出していたグロックは剣と盾を両手に持ち、人型の魔物に突っ込んでいく。
初撃で死んだかのようにも見えた人型の魔物だったが、そこから驚異的な生命力と運動能力を見せた。
振り下ろされるグロックの剣を横に転がって避け、全身から血を滴らせたままグロックへと突っ込んだ。
とっさに盾を構えたグロックだったが踏ん張りが効かず体当たりで突き飛ばされてしまった。人型の魔物は地面に尻をつけたグロックを追撃しようと走り寄る。
「させるか!」
そこにヴァナヘルトが後ろから魔法を放つ。使うのは「風球」。速さ重視と射線上にグロックがいるためにこの一番簡単な魔法を選択した。
ヴァナヘルトの声に反応して人型の魔物がこちらを向いた。不意打ちにもかかわらず魔法は簡単に躱される。
だが予想していたとばかりにヴァナヘルトはそのまま槍を突き出した。
「ハッ!」
掛け声とともに突き出された一撃はとても鋭く、最初を除いて攻撃を躱し続けてきた人型の魔物も躱しきることができなかった。槍の穂先が横腹を捉える。
と、ここで初めてヴァナヘルトは人型の魔物の顔を正面から見た。
「なっ」
彼に似合わぬ狼狽したような声。それも仕方のないだろう。なぜならその顔は皮膚の色を除いて人間と遜色ないものだったのだから。
額に汗をにじませ歯を食いしばっているこちらを睨む、壮年の男の顔。それを見た瞬間ヴァナヘルトの動きが止まる。一瞬の遅滞。魔物とも人ともいえるその黒い男がその瞬間を見逃すはずもなかった。全身から血を滴らせ、腹に穴をあけたその男は満身創痍でありながらも攻撃を繰り出した。人の頭を吹きとばすほどの威力を持つ拳。それがヴァナヘルトへと放たれる。
「ウッ」
だがここで再び邪魔が入る。ずっと隙を窺っていたシャーリーが魔法を放ったのだ。不可視の風の矢は目で見てそう簡単に躱せるものではない。黒い男の右肩に直撃する。
そして後ろからも——
「はぁっ!」
立ち上がったグロックが背中から斜めに切り下ろす。休む間もなく攻撃に晒されて黒い男は膝をついてついに動きを止める。だがその眼にはまだ光が灯っていた。
「終わりだ!」
再起動を果たしたヴァナヘルトが再度突きを放つ。魔道具でもあるこの槍の先端には風属性の魔法が付与されていて、当たった個所をえぐり取るように削っていく。左胸にこぶし大の穴をあけて、黒い男は前のめりに倒れていった。ついに息絶えたのだ。
あたりには沈黙が降りる。グロックは元から寡黙な男だからいつも通りだが、ヴァナヘルトは自分の手に人を殺したような嫌な感触が残っていて喜ぶ気持ちになれなかった。
ヴァナヘルトも人を殺したことがないわけではない。過去に盗賊に遭遇し、そこで何人も殺している。今更人殺しを怖れるような軟弱な気持ちは持ち合わせてはいない。
だが、魔物だと思っていた相手が予想以上に人間と酷似していた、いやむしろ人間そのものだったときはどうだろうか。なんの心構えも持たぬまま人を殺そうとしていたなら、体が止まっても仕方のないことであろう。と言っても今回はそれで死にかけたのだからそうも言ってられないのだが。
と、そこに明るい声が響く。
「ちょっと、ヴァナ~。またおいしいところだけ持っていっちゃって。私が援護しなかったら危なかったんだよ?」
離れたところで援護に徹していたシャーリーが歩いてきた。彼女は不満そうに口を尖らせながらもヴァナヘルトを心配している。
「……ああ、助かった」
シャーリーは予想に反して素直に礼を言われたことで驚いている。いつもの彼なら何かしら言い訳して、最期に嫌そうに礼を言う場面である。
「……ちょっと、気持ち悪いんだけど」
「悪いか!たまに礼を言ったくらいで!」
危機が去ったことでいつものふざけたような空気が戻っていた。その中でグロックだけはまじめに問いただす。
「……何かあったのか?」
グロックはいつものヴァナヘルトらしからぬ躊躇に不審を抱いていた。いつもの彼なら相手が息絶えるまで攻撃の手を休めるようなことはしない。だが先ほどは致命打を与えたにもかかわらず隙を見せてしまったのだ。
「いや……、なんかよ。急にこいつが人間に見えてな」
そう言ってヴァナヘルトはうつぶせに倒れた黒い男の死体をひっくり返した。フードを脱がせて顔を露わにする。
「えっ!?これって……」
シャーリーが疑問を呈すがヴァナヘルトは首を横に振った。
「いや、間違いなく魔物だろう。腕の力は間違いなく人間を越えていた」
そう、黒い男は鎧を着て重量の増したグロックを体当たりで突き飛ばしたのだ。それにいくら攻撃を受けても死なない生命力。人間なら最初の奇襲で死んでいたはずである。しかしこの男は全身を切り刻まれても、腹を刺されても、背中を切られても生きていた。
「この死体は持ち帰ろう。調べてもらわなきゃならねえ」
ヴァナヘルトは真剣な顔でそう言った。




